das musikalische Opfer
  音 楽 の 捧 げ 物  

音楽関連書籍

New 07. 09. 18


200CDヴァイオリン編纂委員会『200CD ヴァイオリン』(立風書房 1999年)

 同じく、下記の立風書房の「200音楽書シリーズ」の一冊。弦楽器(ヴィオラ、チェロ、コントラバスを含む)のCDの紹介。協奏曲、ソナタなどの分野毎、著名な弦楽器奏者ごとの紹介など、構成は比較的普通。ただ、ヴァイオリンの奏法(ポルタメント、コル・レーニョなど)ごとのCDの紹介というのは意欲的だが、これはあまり成功していない。できたら、使用楽器で項目を立てて、紹介してもらうというのも面白かったと思う。いずれにしても、各項目ごと、かなり情報量が多く、眼に止まりにくいCDまで紹介されているのがありがたい。著者たちの思い入れを感じる。しかし著者の一人に、『ヴァイオリニストは肩が凝る』という(特に見どころのない)エセー集などを出しており、変に文章が立つ(つもりの)人が入っており、この人のコラムはすべてはずれ。全体の足を引っ張っていて残念。


田中成和・船木文宏『200CD クラシックの名録音』(立風書房 1998年)

 立風書房の「200音楽書シリーズ」の一冊。このシリーズ全体がかなりマニアックで面白いので、徐々に追いかけているが、特にこの『名録音』の巻は参考になる。録音の良いクラシックCDの紹介なので、レーベルやジャンル別で章立てがなされているのは当然だが、それに加えて、プルデューサーやホール、録音場所で独立の章が組み立ててられている点、かなりの拘りが伺える。紹介されているCDも、有名どころを押さえるのはもちろん、かなり珍しいものも取り上げられていて、これを参考にずいぶんCDを入手したが、まだ聴いてみたいものが残っているほど。コメントも、例えば、「ノイマルクトのライトシュターデ」というホールで録音されたタカーチSQの「バルトーク/弦楽四重奏曲全集」について。「ステージの床がしっかりしている事を証明するような低弦の躍動感の上にヴァイオリンの綾が絡みつき……会場が育む透明な美しさに酔う」(134頁)といった具合。「ステージの床」についての指摘など、なかなか泣かされる。レーベルの紹介で「ECM」を語ったくだり。「底冷えのするような透明さと孤独感にさいなまれそうな響き」(21頁)。思い入れが強すぎて、完全にはピンと来ない部分もあるが、言わんとするところは分からないでもない。ちなみにこのECMの代表盤として挙げられているのが、デメンガの「バッハ/無伴奏チェロ組曲」(これは未聴なので聴いてみたい)。索引も取り上げられたすべてのCDの作曲者と演奏者からのものが付されていて万全。CD案内としては、いまのところ最も頼もしい存在。


長峯五幸『魔性の楽器 ヴァイオリン万華鏡』(インターワーク出版 2003年)

 何とも評価のしにくい不思議な本。著者ご本人が「エルマン」という輸入楽器店の店主(現在は存在しないらしい)。ストラディヴァリやグァリネリといった歴史的なヴァイオリン作家から、現代イタリアのヴァイオリン作家について、いろいろと立ち入った情報が盛り込まれていて得がたい書物ではあるのだが、なんといっても叙述に難がある。ご本人は、「幻想小説風隨筆という新機軸」などと名乗ってはいるが、書物の構成という点では相当に問題がある(元は鎌倉市図書館の司書だったそうなのだが)。同じ話の繰り返しが多く、叙述の順序も散漫なので、折角の貴重な情報や意見が活かしきれていないのは、返す返すも残念。特に第二部の「文芸篇」という部分が、中途半端な小説仕立てで、設定も表現もあまりにも陳腐で読む側が恥ずかしくなる。編集者がもう少しきちんとしたアドヴァイスをすれば、ずいぶん良い本になっただろうにと悔やまれる。
 もちろん、盛ってある情報はいろいろと面白い。グァリネリ・デル・ジェズは、自らの名前がジェズ(イエス)だったこともあるが、そのラベルにイエズス会のマークをあしらっている。どうやらデル・ジェスは、一時期イエズス会に寄食しており、それがイタリアのヴァイオリン製作にイエズス会が目を向ける切っ掛けの一つになったらしい。世界中の上層部とコネクションをもっていたイエズス会が、それ以降、ストラディヴァリやグァリネリを広めるのに一役買ったとか。こんなところでもイエズス会が絡んでいるというのに驚かされる。さらに、タリシオという18世紀末のヴァイオリン・コレクター兼ヴァイオリン業者の足跡を追いながら、日本の一大ヴァイオリン・コレクターかつ業者として「飛鳥貿易」の賀来得四郎が紹介される。この賀来氏は、サボテンの輸入でも知られ、伊豆のサボテン公園もこの人が作ったものだとか。さらには、龍角酸の社長が、一時期、ストラディヴァリのものとして知られている最初のヴァイオリン「ライジング・サン」を所有していたとか、面白い話がかなり盛り込まれている。それにしても、やはり問題は語り口か。自分の本業の知識を活かしてエッセーや小説を書くという点では、古書の出久根達郎などともスタンスが似ているかもしれないが、文筆家としての才能の差というものを痛感してしまう(しかし懲りずに、続編『呪われたヴァイオリン』も注文してしまった)


石井宏『誰がヴァイオリニストを殺したのか』(新潮社 2002)

 ヴァイオリンという楽器は古来なぜ「悪魔」の楽器と考えられ、いつその魔性を失ったのか。ストラヴィンスキーの『兵士の物語』を元に、ヴァイオリンが「悪魔」と結び付けられた理由を考察する。17, 18世紀のヴァイオリンと19世紀以降のヴァイオリンとの決定的な違いを説きながら、ヴァイオリン固有の音色の魅力を語っていく。ガット弦を使い、弦の張力も弱かった時代のヴァイオリンは、華やかに響き渡るというよりは、惻々と身に迫るような囁きのような親密さと魔力があった。悪魔に魂を売ったと言われるパガニーニも、現代にイメージされるように、ばりばりと弾きまくったというよりは、ヴァイオリン独特の音色を存分に引きだし、場合によってはヴァイオリンによって人の声音を真似たり、動物の啼き声を模写したりしていたらしい。そうした現代のイメージとは違ったヴァイオリン独特の姿を伝えている点で、いろいろと常識を覆してくれて面白い。ただ、懐古趣味が強すぎて、その面は共感しにくいものがあるが。