幾つかの注意


 「諸々の言説形成体とそれらの実定態のシステムを知の境位において扱う」(p. 136)ものとされるフーコーの分析は、従来の学問すべてを説明しつくし、それを上位から包括する統一科学ではない。「知」あるいは「言説」という固有の次元を浮かび上がらせることは、確かに学知の「可能条件」の考察を含むとはいえ、それは究極原理への遡行ではなく、ましてやそこから「普遍学」を組み上げる試みでもない。その時代ごとの言説のありようを掬い上げ、構造上の偏倚と変成を取り押さえることで、知の変容の可能性を問うことにつきるのである。

 そこで、そのような考古学的な着想とは異なる従来の二つの思考法が、「幾つかの注意」として補足的に指摘される。一つは演繹的システムにもとづく「認識論的一般化」の着想、もう一つは、歴史的発生によって学知の成立を説明する「生成的一般化」の着想である。前者は、演繹的な論理にもとづき、より不完全なところから完全なところへと理論が進歩していくという図式を念頭において、学問の歴史を説明する合理的史観である。典型的には数学が挙げられている。ここでは、歴史というのものが論理的な克服の過程とみなされ、歴史性の段階と論理性の段階とが同一視される。Th・クーンが反対しようとしたのも、この種の歴史観だと言えるだろう。

 これに対して、歴史的発展の側から科学性を説明しようとするのが、「生成的一般化」と呼ばれるものである。具体的には心理学や社会学がモデルとして取り上げられている。心理学や社会学は、その学知自身が、一定の心理的ないし社会的発展過程の一段階に位置づけられ、それによって一種の自己根拠づけがなされているからである。ここでは、歴史性によって科学性が裏づけられるという形態が取られる。

 これら両者に共通しているのは、いずれも科学性と歴史性との複雑な絡み合いから目をそらし、一方はもっぱら科学性を、もう一方はもっぱら歴史性を論じることで、経験性と規則性とが関係し合う場を覆い隠してしまっているという点である。フーコーにとって論じられるべき「歴史」とは、合理的な規則の発展過程でもなければ、経験的事実の累積でもない。その両者が絡み合い、時代によってその布置を変更していくそのありさまこそが分析されるべきなのである。これをまた、超越論性と事実性とが捻れ合い縺れ合う場ということもできるかもしれない。そのために、フーコーの分析では、数学という形式的学問でも、心理学・社会学という経験的学問でもなく、「生物学、生理学、経済学、言語学、文献学、病理学といった ―― <中間的な>科学」が俎上に乗せられる。そして、まさにこれらこそが『言葉と物』の議論が展開されるフィールドでもあった。

 こうした、経験性と規則性の「中間領域」を名指しているのが、「知」と言われる事態である。そこには、経験と規則性、事実と理論、具体と抽象といったさまざまな概念対を重ね合わせることができる。こうした概念対の関係のあり方が、それぞれの学知、それぞれの時代の学問 ―― 要するにエピステーメー ―― を決定するのである。そこには、規則性の度合によって、学問的通念を扱う「臆見学」(doxologie)なども含まれるし、さまざまな定義、規則の運用、領域間の転用のありかたなどを査定する分析も加わってくる。

 こうした分析において肝心なのは、知をあくまでもこの中間領域にとどめて理解することである。知を生の現実と取り違えたり、純粋な理念と混同することがあってはならない。「科学は切断と決定の身ぶりによって打ち立てられるものであり、自らを自分自身の断定のなかに基礎づける理性の(穏やかな、あるいは論争的な)暴力によって、一挙に質的な場と想像的なものの呟きから自らを解き放つのであって、したがって科学的対象は自ずからその固有の理念性において存在し始めるのだ、と想像することもまた幻想である」(p. 140)。 

 科学と現実のあいだには常に距離が介在する。その距離こそが「知」と呼ばれるものである。「科学と経験との間には知が存在している」(p. 141)。そしてこの中間地帯としての知はあくまでも変更可能なものである。「一般的にいって科学は経験を参照するがしかしそこから分離されるものであるとすれば、それは、一義的な規定性によるのでも、至高かつ恒常的で決定的な切断によるでもない。……それは歴史を通して可変的なものである」(p. 140)。知という領域は、経験と理論とが鬩ぎ合い、その領域の中で一定の落ち着きどころが模索されるような空間なのである。「知は、科学と経験とが離れたりお互いに位置づけ合ったりすることができる空間を決定しているのである」(p. 141)。

 知をこのように理解することによって、知の考古学は、伝統的な認識論から袂を分かつ。現実と認識との合致(「物と言葉との一致」)、つまり「科学と経験との連続性……〔と〕可逆性」(p. 141)という理念に貫かれた伝統的認識論とは異なった問題がここに提起されるのである。このような認識論的問題が、科学と経験の相互規定性を要求し、その超越論的基礎づけをも促してきた。そこには、「経験の対象の可能条件と経験の可能条件の一致」というカント的な解答も含まれる(「経験的なものに自らの目的論を強制する形式による経験的なものの秩序付け」(p. 141)と言われているのが、カントをも含む超越論哲学の定式だろう)。さらに、ここから経験と理論を綜合する主体性の問題、そして最終的には経験的主体と超越論的主体の関係といった主題が複雑に絡み合うことになる。

 フーコーの考古学が目論んでいるのは、認識論的な現実と認識との連続性とはことなったところで、「知」という独自のシステムを探求することである。その意味では、伝統的な認識論や超越論哲学も一個の知ではある。しかしここでフーコーが打ち立てようとするのは、超越論哲学に対する反省を含んだより高次の超越論哲学ではない(これこそヘーゲルが歩んだ方向だった)。問題となるのは、むしろ伝統的な超越論哲学をも一個の「知」として相対化し、その組成と変動を追い、そこにおける現実と理論の距離を測定することである。

 この点で、知の考古学の試みは、「批判」の徹底化であると見ることは可能だろう。しかもそれは、カント的かつニーチェ的意味での「批判」であり「解体」である。現実と理論との距離を強調し、「知」の独自の領域を想定することは、カントが伝統的な認識論の解体を通して学知の場所と限界を探り当てようとした「批判」に通じ、また同時に、ニーチェが現実でも理念でもない「解釈」をどこまでも押し進め、それをもって伝統的な学的枠組みを相対化していった「解体」にも接しているのである。


 ご意見・討論は掲示板「口舌の徒のために」へお願いします   
 Scriptorium top
 HOME