「科学の考古学について ―― <認識論サークル>への回答」(1968)(『ミシェル・フーコー思考集成III 1968-1970 歴史学・系譜学・考古学』筑摩書房、1999)


 このインタビューも、「『エスプリ』誌 ―― 質問への回答」と同じく、『狂気の歴史』、『臨床医学の誕生』、『言葉と物』をめぐって、その方法論的前提に対して、フーコー自らが「彼の理論および自身の方法の意味について、それらの可能性を基礎づける批判的命題」(p. 100)を述べている。以下、それを簡単にトレースしておこう(ゴチックの表題は原典のもの ―― ただしこれは、「『エスプリ』誌 ―― 質問への回答」を論じた際の筋道とおおむね同じである)。  

非連続性の歴史  

 1960年代に至る数十年のあいだ、歴史をめぐって際立ってきた二つの大きな潮流を指摘することから、この議論は始められている。「歴史家たっちの注意は好んで長い時代区分の方へと向かってきた」と言われるのは、マルク・ブロックやブローデルなどのアナール派の社会史を指すのだろう。確かにそこでは、目立った歴史的事件や歴史的個人としての英雄を中心に書かれてきたそれまでの歴史とは異なり、「不動で沈黙した歴史の大きな土台」(p. 101)が分析され始めていた。その一方で、思想の歴史、哲学史、思考の歴史、文学史の領域では、バシュラール、ゲルー、カンギレムの名が挙げられているように、「ひとびとの注意は逆に、<時代>や<世紀>といった大きな単位から、断絶の諸現象へと向かうことになった」(p. 102)。

 しかし、このような現象を、一方の領域では連続性が重視され、他方の領域では非連続性が強調されるようになったという具合に受け取ってはならない。ここでともども起きているのは、連続性と非連続性の対立なのではなく、「非連続性の概念がその在り方(ステータス)を変えた」(p. 103)という事態なのである。そこで、まずフーコーは「非連続性」の概念を三点にわたって整理している。一、歴史家の作業上の手続きとして用いられる操作的概念としての非連続性。二、記述の成果として現れる非連続性。三、歴史記述において消去しえない条件としての非連続性。つまり、歴史家は特定の「時代」なり「領域」を他の部分から切り出すことによってその作業を始め(第一の非連続性)、その結果、歴史は時代区分や領域確定をともなったものとして記述されるが(第二の非連続性)、その際に「非連続性」は、時代と時代、領域と領域を区切る空白の線のようなものではなく、ときどきの歴史記述を可能にする条件なのである(第三の非連続性)。「非連続性とはもはやふたつの実定的な形式を唯一の同じ空白で隔てているような、あの純粋で単調な空虚ではない」(p. 103)。

 二つの領域が前提とされたうえで、その断絶として「非連続性」が浮かび上がるというのではない。むしろまずは作業仮説として操作的に捉えられた非連続性を出発点として、その差異を確定し、確認することによって歴史記述は実現される。その非連続性は、単に形式的な断絶ではなく、それぞれの領域・時代ごとに性格を異にするものである以上、その場面場面において記述されなおされ、確定されなおされなければならない。その点では、非連続性によって初めて、その断絶によって隔てられる側が「時代」や「領域」として確立するとも言えるだろう。したがって、「この〔非連続性という〕概念は、かなり逆説的なものである。というのも、この概念は、同時に、研究の道具でも対象でもあるからであり、それ自体がその分析の結果でもあるような分析の領域を確定するものでもあるのだ」(p. 103)。

 このような表現は、いわゆる「解釈学的循環」を想い起こさせるかもしれない。実際、「この非連続性の概念は諸領域を個別化することを可能にすると同時に、その非連続性自体もそれらの諸領域の比較によってしか確定できない」(p. 103)という言い回しなどは、解釈するものと解釈されるものとの相互関係を強調する解釈学との近さを感じさせる。確かにフーコーの場合でも、作業の進行の過程に関して、分析と分析対象の相互関係のようなことを指摘することはできるだろう。上記の引用の前半で問題になっているのは、操作概念としての非連続性であり、後半では、記述の結果としての非連続性が問題になっている。このような二種類の非連続性(第一の非連続性と第二の非連続性)が、相互に機能し合うというのが、ここで想定される循環である。そしてその意味での非連続性が、第三の非連続性として語られていると言えるだろう。しかしここで、解釈学との対比に関して注意しておかなければならないのは、解釈学の場合の循環は、理解「主体」と理解の対象とのあいだの循環であるのに対して、フーコーの場合の循環は、あくまでも歴史記述の進行を記述したものにすぎないという点である。

 解釈学的循環は、自己了解そのものが対象理解と不可分であるという洞察にもとづいて、対象理解を介して自己了解を深めていくという方向が強調される。そこでは「自己理解」を要としているために、循環は常に「自己」ないし意識主体の「理解」という場をめぐって展開される。解釈学的循環がしばしば「螺旋」としてイメージされるのはそのためである。この循環の過程は、螺旋を降るようにして下降し深まるものと理解されているのである。しかし、フーコーの場合の循環は、「理解」というようなことを中心にめぐっているわけではない。非連続性の記述は、その記述のそれぞれもまた非連続なものであり、そこには、「螺旋」でイメージされるような連続性は認められない。フーコーにとって、歴史記述は、時代ごと、領域ごとに常にやり直されなければならないものなのであり、またそれを実際に遂行したからといって、それを実現した主体の自己理解が「より深く」なるわけでもない。フーコー的思考は、自己理解の次元での解釈学的な連続性を、意識の残存物として拒絶するのである。

 ここで、フーコーにおいて、連続性と非連続性のもつ位置の変更が、最終的には何に関わっているのかが見えてくる。それは「主体」ないし「意識」の位置づけと密接に関わる問題なのである。「連続的な歴史、それこそは意識の相関項である。意識を逃れるものは意識に戻されるということを保証するものなのだ。……歴史的分析を連続性の言説と化そうとすることと、人間の意識をあらゆるちとあらゆる実践の起源的主体と化すことは、同じ思考のシステムの二つの面であるのだ。時間はそこでは全体化のタームで考えられ、革命はそこでは常に意識の自覚でしかない」(p. 105)。その意味は、意識を極限にまで突き詰めた際に現れたヘーゲルの絶対精神が「歴史的」なものであったというのは偶然ではない。それに対する批判的継承としてのマルクス主義も、またヘーゲル的絶対性を拒絶する解釈学にしても、歴史を理解の究極の場、あるいはある種の「救済」の次元と捉えている点では、「歴史」の中にひそむ主体性のモデルから自由になっているわけではない。そのために彼らは、フーコー的な非連続性を、歴史の否定と受け取ってしまいがちである。「歴史分析において(そしてとくに認識が問題とされる場合に)非連続性の使用が余りに顕わになるたびに、ひとは歴史の殺害だと叫ぶことにしたのだ。しかし誤ってはならない。ひとがかくも激しく泣き叫んでいるのは、歴史の消去では一切なく、密かにしかし全面的に主体の総合的活動へと結びつけて考えられていたあの歴史の形式の消滅であるのだ」(p. 106)。

 フーコーが行おうとしたのは、伝統的な「歴史観」の抹消であるかもしれないが、「歴史」の消去ではない。むしろフーコーは、主体の総合力、理解の包括性によって基礎づけられるのではない ―― 主体と一義的に結びつかない ―― 歴史の場を、そのときどきの記述によって浮かび上がらせようとしたのである。伝統的な歴史が主体の自己確立の場であったとするなら、フーコーにとって歴史とは、それまでの伝統とは異なった、新たな可能性を垣間見させる自由の場なのである。


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