思想史の森へ


推薦図書

十八世紀思想(「啓蒙」とは別の近代へ向けて)


『ハーマン著作集』川中子義勝訳(沖積舎 2002年)

 いろいろな意味で辛い書物。もちろん、最大の難関はハーマン自身の本文。名にし負う難解さではあるが、これほどまでとは思わなかった。比喩や神話的・聖書的仄めかしなしに一文も行文が進まないかのようで、何を言わんとしているのかをおおよそ掴むというレベルですでに支障をきたす。おそらく訳文が悪いというのではなく、本文そのもののせいだろう。二分冊構成のうち、二冊目が註解になっており、よく調べたと思えるような出典表記や、内容のパラフレーズなどもあるが、それをもってもなかなか本文は歯が立たない。『理性の純粋主義へのメタクリティーク』なども、以前原文で眺めて、ほとんど理解できなかったが、今回翻訳で見ても、分からないことにあまり変わりない。例えばこんな文章。「しかしながら、高みより昇りゆく新たなるルシファーの訪れをまつことなく、また<偉大なる女神ダイアナ>の無花果の木に手をつけることなく、卑しき民の言葉という悪しき胸中の蛇は、われわれに感性的自然と悟性的自然とが実質的に一体化するというきわめて麗しい喩えを与えてくれる。かくして、それらの力はそれぞれに属するものをともに交わらせ、<アプリオリ>と<アポステリオリ>という互いに照応しつつも矛盾する二つの形姿を統合する秘密が明らかになる。すなわち、繋辞の鶴の一声あるいはその虚辞によって、命題と反対命題による周期的駄弁の長き間合いは縮められ、その虚ろな空間は満たされ、これにより主観性の諸条件は化体変貌をおこし客観性の呼称や目印のもとへと包摂されるのである」。とにかく全編がこんな具合。「命題と反対命題による周期的駄弁」というのは、アンチノミーのことだろうか。
 さらには、この書物自体の作りがかなり素人くさく、理解不能な余白があったり、巻末の欧文文献表はフォントがあまりに小さかったり、訳者の好みらしい可笑しなルビがあったりで、これもまた読書を辛いものにしている。『美学提要』に「びがくのくるみ」というルビを振るといった種類の扱いは、この訳者本人の著作『北の博士・ハーマン』
(沖積舎)にも見られたものだが、これはハーマンの感覚とはいささかずれているような気がしないでもない。値段も結構するので、「あの」ハーマンが日本語で読めるようになったからといって、手放しで推奨はしかねるもの。


 W. Schneiders (Hg.), Lexikon der Aufklärung. Deutschland und Europa, C. H. Beck: München 1995.
(シュナイダース『啓蒙主義事典 ―― ドイツとヨーロッパ』)
 啓蒙主義研究を代表するシュナイダースが編んだ事典。中項目の事項を中心に編集されている。「百科全書」、「感情」、「趣味」、「出版」などといった具合。副題に「ドイツとヨーロッパ」とあるように、ドイツが中心(「ベルリン」という項目などの取り扱いが大きい)。個々の項目の記述はかなり一般的で、具体的な事実や人名・書名を期待すると当てが外れる。索引も事項索引のみで、しかもかなり粗いので、事典的に調べるために使うのは難しいだろう。その意味で、事典としてなら、ロック研究で有名なヨルトンや、独特な18世紀研究者スタフォードらが編集した
The Blackwell Companion to the Enlightenment (edited by John W. Yolten, R. Porter, P. Rogers, B. M. Stafford), Blackwell 1991のほうが良さそう。


ケールマン『世界の測量 ―― ガウスとフンボルトの物語』瀬川祐司訳(三修社 2008年)

 副題の通り、数学者ガウスと探検家フンボルト(弟)を主題とした「小説」。『ダ・ヴィンチ・コード』などと並んで世界のベストセラーになったとか。18世紀後半の知的状況を踏まえながら、ガウスの数学上・天文学上の業績やフンボルトの探検の様子を物語として語っていく。その情報はかなり正確で位置づけも的確だが、「小説」としてそれほど面白いかどうかは疑問。ほぼ終わり近くで、フンボルトが『コスモス』(ただし小説の中では、書名は明示されていない)を書く決心を語ったくだり。「……とてつもない本を書こう。世界のすべての事実が、たった一冊に収められているな。……全宇宙について語っているが、誤謬や想像、夢や曖昧なことをいっさい含んでいない書物」(318頁)。それに続けて、語られるガウスとの対比が印象的。「しかし、……ガウスはいまこの瞬間も望遠鏡で天体を見ているだろう、そしてその軌道を単純な公式で把握できるのだろうと考えたとき、もはやフンボルトには、ガウスと自分のどちらが旅をしてきた者であり、どちらがずっと家にいたのかわからなくなっていた」(同上)。実証的な探検の時代が去り、抽象的・数学的理解に取って代わる境目をそれとなく語っている。


原克『死体の解釈学 ―― 埋葬に怯える都市空間』(廣済堂出版 2001年)
 
名著『書物の図像学』(三元社)の著者による、埋葬をめぐる言説とメディアとの関連を追った著作。18世紀ベルリンの墓地の移転から、『若きヴェルテルの悩み』における埋葬の記述など、死体をめぐるイメージをさぐってゆく。そのなかでは、「生前埋葬」
(生きながら埋葬されること)への恐怖が大きな位置を占めていたとされる。そのような恐怖を払拭しながらも、死体をめぐる言説はむしろメディアの力によって、恐怖を売り物にする娯楽の対象となっていった。科学的言説以上にメディアがもつイメージ操作が力を持っているという議論なのだが、そのストレートな論旨が意外と見えにくい。本書最後の数頁をむしろ冒頭に持ってくれば、そのあたりの論旨が最初から明瞭になっただろうと思えて、少々残念。文体も、『書物の図像学』ほどの緊張感はない。


S. H. Monk, The sublime. A Study of critical theories in XVIII-Century England, The U. of Michigan Pr. 1960.
(モンク『崇高 ―― 18世紀英国の批判的理論の研究』)
 
初版が1935年に出た崇高論の古典的研究を著者の新しい序文をつけて1960年に再刊したもの。文学論の中で崇高論がブームになるきっかけの一つを作った著作だろう。崇高論は、今となっては、哲学にまでその余波が及んでいる主題となった。


English Men and Manner in the eighteenth Century. An illustrated and narrative by A. S. Turberville, Clarendon Press 1926.
(『18世紀英国の人と風習』)
 
18世紀英国もの。当時のパンフレットや図版をふんだんに盛り込んで、ヴィジュアル面で当時の生活風景を活写しようとした有名な著作。


L. Stephen, Hours in a Library, 3 vols., 2nd ed., Smith, Elder, & Co., London 1877.
(レスリー・スティーヴン『図書館の中の時間』)
 壮大な『イギリス人名辞典』の編集者、イギリス思想の研究者、さらにメレディス『エゴイスト』中の作中人物のモデルとしても知られるスティーヴンのエッセイ集。扱われている対象は、デフォー、リチャードソン、ポープ、サミュエル・ジョンソン、フィールディングなど、18世紀の文人が中心。


フムボルト『教養への道』(全2巻、モダン日本社 昭和17年)
 原題は『或る女友達への書簡』。若い頃出会った女性と晩年になって文通を再開したもの。この往復書簡は晩年の10年間に及んでおり、自分の個人的な事柄を多く語らないフンボルトの周辺を知るには貴重な資料となっている。この邦訳は、後に原題通りに改題されて春秋社より再刊された。邦題の付け方や「フムボルト」という表記に時代を感じさせる。装幀は東郷青児。


J. Scott, Salvator Rosa: His Life and Times, Yale U. Pr. 1995.
(スコット『サルヴァトール・ローザ ―― 生涯とその時代』)
 
18世紀の崇高の美学の火付け役となった画家の一人、サルヴァトール・ローザの画集兼概説書。クロード・ロランなどとは大局的に、荒涼たる風景や魔女狩りの模様など、暴力と混沌を好んで描いた綺想の画家。本人は音楽家、喜劇役者など、多彩な側面をもつが、その狷介な性格は、パトロンとの関係などでかなり問題を起こしたらしい。18世紀の崇高絵画という点では、あとはユベール・ロベールの大型画集を手にいれたいと思う。


G. Hassler, Sprachtheorien der Aufklärung zur Rolle der Sprache im Erkenntnisprozess, Akademie-Verlag 1984
(ハスラー『啓蒙主義における言語論 ―― 認識過程における言語の役割』)
H. H. Christmann, Beiträge zur Geschichte der These vom Weltbild der Sprache, Verlag der Akademie der Wissenschaften und der Literatur in Mainz 1966
(クリストマン『世界像としての言語』)
 ともに啓蒙主義時代(とりわけフンボルト)の「世界観としての言語」という思想を追跡した研究書。前者のほうが包括的な概論で、最終的な到達点は同じくフンボルトだが、その前段階として、ヴィーコ、ランベルト、ハリスなどについての言及も多い。しばらく捜していたが、ネット上の古書店で入手。


スタール夫人『ドイツ論 ―― ドイツ概観』(鳥影社)
 
フランス革命期のサロンの女主人として名高いスタール夫人のあまりにも有名な『ドイツ論』が日本語で読めるようになりつつある。表面的な比較論に終わらないその行論は興味深い見解を多数含んでいる。フランス人ではあるが、ドイツ語にも通じていたため、言語についても面白いことを言っている。「ドイツ語は……すべてを言いたいときには非常に役立つ言語である。しかしどんどん出てくる多種多様の主題をこなす場合フランス語のようにいかない」。「話し合いが日常的な関心事の範囲を越えて思想の領域に入るや否や、ドイツでの会話は形而上学的になりすぎる。俗なものと崇高なものとの間の中間地帯がない。ところが話術が効果を発揮するのは、まさにこの中間地帯なのである」。なかなか穿っていて、思い当たる節が多い。
 この翻訳第一巻は、巻末にそこそこ詳しい訳註があるが、解説・あとがきの類は一切ない。完結する巻に付されるのだろうか。それにしても、この本の体裁はあまりに慎ましい。いたずらに声高でないのは良いのだが、それにしても、帯などの文言などでもう少しこの原著自体が持っている歴史的意味などを謳っておかないと、折角翻訳が出てもその重要さに気づかれない可能性がある。やはり重要な書物は、たとえ翻訳でもそれなりの「姿」をもって世に出てほしい。


A. v. Bormann (Hg.), Vom Laienurteil zum Kunstgefühl. Texte zur deutschen Geschmacksdebatte im 18. Jahrhundert, M. Niemeyer Verlag 1974.
(『一般人の判断から芸術感情へ ―― 十八世紀ドイツの趣味論をめぐる文献』)
 
十八世紀の美学は、「趣味」(taste; Geschmack)を中心に展開されるが、カントに至るまでのその文脈を押さえるためのアンソロジー。イギリス美学とは違って、ドイツ美学はカント以前が軽視されて紹介もまばらな状況にあるので、その辺りを補うには便利な資料。ゴットシェットから、スイス派のボードマー、ブライティンガー、ゲオルク・マイヤー、クリスティアン・ガーヴェと、入手しずらいテクストが抜粋されている。


L. Damrosch, Fictions of Reality in the Age of Hume and Johnson, The University of Wisconsin Pr. 1989.
(ダムロッシュ『現実の虚構 ―― ヒュームからジョンソンに至る時代における』)
 イギリス十八世紀におけるリアリティの感覚を、自我の解体や認識論の危機といった問題を背景に横断的に論じた著作。「ここでの主張は、簡単に言うと、主題とした著述家たちは、現実を堅固なものであると同時に相対的なものとみなしていたというものである。彼らは認識論上の危機の時代に生きてはいたものの、いまだ伝統的な堅固な存在論から離れてはいなかった」。懐疑論や蓋然性の議論、ヒュームにおける自己の問題などが俎上に乗る。ヒュームにおいて、いわゆる「知覚の束」として理解された離散的な自己は、このような文脈で考えるとまた新たな問題を提起してくれそう。


Physica sacra des Johann Jacob Scheuchzer (1672-1733), ausgewählt und erläutert von Hans Krauss, Universitatsverlag Konstanz GMBH 1984
(『ヨハン・ヤコプ・ショイヒツァーの<神聖自然誌>』)
 十八世紀の壮大な奇書のひとつ、ショイヒツァー『神聖自然誌』のなかから、
110点の図版を選んで解説を付した大判四折判の書物。聖書の記述を「科学的に」説明しようとする倒錯した試みゆえに、そこに付された図版は圧倒的な奇矯さを誇る。創世記の人間誕生の図版では、天を仰ぐアダムを中心的な画題としながら、その周囲には十八世紀当時に分かり始めた胎児の発達過程が月ごとに図像として示されている。しかも八ヶ月目からはその胎児が骸骨として描かれるなど、そのグロテスクぶりは徹底している。十一箇月目は、赤ん坊の骸骨がこの世に生まれる悲惨を嘆いて、薄布で涙を拭っているのだが、解説を読むと、その薄布は人間の皮膚ということになっている。その気になってあらためて図像を見なおすと、当の薄布には無数の毛細血管が走っていた!
 啓蒙の十八世紀、理性の時代と呼ばれるものの実情はこうしたものなのだということを見せつけられるような思いがする。図版の複製もかなり精度が高く、その異様さが一段と際立つようだ。ちなみにこの『神聖自然誌』は、荒俣宏氏が「ファンタスティック12」(リブロポート 
1990年)で紹介して、相当の数の図版を掲載している。版型の問題もあって、図版自体の仕上がりは多少落ちるが、これはこれで荒俣氏の図版の選択もよく、十分に楽しめる。


レペニース『18世紀の文人科学者たち』(法政大学出版局  1992)

 有名な「文は人なり」という格言は、18世紀の「博物学者」ビュフォンがアカデミー・フランセーズで行った講演が出典となっている。この一事からも分かるように、18世紀という時代は、文科系と理科系の学問が分離することなく、いわゆる「二つの文化」という問題が起こりようのない時代であった。健全なアマチュアリズムの時代であると言っても良いだろう。そうした18世紀の、文筆家であると同時に科学者でもあった五人の人物を取り上げた好著。ここで扱われる著者たちは、科学者である以前に、いわば「知を愛する者」という「哲学者」の古式床しい元の意味を素直に体現しようとしていた人物なのである。リンネ、ビュフォン、ヴィンケルマン、G・フォスター(クックの世界旅行に同行した人類学者)、エラズマス・ダーウィン(チャールズ・ダーウィンの祖父)が主題となる。いわば現代の科学の中には直接の後継者をもたない文筆家たちだとも言えるだろう。リンネは違うと言われそうだが、念を押しておくと、本書で扱われるリンネの著作は、ラテン語学名の命名法の基礎になった『自然の体系』ではなく、弁神論的な奇書『神罰』である(同じく法政大学出版局に邦訳あり)。本書『18世紀の文人科学者たち』では、このような18世紀的な知のあり方が徐々に後退し、現代の「科学」の側からアナクロニズムとみなされる経緯がエッセー風に点描される。同じ主題の詳細な展開は、同じ著者のもう一つの著作『自然誌の終焉』(法政大学出版局)に求められる。

 18世紀にあれほど盛んだった「自然誌」(博物学)は、自然界の多様性に驚嘆し、それらを網羅し整理しようという情熱に突き動かされていたものだ。すべてを網羅し尽くそうという欲望は、事実と虚構の境を楽々と乗り越えて、伝承と観察が綯交ぜになった面妖な「体系」を構築して行く。そうした行為を記述の側で支えていたのが、博物学者たちの優れた堂々たる文体だった。だが、そうなってくると、この博物学の真の主題は何だったのだろうかと、ふと立ち止まらざるをえない。結局すべてを突き動かしていたのは、事実そのものではなく、それを取り囲む諸々のディスクールだったということにならないだろうか。もちろん、本書の著者レペニースはそこまで過激な結論を引き出したりはしない。むしろ、18世紀に息づいていたある種の全人的な知の形態を振り返り、あまりに分極化してしまった現代の学問状況への批判とするといった「穏やかな」論旨である。しかし著者の感性は、そうした博物学的知のもつゆらぎの所在をしっかりと探り当て、こんなふうに言っている。「博物学の生き延びた場所は、科学ではなく文学だった。〔......〕ビュフォンを模倣し克服したいと思っていたバルザック、そしてダーウィンとクロード・ベルナールに心酔し、その心酔が嵩じて、自分自身の表現の可能性を過大に評価するに至ったゾラ。プルーストは、そのゾラよりバルザックに近い位置にいる」(p. 70-72)。そうだとしたら、18世紀を科学と文学の結合と見る本書の論旨を敢えて逸脱してみることもできるかもしれない。つまり、科学と文学の結合というのをむしろ裏側から読み直して、「科学」さえも「言説」の内に完全に取り込まれてしまった時代と言い換えてみるのである。人間が文によって囲繞され、文によって喰い尽くされ構成される。「文は人なり」という陳腐な決まり文句が俄かに不気味な光芒を放ち始めないだろうか。


カッシーラー『啓蒙主義の哲学』(紀伊國屋書店)

 「刃こぼれもせず欠けてもいない」武器をヴァールブルクから受け取ったカッシーラーは大冊三巻本『シンボル形式の哲学』(邦訳岩波文庫では四巻)を著すことになった (奇しくも1929年完結)。この後に書かれた18世紀思想史の名著『啓蒙主義の哲学』がまた素晴らしい。18世紀的な「体系」の理解から始まり、「美学」の誕生に至るその骨太の陳述は、哲学的思弁と思想史的考察とを調和させ、一種の気品すら漂わせる。同じく17世紀から18世紀を扱ったアザール『ヨーロッパ精神の危機』とはまったくスタイルの異なったものであるが、そのどちらを欠いても18世紀という時代は捉え切れなくなる。18世紀啓蒙、これはドナルド・グリーンの小振りな名著(Donald Greene, The Age of Exuberance: Backgrounds to eighhteenth-century English Literature, McGrow-Hill, Inc 1870)ではないが、まさしく「繁茂の時代」というに相応しいものだったらしい。


アザール『ヨーロッパ精神の危機』(法政大学出版局)

 「大体二千年ばかりの歴史でヨオロッパが最もヨオロッパだったのが十八世紀だった」と書いたのは吉田健一だが、実を言うと、この最もヨーロッパ的な十八世紀というものは、われわれにとってかならずしも身近なものではない。思想家の名前にしてから、ヴォルテールやルソーは兎も角としても、シャフツベリ、アディソン、マンデヴィル、フォントネルといった人びとのことを、ある程度でも明確にイメージできる人は少ないのではなかろうか。本書は、このような欠を埋めるには格好の、しかもこの分野でも古典中の古典とされるものである。

 本書はおおよそのところ、宗教論(理神論)の議論、社会論、心理学・芸術論といった大きな流れに沿って展開される。それぞれの思想家からの直接の引用も多く、資料的にも有益な大冊である。しかし何よりも本書の特徴となっているのはそのこなれた語り口である。この時代の隅々まで知悉し、資料を縦横無尽に使いこなされる博学の士にして初めて可能になる肩の凝らない談話調が全篇を貫いている。著者のアザールは、まるで自分の友人であるかのように、論じられている思想家の性格や癖にまで言及して、読者を飽きさせることがない。同時代のゴシップでも聞いているような身近さに溢れている。十八世紀という、芸術面でも文化面でも多彩で、一筋縄ではいかない時代を語るには、このような柔軟な接しかたこそが相応しいのかもしれない。

 そして本書に関してもう一つ特筆すべきは、その翻訳である。流れるようなアザールの文章を、これまた淀みのない見事な日本語に移しているのは、十八世紀思想の礎を築いたベール『歴史的批評事典』(部分訳:法政大学出版局)の翻訳という快挙をも成し遂げた野沢協そのひとである。実はこの野沢氏は、かの澁澤龍彦の旧制高校時代からの友人でもあり、出口裕弘『澁澤龍彦の手紙』(朝日新聞社)などでも、その早熟ぶりが回想されていたりもする人物である。

 本書の翻訳は日本語として優れているばかりではない。この原著にはすでに膨大な文献データが付録として盛り込まれているが、訳者はさらに、この原著が出て以降の研究文献を独自に追加するというようなことすらもやっている。単なる機械的な翻訳ではなく日本語版として立派なものを出すというのはどういうことかを、実物をもって示してくれる翻訳の鑑である。


寺田元一『<編集知>の世紀 ―― 一八世紀フランスにおける<市民的公共性>と『百科全書』』(日本評論社 2003年)

 ディドロ・ダランベールの『百科全書』の研究書。ライプニッツに代表される17世紀的な「汎知」に対して、『百科全書』の内に、サロンやカフェーで展開された「市民的公共性」に裏打ちされた、より多様で雑多な知のあり方を見届けようとする。18世紀の「知」は、『言葉の物』のフーコーが言うほどには「タブロー」に徹しているわけではないということが、『百科全書』という18世紀的な知の代表格を論じながら照らし出される。『百科全書』にはもちろん、ベーコンに範を取った有名な知のタブローが付されているが、著者の見解では、『百科全書』の真骨頂はむしろ事典の内部に埋め込まれたクロス・レファランスにある。
 最近では、電子テクストを使って、『百科全書』のクロス・レファランスの相互関係を追った研究が出ているらしく、本書でもその成果が取り入れられている。本書の189頁にその成果の図表がそのまま引用されているのだが、それを見て驚いた。『百科全書』に付された整然としたタブローとは異なり、これはまさに南方曼荼羅!それぞれの項目が触手を伸ばして相互に絡み合っているさまは、かなり衝撃的である
(『ディドロ研究』Recherches sur Diderotという雑誌に載っている論文がその資料だそうなので、これは手に入れたい)
 ディドロはこのようなクロス・レファランスを用いて、一元化しえない経験知の複雑な様相をトレースしようとしていたというのが著者の見立てである。しかしこれにはまだ先がある。ディドロはとりわけ「人間」という項目をベースキャンプとして、「人間」から発し、「人間」に帰ってくるクロス・レファランスの網目を構想していたが、『百科全書』が出版される際のさまざまな困難によって、その構想は実現していないというのだ。出版禁止によって第八巻以降が大幅に遅れたことで、最終的に編集者としてのディドロの采配が十分に効かなくなり、ジョクールによるその後の多くの項目では、それまでに張り巡らされていたクロス・レファランスの網が途切れているということである。そのために、『百科全書』以降のディドロは、「人間」をめぐるこの頓挫したクロス・レファランスを組み直すことに向かった。著者自身、「私としては、ディドロの思想活動を、<人間>をめぐる<編集知>回復の視角から考察することに、今後はチャレンジしたいと考えている」(p. 212)そうなので、これには大いに期待したい。
 ただ、こちらから問題を投げ返すとすれば、やはり「編集知」と「汎知」という対比はまだまだ考える余地があるように思える。ライプニッツ的な普遍学そのもののうちにも、「リンク集」になぞらえられるような複雑な要素が盛り込まれていることを考えるなら
(佐々木能章『ライプニッツ術』工作舎)、これをもまた「編集知」と呼ぶことも不可能ではないからである。いずれにせよ、ヘーゲル的な『エンチクロペディー』に収斂するだけが近代的知の唯一の道ではないということを、あらためて考えさせられる。


中川久定『転倒の島 ―― 18世紀フランス文学史の諸断面(岩波書店 2002)
 ディドロ研究者の中川久定氏によるユートピア文学に関する論考集。社会秩序の転覆の装置としての架空の「島」が18世紀が進行するに連れて現実の場面に移行し、ついにフランス革命という現実の「転倒」に至るという流れは、18世紀という時代の性格を浮彫りにするものでもある
(「四つの転倒の島」「世紀末の転倒の島」)。「ルソーと『エミール』」は、教育論としての美点ばかりが強調されがちな『エミール』を、その暗黒面の側から読解していて刺戟的。『エミール』はこれまで「教育者」の側からのみ読まれ、一度として「生徒」の側から読まれていないとしたうえで、「私が試みるのは、エミールのように教育されることを望まぬ一読者の立場からする、ルソーの教育法に対する批判である」と言挙げする。ここから炙り出されるのは、ルソーの構想する教育者が、生徒の下位意志に絶対的に優越する不可視かつ善意の上位意志として構想されていること、そしてこうした上位意志こそが、フーコー的な「監視」を産む近代的システムにほかならないという見事な結論である。
 さらに著者は、不可視の上位意志を自ら進んで内面化し、自己陶冶に励む「啓蒙主義」のプログラムをここに重ね合わせる。そして、そうした超越的意志の内面化の仕組みを、半ばフーコーに拠りながら、「ユダヤ・キリスト教的」伝統に遡ってみせるのだが、この最後の方向は俄かには肯首しがたい。超越的意志の内面化の証左として、著者はクザーヌスのテクストを引き合いに出している。確かにクザーヌスには、人間の認識能力(観ること)は神によって「観られる」ことによって構成されるという議論があるが、これは超越的視点の「内在化」ではなく、むしろ内在的視点の「超越化」なのである。そのような点で、やはり中世と近代との断絶は無視することはできないと思うのだが。


R. Grimminger, Die Ordnung, das Chaos und die Kunst. Für eine neue Dialektik der Aufklärung. Mit einer Einleitung zur Taschenbuchausgabe, Suhrkamp 1990.
(グリミンガー『秩序・混沌・芸術 ―― 啓蒙の新たな弁証法のために』)
 啓蒙主義からロマン主義に対する思想史的考察を通して、「近代」の多様性を探ろうとしたもの。一つの原理の下に一切合財を包括しようとする強い意味での「近代的」思考に対して、多様性を多様性のままに認めようとする方向性が、同じく近代思想の中に求められる。「小説」といった近代的装置も、実は雑多な多様性をそのままに承認し、自由に展開させる一つの方途だとみなされる。とりわけ十八世紀的な解釈学の内に、そうした多様化の理解の原型が見出される。トマジウスなどに代表される「失われた」解釈学である。緩やかな統一性の下で多様性を許容していくトマジウス的な十八世紀解釈学と対比するなら、二〇世紀のガダマーの哲学的解釈学は、やはり変種のヘーゲル思想であって、「地平融合」という弁証法的な統一性を強く志向するものだということは明らかだろう。


B. M. スタフォード『ボディ・クリティシズム ―― 啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化』高山宏訳(国書刊行会 2006年)
B. M. Stafford, Body Criticism: Imaging the Unseen in Enlightenment Art and Medicine, MIT Press: Cambridge, Massachusetts, London 1993 (1. ed. 1991)

 原著・翻訳ともども、何重もの意味で特筆に値する書物。標題だけから見ると、18世紀の医学・科学上の進歩と芸術との「相関関係」を扱って、そこから身体理解を炙り出すという穏当・篤実な研究書とも見えかねないが、稀代の怪物的大著で、内容的にも並の思想史の書物十冊以上にも相当するであろうといった濃厚な「作品」。現代にまで連なる近代的メディア戦略が、アーリーモダン期に芽生え、文字と図像、実在と虚構といった二分割を流動化し、そこに視覚と理論の新たな経験を生み出していくという次第が、ハイアートとローアートの別もなく、哲学と芸術の敷居もなく、縦横無尽に博捜されていく。メスメルとガリヴァーニが、挿絵画家グランヴィルや、哲学者バークリと同列に論じられ、ショイヒツァーとチェインバーズとベールとディドロが「百科全書」の繋がりで連鎖するなど、凡百の「実証的」思想史などが及びもつかないところで議論が展開されていく。
 それに加えて、翻訳の高山宏氏がまさに本領発揮、スタフォードの怪物ぶりに引けを取らない役者(訳者)のケレンを見せて猛進する。『グッドルッキング』や『ヴィジュアル・アナロジー』などの場合は、この訳者の味付けが濃すぎて、半ば綱領的な簡潔さが失われ、主張が文体の陰に隠れてしまうような気がしたし、プラーツ『ムネーモシュネー』でも、原著の文体との相違が露骨すぎて、気になったが、本書は高山氏の訳の力業が最大限プラスに働いたような気がする。言葉遊びに関しても、抜群の語彙力で嵌まった訳をびしびし当ててくるのが心地よい(conceptを「着床」と「着想」と訳すなどなるほどと思う。これまでの懷念/概念より、はるかにスタフォードの議論にも合っている)。多少なりとも翻訳に携わるような人は、評価はともかく、一度は検討してみる必要のある訳文スタイルだと思う。自由闊達でいながら、原典のスタイルまでも実演しようというこのような翻訳を見ると、直訳か意訳かなどというつまらない翻訳論は吹き飛んでしまうだろう。ちょっとした瑕疵を挙げると、原著ではギリシア語がラテナイズされているものを、翻訳ではわざわざギリシア文字に戻していて、その志は立派なのだが、そのほとんどが間違っている。語尾のシータがゼータになっていたり、ミューとニューが混同されていたりと、いかにもギリシア語に不慣れなのが歴然としてしまうのだが、これはまあご愛嬌。ちなみに原著はサイズが一回り大きいので、図版も大判でさらに威力が大きい。
 本書の提示する感性が、視覚と理論をアナロジーの感覚で横断する見立ての美学、曰くThe Aesthetics of Almost(邦訳では「<もさながら>の美学」だが、流石にこれは分かりづらい)。仮象と実在のプラトン的対立を乗り越えるAls-Obの感覚というところだろう。いわばヴァーチャル感覚である。芸術論を知覚論として理解し直すことで、概念とイメージ、思想と芸術の「対応関係」という平板な理解を越えて、むしろ概念とイメージが同時に組み上げられ生成する観念=イメージの発生学が問題となる。多元的で多角的な知覚や観念をひとつのまとまりとして把握するのは、概念の仕事ではなく、イメージやメタファーの役割である。これはは、哲学的な文脈で言うなら、カント的な「構想力」の再評価にも繋がるだろうし、ニーチェ的な仮象理解の展開でもある。そうなると、カントとニーチェをともども取り入れようとしたファイヒンガーのPhilosophie des Als-Ob(「かのように」の哲学)などが補助線になるようにも思えてくる。


『世界大思想全集 哲学・文芸思想編21』(河出書房新社 1960年)
 かなり以前のものだが、内容は「アリストテレス『詩学』、ホラチウス『詩人の心得』、ボワロー『詩法』、ポウプ『批評論』、ディドロ『美学論文集』」。とりわけポープ『批評論』が珍しいので入手。下手な詩作よりも下手な批評のほうが始末が悪いというのがその主旨。「愚者は時として自分だけの正体をさらけだすこともあろうが、詩作において一人の愚者が出るのに対して、散文の批評においてははるかに多くが出るのである」。


U. Ricken, Sprache, Anthropologie, Philosophie in der französischen Aufklärung. Ein Beitrag zur Geschichte des Verhältnisses von Sprachtheorie und Weltanschauung, Akademie-Verlag 1984.
(リッケン『フランス啓蒙主義における言語・人間学・哲学 ―― 言語理論と世界観との関係の歴史』)
 18世紀の言語思想というとどうしてもドイツ人文主義系のものに傾きがちだが、そういた系統の最高峰に位置するフンボルトでさえ、若い頃にフランス言語思想の洗礼を受けているように、フランス啓蒙主義もまた独自の言語論をもっている。ポール=ロワイヤルに由来する記号論の伝統である。そうした伝統が概観できる貴重な研究書。


ディドロ『演劇論』(弘文堂〔世界文庫〕1940年)
 
ディドロの『演劇論』の(おそらく)いまのところ唯一の訳が偶然にも手に入ってしまった。これはいまとなっては見つけるのがかなり困難なもの。この弘文堂の世界文庫や、春陽堂の世界名作文庫、改造社の改造文庫など、昔の文庫では時折こうした貴重なものがある。このディドロの訳者、小場瀬卓三氏はディドロの研究書なども出しているが、確か『ディドロ研究』は上巻だけで、下巻は出なかったはず。かつて八雲書店というところから『ディドロ著作集』が企画されたことがあるらしく、その一巻には、この『演劇論』がそのまま収められているようだ。ちなみに、日本語で読めるディドロ関係の書誌は、『思想』1984.10「ディドロ ―― 近代のディレンマ」の巻末文献表にまとまっている。これはたいへんに良い特集だし、今でも古書として入手は容易。
 ディドロのこの『演劇論』は、1758年に公刊されるや、二年後にはレッシングが独訳して出したほどのもの。その序文でレッシングは、ディドロのこの論考を「アリストテレス以来、演劇に関する哲学的議論では最高のもの」と絶賛している。訳書は入手困難とはいえ、原典は
Classique Garnierの廉価版のペーパーバックで簡単に手に入るし、レッシングによる翻訳もレクラム版が出ている。

ベックフォード『ヴァテック 亜刺比亜譚』矢野目源一訳・生田耕作補訳校註(牧神社)
 
これまで純粋な文学書は意図的に外してきたが、偶には例外で。本訳書は、奇書を自家薬籠中にしたうえで訳者独自の日本語に変換するという点で、平井呈一訳のウォルポール『おとらんと城綺譚』と双璧をなすもの。訳者の矢野目源一という人がまた面白い人で、ヴィヨンの翻訳などもやっていて、そのなかの「卒塔婆小町」の訳などは、鈴木信太郎も脱帽したという名人芸。しかもそうしたいわゆる文学書のほかに、矢野目氏の著作活動の多くは艶笑小話やいわゆる閨房術(ars amatoria)に割かれている。『お化粧讀本』『閨房秘薬90法の研究』『精力絶倫その七つの鍵』『実用強精秘薬』と、タイトルだけでも元気が出そう。オウィディウスが『変身物語』と同時に『恋愛技法』(Ars amatoria)を著しているのを思い出してもいい。生田耕作が共感する訳だ。
 この矢野目訳『ヴァテック』もそうだが、文章としては古いが独自の日本語作品として成り立っている翻訳を一度まとめて考えてみたい。それこそ、森田思軒訳の『十五少年漂流記』、上田敏『海潮音』や堀口大學のモオラン『夜ひらく』などの歴史的名作から始まって、日夏耿之介のポオ、ワイルド、石川道雄のホフマン、平井呈一のサッカレイなど、見直すとまだまだいいものが相当にあると思うが。


Sergio Moravia, Beobachtende Vernunft. Philosophie und Anthropologie in der Aufklärung, Ullstein Bücher 1977 (Hanser 1970).
(モラヴィア『理性は観察する。啓蒙主義における哲学と人類学』)
 18世紀後半のフランス思想家を主題として、哲学的人間学から現代的な人類学が成立してくる経緯を追ったもの。ここで触れられる思想家は、エルヴェシウス亡き後、その未亡人の下に集った「観念学派」(イデオローグ)と呼ばれる思想家たち。デステュット・ド・トラシーやカバニス、有名なところでは『第三階級とは何か』のシエース。ナポレオンが彼らを「イデオローグ」(机上の空論を弄ぶ連中)と呼んで、これがいわゆる「イデオロギー」という言葉の元となったというのは、マンハイムの『イデオロギーとユートピア』などによっても良く知られているが、この学派自体の実体が(私には)今一つ良く分からない。若きフンボルト(兄)は、パリでシエースの食客となって、この「観念学派」とも付き合っている。そんな関係でも、この学派のことをもう少し知りたいと思っていたが、哲学の方ではなかなか引っかかってこない。そんななか、この本が到着して少し方向が分かってきた。なるほど、彼らはむしろ人類学や民俗学の方に流れ込んで行くということらしい。だがそうなると、後のフンボルトの「比較人類学」の成立ということに関しても、やはりこの「観念学派」を考慮に入れるべきなのだろうか。

Herbert Dieckmann, Diderot und die Aufklärung. Aufsätze zur europäischen Literatur des 18. Jahrhundert, J. B. Metzlersche Verlagsbuchhandlung 1972.
(ディークマン『ディドロと啓蒙主義。18世紀ヨーロッパ文学論集』)
 
下記の記念論文集『ヨーロッパの啓蒙主義』が捧げられたディークマン本人の論文集。このディークマンは、カッシーラーの『啓蒙主義の哲学』の英訳が出たときに長文の書評を書いて、アザールやディルタイなどとも比較していた。その書評は、『ヨーロッパ啓蒙主義研究』(
Studien zur europäischen Aufklaerung, Wilhelm Fink 1974)に収録されているのだが、この論文集を編集したのが、コンスタンツ受容美学の代表格、イーザーとヤウス。もしかするとこのディークマンを中心に、また研究者同士の面白い「繋がり」が見えてくるかもしれない。ちなみにこのディークマンは冒頭の書名にもあるように、ディドロを研究の中核に据えている。日本語で読めるディドロ研究書は、なんと言っても一連の中川久定のもの。とりわけ『啓蒙の世紀の光のもとで』(岩波書店)は充実している。\10,000と高価なのは痛いが、それくらいの価値はある。もっとも私は函なしのものを古書店で\3,000で買ってしまったのだけど。


H. Friedrich, F. Schalk (Hg.), Europäische Aufklärung, W. Fink: München 1976.
(『ヨーロッパの啓蒙主義』)
 18世紀思想の専門家ディークマンの還暦記念論文集。イーザー、ヤウス、J.プルースト
(『百科全書』の研究者)、セズニック(名著『神々は死なず』の著者)、スタロバンスキー、そしてブルーメンベルクと、何とも豪華絢爛な執筆者たち。


G. Cacciatore, Metaphysik, Poesie und Geschichte. Über die Philosophie von Giambattista Vico, Akademie Verlag 2002.
(カッチァトーレ『形而上学、詩、歴史 ―― ヴィーコ哲学について』)
 原著はイタリア人著者によるイタリア語の書物だが、主題の立て方がきわめてドイツ的。最初の
30頁ほどを研究史に割いているが、ここでもドイツ関係の研究史が中心。実際、ヴィーコ再評価は、翻訳を行ったアウエルバッハを始め、主にドイツ語圏から起こっている。その最も新しい後継者が、フンボルト研究でも知られているトラバントというところだろう。しかしその一方で、ホワイトの物語論、サイードの『始まりの現象』、ギンズブルグなどによるヴィーコ評価も見られるので、こちらの系譜もあらためて考えてみたいところ。


G. Mazzotta, The New Map of the World. The Poetic Philosophy of Giambattista Vico, Princeton U. Pr. 1999.
(『世界の新たな地図 ―― ヴィーコの詩的哲学』)
 名著『ダンテ ―― 砂漠の詩人』の著者マッツォッタのヴィーコ論なので、何を措いても入手。ヴィーコのバロック的著作『新しい学』は、哲学の詩的起源としてのゾロアスター(ツァラトゥストラ)、オルフェウス、ピュタゴラスといった形象を打ち出してくる点も興味深いし、ホメロスにおける捩れた歴史意識という感覚もあらためて考えてみたい問題でもある(ちなみに、『新しい学』の扉絵では、ホメロス像が乗っている台座は「罅割れて」いる)。


バーク『ヴィーコ入門』岩倉具忠・岩倉翔子訳(名古屋大学出版会 1992年)
 バーリン『ヴィーコとヘルダー』
(みすず書房)や上村忠男氏のものを除くと、日本語で読める数少ないヴィーコ論。しかし、あくまでも歴史的・思想史的な解説を中心にした「入門」であって、現代になってなぜヴィーコが一部の人々の関心を引いているのかという点には言及がない。ホワイトの物語論における位置づけや、サイードとの関係など、現代思想との関係で、もう少し踏み込んだヴィーコ入門が書かれないものだろうか。巻末には訳者の岩倉具忠による「ヴィーコと言語」といった長文の論考が付されているが、これも本文と同様に思想史的なアプローチなので、本文を二度読まされるような印象がある。別の個所に出された論考をほぼそのまま収録していること自体は悪くはないが、やはり書物の「解説」である以上、違った角度からの考察が欲しいところ。


ディドロ『逆説・俳優について』(小場瀬卓三訳・未来社〔てすぴす叢書〕)
 八雲書店のディドロ著作集に収められていたものを、関連する小品(ディドロ以外のもの)と抱き合わせて小冊にしたもの。


Fr. E. Manuel, The Eighteenth Century confronts the Gods, Atheneum 1967.
(マヌエル『18世紀における神々との邂逅』)
 標題は直訳すれば、『18世紀が神々と出会う』といったところ。理性と合理性、偶像破壊に徹した啓蒙の世紀が、その実、神々や神話といったものを独自の仕方で扱っていた模様を追う。啓蒙主義の世紀である18世紀は、脱神話化のプログラムを麗々しく掲げると同時に、ヘルダーやヴィーコに見られるように、神話的世界の再興をも果たしている。啓蒙と神話が通底しているという「啓蒙の弁証法」の一事例と言ったところか。フレッチャーの『思考の図像学』
(法政大学出版局)の註にあったので入手。


 HOME    Library TOP