思想史の中の他者

 

 思想にも流行がある。その一言を言ってしまえさえすれば、何となく話が収まってしまうかに見えるジャーゴンさえも存在する。今の状況でその代表的なものが「他者」だろう。「〜の思想には他者がいない」などというのがまことしやかな「批判」として通用しかねないほどに、われわれの思想的感度は落ちているわけだが、もちろん問題はそれほど甘いものではない。多少なりとも原理的な次元に立ち戻って、問題を概観しておこう。

� 古代・中世 ―― グノーシスと他者

 ギリシア人が異邦人をバルバロイとして蔑視し、ヘロドトスがギリシア以外の地方の文物を面白おかしく伝えているのを挙げるまでもなく、文化上の問題としての他者はいつの時代にも存在する。さらに遡って、「まつろわぬ者」や「まれびと」として、神話的・民俗的レベルで他者が問題になる場面もあるだろう。しかしそのように、他者が「外部」として理解され、「外」と「内」の図式が ―― たとえその境界侵犯者を考慮に入れるかたちであっても ―― 妥当している限り、「他」という問題は、まだそれほど熾烈なものではない。それらの問題が、一旦は世界理解全体の問題に抽象化され、世界内部の異質性として捉え直されたときに初めて、他者という問題はその起爆力を発揮し始める。その最初の現れが、プラトン的な形相と質料、エイドスとヒュレーといった問題群である。イデアないし形相は、理解の純粋な原理であり、それ自体が最も高次の実在性をもつ。「美そのもの」、「善そのもの」こそが、真の意味での実在なのである。そのために、現実に存在する物質をまとった世界は、「あってなきが如きもの」(メー・オン)とみなされる。純粋な理念の世界と物質の世界とを完全に分け隔てるいわゆるプラトン的二世界説である。他者問題の原型とも言える「二元論」の始まりである。

 このプラトン的な枠組みは、人間の理解というものの純粋性を構造として取り出したものであり、その意味ではいまだ理論的色彩の濃厚なものであった。この同じ枠組みに依拠しつつも、そこから宗教的・倫理的帰結を引き出したのがグノーシスである。グノーシスにとって、「理念ないし精神」対「物質」という対立は、とりわけ善と悪の対立というかたちで理解される。神が善ならば、この世界の中になぜ悪が存在するのかという問題によって、善にとっての他者としての悪が、解決を迫ってやまない問いとして立てられる。彼らの解答はこうである。「この〔グノーシス主義、マニ教などの〕教えによれば、神はすべての原因ではなく、たとえ善の原因であるとしても、神は間接的にすら悪の原因ではない。世界の中には善とはまったく異質な原理がある、けっして神から生まれることのなかった実体があるのだ」(ペトルマン「宗教的二元論」)。こうして、グノーシス主義は、悪と汚辱に満ちたこの世界を創った神と、われわれの精神を救う善の神を区別する。精神的な上昇を目指し、悪の世界を抜け出ようとする者は、「認識」(グノーシス)によて、純粋な理念の世界に駆け上がっていくべきとされるのだ。したがって、認識に充たされた者(「覚知者」)が希求する神は、この世界を創った神ではないし、「存在」の神ではない。「グノーシスの神は、<異邦人>である。<知られざるもの>、<深淵>、<沈黙>、<存在しない神>である。おそらく神の乖離、また不在において、虚空において神を求めねばならないということは、決して神学だけの対象であったわけではない。グノーシス主義は認識(グノーシス)の内に救いを見るが、その認識とは、神的なものの認識と言うよりも、神的なものの意外性、この世と神的なものとの断絶、この世の孤独と恐るべき暗さとの断絶の認識である」(ペトルマン「宗教的二元論」)。

 こうして、二元論は、世界創造という存在論的問題と、善・悪という倫理的問題、「認識(グノーシス)」という認識論的問題のすべてを包括する枠組みにまで昇格する。この理論の影響にはきわめて根強いものがあり、キリスト教の対抗勢力として古代世界で普及したのはもとより、東方にまで波及し、ボゴミル派などを介して、再び十二世紀西欧で、カタリ派として息を吹き返すことにもなる。しかし、世界を全体として捉えるスタンスとしては、この二元論はあまりに不整合である。グノーシスにおいても、物質の創造者としての神と精神の救い主としての神は、最終的には後者の善の神が優位をもつかたちで理解されるのだが、そうだとするなら、理念と物質という対立は、先送りされただけで、何ら解決されてはいないということになるからである。

 こうした不整合を根本的に解決してみせたのが、「無からの創造」(creatio ex nihilo)というキリスト教の卓抜な思想だった。神が、物質をも「無から」創ってしまう。この考えによれば、物質の問題に考えあぐねてグノーシスが「世界と創るだけの神」(精神の救いとは異質の神)というかたちで切り抜けようとした事態が、そもそも問題として消滅することになるからである。その意味では、他者をも自分の内から産出する神というキリスト教の神理解は、存在論的には、きわめて首尾一貫したものであった。しかしここで、同時に問題は振り出しに戻る。一切を産み出す神によってこの世界が創造されたのなら、そのような神が創った世界の中になぜ「悪」が存在するのかという問題である。これに対しては、悪は実在するものではなく、善の欠如なのだというアウグスティヌス的な苦し紛れの説明もなされるが、根本的な解決には至らない。その証拠にこの問題は、キリスト教世界の中で「弁神論」(神を弁護する論)として残り続け、近代のライプニッツまでもが、これに真剣に取り組んでいるほどなのである。

� 近代 ―― 表象と他者の消失

 このような不整合を抱えた中世的世界像は、グノーシス主義が提示した問題を根本的には解決しえなかったということになるだろう。このように、中世を「グノーシス主義の克服の失敗」として見るブルーメンベルクは、『近代の正統性』(第一巻、法政大学出版局)において、近代こそがその克服の成功であるとする。「近代はグノーシス主義の克服である。このことは、中世初期におけるグノーシス主義の克服が持続的には成功を収めなかったことを前提としている。また、数世紀にわたる意味構造としての中世が、古代末期および初期キリスト教のグノーシス主義との闘争から出発しており、体系化を志向するその意志は、グノーシス主義との対立を克服しようとする姿勢から一貫して理解されうるのである」(ブルーメンベルク『近代の正統性』)。「他者」の所在を定め損なった中世に代わって、近代こそがその課題を首尾よく果たしたというわけである。しかし実のところ、近代が二元論という意味での他者問題を解決するのは、「他者」を消失させることによってであった。近代は自立したシステムとして成立することで、自己完結的な体系を組み上げる一方で、古代・中世にとって悩みの種だった「物質」や「悪」という「他者」系列の問題を、その体系の内に一契機として取り込むことを通じて解消してしまう。その最も洗練された説明が、フーコー『言葉と物』の表象論だろう。

 フーコーが近代の表象世界を説明するモデルとした有名なベラスケスの『侍女』においては、現実の侍女たち、ベラスケス、国王夫妻、鑑賞者は、絵画『侍女たち』の中の「侍女たち」、「画家」、「鏡の中の国王夫妻」、「門口の訪問者」という仕方で「表象」(転写、代表)される。表象世界は、まずは現実の忠実な模写として、現実世界に対面して並び立っているかに見える。しかしそうした最初の印象を覆すのが、国王夫妻の位置づけである。こういう問いを立てて見よう。「この画『侍女たち』の前に立っているのは誰なのか」。現実に今その画(複製であっても)を見ているのは、現実の鑑賞者たる私である。しかし、当の絵画『侍女たち』の中にある鏡に映っているのは、「国王夫妻」である。そうだとするなら、この絵画そのものに語らせるなら、この画の正面に立っているのは、「現実の」国王夫妻だということになる。しかし、実際のこの『侍女たち』の前に立っているのは、製作途上ならばベラスケス「本人」だし、書き終わって誰かが見るなら、その鑑賞者がこの画の前に頑として立っているはずである。しかし、絵画『侍女たち』にとってはそれはどうでもいいことである。この絵画にとっては、正面に立って、この画を成り立たせているのは、絵画の中の鏡に映っている国王夫妻(より正確には、鏡の中に反映しているかたちで画の前に現前していなければ「ならない」国王夫妻)だけなのである。この画の前に、「現実に」誰が立っていても、それはこの絵画の世界にとっては関係のないことだし、この画の存立そのものには何の影響もない。こうして、この『侍女たち』は、現実には存在しない、しかし描かれた鏡の中にはれっきとして反映している国王夫妻の眼差しによって独立した世界として成立する。ここに至っては、始めに一対一対応に見えた、侍女たち → 「侍女たち」、ベラスケス → 「画家」、国王夫妻 → 「鏡の中の国王夫妻」、鑑賞者 → 「門口の訪問者」という、それぞれの矢印は無効になる。現実のベラスケス、画の中の画家といった区別そのものに意味がなくなるのである。ここで、表象世界は、現実を繋がっていた経路をすべて断ち切って、それ自体として浮遊する。

 古代・中世にあって二元論を惹き起こしていた理念と物質という対立は、実のところは理解と理解不可能性、理解と理解の他者との対立であった。そのように捉え返すなら、この『侍女たち』に描かれた表象世界においては、理解不可能な要素はもはや何も残っていない以上、他者が他者として語られる余地もない。現実と呼ばれる理解不可能性に係留されていた綱をすべて切断して浮かび上がった表象世界は、表象という理解可能性のみによって成立しているからである。すべては表象可能で、理解可能なのである。近代の懼るべき知の意欲(理論的好奇心)を背後から支えている強固な世界観の誕生である。いまだに知られていない「未知の土地」(terra incognita)たる他者は、「まだ」知られていないだけのことであって、原理的に知りえないといった性質のものではない。他者は地続きの場所におり、われわれに知られ征服されるのを待っているのである。たとえ知の世界に限界はないにしても、それは同時にわれわれの知の活動が無限であることを保証しているにすぎない。 ―― 近代知の傲りの始まりである。

� 近代の中の他者

 近代の表象空間は自らの内に一切を取り込み、すべてを理解可能にし、「他者」という理解の闇を残すことはない。とはいうものの、歴史的事実は、かならずしもこれを裏書してはいないようにも思える。実際、フーコーが近代として規定した「古典主義時代」、つまり十八世紀は、大航海以来の空間意識が眼に見えて拡大し、異世界に対して開かれていった時代でもあるからである。空間意識の拡大は、地球上の新世界に限られず、「別の世界」というトポスすらが爆発的な流行を閲することになった。フォントネル『世界の複数性についての対話』(工作舎)を始め、ボレル『世界の複数性についての新論』など、1600年に歿したブルーノの『無限、宇宙、諸世界について』の末裔の多世界論が陸続と産み出される。近代は、その現象面を見るなら、他者のインフレーションを起こしているようにも見えるのである。

 しかしながら、そこで認められた他者は、かつて古代・中世で形而上学的問題として扱われた他者とは比べ物にならないくらいに矮小化されているのも事実である。その代表的な例証が、ポスト・コロニアル批評の聖典となったサイード『オリエンタリズム』(平凡社)の議論である。18世紀において、多様なかたちで成立した異世界の理解の中で、最も大規模に展開されたのが東洋理解、つまりオリエンタリズムだろう。ある場合はユートピアとして、ある場合は宣教活動の対象である未開の土地として理解された東洋は、確かにある意味で「他者」と言えるものではあったが、その他者理解の前には、東洋の「表象」というスクリーンが頑として立ちはだかっていた。そこで理解されたのは、現実の東洋そのものなどではない。いや、そもそも「現実の〔あるがままの〕」東洋などは、始めから存在しないのである。「〔オリエントについて〕少なくとも書かれた言語の場合には、けっして、解き放たれた存在〔ありのままの実在〕というようなものは存在しないのであって、あるのは再=現前re-presence、すなわち表象なのだ。すなわち、オリエントについて記述された陳述の価値、有効性、力強さ、真実らしさが、オリエントそれ自体に依存することはほとんどなく、それを手段として利用することもできないのである。それどころか、記述された陳述は、「オリエント」として実在する事物のことごとくを排除し、駆逐し、邪魔者扱いすることによってこそ、読者に対して一つの現前となるのである。したがって、オリエンタリズムは総体的にオリエントから遠く離れたところに位置している。オリエンタリズムがともかくも意味をなしているのは、東洋のおかげでははなく、むしろ西洋のおかげなのである」。奇妙な動物に充ち溢れた魅惑の東洋、風変わりで未開の風習、珍奇な文化、「東洋の楽園」、「東洋の叡知」....。近代西洋が「発見」した東洋は、他者としての東洋ではなく、他者として「理解された」限りでの ―― 他者として「表象」された限りでの ―― 東洋幻想(オリエンタリズム)だったのである。

 ベラスケスの『侍女たち』において、あらゆる現実が絵画の中に転位され表象されたように、東洋は「オリエンタリズム」という一幅の絵として、現実とは何の関係もないかたちで独立するのである。つまり、近代はいかに他の世界に関心を示し、空間的な意識の拡大を図ったにせよ、そこに見られるのは、あくまでも「表象の技法」の展開や洗練化なのであり、それは何ら「表象」という枠組みに揺さぶりをかけるような「他者」の発見ではない。その意味で、近代における他者とは、発見されるのではなく、「作られる」のである。これを補強する議論として、グリーンブラットの『驚異と占有』(みすず書房)で見事にあぶり出された他者表象の技法を引き合いに出すことができるだろう。

 しかしこのようなサイードの『オリエンタリズム』の議論を、理解にともなう先入見という問題に希釈してはならない。事実を見る際に何らかの偏見をもっていると、すべてがその偏見に彩られて見えてしまうというだけの単純な問題ではないのである。もしそうだとするなら、人間が理解する以上ある種の偏見は避けられないのだから、それをことさらに糾弾するのは無理があるのではないかという凡庸な一般論が生じてしまう。ここで何よりも理解しなければならないのは、オリエンタリズムに代表される他者表象を成り立たせている主体の身分である。ここでもう一度、『侍女たち』の議論を思い出しておこう。問題となるのは、国王夫妻の位置づけである。国王夫妻は、『侍女たち』の鏡に映り込むかたちで、その絵の正面に立っていることを主張してはいるが、「現実に」国王夫妻がその前に立っているわけではない。もう少し正確に言えば、その絵画『侍女たち』にとっては、「現実の」国王夫妻が立ちうるような空間は存在しないのだから、国王夫妻が「現実に」絵の前に立っているかどうかを語ることにはそもそも意味がない。肝心なのは、『侍女たち』の表象が、そうした不在の中心たる国王夫妻によってのみ自立した表象世界として成立しうるということである。「おそらくこのベラスケスの絵の中には、古典主義時代における表象関係の表象のようなもの、そしてそうした表象の拓く空間の定義があると言えるだろう。〔......〕だがそこでは、表象がその全体を結果として生じさせるとともに呈示する〔......〕本質的な空白が指し示される。その空白こそ、表象を基礎づける者の〔......〕必然的な消滅にほかならない。つまり、この主体そのもの〔......〕が省かれているのだ。そして自らを鎖で繋いでいたあの関係からついに自由となって、表象は純粋な表象関係として示されるに至るのである」(フーコー『言葉と物』p. 40f.)。つまり、表象空間を成立させている国王夫妻は、それ自体としては「存在」しないことによって、初めて表象をそれとして成立させているのである。

 ともすると必要以上に複雑に見えてしまうこうした説明は、近代哲学の言葉で言い換えてしまったほうが簡単である。ここで言われている国王夫妻は、実体としては存在しない(つまり世界の中の一つの項目ではない)が、それにもかかわらず世界全体を支えているような「機能」のことである。端的に言って「超越論的主観」である。内容をともなわずに、表象の世界を成立させる機能としての「主観」は、現実に存在するあれこれの人間ではない。『侍女たち』の画の前に現実には誰がいてもいいように、この超越論的主観の機能を果たすのは、現実的には誰でもいい。A氏であろうがB嬢であろうが、表象される世界にとっては一切関係ないのである。そして、不在の中心としての国王夫妻が『侍女たち』の中の鏡に映り込んだ姿が、いわゆる経験的主観である。こうした回り道を経ることで、具体的な世界の中で初めて「個々の人間」が成立するのである。

 さて、このように整理したうえで、もう一度『オリエンタリズム』の議論を見直すなら、「オリエンタリズムがともかくも意味をなしているのは、東洋のおかげでははなく、むしろ西洋のおかげなのである」という一節が孕む、事の意外さがわかってくる。「オリエンタリズム」に代表される表象世界の成立にとって、最大のポイントは、その表象世界の前には誰もが立てるし、その前に誰が立っても表象そのものには何の変化もないということである。つまり、確かに「オリエンタリズムがともかくも意味をなしているのは〔......〕西洋のおかげ」ではあるのだが、オリエンタリズムの表象が現実の東洋とは異なるように、この表象の主体もまた、実を言えば、現実の西洋ではない。オリエンタリズムという画の前には、誰もが立てるのである。そう、東洋さえもが。こうした機構の内に、西洋だけがオリエンタリズムを抱くのではなく、東洋自身すらも、そうした幻想を共有し内面化してしまうということのからくりがある。他者によって見られた眼差しを通じて自分自身を見てしまうという転倒が、このからくりを通じて、いとも易々と行われるのである。これは単純な西洋中心主義の問題でもなければ、ましてや解釈学的な先入見の問題でもない。自分を見ている眼差しに自分の目を同化させ、それによって自分自身を他者として見るといった、洗練きわまりない他者表象のもつ視線の逆説こそが見抜かれなければならない。このように見ることで、博物学を含め、華麗な他者表象に彩られた近代、とりわけ18世紀の他者のインフレーションの正体が見えてくる。最も原理的な場面でその正体を端的に表現すれば、超越論的主観と経験的主観の分裂ということになるだろう。特定の誰かではない、機能としての超越論的主観が、経験的世界を「眼差し」、現象させる。そのために、その現象世界の中で初めて成立する経験的主観は、ひたすら超越論的主観によって「見られた」ものとなるばかりか、経験的主観自らがその眼差しを内面化し、その視線そのままに(超越論的主観として)自己自身を「見る」ために、経験的主観は、自分自身を「他者」として表象することになるのである。こうして、超越論的主観と経験的主観のあいだの分裂は、一切の経験的な現象を「見られた」ものとして、自分自身にとっての他者として成立させてしまう。近代の表象世界にあっては、表象世界を破るような他者は存在しない代わりに、その内部で成立するいかなるものも、自分自身にとっての他者なのである。

� 現代における他者 ―― 人間の誕生

 しかし、このような議論で問題になっているのは、どこまでも抽象的な意味での「他なるもの」であって、人間としての他者ではない。だが、それは当然のことなのである。古代・中世は愚か、近代においても具体的な「人間」などはどこにも存在しないのだから、人間としての「他者」などももちろん問題になりようがない。とりわけ近代の表象世界は、主体主義の名を借りた主体不在の機構なのである。近代の人間中心主義などという安直な議論に騙されてはいけない。すでに見たように、表象空間の中での人間は、『侍女たち』の鏡に映った国王夫妻のように、儚げで頼りのないものなのだ。機能として世界を成立されている超越論的主観の遂行は、何ら「人間」などではない。辛うじて、人間がその成立を許されるのは、鏡に映った像と、虚の焦点としての国王夫妻の眼差しがねじれる場所なのだが、どこまでも平面的な表象世界の中には、そのような「厚み」を許容する空間はもはや残されていない。

 さてそこで、現実の「他人」を云々する前に、具体的な「人間」の誕生を目撃しなければならない。フーコー『言葉と物』の、人間の誕生の議論である。「人間は、知にとっての客体であるとともに認識する主体でもある、その両義的立場をもって現れる。従順なる至上のもの、見られる鑑賞者としての人間は、『侍女たち』があらかじめ指定しておいたとはいえ、長いことそこから人間の実際の現前が排除されていた、あの<王>の場所に姿を見せるのだ」(フーコー『言葉と物』p. 332)。見る主体であるとともに見られる客体でもあるというこの両義性は、超越論的主観が一個の肉体をまとって、純粋な機能としてではなく、一個の存在者として姿を表すところでのみ可能となる。具体的には人間という「肉体」である。「人間の経験に対して、人間の身体〔......〕にほかならぬ一個の肉体が与えられるような〔......〕一つの言語がある。つまり、人間がそこにおいて自らは有限であると学びうる、そのような積極的緒形態の一つ一つは、人間固有の有限性を下地として初めて人間に与えられるものに他ならない」(同書p. 334)。こうして、表象の世界を成り立たせていた虚の焦点、浮遊する眼差しが、具体的で肉体的な「目」となって、表象の平面の中に陥没する。大きく歪んだ表象空間は自らの内に反転し、「見られる見る者」の存在を許すだけの厚みを獲得するのである。このような事態が、まさにハイデガーが「世界‐内‐存在」と呼び、メルロ=ポンティが「超越論的主観の受肉」として言祝いだことであった。現象学の最後のシーンは、この人間をめぐって争われる。構造主義などは、近代の完結したシステム論的思考の所産であって、近代の枠組みを何ら変えるものではなかった。彼らが主張する程度の「主体の消滅」なら、何も彼らにわざわざ指摘されるまでもなく、近代が自らの手でとっくに成し遂げていたことだったからである。

 フーコーの『言葉と物』で主張された「人間の誕生」は、いままさに進行中の出来事である。『言葉と物』の最後の最後で謳われた「人間の消滅」どころか、人間はまだこれから誕生しなければならない。その点では、フーコーの議論はあまりにも先走りすぎた感がある。フーコーの議論はあまりにも速度を上げ、そのスピードゆえに一種の幻視を引き起こし、思想家は預言者になった。いずれにしても、超越論的次元と経験的次元のあいだの縺れ、表象空間に生じた捻じれとして生じる人間が問われなければならない。しかもそれは、人間の「存在」としてではなく、超越論的機能をその自身の内に宿した「機能」としてである。見られたものとしての「表象」の議論ではもはや足りないのである。表象空間を成立させている主観自身の身分に生じる「厚み」が論じられなければならない。もはや「表象」は現代を読み解くキーワードではない。

  理想的質疑応答

Q1: 他者問題の思想史的な位置づけを追うというテーマで、一挙に近代批判にまで駆け上がってしまわれたのには、ただただ唖然としてしまいました。結局、あなたの議論にとって「他者」などはどうでもいいことなのでしょうから、思想史的な大枠のほうを質問させていただきます。あなたの整理では、中世と近代の相違は最終的にどこにあるということになるのでしょうか。中世では神のいた場所に、近代では ―― 「国王夫妻」だか何だか知りませんが ―― とにかく主観がくるということではないのですか。だとすると、これは至って常識的な議論なのではないでしょうか。
A1: 中世と近代の相違がどこにあるのか見えにくいというご意見は、中世と近代の同型性を考えていた私には、説明の恰好のチャンスをいただいたということになります。近代の表象の特徴として、見られている当のものが、自分自身を見ている眼差しを通じて再び自分自身を見てしまうという議論をしましたが、それと同じタイプの議論が、中世末期のクザーヌスに見られます。神が私を見ているように、私が私を見る、つまり、私が神の眼差しに自分自身を融け込ませて、神の眼差しになって自分を見るといった議論です(「神の直視について」『キリスト教神秘主義著作集』10「クザーヌス」)。中世の末期と近代の末期に同じタイプの議論が生じるということ自体、思想史的には十分に考えていい問題だと思いますが、今はそれは措いておきます。中世と近世の相違に話を絞ると、ここでクザーヌスの議論は、神が私を含む世界を実在的に根拠づけているという発想に貫かれています。神が見るからこそ、私が「現実に存在する」というわけです。これに対して、近代の表象空間を支える主観性は、そのような実在的な根拠づけ関係ではありません。思い切っていってしまうと、近代の主観性は、それ自身が、表象空間によって産出された効果だともいえるのです。お気に召さないようですが、もう一度『侍女たち』を使わせていただくと、国王夫妻の存在を保証しているのは、単に鏡の中の映像だけであって、それ以外の何ものでもありません。つまり、表象空間の中から言わば要請された主観が、逆に表象空間そのものを機能として支えるという逆説があるのです。こうした逆転があるからこそ、近代の表象は、外部を必要とせずにそれ自身で自立するのだとも言えると思います。

Q2: それに関連して、あなたの主張する「人間」の誕生ですが、これは実存主義などが近代を批判しながら、現実の人間を強調しようとしたのと大して変わらない、その意味で、それはすでに解決済みの問題なのではないですか。
A2: そういう響きはどうしても付きまとってしまうとは思います。ですが、ここで言おうとした「人間」というのは、最後に少し強調したように、それ自身が「機能」として働く人間なのであって、個々の決断する人間のようなことを言っているわけではありません。ですから、この「人間の誕生」というのは、けっして「人間主義」と一緒にはならないのです。超越論的主観と経験的主観とを媒介する位置に、仮に「人間」という名前を付けたといっては言いすぎでしょうが、「人間」という問題がもっている過去を振り払うには、それくらいのことを言ってしまっても良いかもしれません。あまり詳しくはありませんが、フッサールの超越論的主観性を、ハイデガーが「人間」(彼の場合は「現存在」と言われるようですが)を盾に批判した経緯とも重なるかもしれません。そこでハイデガーが言わんとしたことも、いわゆる「人間主義」などではないはずです。

Q3: 他者性の問題について聞かせて下さい。やはりこの議論では、おっしゃられるような人間の誕生の場面でも、「他者」がどう捉えられるかが判然としません。あなたの議論では、やはり他者の異他性と出会う衝撃や、かけがえのない他者の存在などは主題にならないのではありませんか。
A 3: おっしゃる通りかもしれません。しかし、私は「他者」という問題を安易に持ち出して、議論全体の水準を落としてしまうことのほうを惧れます。特に警戒しなければならないのは、他者を自己知に解消できないものとして、知の枠組みの外部に想定するかのような議論です。「驚異」でも「愛」でもいいのですが、そのようなタイプの他者は、他者の他者たる所以を結局は十分には汲み出しえないと考えています。議論の中でも触れたグリーンブラットの『驚異と占有』が鮮やかに示しているように、「驚異」という他者性の体験は、いともたやすく「占有」という発想に転じるのです。ですから、異他性や自己知の外部を持ち出すような議論はたかが知れているし、そのような純朴な論理では、表象の機構にとてもではないが太刀打ちできないと思います。

Q4: 議論の中で触れられているブルーメンベルクについて、二つほどお訊きします。近代をグノーシス主義の克服とみなすブルーメンベルクの議論を紹介された後、あなたはすぐにフーコーの議論に移ってしまわれましたが、その同じ問題はブルーメンベルク自身の近代理解と照らし合わせるとどういうことになるのでしょう。また、近代の知の意欲にふれらた際に「理論的好奇心」という言葉を導入されたのは、明らかにブルーメンベルクの用語としてだと思いますが、この点についてももう少しお聞かせ願えれば幸いです。
A4: ブルーメンベルクが、近代の「正統性」ということを語る場合には、まさに近代が近代として独自のかたちで成立するという意味で言っていると思います。そうした近代の「自立」を表すのに、ブルーメンベルクは近代の「自己主張」、あるいは「自己保持」という言葉を使っている訳ですが、私が提示した議論も、おおむねその線に乗っています。私の議論では、それを表象世界が表象世界だけで自立する事態として記述した訳です。実を言うと、ブルーメンベルクの議論だと、この近代の「自己主張」の「主体」がやや見えづらいというのが、そうした道筋を取った理由でもあります。二番目の「理論的好奇心」は、まさにご指摘のとおりです。例えば古代末期のアウグスティヌスなら、「目の欲」として、遠ざけるべきものとされていた「好奇心」が、ベーコン辺りになると、すでに積極的な「徳目」に変わってしまうということを思っていただけば良いかと思います。ただこの問題は、「風景の誕生」や「庭の精神史」など、さらに面白い主題に発展させることができるので、それは今後の課題とさせてください。

Q5: 人間の消滅がいまだに起こっていないという貴方の結論は、やはりどうもすんなりと飲み込むことができません。現代のポストモダンの状況で、なぜまたことさらに「人間の誕生」などということに固執されるのか、その時代感覚は、失礼ながら、まるっきり現代の状況からは懸け離れているように感じられるのですが。
A5:ポストモダンということで何をイメージしたらいいのか、私にはよく判りませんが、おそらくいまのご質問には、ニーチェなどを発想源とする「実体的主体の解体」といった議論が念頭に置かれているのだろうと想像します。確認しておきます。何よりも私がここで批判したかったのは、「近代では<主体>が確固として存在して、それが世界を支配してしまって、主・客二元論や、世界の対象化が成立している。そこから近代のさまざまな病理が発生しているのだから、いまや主体を解体しなければならない」といった類いの俗流近代論です。「他者」をやたらに持ち出したがるのも、その一つの症例だと思います。繰り返しになりますが、近代の主体主義・主観主義と言われるものの正体は、むしろ「主体の不在」なのです。ですから、わざわざお節介にも主体を解体するまでもなく、主体などはとっくに解体しているのです。例えば、ニーチェの「力への意志」に関して、「近代形而上学の完成者」というレッテルが張られることがありますが、これもよくよく注意して考え直さないといけないと思います。普通はこの「近代形而上学の完成者」というのは、近代に成立している主体を「力への意志」という最も強力な主体として完成させたという意味合いで理解されていると思いますが、本当は、まったくその逆です。ニーチェは「力への意志」というかたちで、実体としての主体を「解消」しているからこそ、「元々」主体などが存在していない近代の正体を結果的に自覚することになったということになるはずです。こうして、近代とニーチェのそれぞれの符合を逆にするので、結果的には否定の否定で元に戻り、私もニーチェを「近代形而上学の完成者」と呼びます。ですが、そのニュアンスの捩じれ具合はもはやお分かりだと思います。

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