アウエルバッハ
Erich Auerbach
1892-1957

著 作 目 録

内容は後日加筆訂正の予定


Dante als Dichter der irdischen Welt, Berlin/New York 2001 (1. Aufl. 1929)(『地上世界の詩人ダンテ』)

 『新生』をめぐる議論は少々冗漫だが、後半の『神曲』論は、「フィグーラ〔予型〕」論を踏まえ、圧倒的な議論を展開している。文献学が哲学へと変わる瞬間を目撃できる。


    『世俗詩人ダンテ』小竹澄栄訳(みすず書房 1993年)


Mimesis. Dargestellte Wirklichkeit in der abendländischen Literatur. Eine Geschichte des abendländischen Realismus als Ausdruck der Wandlungen in der Selbstannschauung des Menschen, A. Francke AG Verlag [Bern] 1946(『ミメーシス ―― ヨーロッパ文学の現実描写:人間の自己理解の変遷の表現としての、ヨーロッパ・リアリズムの歴史』
『ミメーシス』篠田一士・川村二郎訳(筑摩書房)

 ホメロスからヴァージニア・ウルフに至るまで具体的なテクストに即した分析が冴え渡る。各章の冒頭に古典的な文学作品からの数頁程度の引用があり、それについての博引傍証を究めた精緻な解釈が展開される。テクストの微視的箇所に徹することによって、作品の全体像どころか、総体としての「ヨーロッパ文学」が姿を現す恐るべき書物。古典と呼ばれて誰もが知っているが誰も読まない著作たちを知識の死蔵から救い出し、「死後の生」を生きさせるその手腕は見事と言うほかない。しかもこの『ミメーシス』は、ナチスに追われイスタンブールで研究生活を送っていた時代に書かれている。後書きには、「完備した図書館もないので、現代の専門的研究はおろか、校訂版さえ見ることができなかった」旨が記されている。この発言が「専門的な」文学研究にとってどういう意味を持っているのか、心して受けとめなければならないだろう。


Gesammelte Aufsätze zur romanischen Philologie, Francke Verlag [Bern/München] 1967 (『ロマンス語文献学論文集』)

 歿後公刊ではあるが、アウエルバッハの論文を集成した第二の主著とも言えるもの。主要部分は、各雑誌・論集に発表された26篇の論文。後半に14篇の書評を収める。現在古書で多少高値をつけているが、その内容の圧倒的な豊富さを考えれば、ぜひとも架蔵すべき名著と言えるだろう。名論文「フィグーラ」は、その扱っている素材の広さや表現の凝縮力、主張される論点の明確さといった点で、論文とはかくあるべしといった模範を示してくれる。巻頭の「聖書の通俗的な言葉」なども思わず目を瞠かされる着想に富んでいるし、「パッシオ」論、一連のヴィーコ論、処女作『地上世界の詩人ダンテ』と密接に関係して、それを補強する数篇の論考など、それぞれが独立して書物になってもおかしくないような主題を展開している。そして何よりも掉尾を飾る「世界文学の文献学」は、サイードの翻訳でも有名になった名品。アウエルバッハはヴィーコ『新しい学』のドイツ語訳者でもあるのだが(ちなみに仏語訳は歴史家ミシュレ)、彼がヴィーコに惹かれる理由は、「ヴィーコと美学的歴史主義」、および「ヴィーコとヘルダー」によりはっきりと現れている。

本書は、アウエルバッハ歿後10年にして、ケルンの研究者シャルクによって編集された。かなり多くの種類の雑誌や記念論文集に書かれた論文を丁寧に集めた編集で、本当にありがたい。その編集の労もさることながら、何よりもこれだけの材料のものを書きためながら、自分では書物としては公刊しなかったアウエルバッハの姿勢も考えさせられるところが多い。他愛のない雑文が数編たまると「論文集」などと銘打って、麗々しく公刊する現代の状況が思い合わされる。


    『世界文学の文献学』高木昌史・松田治・岡部仁訳(みすず書房 1998年)

     邦訳は論文集全体の完訳(ただし、原著に付されているシャルクの序文と文献表は除く)。部分的な抜粋などではなく、きちんとすべてを翻訳した訳業の姿勢に頭が下がる。抜粋版の『世界文学の文献学』(下記)をまずは翻訳するという誘惑もあっただろうが、困難な全訳に取り組んだのが何よりも立派。解説も簡潔だが要を得ている。


    Philologie der Weltliteratur. Sechs Versuche über Stil und Wirklichkeitswahrnehmung, Fischer Taschenbuch Verlag [Frankfurt a. M.] 1992.(『世界文学の文献学 ―― スタイルと現実認識に関する試論六篇』)

     上記の論文集より、「ダンテとウェルギリウス」「文筆家モンテーニュ」「パスカルの政治理論」「ジャンバッティスタ・ヴィーコと文献学の理念」「ルソーの歴史的位置について」「世界文学の文献学」を収める。100頁ほどの新書で、手軽かつ便利ではあるが、もはや版元では品切れだろう。


    Scenes from the drama of Europiean Literature, Meridian Books [New York] 1959.(『ヨーロッパ文学のドラマ瞥見』
     『ロマンス語文献学論文集』の英語版。ただし、「フィグーラ」「ダンテ『神曲』におけるアッシジの聖フランチェスコ」「パスカルの政治理論」「ヴィーコと美学的歴史主義」「『悪の華』の美学的品格」のみの英訳。「フィグーラ」論を収めている点で、これも有益な新書。英語圏の論者はおおむねこれを使って「フィグーラ」を読んでいるので、参照頁などを辿るには持っていると便利。


    Typologische Motive in der mittelalterlichen Literatur, Scherpe Verlag [Krefeld] 2. Aufl. 1964 (1. Aufl. 1953) (『中世文学における予型論的動機』)

     わずか26頁の小冊子。『ロマンス語文献学論文集』に収められた英語論文Typological symbolism in medieval literature (1952) のドイツ語版。特に訳者の記載がないので、アウエルバッハが英語論文を元に、ケルンのペトラルカ研究所の講演としてドイツ語訳したものだろう(詳しい成立事情は何も書かれていない)


Introduction aux études de philologie romane, 2. éd., Frankfurt a. M. 1961.(『ロマンス語文献学入門)

    『ロマンス語学・文学散歩』谷口伊兵衛訳(而立書房 2007年)


    Introduction to Romance Languages & Literature. Latin/French/Provençal/ Italian/Spanish, translated from the French by Guy Daniels, Capricorn Books [New York] 1961(『ロマンス言語と文学への入門』)

     上記の英訳だが、第二部以降のみが翻訳されている。


Literatursprache und Publikum in der lateinischen Spätantike und im Mittelalter, Francke Verlag [Bern] 1958 (『ラテン古代末期・中世における文学言語と読者たち』)

    『中世の言語と読者 ―― ラテン語から民衆語へ』小竹澄栄訳(八坂書房 2006年)

【参考文献】

M. Treml, K. Barck (Hgg.), Erich Auerbach. Geschichte und Aktualität eines europäischen Philologen, Kultur Verlag Kadmos: Berlin, 2007
(トレメル/バルク『エーリヒ・アウエルバハ ―― ヨーロッパ文献学の歴史と現代性』)

 2007年は、クルツィウスと並んで、20世紀の汎ヨーロッパ的文学史(「世界文学の文献学」)を構想したこのアウエルバハ(1892-1957)の歿後50年だった。本書はそれを記念して公刊された論文集。ギンズブルグ、ジェフリー・ハートマンを始め、20名を越える執筆者が寄稿している。ダンテとヴィーコから始まるアウエルバハの出発点を論じる第一部、レーヴィットやクルツィウス、ベンヤミン、クラカウアーなどとと比較して論じる第二部、アウエルバハの亡命を扱う第三部、figuraやミメーシスといった基本概念をめぐる考察をまとめた第四部、ポストコロニアル批評などへの影響史を論じる第五部といった、考えられた構成になっている。付録として、講演、手紙などの資料が約100頁付されている。何よりも、CDが一枚付録になっていて、アウエルバハの肉声の残る唯一の講演(1948年、ペンシルヴァニア大学のダンテ講演)が聴ける(テクストも付録部分に収録)。最初の紹介者のスピーチ部分はかなり録音状態が悪いが、アウエルバハ自身の講演の部分は音質良好。やや甲高く、外国人らしく、聴き取りやすい英語。彼自身によるダンテのイタリア語原詩の朗読も聞き所。
 サイードによる言及を通して、アウエルバハの名前は一旦甦りはしただろうが、はたしてその意味がどれほど浸透したかははなはだ疑問である。サイード自身が『さまざまな始まり』でヴィーコを理論的支柱としたのも、このアウエルバハ抜きでは考えられないはずだが、ポストコロニアル批評に入れ揚げる人々がその辺についての事情を射程に収めているとは到底思えない。



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