口舌の徒のために

口舌の徒のために

licentiam des linguae, quum verum petas.(Publius Syrus)
真理を求めるときには、舌を自由にせよ


No.1142

Scriptorium(写字処)設置
投稿者---prospero(管理者)(2004/08/17 20:35:33)

更新まばらな本体に多少の新鮮味をもたらそうと、新コーナーScriptoriumを設置してみました。書評というほどでもなく、いわばまだ管理人にとっても消化不良の題材を、思考の材料として提供しようというものです。ですから、書式も体裁もメモ的なもので、完成品とはほど遠いもので、いわば読解の作業現場を未整理のまま公開してしまおうというものです。中世の修道院で写本作成が行われていた作業現場になぞらえて、Scriptorium(写字処)という見立てです。

もう一つは、過去ログを整理していて、思い描きながら実現していないことを思いだす機会になりましたが、その中のひとつの「ネット上の読書会」というのがありました。このScriptoriumが掲示板と連動して、そんな恰好を取るのも面白いかと思います。そこで、そのときに懸案として挙げていた『知の考古学』を素材としてみます。まずは、その前哨戦として、『知の考古学』の主題に関わるインタビューを考えてみました。よろしかったらご覧くださいませ。


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発言に関する情報 題名 投稿番号 投稿者名 投稿日時
<子記事>読書会、いいですね♪1145如月2004/08/26 15:39:08
<子記事>欄外書き込み―― 一寫字生として1149森 洋介2004/08/31 03:13:09


No.1145

読書会、いいですね♪
投稿者---如月(2004/08/26 15:39:08)
http://www.furugosho.com/


prosperoさん、こんにちは。「ネット上の読書会」いいですね。大賛成です。
自分でも『言葉と物』をきちんと読み返し、これについていろいろな人とテクストに即した議論をしてみたいとと思っていたところですので、取りあげるのが『知の考古学』というのも、ちょうど好都合です。
どのようなかたちで参加できるかわかりませんが、私も「ネット上の読書会」に参加させていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。




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No.1146

よろしくお願いします
投稿者---prospero(管理者)(2004/08/26 23:15:04)


如月さん

「ネット上の読書会」、ご賛同いただき、ありがとうございます。どのようなかたちになるかわかりませんが、皆さんのさまざまな議論が展開されることを願っています。Scriptoriumはその叩き台にでもなればと思います。

『知の考古学』を題材にしたということは、当然それ以前の著作も関わってくるので、広がりが出るかと思ったこともあります。私自身、『言葉と物』にはそれなりの思い入れがあるので、如月さんのご関心とも上手く重なり合う部分があれば良いと思っています。

ただ、『知の考古学』そのものは、大変に抽象的な議論なので、多少とっつきにくいところもあるかもしれませんね。

いずれにしましても、気長に徐々にでも展開してゆければと思っています。皆さまも気楽にどうぞ。


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No.1149

欄外書き込み―― 一寫字生として
投稿者---森 洋介(2004/08/31 03:13:09)
http://y7.net/bookish


 讀書會に參加させていただきたく存じます。フーコーの『知の考古學』には興味がありますから。 
 さて「前哨戦として」取り上げられた「『エスプリ』誌 質問への回答」 (些末事ながらこの「回答」は「インタビュー」ではありません)と「科学の考古学について ―― 〈認識論サークル〉への回答」とは、夙に邦譯『知の考古学』(初版1970.10)の譯者による「あとがき」で「本書の原型」として紹介されたものでした。さらにこの二論文を一本とした『アルケオロジー宣言』(白井健三郎譯、〈エピステーメ叢書〉朝日出版社・1977.4)も刊行されてゐます。が、この本は古書店で見ること稀で、フーコーの譯書の中で二番目に入手難ではないかと思ひます(一番は『狂気と文化』(内藤陽哉譯、合同出版・1969.12)でせう)。 
 今はもう『ミシェル・フーコー思考集成』で讀めるのに、なぜ今更こんな文獻註をつけるのか。譯文の語彙も調子も異なるので對照すると面白く理解が深まるといふことは當然ですが、のみならず『思考集成』には缺けてゐるものが補へて理解に資するからです。といふのは、二本とも質問への回答だったわけですが、その質問文を『思考集成』は省略してしまってゐるのです。とくに後者、エピステモロジー・サークルの質問は、白井譯にして三千字以上あったものを八百字未滿に切り詰めてゐます。しかし、そのことに斷りを入れた凡例も何も無し。原書“Dits et Ecrits”でさうされてゐたのでせうが、どうもフーコーといふ固有名に歸屬しない發言はなるべく削る方針らしい。このやうな、當該テキスト外との關聯を脱色して文脈を失はせる處置こそは、個人全集につきものの惡弊です。かういふ時こそ「作者」といふ單位(=統一性 unite)を疑問に附してよい筈。 
 ところで前者の質問文からは、『エスプリ』誌が前に構造主義特輯を組み、そこでフーコーが話題になってゐたことが知られます。となれば、J・M・ドムナック編『構造主義とは何か』(伊藤守男・谷亀利一譯、サイマル出版会・1968.5)を思ひ出すことになりませう。その『エスプリ』の二回に亙る構造主義特輯から主要論文を譯出したものでした。卷頭のドムナックの總論の中にはフーコーに提出された質問がもう少し具體的に述べられてゐます。他にフーコー論も收めますが、それより興味深いのは、『エスプリ』の質問文にもある「體系性の受け入れか、それとも、それを唯一破壞し得る野蠻な出來事に訴へるか」といふジレンマと關はる、ポール・リクールの論文「構造、言葉、出来事――構造主義と言語学」です。これは後で『知の考古學』本文と對比させると、フーコーがどのやうな思考群の中で差違化を圖ってゐたかが見えてくる氣がしました。
 と、肝腎の中味に入る前に長くなったので一旦打ち切ります。最後に、「新着図書」に擧がってゐたJ・ミラー『ミシェル・フーコー/情熱と受苦』について、ちょっと。
 あれはやはり、あんまりだと思ひます。慥かに、個々のエピソード(といふかゴシップ)には愉快なものもありました。例へば……一九四五年。サルトルの公開講演「實存主義はヒューマニズムである」は卒倒者續出の大受けとなった。が、〈知〉の若き世代には必ずしもさうではなかった――。 
 ミシェル・トゥルニエとジル・ドゥルーズのふたりは、『存在と無』には狂喜したものの、サルトルの演説には仰天した。[……]「ぼくらの師匠は、あの使い古された用ずみのいかさま《ヒューマニズム》を釣り上げてきたぞ」。気の毒に、あの男は呆けたんだ、と彼らは嘲るように推測した。[……]この分だと、じきに、時代遅れの社会主義の最新版に与しているのがみえてくるぞ、と。
 ……とまあこんな調子ですから。しかしフーコー理解に關しては、「お話」としてもひどいのでは。既に隨分批判もあるやうですから、小生が言ふ迄もないのですが(cf.浅田彰「「呪われた天才」の物語からフーコーを救出する」


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No.1150

言説の統一体
投稿者---prospero(管理者)(2004/09/01 12:26:17)


森さま

読者会、ご来訪歓迎いたします。また、いつもながら、いろいろと情報をありがとうございます。

リクールのあの論文は、随分昔に読んで、かなりまとまったものだという印象をもっていました。引喩論、物語論、自己論へと進んでいくリクール自身の歩みを重ねると、これもまた一つの大きなトピックになりそうですが、今の段階では、そこまで追いかねるので、これはひとまず置いておきます(『知の考古学』を読みながらもう一度話題が戻れば良いがとも思います)。

『アルケオロジー宣言』と『思考集成』との相違、『アルケオロジー宣言』の現物ももっておらず、ましてその相違は知りませんでした。

「〔『思考集成は〕どうもフーコーといふ固有名に歸屬しない發言はなるべく削る方針らしい。このやうな、當該テキスト外との關聯を脱色して文脈を失はせる處置こそは、個人全集につきものの惡弊です」とおっしゃっていることは面白いと思いました。まさに「言説の統一性」という関わってくる問題ですね。「フーコー」という名前を言説の統一性という面から見るなら、「彼自身」の発言のみに切り詰めていくというのは、確かにあまりに「フーコー」という個人に捕われすぎた所作ということになるでしょう。言説の場として考えるなら、個々の言説との遠近によって収録文書が選択されるべきだということになるでしょう。一つの言説が「回答」として書かれたなら、当然その言説に最も近いのは、その「回答」を引き出した「問い」であるはずですから、それはセットとして考えられなければならないはずですね。そういう点も含めて、思考の素材としての「個人全集」というものは、まだいろいろと考える点があるように思います。

それと同様に、もう一つの問題が、「伝記」というものです。J・ミラー『ミシェル・フーコー ―― 情熱と受苦』についてのご意見、および浅田氏の書評も興味深く拝見しました。私の「新着図書」ではきわめて甘く評価していました。「あんなものを面白いなんて、貴方、ちょっと大丈夫?」という森さんの言葉が聞こえてくるようです。そうなのです。あれは、極端にまで19世紀的な大仰なスタイルで書かれ、思想的には粗忽な記述に満ちています。私も最初は、「あらあら」という気持ちだったのですが、読み進めるうちに、諦めがついたというか、フーコーの思想とは別物と考えようという感覚になっていったので、最終的にああいう評価をしたわけです。ニーチェで言えば、脱神話化を押し進めたニーチェを再神話化する倒錯したニーチェ論、ゲオルゲ派のベルトラム『ニーチェ』に相当するようなものかというところです。

トーマス・マンの『ファウストゥス博士』をもち出したのは、いくらかの皮肉でもありました。あの中で、主人公レーヴァーキューンは伝記的にはニーチェを下敷きとしながら、思想的には一二音音楽の理論などを、小説の枠をはみ出すほど克明に語っているわけです。アドルノという協力者を得て書かれたその記述は、かならずしもいい加減なものではないでしょうが、でもそれはやはりシェーンベルクとは違います。それと同じような意味で、J・ミラーの書物の中で、フーコーの思想「らしき」ものが語られていても、それはあくまでも「お話し」の道具立てであって、それ以上のものではないというふうに思い切ってしまいました。

しかし考えてみると、これもまた「言説の統一体」ということに関わる問題でしょう。「フーコー」という言説を、個人の発言に閉じ込めないとしたら、その外枠はどこまで広がっていくのかということにもなっていくでしょう。もちろん、それは基本的には無限に広がっていくのでしょうが、そこにはやはり言説のからまり方の濃淡・遠近はあるわけです。その際、その書物がフーコーの伝記を名乗っているからといって、それを鵜呑みにする必要はないわけで、ミラーの書物のようにフーコーの「伝記」を名乗っているからこそ、言説統一体としてのフーコーからはかえって最も遠いということもありうるでしょう。もちろん、それを普通の言葉で言えば、「フーコー研究としてはあまりに杜撰」というたぐいの表現になるのでしょうが。しかしこういう言い方も実は曲者で、そこには実在的な「フーコー思想」なるものが存在しうるかのような文法が使われているわけです。私が「研究書とは違った独自のジャンル」という言い方をしたのは、実はその辺を多少警戒したからにほかなりません。全集、研究書、伝記といった一群の言説がどのような配置になっているかということは、その名称や著者の意図からは確定できないということになりそうです。

ということで、「言説の統一性」ということを考える一助にでもなれば。



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No.1152

統一體とか個體化とか超越論的とか
投稿者---森 洋介(2004/09/01 19:11:52)
http://y7.net/bookish


 まづ訂正。ドムナック編『構造主義とは何か』の譯者を伊藤としたは伊守男の誤寫でした。ところで、この本、先月平凡社ライブラリーで再刊されたばかりのやうで。でも時代の證言の價値はあるにせよ、所收論文で現在なほ讀むに堪へるものは尠いと思ふのですが……。古本で手に入れて、チョムスキーの「生殖的文法」と譯してあったりする古色蒼然を愉しむべきものではないかと。或いは愉しむべきは、所收のレ=ストロースを圍んだ討論會でリクールが見せる否認の身振りでもありませうか。リクール曰く―― 
 しかし、彼らを理解することによって私自身の自己理解が増すのでなかったら、意味がどうのなんてことはいえないじゃありませんか。もし意味が自己理解の分節でないとしたら、いったいそれは何なのでしょう。私には見当もつきませんよ。 
 このようにして再把握した意味が、もし私の自分自身または事物に対する理解を広くさせるものでないとしたら、それは意味という名にふさわしくありませんね。
 しかしですよ、それらを理解することによって私が自分をよりよく理解できないのであったら、それでもなおそれを意味だといえますか。もし意味が自己理解の部分でないのだったら、いったいそれは何なのか、私にはわかりませんね。 
 ……かうも繰り返されると頑迷ぶりが何だか愉快です。因みにこの頃フーコーは、正面切った論爭はしなかった(避けた?)もののリクールへの批判を抱いてゐたやうです。D・エリボン『ミシェル・フーコー伝』(新潮社・1991.11)257〜258頁參照。 
 さらに書寫(といふか脱線)したい所ですが、「『エスプリ誌』 質問への回答」に戻りませう。質問文にある「進歩的政治」云々に絡めた、理論と政治的實踐との乖離といふ問題は、その後もフーコーに付き纏ふものですが(例、サイード「フーコーと権力の想像力」D・C・ホイ編『フーコー 批判的読解』国文社・1990.4、所收)、前者を後者に繋げねばならぬといふ當爲を抱へぬ者にとっては、この際どうでもいいと思ひます。どのみち『言葉と物』から『知の考古學』に至る間はその問題から最も遠ざかった時期だったとは、大方のフーコー論も認めるところですし。 
 質問に返す挨拶(恐らくは皮肉混じりの?)を了へたフーコーが第一に取り上げたのは、單位(=統一體)の問題でした。「医学なるもの、文法なるもの、生物学なるもの、あるいは経済学なるものについて語るとき、ひとは何について語りうるのであろうか?」(『アルケオロジー宣言』10頁/『思考集成III』72頁)。單位といへばソシュールも亦、言語の單位とは如何に存在してゐるものかといふ問題に專ら取り憑かれてゐたのだ――とは前田英樹氏の讀みでしたが(『現代思想』2000年7月號)。フーコーはこれら自明視された單位の奇妙さに氣づかせ、「諸言説の〈個別化)individualisation」を提案します。個別化(個體化)とは、從來の單位=統一性を、言説といふ〈個物〉へと解體することなのだらうか? それをポール・ヴェーヌらは唯名論と呼んだ……? これは後で『知の考古學』における實定性、言表の定義、等をめぐって再考すべき事柄になりさうです。 
 この個體化に反して、言説が「その歴史の全体性を形式的構築の統一性〔=單位〕のなかに復原する」やうな「二つの伝統的な手段が存続している」。「歴史的=先験的〔超越論的〕手段」と「経験的もしくは心理学的手段」と。さてここからprosperoさんのノートにつなぎます。「前者の代表例としてヘーゲルの歴史哲学、後者の例としてはコンドルセなどの実証的な進歩史観を考えればよいだろう」――前者はわかるとして、コンドルセ? なぜ後者に? 『人間精神進歩の歴史』は(讀んでませんけど)前者の辨證法的歴史觀に含まれませんか? 後者をフーコーはかう説明してゐました。 
すなわち、創設者を探求し、創設者が言おうとのぞんだことを解釈し、創設者の言説のなかに沈黙して眠っていた非顕在的な意味作用(シニフィカション)を検出し、それらの意味作用の糸もしくは運命のあとをたどり、諸伝統と諸影響とを物語り、人間の精神や感性あるいは関心における眼ざめ、忘却、自覚、危機、変化の時期を明確に定めること。(12頁/73頁) 
 「心理學」といふ語に注目すると、この「回答」では、「偉大な創始者たちの天才、意識のもろもろの危機、新しい精神形式の出現」(17頁/76頁)とか「その作品が諸変樣のなんらかの総体をになっている人が天才的であるのかどうかを、あるいはその人の幼年時代の経験はいかなるものであったのかを問うこと」(23頁/79頁)とも書いてゐます。が、これだけでは解りにくい。そこで、フーコーが『啓蒙主義の哲學』(以前この掲示板でも話題にされた)に寄せた書評から補ひませう(鷲見洋一譯「『啓蒙主義の哲学』書評」『エピステーメー』第二次創刊0號「ミシェル・フーコー 死の閾」、朝日出版社・1984.12、191頁/増田真譯「無言の歴史――カッシーラー『啓蒙主義の哲学』仏訳に寄せて」『思考集成II』376頁)。 
私たちフランス人は心理学の魔力にいまだとりつかれている。文化や思想は私たちにとって相も変わらず個人の隠喩なのだ。フランス人は個々の主体についてあてはまると無邪気に信じているものを、時代とか文明とかの規模に移しかえてこと足れりとしている。一つの「世紀」にも、人間一人一人と同じような意見や知識や欲望や不安や憧憬がある、というわけなのだ。ポール・アザールは、カッシーラーと同じ時期に、「ヨーロッパ意識の危機」を記述した。同じ頃、マルクス主義の歴史家たちはもろもろの文化現象を、その歴史上のにない手や責任者である集団的主体で説明した。 
 おわかりでせうが、フーコーが心理學と呼んで却けたのは、解釋學や精神分析のやり方、「作者」といふ創設的主體の意圖や體驗に還元して言説の意味を讀み取ることであり、さらにはその個人を擴張して集合意識や時代精神といった超越(論?)的主體を造り出すこと、です。――この擴張された個人としてコンドルセの謂はゆる「人間精神」もある、といふことなのでせうか? 
 ともあれしかし、フーコーのやり方も、prosperoさんが指摘する通り「経験の条件に遡るという点では、「超越論的」と言える」。「考古學」とはカント由來の語だ、と自身でも明かしてゐます(『思考集成IV』130頁・155頁、ジョージ・スタイナーとの論爭)。抑もフーコーは副博士論文がカントの『人間學』で……といった個人史は措くにしても、リクールが構造主義に向けた「超越論的主體ぬきのカント主義」といふ批判――尤も『構造主義とは何か』の討論會でレヴィ=ストロースは、リクールの定義に同意して却って感謝してゐますけど――が、「考古學」にも該當するのでせうか。フーコーのカッシーラー評に曰く、「この意味では私たちはみな新カント派だ」(鷲見譯189頁/『思考集成II』375頁)……。しかし、どの意味で? 


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No.1155

超越論的主体ぬきの超越論性
投稿者---prospero(管理者)(2004/09/04 15:56:10)


 まず、ご指摘の「コンドルセ云々」ですが、自信のないところをすかさず突いてくださったので助かります。

 確かに「経験的もしくは心理学的手段」というのでまず第一に思いつくのは、思想の個人史的説明や、それこそJ・ミラー『ミシェル・フーコー/情熱と受苦』ではありませんが、思想家の思想を性癖や心理的動機に解消する還元主義でしょう。しかし、その対照項に、「歴史的=先験的〔超越論的〕手段」の代表としてヘーゲルを挙げたものですから、それとのバランスで、歴史全体に対する心理的ないし発達史的見解をもう一方に挙げたかったという事情があります。その点で、コンドルセ(あるいはコント辺りでも良いのでしょうが)は、幼年期から青年期・壮年期という個人の発達史をそのまま歴史全体にもあてはめるイメージが強いので、その意味でこの名前を使ってみました。まさに、カッシーラー『啓蒙主義の哲学』への書評から取っていただいた引用 ―― 「文化や思想は私たちにとって相も変わらず個人の隠喩なのだ」 ―― のことを指摘したいと思ったのです。しかし、仰しゃるように、少し素直でない読みということになりそうです。

 実際には、やはりピアジェなども含めた微視的・心理学的アプローチのことを考えておけばよいのでしょうね。むしろ、歴史全体の巨視的・理論的構成ということでは、コンドルセ流のものも、「歴史的=先験的〔超越論的〕手段」に収めてしまって構わないのかもしれないと思い直しています。「経験的もしくは心理学的手段」の代表としては、コンドルセの名前には特に固執せずに、引っ込めたいと思います。

(ちなみに、ご指摘のあった「インタビュー」の件は訂正をしました。ありがとうございます。ただ、上記のような問題は、これによって本文を訂正してしまうと、議論の参照箇所がなくなってしまうので、これはそのままにしておくことにします ―― いささか恥ずかしいのですが)

 実践と理論の回帰という問題に関しては、私もほぼ森さんと同じようなスタンスで、いまのところは素通りしておきました。さしあたりここでは、まず「言説」にまつわる理論的な議論だけを追い込んでみようという見通しです。理論・実践という、それこそまた違った意味で「カント」的な問題はそれから考えてもよかろうといったところです。
 フーコー自身も、「エピステモロジー・サークルへの回答」のほうで、「言説の統一性の基準」を挙げながら、自分のそれまでの仕事を整理していますが、そこなどを見ても、やはり『言葉と物』、『知の考古学』で言説の普遍化が果たされ、それまでの仕事がそこへと収斂されるかたちで回顧されているようなところもあります。おそらくここには、臨床科学での実験、統計、制度など、素朴に見ると言語とは違ったものに見えるものまでも言説の中に含めていくという普遍化がなされているのだと思えます。そうなるとここまでは、実践や行為を含めて「解釈」を語ったハイデガー(リクール)的な解釈学と両立可能な議論が展開されているとも言えるでしょう。しかし、ご指摘のリクールの発言にあるように、ここで「解釈」や「理解」、あるいは「意味」というものの身分をどう考えるかで、解釈学と構造主義、あるいは考古学の相違が際立ってくるようです。

 いまサイマル版の『構造主義とは何か』を探したのですが、ちょっと出てこないので、引用の範囲内で考えても、「意味」と「理解」へのリクールの固執ぶりはうかがえますね。構造主義は歴史が扱えないのではないか、あるいは構造だけが自立するはずはなく、そこには構造を構造化している何らかの(擬似)主体的なものがあるのではないかという批判は、当初も強かったように思います。それが「超越論的主体ぬきのカント主義」という有名な言葉に集約されているものでしょう。

 さて、やはり一番の問題はこの「超越論的」ないし「カント主義」というものをどう理解するかということですね。これは『知の考古学』を考えようとしたときに狙った問題でもあるので、今後もまだ長引きそうです。
 
 一つ私が考えている方向は、「超越論的主体」という理解から「超越論性」(あるいは「超越論哲学」)を切り離す、そして言葉としては、広い意味での「カント主義」というものを、後者のなかに含めて考えるというものです。つまり、「超越論的主体ぬきの超越論哲学」というのが可能であるという方向を考えてみようという路線です(そしてそのひとつがフーコー的な「考古学」という見立てです)。

 この辺りはおいおい詰めていかなければならないと思いますが、「歴史への態度」という補足を書いたのは、超越論的主体を強化する意味での超越論哲学を牽制する意味合いでした。そして、Scriptoriumの第二として、「知識学」を立てたのは、「超越論的主体ぬきの超越論哲学」というものが、実はドイツ観念論の中でも部分的に起きていたのではないかという予想からでした。つまり、ヘーゲルに至るのとは違ったドイツ観念論の発展系をフィヒテの後期知識学に見てみようというプログラムです。そうなると、最終的に、フーコー的な「超越論的主体ぬきの超越論哲学」と、フィヒテ的なそれがどう異なってくるのかという問題になりますが、そこまで行き着いたら、Scriptoriumはその大半の役割を終えたということになりそうです(そんな日は来るのでしょうか)。

 少々、プログラム的な概略になって、話しが分散してしまいましたが、とりあえず。


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No.1215

Re:超越論的主体ぬきの超越論性
投稿者---あがるま(2005/05/15 19:03:09)


1)経験的主体と超越論的主体の二律背反
2)超越論的主体なしの超越論哲学の可能性
3)否定神学
と云ふプロスペロさんのプログラムは魅力的で、成功すれば素晴らしいものになると思ひます。

確認のためにウエッブ上にあるStanford Encyclopedia of Philosophy のGary Guttingの記事http://plato.stanford.edu/entries/foucault/
を参照してフコーの問題を繰返せば、

<カント以来『自我(人間)』は表象の経験的対象であると同時に表象の超越的な根源である。しかし「客体が同時に主体になる」やうな「經驗的=超越論的二重體」(『言葉と物』邦譯338頁)は結局不可能であることが歴史の推移の中で自覚される。それがフコーの云ふ近代知の崩壊と云ふことであり、彼の『有限性の分析』で確認された。
実証主義者やマルクス主義者は超越的自我を感性的自我に還元しようとした。現象學的実存主義者のやうに超越的自我を否定して具体的な世俗的人間に定位したり、自らの歴史を作ると仮設された人間に還元しようとした者もゐたが、結局我々の始源への回帰を存在の救済史的実現とするかそれとも我々の存在は虚無に脅かされてゐるとせざるを得なかつた。端緒や正統性を絶えず問題にせざるを得ないのもその為である。>

これからはプロスペロさんの計画に就いての私の余計な想像です。

「フコーの結論では主体抜きの超越論は原理的に不可能で、この超越論的自我と経験論的自我の相克は実は古代からの人間の有限性の問題であり、ルネサンス以来(ネオ)プラトニズム的な枠組みで新たに取り組まれたが、その最終的解決策と思はれた、主体と客体との関係は間接的(反省的)鏡像関係ではなく直接的な同一性だと云ふフィヒテ(やデカルト)の『根源的洞察』(D.ヘンリッヒ)は、アウグスティヌスにこそ帰される可きでありその統覚作用の根源は実は修辞学的『記憶術』にあつた。
否定神学は古代プラトニストの『パルメニデス篇』以来の自己批判の産物であり、そこでは解決が可能的未決定の領域(神秘主義か終末論)に繰り越されただけである。これは『ドイツ観念論の体系プログラム』では神話學による新しい神の到来とされた。」

近代を古典古代から引き離すのは西欧の自殺行為で、その連続性は(イデオロギー教育だとしても)欧米の古典語教育にも明かです。近代を普遍的だと思ふのは、そんな画期的意識を持たざるを得なくされた被害者のアジアやアフリカの住民です。

何だかプロスペロさんに反対するやうになつて仕舞ひましたが本意ではありません。教へて戴ければ、と私の無知を曝け出したものです。

蛇足ながら、上記の『プログラム』のヘーゲルによるコピーを発見したローゼンツヴァイクの主著『救済の星』が(著作権が切れたので)
http://www.freidok.uni-freiburg.de/volltexte/310/pdf/derstern.pdf
に、
カントからフィヒテの移行に重要なS.マイモンの『超越論哲学』と『新論理学』の校訂版が下記にあります。
http://tiss.zdv.uni-tuebingen.de/webroot/fp/fpsfr01_W0304/seminarmaterial.html#VTP
参考資料に追加されては如何でせうか。



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No.1222

超越論概念の多義性
投稿者---prospero(管理者)(2005/05/26 20:37:46)


せっかく刺戟的な書き込みをしていただきながら、応答が遅れました。

最初の要約は、後半部分(「結局我々の始源への回帰を存在の救済史的実現とするかそれとも我々の存在は虚無に脅かされてゐるとせざるを得なかつた。端緒や正統性を絶えず問題にせざるを得ないのもその為である」)で、別スレッドで問題になっていたブルーメンベルクの主題をも含めてまとめていただいているようで、ありがたく思います。「「經驗的=超越論的二重體」の消滅(いわゆる「人間の死」)については、『言葉と物』についての議論をも含めてこれからも論議が期待できそうです。

とりあえずいまは、私のプログラムのほうにいただいたご感想ということに関して。

いただいた要約を見ながら思ったのは、やはり「超越論的」ということの位置づけの難しさでした。一つには「經驗的=超越論的二重體」というような意味で、歴史上に現れた一つの思想的装置としてそれを考えることができます。「カントにおける超越論主義」などという場合がそれです。しかし、森さんが引用されたように、「この意味では私たちはみな新カント派だ」とフーコーが語るとき、ここで含意されている「超越論性」は、かならずしも歴史上のある思想というよりは、方法論的な意味で語られているように思います。つまりは、「「經驗的=超越論的二重體」の消滅というようなことを語る視点をもって、「超越論的」と称するもう一つの方向がありうるのではないか。そして、この方向が、「超越論的主体ぬきの超越論性」という線にかなり近いように思います。「かなり近い」という曖昧な言い方をしたのは、ここにもまたさまざまな可能性がありうるからで、一方には、この方法論的な意味での超越論性を含み込んだうえで新たな強力な装置としての高次の超越論性を構想するヘーゲルのようなやり方があり得るからです。語り手と語らえる事象を一致させていく究極的な視点の強化がここでは行われるわけです。

しかしフーコーの場合、ことはそのようには運ばず、いわば『精神現象学』は挫折を余儀なくさせられるのだろうと思います。そこに現れるのが「否定神学」であるという見立てもご指摘の通りです。ただ念を押しておきたいのは、

1)経験的主体と超越論的主体の二律背反
2)超越論的主体なしの超越論哲学の可能性
3)否定神学

というのは、けっして歴史的な段階ではないということです。もしそうだとすると、やはり時代的により後のものが強く、反省段階がより高度ということになりかねないからです。フーコーの分析する各々のエピステーメーもそのような関係にはなっていないだろうと思います。この辺りの微妙な加減を『知の考古学』を元に考えられればとも思います。

>「この超越論的自我と経験論的自我の相克は実は古代からの人間の有限性の問題であり、ルネサンス以来(ネオ)プラトニズム的な枠組みで新たに取り組まれたが、その最終的解決策と思はれた、主体と客体との関係は間接的(反省的)鏡像関係ではなく直接的な同一性だと云ふフィヒテ(やデカルト)の『根源的洞察』(D.ヘンリッヒ)は、アウグスティヌスにこそ帰される可きでありその統覚作用の根源は実は修辞学的『記憶術』にあつた。

これはきわめて刺戟的なまとめだと思います。超越論性の起源としてのアウグスティヌスというのは私もかねてより考えていることなので、これは我が意を得たりというところです。しかし「統覚作用の根源が<記憶術>」というところまではっきり言い切るのは躊躇っていたので、これは何やら背中を押されたような気分です。さらに展開していただけるようであれば大歓迎です。

「近代を古典古代から引き離すのは西欧の自殺行為」というのもまったく同感です。今回もドッペルゲンガーを発見するような思いです。むしろ、「何だかプロスペロさんに反対するやうになつて仕舞ひましたが」と言われることのほうが、私には不思議です。また今後もいろいろお教えください。

資料のご教示もありがとうございます。追ってリンク集も整理しながら、加えさせていただきたいと思います。


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No.1223

Re:超越論概念の多義性
投稿者---あがるま(2005/05/27 01:28:16)


雑駁な感想に真面目な回答を戴き有り難うございます。

<超越論性の起源としてのアウグスティヌスというのは私もかねてより考えていることなので、これは我が意を得たりというところです。しかし「統覚作用の根源が<記憶術>」というところまではっきり言い切るのは躊躇っていたので、>

アウグスティヌスと記憶術の具体的関係は私にも正直材料の持ち合せがありません。
何とか修辞学と語呂を合せて暴力的に持つて行つたものです。
しかし、彼の『三位一体論』で記憶が中心的位置を占めることを知つてゐます。
神・キリスト・精霊の外的関係が人間の志向性の内的関係(見るもの、見られるもの、見る作用)と同質の構造を持つてゐる故に実体は一つだと云ふのですが、例へば、
「?思考する者の眼によつて形成される現実を我々は記憶の中に保存する。?形成そのものはそれから刻印された像として理解されるべきである。?第3の部分として、それによつてその2者が統一される意志(或いは愛)を理解する。(XIV,6,8)」
この三一構造は更に内的言語として常に存在してゐることになります。(XV,10、17)

多分プロスペロさんと違ふところは、私が存在論的差別を認めないことでせう、更にプラトンもキリスト教も余計なものだと思つてゐて、単純にアリストテレスに戻れば良いと考へてゐることです。
それ故、超越論的と超越的の区別もありません。存在(主体)と存在物(客体)は同一でなくてはならないのです。その現実的区別を認めると歴史や進歩も認めなくてはならないでせう。

余り無責任すぎるので少し『近代の正統性』を読んで見ました。これも雑駁な感想ですが、近代と云ふ『無償の行為』を『正統性』と云ふ意志の力で『配置換へ(Umbesetzen)』し、実は『王位簒奪(Usurpieren)』しようとしてゐる感じです。とにかく法学の概念が沢山出て来る理由が分かりました。でもカントの場合のカテゴリーの導入ほど上手く行くのか。第二部に這入りこれから御手並み拝見と云ふところです。
『贋金作り』や『テムペスト』も読んで見る必要があるかもしれません。『知の考古学』は難し過ぎますので、参観と云ふことで。




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No.1157

欄外註記
投稿者---prospero(管理者)(2004/09/04 23:37:57)


フーコーのカッシーラー評についても、欄外註記を。森さんが引用されたもう少し先を『集成』訳で書写してみましょう。

 カッシーラーは「創設的抽象化」とでもいうべきものに従って仕事を進める。彼は一方では個人的な動機や伝記的偶然など、ある時代に現れた偶然的な形象をすべて消してしまう。そして他方では、経済学的あるいは社会的な因果関係を退け、あるいは少なくとも棚上げする。すると彼の眼前に繰り広げられるのは、言説と思考、概念と用語、言表と主張の分割不可能な広がりであり、彼はそれをその本来の形状において分析しようとする。カッシーラーは、「言説=思想」のこの自律的な世界の内在的な必然性を再発見しようと努める。彼は思想がそれ自体で思考するにまかせる……(『思考集成?』p. 376s.
私がカッシーラーの思想史を良いと思うのは、まさにこの点です。思想史を語る場合、この「思想がそれ自体で思考するにまかせる」ということが、なんと言っても必要でしょう。フーコーの記述は、カッシーラーはまさにこういう観点から、「啓蒙主義」という「エピステーメー」を叙述したのだという口ぶりですね。「彼は消え去った心性の痕跡と未来の兆候を並列したりはしなかった。彼は同時代に存在したものすべてについてその同時的で全体的な必然性を復元する」(p. 378)。

こういう点では、カッシーラーの衣鉢を継いだブルーメンベルクも、思想史に対して「思想がそれ自体で思考するにまかせる」という態度をさらに徹底しているようにも思います。フーコーがカッシーラーに対してもっている不満 ―― いまだに「匿名化」が不十分で、大思想家という「個人」を振り切れていないという不満 ―― は、ブルーメンベルクの場合、かなりクリアされているかもしれません。彼の場合、個々の思想家よりも、「思想素」とでも言いますか、観念のいくつかの単位を元に思想史を構想しているようなところもあるようです。しかも、彼の最初の主著『近代の正統性』が出版されたのが、『言葉と物』が出された1966年という奇縁が重なったりもしています。いずれにせよ、アザールの ―― それ自体としては実に面白い ―― 「お話し」は、思想史というにはあまりに愉快すぎるというか、世間話風にすぎますね。もちろん、十八世紀のことを世間話のように語ってしまうという力量も、それはそれで驚異的ではあるのですが


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No.1158

人間の/言説の個體化
投稿者---森 洋介(2004/09/05 11:57:14)
http://y7.net/bookish


 「「エスプリ」誌 質問への回答」からは脇道に逸れますが、「反人間主義としての人文主義」についての、お訊ねから。知識不足ゆゑprosperoさんの論述の指すものが判然としないので。 
 まづ「やはりルネサンス人文主義が「人間」なるものを語ったのも、言語探求という意味での人文主義的活動を通してのことであった」と言ふ「言語探求」とは、ギリシア語やヘブライ語など原語に即した古典の研究活動のことだらうと迄は見當がつきます。しかし、さらに「むしろ言語の規定力を発見することによって、それによって織り成される「人間」という場が徐々に形成されていった」と言はれますと、具體的にはどういふルネッサンス期の言説を想定してゐるのかピンと來ないのです。「言語を通じて人間を作る」ともある所から察するに、グリーンブラッド『ルネサンスの自己成型』(みすず書房)邊りを參照すべきなのでせうか。例でもあれば擧げて下さると理解するのに助かります。 
 ともあれルネッサンス人文主義は、人間への關心に先んじて言語への關心があった――さう讀み換へるならば、「フーコーの示した言説への関心は、ルネサンス人文主義の最も鋭敏な感性を引き継いでいる」と言へよう、と。……成程、フーコー自身がさうかはさておき、フーコーが認識の對象とした近現代の諸言説たちに言語への關心が見られること、その點はルネッサンスと一致します。けれども、そこからの歸結が逆向きに分れませんか。 
 「言語主義」によって、ルネッサンスに於ては人間が發見され乃至は「作られ」るに至ったとして、片や我々の時代には人間の消滅に至った。「十九世紀の初めから、ひとは[……]人間言語を問いかけの対象としてきました。[…それによって…]いわば人間そのものが、[……]明らかになることが期待されていたのでした。さて、言語をとことん掘り下げてゆくことによって、ひとは何を見出したのでしょうか。見出したのは構造であり、[……]そして人間[……]は、ここでもまた消滅してしまったのです」(「フーコー、サルトルに答える」『思考集成III』56頁)。或いは同樣に、マラルメ以降の「文学とは、人間が、言語に席を譲って絶えず消滅してゆく場処である」(「人間は死んだのか」『思考集成II』371頁)。 
 人間の發見と、消滅と。一見すると、兩立し得ない歸結です。ここは、「人文主義による人間の発見とは、人間そのものの不在」だと逆説を吐くアガンベンを讀まないと解らないわけでせうか。フーコーの影響が言はれるグリーンブラッドらの新歴史主義も、この邊、考へてゐるのかどうか……。prosperoさんは以前から「彼ら[=構造主義]が主張する程度の「主体の消滅」なら、何も彼らにわざわざ指摘されるまでもなく、近代が自らの手でとっくに成し遂げていたことだった」「思想史の中の他者」といふ風に論じてゐましたが、哲學〔史〕的素養に缺くる者としては、歴史的具體に即して改めて消化しようとすると御論はなかなかに難解であります。 
  
 ところで前回書き込み(No.1152)で三つトピックを擧げたうち、「個體化 individualisation」については、後で詳述すればよいと思って、いかにも舌足らずだったのでこの機に補足を。 
 フーコーが「アリストテレスの古き禁止」と言ったことがあります。出典は『臨床醫學の誕生』「序」(邦譯8頁)。これに注目したのは丹生谷貴志『ドゥルーズ・映画・フーコー』(青土社・1996.6、240頁〜)でした。個物そのものを認識の對象としてはならない、といふアリストテレス以來の禁止令の傳統。これを思へば、個人(=個體)への接近は古へからの醫學的ヒューマニズムが緻密化された現れなのではない。「臨床医学的経験とは、西洋の歴史の上で、具体的な個体が、初めて合理的な言語にむかって開かれたことを意味する」(「序」9頁)。これは『臨床醫學の誕生』第九章に展開されてゐます。「アリストテレスの古い法則は、個についての科学的陳述[=言表]を禁じていたが、言語の中に死がその概念の場を発見したとき、この禁止は解けたわけである。つまり、その時、空間はまなざしに対して個の分化した形を開いたのである」(邦譯232頁)。譯者・神谷美恵子による同章の要約を引けば、「解剖におけるまなざしは、個体の細かい個人差を鑑別するから、ここにおいて個人に対する知覚が可能となる。」「生において死を知覚することは、ルネサンスからあった。しかし、ルネサンスにおいては、死は万人を平等化するものとして知覚された。一八世紀末から一九世紀にかけての死観は、個人の独自性をつくるものとして、死を見ることであった」(「解説」296頁)。……「個人の独自性をつくるものとして、死を見る」とは、何やらハイデガー風にも取れますが、ともあれフーコーはここにルネッサンス期との差違を見てゐたのでした。 
 個人化(=個體化)とは、のち『監獄の誕生』でも現れるテーマであるのは御存知の通り。先立つ『言葉と物』ではカッシーラー評に謂ふ「「言説=思想」のこの自律的な世界」を、即ち、言説(的實踐)を「自律的な層」(『思考集成II』437頁)と見做せる限りで、諸言説の「水平軸」(『思考集成II』437頁)乃至「水平的な次元」(『思考集成III』46頁)に沿った「言説間的な依存関係」(「質問への回答」『思考集成III』79頁)に敢へて限定して扱ってゐたのですが、『監獄の誕生』に至って、再び以前の『臨床醫學の誕生』の如く、言説的實踐を非言説的實踐との關係において攻究したわけです。その代り『知の考古學』では(もしくはその準備稿では?――cf.石田英敬「フーコー,もう一つのディスクール理論」『言語態の問い』東京大学出版会・2001.4)人間ではなく諸言説の、さらには言表の、個別化(=個體化)が問題になってゐたのではないか。『言葉と物』が、ハイデガーの人間(現存在)の存在論に代へるに言語の實存を以てしようとしたのだとすれば、その延長上に『知の考古學』での「言はれたこと」の個別化がある……? とはいへ、存在論とか個物とかこのもの性(ドゥンス・スコトゥス)とかよく解ってないのに、それで名づけて幾らか解った氣になれるといふのは――不思議なことです。 
 
 讀書會のためにはテキストに忠實な文字通りのレジュメ(要約)を作るか他の方々の御意見を待って少々發言を遠慮するかした方がいいのかもしれませんが、そのうちいい加減な無駄口を見かねてツッコミが入ることを期待します。


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No.1159

言語論としての人文主義
投稿者---prospero(管理者)(2004/09/06 22:32:22)


ご指摘のように、ルネサンス人文主義に対する理解としては、もしかするといたずらに挑発的なだけで、イメージの湧きにくいテーゼだったかもしれません。いい機会を与えていただいたので、少し敷衍しておきたいと思います。まず大前提として、私がここで考えているルネサンスは、カッシーラーやヴァールブルク学派が大規模に掘り起こした新プラトン主義的なルネサンスではないということを申し上げなければなりません。むしろ、ルネサンス評価という点で彼らの果たした大きな貢献にもかかわらず(あるいはそれゆえに)、ルネサンスのもう一つの要素が、あいかわらずその陰に隠れていまだに十分に扱われていないように思います。言語論的=修辞学的人文主義です。これはプラトンの系譜というよりは、むしろキケロ・クィンティリアヌス、そしてルネサンスによる復興を経て、ダンテ、ヴィーコへと降る流れになろうかと思います。ルネサンスの中では、ダンテの師に当るレオナルド・ブルーニ、あるいはサルターティ、ムッサートなどの人名が挙げられるようです。彼らは、古典言語の復興にとどまらず、詩学を通じて言語論一般に繋がる理論を展開しているようなところがあります。こうした見立てを強調している心強い見方が、Studia humanitatisのほうでもしばしば触れたグラッシです。アガンベンと並んで、援軍に呼んでみましょうか。
人文主義(Humanism)の中心的な問題の一つは、人間ではなく、根源的コンテクストの問題、つまり人間と世界がその中で立ち現れるような地平ないし「開けの場」(Openness)なのである。……言語の問題は、言語と対象、つまり「言葉」(verba)と「物」(res)の間の関係に関する決定的な問いを惹き起こす。「物」は、言語の中で、そして言語を通してのみ、その意味を顕わにするという洞察がこれと並んで生じることになる。(「イタリア人文主義と、哲学の終焉に関するハイデガーのテーゼ」 in: E. Grassi, Heidegger and the Question of Renaissance Humanism, 1983, p. 17(未邦訳)。
「物は、言語の中で、言語を通してのみ、その意味を顕わにする」というのは分かりずらいところですが、これは一方で、アリストテレス的論理学と対立し、他方では、形而上学的知性論を基盤とした言語論とも対立します。当然グラッシが提示しようとしているのは、論文自体の標題にも名前が挙げられているように、ハイデガー的な言語論でしょう。そして、ハイデガー自身、『ヒューマニズム書簡』の中で、ある種の反・人間主義を展開しているわけで、そのあたりの共鳴が想定できます。グラッシが考えようとしているのは、詩的言語を通じての世界理解、知性理解ということになりそうです。その点で、彼はルネサンスから延長線を引いて、グラシアン、テサウロ、ペレグリーニといったマニエリスムの理論家、そして最終的にヴィーコに至るラインを描いています。これはかなり魅力的だと思っています。

さて、言語主義としてのルネサンスという線を多少なりとも具体化したうえで(もちろん、大いに不十分でしょうが)、フーコーとの相違です。このルネサンスの言語理解をもう一度フーコーと対照するなら、『言葉と物』での言語論・記号論との本格的な突き合わせが必要になってしますでしょう。「もちろん、フーコー的な視点に徹するなら、ルネサンスにおける言語への関心は、またそれ自身、独自のエピステーメーとして反省されなければならないのは確かである」というように、煮えきらないことを書いていたのはそのためです。森さんの仰しゃるように、ルネサンスが言語を関心の中心としたことを認めるにしても、それが向かう方向はフーコーとは逆ではないかというのは、まさにこの問題ですね。おそらく、差し当ってはそうなりますね。一方は「人間を作る」ことに専心し、他方は「人間の死」を宣言するということになるでしょうから。しかし、言語中心的なルネサンス観をさらに展開していくと、果たしてどうなるかなという漠然とした期待もないわけではありません。むしろ言語論的ルネサンスが、十八世紀的古典主義を飛び越えて、十九世紀ドイツ人文主義(ハーマン、ヘルダー、フンボルト、そしてヴィーコも含む)にショートカットで繋がるなどということが起きないかどうか、そんな無想も抱いています。

それはともかく、いまのところ確認しておきたいのは一点だけです。ルネサンスをいわゆる「人間中心主義」から解放して、言語論的に見るならば、「人間」という場が固定した中心ではなく、むしろ構造上の一機能として理解されることになるでしょう。そうなると、その方向はいまは問わないとして、フーコーが理解しようとする「人間」のありようとは共通した理解になるのではないでしょうか。最も人間主義的だと思える場所に、そうした思考を解体する要素が見られれば、それなりに刺激的だろうというのが、「反人間主義としての人文主義」の意図でした。

といったところで、長くなったので、森さんの後半の議論については、またあらためて。



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No.1161

ハイデガーに贊して/抗して?
投稿者---森 洋介(2004/09/08 13:29:13)
http://y7.net/bookish


 慥かに、「最も人間主義的だと思える場所に、そうした思考を解体する」やうな「言語主義」を見出すのは、刺戟的な切り込みだと思ひます。しかしその先に理解を進めようとすると、我が頭腦は失速するわけでして。 
 對象として、擧げられるブルーニ以下のルネッサンス期言語論についての知識が皆無なことも大きいのですが、理論的には、アガンベンにせよグラッシにせよ思考の進め方に察しをつけづらいことが障碍になってゐます。未讀だからだけでなく、兩者とも後期ハイデガーを背景にしてゐる所爲もありませう。できればハイデガーみたいにつきあひ辛い御仁(『存在と時間』とか『有と時』とかどの譯本に就くべきかでまづ迷はされますし)は讀まずに濟ませたかったのですが、さうも言ってられないのか……。マア讀んだところで解るか怪しいのですが。 
 さて、仰るやうな「言語論的ルネサンスが、十八世紀的古典主義を飛び越えて、十九世紀ドイツ人文主義(ハーマン、ヘルダー、フンボルト、そしてヴィーコも含む)にショートカットで繋がる」といふ見取圖は、『言葉と物』の圖式とも重なるでせう――或る限りでは。 
 但し書きをつけるのは、第一に、フーコーにしてもなほ免れなかったフランス中心主義ゆゑにドイツをあまり檢討してゐないといふことがあります。「彼の個人的な教養の中心はフランスなので、彼は残りのヨーロッパを、本来はフランスの実例の目録にこっそりと結びつけてしまう」(J-M・プロルソン「ミシェル・フーコーとスペイン」、アニー・ゲデ『ミシェル・フーコー』朝日出版社・1975.12、126頁所引)。これは例へばレーモン・ベルールとの對談でも、フーコーの圖式はフランス文學は説明できてもドイツには當て嵌まらないのではと問はれ、「おそらくドイツ古典主義が、そうした歴史と解釈の時代と同世代であっただけに、ドイツ文学はそもそもの起源からして、現在われわれが現在知っているこの対決(解釈と形式化、人間と記号)を目の前にしていたのでしょう」と補足してゐます(ベルール『構造主義との対話』日本ブリタニカ・1980.2、102頁/福井憲彦譯『actes』3號、日本エディタースクール出版部・1987.5、166頁/『思考集成II』310頁)。 
 第二に、しかしドイツといふことを拔かせば、それは『言葉と物』で指摘され、且つ既に留保がつけられてゐることでもありました。第二章「世界といふ散文」の章末です。 
十九世紀以後、文学は言語(ランガージュ)をその存在(エートル)においてふたたびあかるみにだす。けれどもそれは、ルネッサンス末期におけるあらわれ方とおなじではない。というのは、言説(ディスクール)の際限ない運動の基礎と限界をなしていた、絶対的に最初のものであるあの第一義的言葉(パロール)が、いまではもはや見あたらないからである。(邦譯70頁) 
第一義的言葉といふのが曖昧ですが、これは、十六世紀末までの註釋の言説が、既存言語の基底にあると前提することでそれの復元を任務として自らを展開した、さういふ言語の下の「原初のテクスト」のことでせう(邦譯66〜67頁參照)。山川草木に至る迄が解讀可能な言葉である「世界といふ散文」といふ見方からすれば、第一義の言葉とはそれを初めに書き込んだ者の言葉、すなはち神の御言葉と解してよいのかしれません。この神の死と共に人間の死が到來したといふところに、ルネッサンス期と異なる十九世紀以降の特色を見てゐるのでせうから(邦譯363頁、407〜408頁)。この歴史的な過程と差違を跳び越えて短絡可能かどうかが問題となりませうか。 
 ところで「物は、言語の中で、言語を通してのみ、その意味を顕わにする」といふハイデガー流言語觀を知らうと、積ん讀の中からH・イェーガー『ハイデガーと言葉』(赤松宏譯、〈思想史ライブラリー〉木鐸社・1980.11)――古書展で二百圓だった――を取り出して本文は後回しにして「解説」を見てみたら、かういふ註記がありました。書寫します。 

* ハイデガーのように、ギリシヤ語のなかにだけ「もの」と「言葉」との一致ないし「相似」(ressemblance)を求めるのは、いささか問題があろう。ミシェル・フーコーはルネッサンス期にそれを求め、アントナン・アルトーは東洋語のうちにそれを求める。たとえばフーコーは、ルネッサンス期においては「言葉」と「もの」は「相似」として定義されるという。つまり「自然」(nature)と「言葉」(mots)とは互いにからみ合って、いわば「一つの大きな本」をなしていたからである。ところが時代が下って古典期にいたると、「言葉」はそれ自体「記号」(signe)として自己表象性をもって来て、同一性や相違性の象徴として「記号」と「自然」に分離する(Les mots les choses, p.32ff)。 

 いずれにせよ、「言葉」が「記号」に変貌する時代をギリシヤ時代に求めるか、ルネッサンス期に求めるか、あるいはまた東洋語のうちにそれを求めるかといった問題は、実にあやふやな問題で、「言葉」が「記号」に変貌するということは、各時代、各瞬間に起っていると考えた方が興味深いし、また妥当であろう。 

 以上は『言葉への途上』及び「それは何であるか――哲學とは?」へのコメントなのですが、引用されたグラッシから察するに、その後のハイデガーは古代ギリシャだけでなくルネッサンス人文主義においても言語が示現(Zeigen)であることを認めたのでせうか。いづれにせよ、「実にあやふやな問題」ではあります。それを「各時代、各瞬間に起っている」と解決するのもなるほど一法だと思ひますが、さういふ「つねにすでに」風の汎時的な解法は、歴史性を無化する難があります。……これこそ「起源の後退と回歸」(『言葉と物』第九章六)といふ奴でもありませうか。あの節をハイデガーを參照しつつ説き直ししたものとして、ヒューバート・L・ドレイファス+ポール・ラビノウ『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』(筑摩書房・1996.7、70〜74頁)がありました。とはいへフーコーとハイデガーを繋げるについては、「ハイデッガーはたえず彼を熱中させたが、彼はニーチェを通じてしか、ニーチェとともにしかハイデッガーを理解できなかった(決して逆ではない)」といふドゥルーズの注意(宇野邦一譯『フーコー』河出書房新社・1987.10、179頁)を考慮しなければなりますまいが――このうへニーチェまで讀まされた日にはかなひません。 

 以上は、欄外書き込みの感想に過ぎません。まともに考へる用意も無く(何せまだアガンベンも讀んでない)、考へ出すと『知の考古學』に戻れなくなりさうなので、ひとまづここまで。 


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No.1163

世界という散文
投稿者---prospero(管理者)(2004/09/10 11:50:02)


さらなる欄外書き込みを。

なるほど、『言葉と物』でも、ルネサンスと19世紀以降の言語理解との繋がりというものが、ヘルダーリン、マラルメ、アルトーなどを引き合いに出しながら、文学的言語の自律性という文脈で語られていましたね。ただ、私の印象では、このあたりが少々性急すぎるというか、そうなるに至る寸前の出来事が、言語に即してもう少し語れないかなという感覚はあります。この辺は、『知の考古学』を介して、『言葉と物』の検討をすることで子細に見るべきものかもしれませんが、やはり18世紀後半から19世紀初頭のドイツ人文主義という線はもう少し俎上に乗せられてもよいのではないかという思いです。仰しゃられるように、「フーコーにしてもなほ免れなかったフランス中心主義ゆゑにドイツをあまり檢討してゐない」というのは大きいところでしょう。考えてみれば面白いことで、あれほど既存の学問分類などを横断して(その点では、従来の学問を「脱構築」しながら)、これまでの区別によっては覆い隠されていた「エピステーメー」を取り出したフーコーが、最も見えやすいし、わかりやすい、「国」ないし「国語」という桎梏にあいかわらず縛られているというわけですからね。

ルネサンスにおける「世界の散文」にとっては、「知ることは言語を言語に関係づけることである。語と物との画一的な平原を復元することである。……知に固有なものは、見ることでも証明することでもなく、解釈することなのだ。聖書の註釈、<古代人についての註釈>、伝説や物語の註釈。……言語はそれ自体のうちに、増殖するための内的原理をもっている」(邦訳p. 65s.)。17-18世紀以降、言葉と物が一致した平面のあいだに、「表象」の空間が生じることによって、言葉と物が分離していくというのが『言葉と物』の見立てですね。

しかし、こうした時代区分の際に、「第一義的言葉」 ―― おそらく仰しゃるように、大文字の「ロゴス」としての神の言葉 ―― を基準に、中世・ルネサンスとそれ以降とを区別しているわけではないというのが私には好ましく思えます。確かに引用のようなかたちで言及されるにしても、森さんもいぶかっておられるほど、まことに曖昧な仕方でしかそれを語っていないわけです。神の有無という存在論的な事態よりも、言語・表象・物のあいだで起こる構造上の断絶に目を凝らすというのは、神中心的か人間中心的かという二者択一的を横断するための強力な装置でしょう。、この「世界の散文」の解体のプロセスというのは、現代のデリダ『グラマトロジー』なども含めて、また新しい論題になりそうです。

ハイデガーをめぐってはまたあらためて。


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No.1165

「言語の回歸」?
投稿者---森 洋介(2004/09/11 19:40:40)
http://y7.net/bookish


 讀書會なのに問答録みたいになって横道に嵌りさうですが、折角ですから質問を續けさせて下さい。 
 「「第一義的言葉」を基準に、中世・ルネサンスとそれ以降とを区別しているわけではない」とおっしゃるのが解せません。ルネッサンスとそれ以降とではなく、間に挾む古典主義時代(十七・十八世紀)を跳び越した、十九世紀以降との異同が問題だった筈。そして先に引用した箇所(『言葉と物』邦譯70頁、また更に詳しくは319頁以下で再説)は、十九世紀以降の文學が忘れられてゐたルネッサンス期の「言語の生身の存在」への回歸のやうでありながらそれとは異なる所以を言明するものでした。曖昧ではあるものの、區別してゐること迄は否定できません。それが「第一義的言葉」に據るのでないとするなら、區別は何に據って劃定されると讀むべきなのか……これが、わかりません。 
 おっしゃる「神中心的か人間中心的かという二者択一」は、フーコーの文脈では、神中心=人間中心か言語中心=人間不在か、となりませんか。といふのは、フーコーがニーチェを引きつつ説く所では、神の死は人間のために玉座を空けたかのやうに見えて實は人間の消滅を意味したのでしたし、且つベルールとの第一の對話でも述べてゐるやうにフーコーは、「言語に固有な次元を再発見することが、人間と両立しないこと」を明らかにしたのはニーチェだと見てゐますから(『思考集成II』311頁)。「ニーチェがおのれの言語(ランガージュ)の内部で人間と神とを同時に扼殺し、」……(『言葉と物』邦譯326頁)。その限りでは、成程、「神の有無という存在論的な事態よりも」言語に焦點を當ててゐるわけです。けれども、この言語への着目によってルネッサンス時代と我々の十九世紀以降との異同はどう説明されるのかとなると……わからなくなります。怎麼生。 
 導きとなるのは恐らく「ニーチェ・フロイト・マルクス」(大西雅一郎譯、『思考集成II』所收)でせうか。――因みに『思考集成』收録以外の異譯は、『思想』一九九四年十二月號「フーコーの遺産 歿後10年」に載った滝本往人編「ミシェル・フーコー文献一覧」で調べられますが、この「ニーチェ・フロイト・マルクス」にはそこに漏れた邦譯があります。前田耕作譯、『情況』一九七六年五月號、情況出版。「一覧」に擧げられた邦譯は豊崎光一譯(『エピステーメー』II次0號)だけ。ところで、その豊崎譯を『思考集成』の譯文と對照すると、殆ど同文なのです。『思考集成』の方は既譯を下敷きに使ったのかしらん。でも、他の「外の思考」とかでは故人である豊崎の既譯を手を入れる程度でその儘收録したのに、なぜこれだけ豊崎を共譯者ともしないのか……? 
 兎まれそこでフーコーは、古典主義時代を飛ばした十六世紀との對比で、ニーチェ・フロイト・マルクスの三者が開いた近代解釋學を明らめようとします。そこで強調されるのは、彼ら以降、解釋には絶對的な始點も終點も無い、といふことでした。つまり解釋されたものもまた解釋されゆき、解釋の解釋が無限に連なる。 

解釈が決して完成され得ないものであるのは、ただ単に解釈すべきことが何一つないからなのです。解釈すべき絶対的に第一のことは何一つとしてない、というのも、根底においては、すべてがすでに解釈であり、あらゆる表徴=記号(シーニュ)はそれ自体として解釈に差し出されているものではなしに、他の表徴=記号(シーニュ)の解釈であるからなのです。

 (『思考集成II』411頁) 
 十六世紀との對比はかう述べられます。……「実を申せば、解釈は十六世紀に於てすでに限りのないものでしたが、諸表徴=記号(シーニュ)が互いに送り返していたといっても、それは、ただ単に、類似が限られたものでしかあり得ないからでした」(408〜409頁)。「解釈が表徴=記号(シーニュ)に先行するという考え方は、表徴=記号が単一で好意的な存在、十六世紀にはまだそうであったようなものではないということを暗に含んでいます。当時にあっては表徴=記号の過剩と、諸事物が似通ったものであったという事実とが、ただ単に神の好意を証し、透明なヴェールによってしか表徴=記号(シーニュ)を所記(シニフィエ)から距てていませんでした」(413頁)。「表徴=記号(シーニュ)は、ルネサンス期にはまだ保持していた能記(シニフィアン)としての単純な存在を失い、記号の固有の厚みがいわば口を開けるに至り、」……(413頁)。結局フーコーは、「第一義的言葉」とは云はぬまでも何か十六世紀の言説には制限を想定し、それが解かれた所に十九世紀以降の纏まりを缺いた分散となった「言語の存在」がある――と見立ててゐるやうです。おっしゃる通り「少々性急すぎる」論ではあり、ここには再考の餘地があるやもしれず(もう誰か考へてくれた本がありますか?)。 

 ところでフーコーには、prosperoさんの擧げられた「言語論的=修辞学的人文主義」(但しルネッサンス期ではなく十八・十九世紀の)に接近した文章がありました。接近と言っても回避の中で觸れられてゐ、謂はばニアミスに過ぎませんが。『言葉と物』が專ら一般文法について述べたことへの辯明の中で、かう述べてゐます。 

その際私は、一世紀に渡って言語について言われ得たことが、全てそこに含まれているとは主張しなかった。わたしはヴィーコについても、ヘルダーについても、聖書解釈、テクストの校訂及び註釈(これについては次の著作で語ることになろう)、修辞学、言語美学についても語らなかった。

 [……]要するに、私は言語についての認識すべての歴史を書いたのではなく、記号理論や表象理論と結びついて、言語の一般的理論として与えられたひとつの特異な認識論的布置の分析を行なったのである。 

(「ジャック・プルースト宛書簡」『思考集成III』69頁、傍點部は太字にした) 
 ここでもまた、限定するフーコーNo.1162。このリミットをうまくはづして(單に限定解除するのではなしに)、おっしゃる「十九世紀ドイツ人文主義(ハーマン、ヘルダー、フンボルト、そしてヴィーコも含む)」について語った幻の「次の著作」を想像できたなら面白いことでせう。即ち、もう一つの『知の考古學』――石田英敬氏が見たプレオリジナル稿とも異なるそれ――を、です。木田元『ハイデガー『存在と時間』の構築』みたいな? 或いは別の誰かの新著として? 例へばいまカッシーラーに書かせたら? またはアーペルの續篇として? 


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No.1166

区別の指標
投稿者---prospero(管理者)(2004/09/12 11:39:58)


確かに説明の足りない不親切な物言いでした。ご指摘のように、ルネサンス期と十九世紀以降の「言語の回帰」が、類似性をもちながらも截然と区別されるというのはおっしゃる通りだろうと思います。私もそれを否定しようとしたわけではありません。ここで私が考えていたのは、『言葉と物』の分析結果としてそれぞれのエピステーメーがどう区別されるかということではなく、むしろ方法論的な手続きとして、どのようなかたちで区別がなされるかということでした。分析内容ではなく、その方法論を問題にしていたというわけです。ですから、「<第一義的言葉>を基準に、中世・ルネサンスとそれ以降とを区別しているわけではない」と書いたとき、このアクセントは「区別しているわけではない」のところではなく(つまり、区別を否定したいのではなく)、「<第一義的言葉>を基準に」というところにありました。

確かに、『言葉と物』を読み終えた地点から見るなら、たとえかなり漠然とではあっても、ルネサンスと十九世紀以降の区別がつくというのはそのとおりでしょう。その際に、区別の指標として「第一義的言葉」としての神のロゴスをもってくることは、あながち不当ではないかもしれません。しかし、方法論に即して(その意味では、『知の考古学』により近いかたちで)考えるなら、この「<第一義的言葉>を基準として」ルネサンスと十九世紀を分けるというのは、もしかすると「知の考古学」的な着想から逸脱しかねない部分を含んでいるとも考えられます。なぜなら、ここでは「第一義的言葉」という基準の提示がどこから行われたのかが論じられていないからです。そこで最大の問題は、「第一義的言葉」という同一基準で、異なるエピステーメーを比較することができるのかという問題です。二つのエピステーメーを比較可能にする第三の地点は方法論的に許されるのかというのが、問われなければいけなくなるでしょう。仮にそのような比較をしてしまうと、これはフーコーが最初から避けようとしていた「連続性」を密かに回復させることになりかねないのではないか。

ですから、「<第一義的言葉>を基準に、中世・ルネサンスとそれ以降とを区別しているわけではない」と言ったのは、時代の比較のために、歴史全体を貫くある定項のようなものを想定して、その内部での分布の変化としてそれぞれの時代を区別するようなやり方を、フーコーは取っていないということが言いたかったのでした。『言葉と物』の図式に沿っても、神中心的・人間中心的、言語中心的というようなことを語ることはできるのでしょうが、『言葉と物』では、同じ機能を果たす同一の場所を何が占めるか(「神」なのか「人間」なのか「言語」なのか)ということが問題になっているわけではないでしょう。もしそうだとすると、中心的位置を占める存在は変わっても、全体の布置あるいは構造は変わっていないということになりかねないからです。むしろ、フーコーでは、歴史全体を貫く同一基準ではなく、互いに比較不可能なそれぞれの体系ないし構造が問題になってくるのでしょう。ですから、神と人間がそれぞれ中心となるということを語っても、中世・ルネサンスとそれ以降では、その「中心」ということ事態がその意味を変えてしまうというふうに言うべきなのだろうと思います。もう少し言うなら、やはり「…中心主義」というかたちでの整理は、ある種の連続性を呼び込む可能性があるために、むしろ避けたほうがよいのかもしれません。

ということで一応の説明にはなったでしょうか。「言語論的=修辞学的人文主義」への(迂回的な)言及、お教えいただきありがとうございました。読み落としていて気づいていませんでした。確かにいささか意を強くさせられる文言です。下の別の書き込みでも少し触れましたが、ガダマーの哲学的解釈学が、もう少しこうした方面への展開をやったら面白かっただろうにと思っています。その点では、差し当たり、グラッシ(これは理論的には本当は役不足ですが)、そして触れていただいたアーペルは考えられる候補だと思います。しかし、ドイツはドイツで、フランスとはまた違った意味での一国至上主義がありますからね。フーコーが「ニーチェ・フロイト・マルクス」で語る「解釈学」は、シュライエルマッハ → ディルタイ → ガダマーの「解釈学」とはかなり性格が異なっていると思います(「・」と「 → 」の区別は故意にやっています)。ガダマー的哲学的解釈学の中に、超越論的着想とともに入り込んだある種の「人間論(実存主義)」、そして「類似や隣接性の図式など、十八世紀(?)に非常によく使われた概念」(『思考集成 II』、311頁)を払拭して、もう一度言語論の側へと大きくシフトさせないことには、「ニーチェ・フロイト・マルクス」の解釈学とは重なってこないでしょうね。



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No.1164

グラッシのルネサンス論
投稿者---prospero(管理者)(2004/09/11 18:13:18)


ハイデガーの言語論に関してイェーガーをご参照とのこと、確かにあの解説はなかなかの力作だったことを覚えています(それにしても「二百圓」とは!)。研究書についての解説というよりは、それ自体が訳者の研究ノートのような性格のものでしたね。

ハイデガーの場合、記号とは区別される「示現」としての言語をギリシア語に求めるということはかなり頻々に見られます。とりわけそれは、『存在と時間』以降に顕著になっているのですが、その一方では、ギリシア的文化と比べたラテン文明の貶置が見られ、ラテン語の言語活動をある種の記号化の始まり、言語の起源からの逸脱とみなすようなところがあります。そのために、ルネサンス文化に対する積極的な評価というのも、ハイデガーにおいては特になされていません。むしろ弟子のグラッシはそれを不満に思い、ルネサンスの言語論の再評価を(ハイデガー的な視点で)自ら行おうとしたのだと言えるでしょう。そのあたりの事情をグラッシ自身が『人文主義の哲学的問題』(Wissenschafliche Buchgesellschaft 1986)に記しています。

やはり彼にとっても、ハイデガーのギリシア解釈は目の覚めるようなものだったようですが、その一方では、ラテン世界に属するものに対するハイデガーの全面的拒絶には面食らったようです(グラッシはイタリア人ですから)。そんな次第で、ハイデガーの『ヒューマニズム書簡』でのAnti-Humanimusに関しては、その結論を拒否はしないものの、ハイデガーのHumanismus批判の前提となったルネサンス観には意義を唱えるというものになっています。

グラッシ自身は、言語論としてのルネサンス言語論を立ち上げるに際して、その枠組みとして、「論理的・数学的言語」vs「文学的・詩的言語」という対立に乗っています。いわば「記号的言語」と「示現的言語」を対比して、後者を擁護するというものなのですが、これは実はかなり危険な対立だと思います。この対立に固執すると、素朴な先祖返りのようなことを主張することになりかねないからです。ハイデガーの後期の言語論の危うさの一つもそこにあるのですが、ハイデガーの場合は、そこを存在論的なさまざまな問題設定を加味することによって、そこをかなり精妙に押さえようとしているのに対して、グラッシ的な方向はそこを単純に飛ばしてしまう惧れがあるようです。行き着くところ、「<つねにすでに>風の汎時的な解法は、歴史性を無化する難があります」と森さんの仰しゃる轍にはまりかねないのです。

おそらく、グラッシを含め、解釈学的・人文主義的傾向をもつ思想は、一つ間違うとひどく素朴な教養主義に陥りかねないところがあります。おそらくこの点を指摘しているのが、フーコーの次のような文章でしょう。
「18世紀に非常によく使われていた概念を使用して人間科学を構築しようとか、それを基礎づけようなどということ、そんなことは知的にはおよそ卑怯だと思われるし、ニーチェがすでに一世紀ほど前に示してくれた事実を確認することにしかならないでしょう」(『思考集成II』p. 311)。
哲学的解釈学が、なぜ伸び悩んでしまったのかということの要因は、おそらくこうしたところに求められるようにも思います。彼らは19世紀的な実証主義への反撥のあまり、言語の有機的成長や、詩的言語の創造性という18世紀末から19世紀初頭にかけての問題に触れながら、同時に19世紀的な人間主義(その末裔である人間主義)に引きずられすぎたところがあるようです。上記の引用に続けて、フーコーはこんなふうに語っていました。「「記号がある所には人間はありえず、記号を語らせる場においては、人間は沈黙しなければならない」。

これ以上深入りすると、本当に『知の考古学』に戻れなくなりそうなので、また話題が一巡したところで帰ってくることにしたいと思います。


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No.1160

個は語りえない individuum est ineffabile
投稿者---prospero(管理者)(2004/09/07 14:24:57)


individuum est ineffabile(個体は言表不能である)という思考の転換として、臨床医学を見るというのもなかなか新鮮なアプローチですが、何よりもフーコーらしいのは、「具体的な個体が、初めて合理的な言語にむかって開かれた」というふうに、それをあくまでも言説との関係で捉えている点でしょう。

ここで問題となっているのは、個体についての「思想」ではないのですよね。個体をめぐる思考ということでなら、例えば、古代末期のpersonaをめぐる一連の神学論争(坂口ふみ『<個>の誕生 ―― キリスト教教理を作った人びと』岩波書店、などを参照)、あるいは12世紀における個人意識の芽生え(モリス『個人の発見 1050-1200年』日本基督教団出版局、などを参照)など、思想史の中でのいくつものトピックスを拾うことができるでしょう。ご指摘のhaecceitas(「このもの性」)なども典型的なものでしょうね。そしてまた、この個体性の理解をめぐっては、中世末期から、ライプニッツを始めとして、ある種の個体論の系譜を考えることができるわけです。その最も現代的な形態が、ディルタイからガダマーへの解釈学ということになるでしょう。あるいは、死への注目ということでなら、アリエスの『死の歴史』辺りを考えることもできるでしょう。しかしフーコーが語ろうとしたのは、こうした思想史・社会史の中での「個」ないし「個人」ということではなく、「個」が有意味に語られる言説のネットワークの成立ということになろうかと思います。

 こうして、『臨床医学の誕生』や『監獄の誕生』では、「言説的實踐を非言説的實踐との關係において攻究した」と、森さんの仰しゃるのは理解できます。私も『言葉と物』と『知の考古学』では、言説の次元が自律的なものとして、普遍化して捉えられているという具合に整理をしています。とはいうものの、ここにはやはり判然としないところが残ります。「言説的実践」と「非言説的実践」という区別は、果たしてどこまで維持されるべきなのか、あるいは維持されうるのかという問題です。「水平軸」を語る以上は、それと直交する垂直軸を想定することになるかとも思いますが、果たしてこの両者の関係はどのように理解したらいいのでしょうか。

 それからもう一点、これはもう少し話しが進んでからのほうが良いのかもしれませんので、いまここで解決したいというわけではありませんが、やはり「人間ではなく諸言説の、さらには言表の、個別化(=個體化)」と仰しゃられることの内容が、いまのところあまりきちんと掴めていません。『臨床医学の誕生』でも、個体が語られることになると同時に、個体自身が語るものとなる ―― つまり客体が同時に主体になる ―― という意味での個体化が指摘されていると思うのですが、これとはまた違った事柄が想定されているようにも思います。とりあえず、いまのところ、問題提起という意味で、質問というよりは指摘だけさせていただきます。


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No.1162

限定するフーコー
投稿者---森 洋介(2004/09/09 10:20:02)
http://y7.net/bookish


 差し出された二つの疑問のうち、第一の問ひは、殆ど同じ文句がフーコー當人に向けて問はれたことがあります。「その言説外的なものと言説的なものとをどのように関係づければよいのでしょうか」(「ミシェル・フーコーとの対談」『思考集成IV』42頁)。これへのフーコーの答を書寫すべきでせうか。しかしその前に御注意を。上の質問文は、prosperoさんとこの對談の質問者とで共有されながら前提が異なるのです(よって同じ文ではあり得ても同じ言表ではない)。 
 prosperoさん曰く、「『言葉と物』と『知の考古学』では、言説の次元が自律的なものとして、普遍化して捉えられている」。さう、自律的な――とはいへそれは相對的自律性であり、幾重にか限定が掛かってゐました。「けれども、そうした言説の自律的な層の記述が興味深い〔=利點がある〕のは、実践とか制度とか社会的政治的関係などの別な層と関連づけ得た度合いに応じてのことです。たえず私の念頭につきまとっていたのはそうした関連です」(ベルール『構造主義との対話』邦譯113頁/「歴史の書き方について」『思考集成II』437頁)。かうした非言説的な實踐(pratiques)への留保をフーコーはあちこちで何度も述べてゐます。「『言葉と物』において、前とは逆のかたちでの試みを行った。すなわち、実践的及び制度的側面について、いずれまたそこに立ち戻るという計画を保持しつつそれを一時的に宙づりにし、」……(「研究内容と計画」『思考集成III』295頁)。言説の場の自律性は限定され、「普遍化」を阻まれてゐるのです。「「エスプリ」誌 質問への回答」でも『臨床醫學の誕生』を例に、科學的言説がどのやうに政治的實踐と關はるかを示さうとしたのだと説いてゐます(『思考集成III』90〜95頁參照)。だから、「「言説」のみが「実在」するのであり、また現実とは、語られた言説の中にのみ存在する」「「知の考古学」のために」といった一元論は、フーコー自身には見られません――ラクラウ&ムフの社會理論やヘイドン・ホワイトの歴史認識論やの問題ではあっても(或いはここでも「フーコー」といふ名の單位=統一性を擴張すべきか?)。「ディスクールはすべてではない。フーコーはフランス(ル[リ?]クール)やドイツ(ガダマー)の解釈学的な哲学の文脈に沿って、新たなディスクールの理論を展開しているのではない。」「フーコーは、純粋かつ単純に世界とはディスクールだと信じているわけではない。むしろ彼は、研究をすすめる歴史家の種別的な問題に直面する」(C・レマート&G・ギラン『ミシェル・フーコー 社会理論と侵犯の営み』日本エディタースクール出版部・1991.10、110頁、74頁)。 
 實際、常に一般論を避け、限定しながら語るのがフーコーの話法でした。一方において屡々凡庸なまでに圖式的であるにせよ、です。領域を限り、時代を區切り、局面に分割し、問題設定を絞り込み、……。「「エスプリ」誌 質問への回答」でも「私は多元論者なのだ」と繰り返してゐます(白井健三郎譯『アルケオロジー宣言』。『思考集成III』では「複数形派」「複数主義者」と譯し分ける)。諸々の、樣々な、といった修飾句が附され、個々の事例は一概に片づけられなくさせられ……。臆病な責任回避とも見えかねぬ程の限定ぶり。避けてゐるのは、一般化といふよりも全體化と言った方が適切でせうか。「全体性」を目指すよりは「みずからすすんで部分的なものであろうとする方法論」……「つまり哲学はみずからの任務を制限し限定しようとしているばかりではなく、みずからを相対化しつつあるようにも思われるのです」(「フーコー教授、あなたは何者ですか」『思考集成II』465〜469頁參照)。 
 以上を前提とし、御質問に戻ります。「「言説的実践」と「非言説的実践」という区別」に就ては、いかにも、「どこでディスクールがおわり社会生活そのものがはじまるのか、という問いにこれまではっきり答えることなく、ディスクール的プラチックを社会的プラチックに関係させているように思われる」(レマート&ギラン前掲書209頁)。「両者の関係」についても同樣。しかしこれも一般論では語れず個々の對象により異なる問題だとすれば、今迄やった仕事を見よ、といふ答になるわけでせう。それに最初に擧げた如き質問がある以上、少しは理論化して答へてない訣ではない。他の對談等も併せ見た所、「知の考古學」といった場合、研究方法である「考古學」よりも「知」といふ對象領域の設定の仕方において、言説と言説外實踐との遭遇を見出さうとしてゐるやうです。科學=學問ではなく、かといって誤謬から成る前科學でもない「知」。カッシーラー評での「哲学と省察に優位を与え、そのことを疑問視しない」以下(『思考集成II』377〜378頁)も、對象領域の劃定に關はる批判でせう。より詳しくは『知の考古學』を讀み進めながら檢討できれば、と思ひますが。 
 この諸實踐を絡めた「知」といふ領域設定は、のち『監獄の誕生』を經て「知−権力」といふ線に移行してゆくわけです。但し注意――「単純な解説を鵜呑みにして、我々は次のように考えがちだった。フーコーの分析対象は言説から権力へと移行したのだ、と。その際、『知の考古学』における非言説的実践への拘りは、その後漸く姿を現わすことになるであろう権力の概念を既に暗示するものであった、とも」。ところが、逆に「言説的領野と非言説的領野との関係を扱う垂直軸の分析から何もかもが始まったのだ」(澤野雅樹「言葉という反−宇宙が誕生するのと同時に フーコー'67年の發言から」『死と自由 フーコー、ドゥルーズ、そしてバロウズ』青土社・2000.6、92頁)。このことは、フーコーが『言葉と物』に就て語る時いつも前著『狂氣の歴史』『臨床醫學の誕生』を一系列として參照させる所に見られる通り。――が、だからと言って、權力論への道行きが唯一必然だったとも限りますまい。「知は力なり」とはいふものの、無力で役立たずな「知」だってある。たとひフーコーに逆らはうとも今少し『知の考古學』上に留まって考へるなら、言説といふ領域を或る種の(どの?)限定内で自律性を保たせつつ、違った展開をさせる道も見えて來ないかと思ってゐます。 

 第二の疑問に答へる紙幅がもうありません。要は、『臨床醫學の誕生』『監獄の誕生』で論じる個體化が個人化とも譯せる人間の個體化であるのに對し、『知の考古學』では個體化される對象が人間でなく言表だ、といふ見立てです。――「客体が同時に主体になる」やうな「經驗的=超越論的二重體」(『言葉と物』邦譯338頁)が、その折れ目を「人間」から「言語」へ移動させた?(石田英敬「「言語の世紀」と言語態の問い」『言語態の問い』東京大学出版会、39頁註56) ――ハイデガー流存在論の特權的な存在者が人間ではなく言語になったとしたら? 


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No.1167

では『知の考古学』を
投稿者---prospero(管理者)(2004/09/14 15:22:32)


脱線が面白く、道草を食っていたので、本来なら本筋のこちらの問題へのリアクションが遅れてしまいました。

なるほど、「限定」というのはフーコーを考える際に、一つのキー・ワードとして使えそうですね。言説の「相対的自律性」は、「相対的」である以上、言説外の活動との緊張関係の中で、そのつど築き上げられるという説明も理解できます。「<知>といふ對象領域の設定の仕方において、言説と言説外實踐との遭遇を見出さうとしてゐる」ということにも同意します。観点は違いますが、Scriptoriumの「知」の項目に、多少それに類することを私なりの視点でまとめておきました。どのようにして「知」という相対的に自律した領域が確定されていくのかというその機制がフーコーにとっては最大の関心なのでしょうし、「哲学的」で「普遍的」な言説の一般理論を構築しようとしているわけではない(というかたちで自らを「限定」している)ということになるのでしょうね。ある時代に確定したエピステーメー、あるいは自律的な言説形成体の内部にとどまると、その知的枠組みが普遍性の錯覚を惹き起こすというような論理も働いているのでしょう(これなどは、ニーチェ的意味での「系譜学」の発想ですね)。ですから、フーコーが目を凝らそうとするのは、あるエピステーメーの内部の構造というよりは、それぞれのエピステーメーが歴史的に切断される隙間、あるいは亀裂なのだとも言えるでしょう。「知とは、内的構造の契機的以降において考えられた科学ではなく、科学の実際の歴史の場なのである」(『思考集成 III』135頁)。

一応そこまで確認して、さらに言説と言説外実践の境界は、そのつどの両者の鬩ぎ合いによって決まってくる以上、一般論としては語れないということも、その通りとしましょう。私としても、、「「言説」のみが「実在」するのであり、また現実とは、語られた言説の中にのみ存在する」と書いたのは、あくまでも言説の背後の「意味」や「著者の意図」との対比で語ったのであり、言説外実践すべてをそこで想定しているわけではありませんでした。「言説の普遍化」というような言い回しは、おそらくその内容をもう少し詰めなければいけないものなのでしょう。

さて、それにもかかわらず、やはり「言説」のあり方というものの「論理」、要するに方法論は何らかの仕方で語られなければならないのではないでしょうか。だからこそ、『知の考古学』が書かれているはずです。そこで、見立てとして、こんな図式を立ててみましょうか。『言葉と物』は、非言説的実践を留保し、一時的に棚上げする(あるいは、それを「言説」による囲い込みの側からのみ考察する)という「限定」を行っているという点では、カントが実践を括弧入れして、理論理性のみを語った『純粋理性批判』のスタンスと平行しているようです。そうなると、カントが『実践理性批判』を必要としたように、フーコーも『言葉と物』以降に、言説外実践の問題を取り上げたいうことにもなるでしょうか。しかし、いま一番の問題は、これらの二分野の対応ではなく、やはりそれらを反省する第三の地点の取り扱いです。つまり、『知の考古学』は、『純粋理性批判』と『実践理性批判』をつなぐ『判断力批判』の位置を占めるか。

果たして、『知の考古学』は、それ自体が一つの言説の遂行として、他の著作と同じ平面にあるのか、あるいは「方法論」として、他の著作とは(メタレベルかどうかは別として)異なった平面を動くのか。この辺りが、『知の考古学』という著作を読みながら、詰められれば良いと思っています。

ということなので、そろそろ『知の考古学』本体のノートを始めましょうか。個体化の問題も刺激的だと思いますが(概略としては、いまのところ森さんの仰しゃる方向は納得しました)、これもその際にあらためて。ただ、九月後半以降は、更新が多少まばらになるかもしれませんので、その点はご了承ください。

もちろん、このスレッドをさらに膨らませていただいても一向に構いませんが。



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No.1169

ちょっと仕切り直して
投稿者---森 洋介(2004/09/15 02:54:41)
http://y7.net/bookish


 『知の考古學』に進む前に、前哨戰の「「エスプリ」誌 質問への回答」と「科学の考古学について 〈認識論サークル〉への回答」につき、大雜把な總括と文獻的なことなどから、二三述べておきます。 

 「「エスプリ」誌 質問への回答」は七つの節に別たれてゐます。假に數字を順番に振ると、1はほんの枕に過ぎず、2〜4は提出された質問を言ひ換へることに費やされてゐる。2〜3は、體系(システム)、不連續、といった語を多元的に(複數形で)捉へるべき所以を説き、4では「精神の歴史」ではなく言説についての考古學だ、と。 
 これによって質問文の語句は、「「諸言説の歴史のなかに体系の多様性と不連続性のたわむれ[jeu ゲーム]」を導入するための試み」と言ひ換へられた上で(『アルケオロジー宣言』31頁、傍點は太字に變更/『思考集成III』83〜84頁)、それが政治的實踐と如何なる關係を持つかの問題が、二つの問ひの形で再提出される。一連の批判的操作は「進歩的政治」を失效させるものだったか、分析した對象は「進歩的政治」の實踐に如何に連節され得るのか。――ここまで、前者は5で檢討されます。答へて曰く、批判したものは「進歩的政治」に必要不可缺なものとではあるまい、と。6では『臨床醫學の誕生』を例に、科學的言説と政治的實踐の從來看過されてきた關係の仕方を對象として分析するものであった、と。7はまとめて結論。 
 さてここでは初めNo.1152にも申した通り、質問に制約された「政治的實踐」とか「進歩的政治」とかの物言ひは脱色して讀めませう。「政治的」といふ形容詞を除いた限りでは、6での言説と實踐の關係性を考へた例は興味深い。但しそこには混同が見られます。言説(的實踐)が非言説的實踐と如何に關はるかを獨自な視角で分析したにせよ、その認識は、分析者自身の何らかの實踐(特に政治的なそれ)と結びつく保證は無い。(政治的)實踐を認識對象とすることとそれを(それによって)躬行することとは別な筈。だのに、「いったい何の名において、既存の体制に反駁を加えようとするのだろうか」(J=M・ドムナック「構造主義の登場」『構造主義とは何か』)。――「この問いに対しては、私がとくと考えるに、政治的以外の答えはほとんどない。今は、それを留保しておこう」(邦譯『知の考古学』「結論」316頁)。結局、認識對象としてでなく爲すべき行爲としての實踐を問題にすれば、やはり『知の考古學』の枠からは外れてしまふわけでせう。 

 「科学の考古学について 〈認識論サークル〉への回答」は五節に別たれ、各節に見出しが附されてゐます。「1 歴史と不連続性」「2 言説の諸出来事の場」「3 言説の編制と諸実定的領域」「4 知」「5 数多くの指摘」(白井健三郎譯)。うち1〜3は、『知の考古學』の「I 序論」から「II−2 言説の形成と編制」までとかなり重なり、殆ど同文が相互に對應します。兩者の異同について『アルケオロジー宣言』では譯註に記してゐます――但し專ら語句單位の異同のみ、文單位以上の插入・削除は掲げませんが。 
 となれば、「科学の考古学」の第3節迄については『知の考古學』本文を讀みながらそれと異同を對照させつつ讀解しても濟むかとも思ひます。しかし4節以下の「知」「幾つかの注意」(『思考集成III』石田英敬譯)については、『知の考古學』に對應する箇所が見出せず、異文として處理はできなささうです。これは『知の考古學』のもっと後の章を見る時に參照すべきでせうか。それとも、それを先取る形で、「知」について檢討しておいた方がよいのでせうか(また脱線しさうですが)。 

 『知の考古學』の準備段階にあるこの兩文で共通した問題は、一つは單位=統一性に就てでした。これはいいとして、今一つ、不連續性の歴史への導入に就ても注意したい所です。「歴史を――しかも歴史家自身の歴史を対象として歴史家にたいして提供するこの断絶から出発してでなければ、歴史家は事実上どこから語ることができるのだろうか?」(『アルケオロジー宣言』85頁/『思考集成III』104頁)。これは逆に言へば、現に何か歴史について語り得るとしたら、それは對象とする過去とそれを記述する現在との間に非連續の斷絶が(たとひ氣づかれぬ所でにしろ)既に生じてゐるからだ、といふことになります。とすれば、フーコーの考古學では現在そのものは扱へない。常に不連續性の龜裂が走った後で、その斷層から前の時代を扱ふことができるだけです(ミネルヴァの梟?)。 
 我々が屬する「近代」なるものに言及する際のフーコーの躊躇ぶり(蓮實重彦「フーコーと十九世紀」『ミシェル・フーコーの世紀』筑摩書房・1993.10)。フーコー自身、「古典主義時代に対しては、記述するだけでよかったのですが、[……]近代からは身を引きはがす必要があるのです」と談ってゐます(「歴史の書き方について」『思考集成II』448〜449頁)。その意味で、詰らぬ本ながらボードリヤール『誘惑論序説――フーコーを忘れよう』が、フーコーを古典主義時代最後の恐龍と名指した箇所は當ってゐませう(国文社・1984.4、11頁)。prosperoさんも指摘したやうに「語られているエピステーメーと、それを語っているフーコーの視点はいつでも乖離したままである」「歴史への態度」。ここには、理論と實踐との間で見た乖離が、再び別の相の下に現れてゐるのでせうか? 詰る所、自己理解とは違ふ形での現在性の系譜學とは如何にあり得るのか……。 

 ついでに。『思考集成III』の二つの譯文は白井健三郎譯『アルケオロジー宣言』と較べると全體にこなれた日本語で讀みやすくなってはゐるのですが、氣になる箇所もチラホラ。リカードをフランス讀みで「リカルドー」とする類(126頁、『思考集成II』433頁では「リカルドゥー」)にも萎えさせられますが、ひどいのは一センテンス素っ飛ばして、白井譯には在る文が脱落してゐたりもする(『アルケオロジー宣言』47頁9行目以下と『思考集成III』93頁7〜8行目とを勘合のこと)。監修者は名ばかりにしても、『思考集成』各卷の編者と筑摩書房編輯者は何をやってゐたのやら。 


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No.1171

非連続性と自己言及
投稿者---prospero(管理者)(2004/09/19 14:31:58)


「科学の考古学について」と『知の考古学』の異同はご指摘の通りだと思います。その点では、「知」と「幾つかの注意」の扱いに少々困って、「知」のみを簡単にメモして、とりあえずあとは留保しておくかとも思っていました。ですが、折角ですから、「科学の考古学」については、これはこれとして、一応通して検討しておきましょうか。追って、「幾つかの注意」をメモしたいと思いますので、「知」の該当箇所について何かあれば、その間にご検討お願いします。

さて、「不連続性」や「断絶」といった問題は、なんとも悩ましいところです。「古典主義」についての記述と「近代」についての処理の相違というのは、「歴史の書き方について」で言われているところに従うと、「古典主義」に関しては、「一方では16世紀と、他方では19世紀と対立させる二重の差異によって、固有の布置において定義することができ」(『思考集成 II』448頁)るという点が挙げられていますね。それに対して、近代は17世紀以降とわれわれ現代とを対比させることによってしか定義できない、と。これを読むと、「古典主義」はその両端の側から挟まれているので正確な限定が可能だが、現代は対比する項目が一つしかないので、どうしても記述がぶれてしまうというふうに受け取れます。しかし、この言いようもなかなか曲者で、これをまともに受け取ってしまうと、数直線の上で、ルネサンス → 古典主義 → 近代(1790/1810-1950) → 現代(1950-)が整然と並んでいるかのような印象をもってしまいかねません。

そのように受け取ってしまうと、問題となるのは、あくまでも対象の側の性質ということになってしまいますが、むしろここで押さえておくべきことは、対象のあり方の相違ではなく、方法論の相違だろうと思います。 つまり「古典主義」の分析と、「近代」の分析では、分析者の態度がどのように異なるかというのがまずは問題になるでしょう。そこで、「科学の考古学」の前半で記述された、「非連続性」の三種類を思い出しておくのは無駄ではないかもしれません。言ってみれば、「古典主義」を区切る非連続性は、そこで言われている第二の非連続性に当たるのに対して、「近代」の分析では、まずは第一の非連続性が主眼になるというふうに考えてみてはどうでしょう。「古典主義」に関しては、ルネサンスと19世紀近代との相違という点では、まずは漠然と第一の非連続性が予料されたうえで、分析を経て時代区分としての第二の非連続性に至る。これに対して、近代の時代区分は、まず現代との相違によって最初の非連続性自体を設定しなければ話しが始まらない。ここでは、語り手の視点自身が分析対象に含まれてしまうので、その第一の非連続性を摘出するのがより困難とになるいう事情が働いているのではないでしょうか。それが、「近代からは身を引きはがす必要があるのです」という文言の方法論的な意味合いではないか。分析者自身の視点の問題、まさに「現在性」の問題ということになろうかと思います。

(ついでに触れておくと、では「第三の非連続性」はどこに位置するのかという問いが残ると思います。「非連続性」という概念自体の役割とその変動そのものに関して言われているこの「第三の非連続性」が、方法論的には最も厳密に非連続性が規定されるべき部分だろうと思います。見通してとしては、この意味での「非連続性」が『知の考古学』では、中心的に問われなければならないのではないかと考えています。もちろん、この三種の非連続性というのもの、「知の考古学」の中でさほど厳密に詰められているわけではないので、こう考えなければならないというほどのものではありませんが、ある程度の整理にはなるかと思います。)

古典主義と違って近代を語るのが難しいというのは、まさに近代を語ることは、それとの断絶というかたちで自らの視点を同時に語らざるをえなくなってしまうからだということが考えられるでしょう。一種の自己言及が起こるわけで、この処理は当然困難が予想されます。「自己理解とは違ふ形での現在性の系譜學とは如何にあり得るのか」 ―― この問題が本当に難所ですね。これを考えるためにもやはり『知の考古学』を読む意味はあるかなという予想の下に、この問題は追い追いに。


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No.1172

フーコーと十九世紀
投稿者---prospero(管理者)(2004/09/20 13:47:33)


 いま、言及のあった蓮見重彦「フーコーと十九世紀」(『ミシェル・フーコーの世紀』筑摩書房、所収)を読んでみました(読んだかどうかさえ忘れていたので)。森さんの整理以上に特に優れた論点もないように思います。近代を語ることに対するフーコーの躊躇を説明する論点は大きく二つに整理できるでしょう。

 まず一番め。「……<近代>という概念に対するフーコーの躊躇いは、われわれがいまだに十八世紀末のエピステーメーの転換の余波の中で生きていることを物語っている。換言すれば、西洋のエピステーメーにおける人間の出現は、ある特定の<時代>におこった歴史的出来事なのではなく、反復される現代(同時代)の考古学的問題なのである」(363頁)。

 これは、歴史的帰属性という観点から、現代を語ることの困難を指摘した文章です。しかしこれだけですと、いわゆる解釈学的な「帰属と疎隔の弁証法」との違いは見えません。語るためには距離が必要だが、歴史を語る場合は、語る視点自身が常に語られるべき歴史の中に属してしまっているという例の問題です。解釈学の場合は、この循環を「反復」することで、自己理解・歴史理解の深まりへと向かおうとするわけです。しかしフーコーの考古学は、そうした新たな連続性の創出をも牽制し、歴史を理解する「主体」を消去しようという方向を取ろうとするわけでしょう。ですから、上記の引用のロジックをただちに「考古学的」というかたちで形容するのは、いささか短絡的かもしれません。

 そこで、第二の論点。「まなざしの優位が最初から否定されている考古学的分析では、差異化のシステムをも含めたすべての差異がもつれ合い、それを、主体が見究め、司る。そのとき、フーコー的<集蔵態>は、錯綜させる<錯綜>としての様相を呈し、考古学は、そこに絡めとられた一人の存在による、もつれを解きほぐす作業として確立するのである」(366-367頁)。こちらのほうが、事情を正確に記述しているようです。しかし、やはり問題はあります。考古学が、「眼差しの優位」を否定するというのはその通りでしょう。しかしそれにもかかわらず、ここにある「主体」の言及があるというのはどういうことなのでしょうか。具体的には分析者としてのフーコーを指すのでしょうが、これは何かの説明になっているのでしょうか。少なくとも、分析者の「現在性」 ―― 「自己理解とは違ふ形での現在性の系譜學」の問題 ―― に関しては、これは単なる事実の確認にすぎないように思います。特権的な眼差しが存在しないのにもかかわらず、自分の属しているシステムをある程度相対化して語るということは如何にして可能なのかということが問題なのに、結局はその事実を確認して終わっているような感が否めません。本来なら、ここで言う主体の「位置」が、あらためて主題として論じられなければならないはずです。それが論じられていない以上、この論文は、フーコーが「近代」ということを曖昧にしか語っていないという最初の疑問から一歩も進んでいないということになりそうですね。

 解釈学的な現在と歴史の弁証法ではない、かといって客観的な歴史叙述でもない、そうした「考古学」の論理はいかなるものか、これはやはりなかなか一筋縄では行かないようです。


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No.1173

現在中心主義の微差
投稿者---森 洋介(2004/11/30 03:35:05)
http://y7.net/bookish


 御無沙汰でした。私事に忙殺されるうちふた月經ってしまひましたが、その間、他に讀書會へ參加される方も現れぬやうで。これはやはり書き込み方が拙かったのでせうか。とはいへ自分では改善法も思ひつかぬまま、またちょっと書き込んでみます。 

 蓮實重彦「フーコーと十九世紀」についてprosperoさんの評には同感です。

>少なくとも、分析者の「現在性」 ―― 「自己理解とは違ふ形での現在性の系譜學」の問題 ―― に関しては、これは単なる事実の確認にすぎないように思います。

 實際あの文章の取り柄は、言説分析が「近代」を安易に語れないことをフーコーのテキストの具體的な箇所を擧げて指摘してあることに盡きます。では如何にすべきなのか?――確かに、その「疑問から一歩も進んでいない」。 
 それは個々の實踐において解決さるべき問題なのかもしれません。例へば葛山泰央『友愛の歴史社会学』(〈現代社会学選書〉岩波書店・2000.11)は件の「フーコーと十九世紀」を注で長々と引きつつ(38〜39頁)、結局「友愛」といふ主題の選定においてその解決を示さうとしたもののやうです。でも、どうして「友愛」なのか――は、私には必ずしも得心がゆかなかったのですが。 
 フーコーに即せば、それはやはり『知の考古學』といふ方法論に續く『監獄の誕生』といふ實踐篇にその解決が見られるのでせうか。ここで注目したいのが、その第一章末尾の序言めいた締め括りです。「こうした〔…〕監獄についての、私は歴史を書きあげたいと思うのだ。それはまったくの時代錯誤によって、であろうか。私の意図を、現在の時代との関連での過去の執筆であると理解する人には、そうではない。だが、現在の時代の歴史の執筆であると受けとる人には、そうなのである。」(邦譯35頁) 
 曖昧で、微妙な表現です。「現在の時代との関連での過去の執筆」と「現在の時代の歴史の執筆」とは一體どう違ふといふのか。この箇所をドレイファス+ラビノウ『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』(筑摩書房・1996.7、174頁〜)が引いて、説明を加へてゐます。ここでフーコーは「現在中心主義」の誤謬を避けようとしてゐるのだ、と。なるほど、適切な補助線です。それはわかるのですが、さらに同書は現在中心主義とは「現在との関連から過去の歴史を執筆している」ことであり、對してフーコーがしたのは「現在というものの歴史を執筆する」ことの方だった、とするのです。これには目を疑ひました。とんでもない、逆さまです。 
 先の『監獄の誕生』の一節を讀み直して下さい。「……だが、現在の時代の歴史の執筆であると受けとる人には、そうなのである。」――「そうなのである」とは、「時代錯誤」であるといふことでせう。そして語の本義での時代錯誤(anachronism)こそは、現在中心主義です。「現在、かくかくであるから、というので、それを過去の中にもち込む歴史的に「身勝手な」解釈をアナクロニズムと呼ぶのである」(外山滋比古『近代読者論』「「場」の錯覚」)。「そうではない」――時代錯誤でない――ためには、「現在というものとの関連における過去の歴史の執筆」であらねばならぬ筈。それをドレイファス+ラビノウのやうな讀解をしては、フーコーが自らアナクロニズムを志したことになってしまふ! 「すべての歴史は現代史である」(クローチェ)ぢゃあるまいに!!
 このやうな致命的な誤讀があると、幾ら示唆に富む記述を含んでゐても、本全體が信用できない氣にさせられます。邦譯者も、をかしいと氣づかなかったのでせうか。それとも、眞逆もしかして、誤讀をしてゐるのは私(だけ)なのか? 世評の高いこの共著に疑問をつきつけたものを未だ知りません。例へばドレイファス+ラビノウのこの節を引いてゐる柳内隆『フーコーの思想』(ナカニシヤ出版・2001.10、62〜63頁)にしても、「フーコーは自らの系譜学を「現在というものの歴史の執筆である」とした」と述べて、何ら疑問の素振りすら見せてゐないのです。うう、段々自信が無くなってきた……。 
 因みにその柳内隆『フーコーの思想』は、ハーバーマスがフーコーの「意図せざる現在中心主義」を批判したことを紹介し、その擁護論としてドレイファス+ラビノウの共著を引いてゐたのでした。そのフーコー批判は邦譯ハーバマス『近代の哲学的ディスクルスII』(岩波書店)490頁以下に見えます。ところが同書の先立つ箇所442頁では、ハーバーマスは、フーコーは「歴史記述の現在中心主義(Prasentismus)から訣別する」と述べてゐたのです。……いささかの矛盾。現在中心主義を克服しようとしたが意圖せぬまま再び現在中心主義に陷った、といふ辨證法的(?)展開でも想定してゐるのか? この邊、充分な説明はありません。 
 ともあれハーバーマスと雖もフーコーに現在中心主義への批判があったことは認めるわけで、それが他方で現在中心主義と目されるものとの間に、どういふ關係を有するのかが問題になりませう。思ひつきですが、ここでは微差を含んだ異なる二つの現在中心主義が重ねられてしまってゐるのではないでせうか。つまり、「現在というものとの関連における過去の歴史の執筆」と「現在というものの歴史の執筆」との微妙な差異を、一つの「現在中心主義」として混同してしまってゐるとしたら? ドレイファス+ラビノウの「誤讀」も、その微妙さに惑はされたものだと言へないか? ――さう考へられるなら、誤讀してゐるのは彼らであって私の方ではないといふことになり、安心なのですが。これ、どう思はれます? 




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No.1177

いささか剣呑な
投稿者---prospero(管理者)(2004/12/08 21:39:37)
http://members.at.infoseek.co.jp/studia_humanitatis/


こちらこそ、ずいぶんと間が空いてしまいました。しかも差し当たり、あまり大した応答もできないのですが、いま一つ気づいたことをまず一言書き込んでおきます。

ご指摘のドレイファス+ラビノウ『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』は、哲学的な解説としてはいろいろと納得のいくことも多かったように記憶していましたが、くだんの箇所は気づきませんでした。太慌ててひっくり返してみると、確かに珍妙です。たまたまドイツ語訳をもっていたので、該当箇所を見て、また違った意味で目を疑いました。

試みにその部分をドイツ語から直訳してみます。「……私は、過去の歴史を現在の概念の内にはめ込もうというつもりはない。何よりも私の意図は、現在の歴史を書くというところにあるのだ」(Michel Foucault. Jenseits von Strukturalismus und Hermeneutik, 1994, S. 147)。念のため、ドイツ語本文も。Nun, ich habe nicht vor, die Geschichte der Vergangenheit in die Begriffe der Gegenwart zu fassen. Wohl aber ist es meine Absicht, die Geschichte der Gegenwart zu schreiben.

これは一体どうしたことでしょう。邦訳の該当箇所とはまったく逆です。これですと、少なくとも表面上は、邦訳のドレイファス+ラビノウに見られる ―― 森さんの指摘された ―― 矛盾は回避されていることになります。つまりドイツ語版を見る限り、少なくとも文字面のうえでは、辻褄が合ってしまっているのです。独訳で使われているのは、『監視と懲罰』の既存の独訳のようなので、もしかすると、これが最初から違っているのでしょうか。

幾つかの可能性が考えられますが、その最大のものは、邦訳の『監獄の誕生』がそもそも該当箇所を誤訳しているというものです。『監獄の誕生』のフランス語原典をもっていないので、早速入手して来ることにしましょう。

これだけはっきり違うと、どれかはかならず「誤訳」と断じなければならないことになるはずで、いささか剣呑ではあるのですが。

内容的な吟味はまずそれがすんでからということで。


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No.1179

Re:いささか剣呑な
投稿者---森 洋介(2004/12/09 00:22:43)
http://y7.net/bookish


>幾つかの可能性が考えられますが、その最大のものは、邦訳の『監獄の誕生』がそもそも該当箇所を誤訳しているというものです。

 その場合、邦譯のドレイファス+ラビノウ『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』(該第五章:北尻祥晃譯)も誤譯を踏襲したことになりますね。この邦譯は凡例によればDreyfus & Rabinow原著が英語譯から引用してゐるのをわざわざ佛語原文から譯し直したさうで、それゆゑ同書174頁の『監獄の誕生』からの引用文は新潮社版邦譯(田村俶譯、35頁)と少し異なるのですが、どのみち同じ誤譯を重ねたことになります。一應、それを書寫しておきます。 

……監獄についての歴史を私は書きたいと思う。それはまったくの時代錯誤であろうか。私の意図を、現在というものとの関連における過去の歴史の執筆であると理解する人には、そうではない。現在というものの歴史の執筆であると受けとる人には、そうである。 

 ほかに、英譯版“Discipline and Punish”の譯文も檢索したら見つかりました。 

I would like to write the history of this prison, with all the political investments of the body that it gathers together in its closed architecture. Why? Simply because I am interested in the past? No, if one means by that writing a history of the past in terms of the present. Yes, if one means writing the history of the present. 

 語學はからきしなので更に日本語に譯すことはどなたかにお任せしますが、兎まれこの英譯には邦譯での「時代錯誤」に當る語が無いやうで、また獨譯は獨譯でそれを自問自答する構文から離れてゐるやうです。歐米での飜譯は字句に拘泥する日本の譯者と違ってかなりくだいた自由譯をするとは聞いてゐましたが。

>『監獄の誕生』のフランス語原典をもっていないので、早速入手して来ることにしましょう。

 お手數お掛けして恐縮ですが、些末事に拘泥する癖なものでご確認いただけるとスッキリします。どうぞ宜しく。


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No.1180

おそるおそる試訳を
投稿者---prospero(管理者)(2004/12/09 22:57:42)
http://members.at.infoseek.co.jp/studia_humanitatis/


英訳もご紹介いただき、ありがとうございます(よく見つけられますね)。さて、お待たせしました。問題の箇所の原文です(アクセント類省略)。対照のために、そのあとに、ご紹介いただいた英訳、さらに独訳の該当箇所をまず並べてみます。疑問は簡単に氷解するかと思っていたのですが、意外と厄介です。

<仏語原文>
C'est de cette prison, avec tous les investisssements politiques du corps qu'elle rassemble dans son architecture fermee que je voudrais faire l'histoire. Par un pur anachronisme? Non si on entend par la faire l'histoire du passe dans les termes du present. Oui, si on entend par la faire l'histore du present.(p. 35)
<英訳>
I would like to write the history of this prison, with all the political investments of the body that it gathers together in its closed architecture. Why? Simply because I am interested in the past? No, if one means by that writing a history of the past in terms of the present. Yes, if one means writing the history of the present.
<独訳>
Die Geschichte dieses Gefangnisse mit politischen Besetzungen des Korpers, die es in seiner geschlossenen Architektur versammelt, mochte ich schreiben. Werden hier nicht die Zeiten zu einem Anachronismus verquickt? Nun, ich habe nicht vor, die Geschichte der Vergangenheit in die Begriffe der Gegenwart zu fassen. Wohl aber ist es meine Absicht, die Geschichte der Gegenwart zu schreiben.

問題となる難所は、二ヶ所あるようです。その一つはまずは「それはまったくの時代錯誤によって、であろうか」と訳されて部分、とりわけそのなかのanachronismeの語です。「時代錯誤」という訳が果たして適切なのかどうか。この部分を英訳は、「なぜだろうか。それは単に、私が過去に関心を持っているからだろうか」というふうに意訳しています。独訳では、「ここでは諸々の時代がAnachronismusに収斂させられていしまうのではないだろうか」と、文意の取りにくい訳にしています。

第二の問題(こちらがより本質的)は、強調で表した部分(par la = by that)の解釈です。その部分のフランス語原典を直訳するとこうなります。「それはまったくのanachronismeによって、であろうか。それによって、現在の時代との関連での過去に関する歴史の叙述を理解するなら、否である。〔しかし〕それによって、現在の歴史の叙述を理解するなら、諾である」。さて、「それによって」という「それ」はいったい何を指しているのか。英訳は単純に代名詞thatで置き換えているだけなので参考になりません。独訳は、なぜかこの部分を無視しています。邦訳では、その前に置かれているフーコー自身の叙述の狙いと理解しているようです(「私の意図を、……と理解する人」となっていますから)。しかし果たしてそうなのでしょうか。そのように受け取ると、やはり森さんが言うように、フーコーがやろうとしているのは、「現在というものの歴史の執筆」ではなく、「現在というものとの関連における過去の歴史の執筆」であるということになるでしょう。

しかし、部分的に意味不明の訳はあるにしても、ドイツ語訳は理解の方向としてはおおむね正しいのではないか。その意味で、ドレイファス+ラビノウの解説は正しくて、齟齬を来しているのは日本語訳だけなのではないのかというのが、今の時点での私の見立てです。つまり、やはり結論的に、フーコーが狙っているのは「現在の歴史」ということでよいのではないかという見方になります。

さて、その理由です。第二の問題に関して、代名詞を「フーコーの意図」ではなく、例のanachronismeと読むことを提案してみます。そして、第一の問題に関しては、英訳の理解を参照して、anachronismeを「過去への関心」というふうに読んでみます。

そうなると、翻訳は若干の解説を交えて、以下のようになります。自信はないのですが、試訳をしてみましょう。

……監獄についての歴史を私は書きたいと思う。それはただ単に、〔過去への関心という意味での〕アナクロニズムによってなのであろうか。もし、アナクロニズムという語を、現在というものとの関連における過去の歴史の叙述と理解するなら、そうではない。〔しかし〕アナクロニズムという語を、現在の歴史の叙述であると理解するなら、そうである」


さて、どういうことなのか。ここでフーコーは、「アナクロニズム」という語を、「物好きな過去の穿鑿」くらいの意味で使っていて、一見すると「監獄の誕生」などという主題は、そうした好事家の手なぐさみと見えかねないことを承知のうえで、あえてそれを肯定するという逆転を行っているのではないでしょうか。

パラフレーズするとこんな具合。おそらく皆さんは、監獄の誕生などということを論じる私の試みを、物好きな過去の穿鑿くらいに ―― その意味での、過去への関心(アナクロニズム)と ―― みなすことでしょうね。しかし、果たして私のやっていることは本当にアナクロニズムなのでしょうか。確かに、過去への関心(アナクロニズム)という語で、現在中心的で、現代から過去を判断するような態度のことを言っているのなら、私は断じてそんなことに関心はありません。しかし、その「過去への関心」(アナクロニズム)という語で、「現在の歴史」ということをも含めて考えてよいとするのなら、私は甘んじてその語を受け容れようではありませんか、と。

こんな感じでとってみてはどうでしょう。要するに、「時代錯誤」という訳だと、あまりに否定的ニュアンスが強すぎて、まずいのではないかというのが一点。ここでは、アナクロニズムを、過去一般の関心というかたちでもう少しニュートラルにとっておくべきでしょう。さらに、代名詞をこのアナクロニズムを受けるものと理解するというのが、大きな修正点。それによって、過去を論じるという「歴史」一般の関心に、幾通りかの姿勢(ここでは二通りですが)があるという認識に至るでしょう。その中で、方法論的な区別を行って、フーコーが自分自身の態度を「現在の歴史の叙述」というかたちで表明し、その意味でならアナクロニズム(過去の穿鑿)と言われるのも悪くないと、最後にいわば開き直ってみせたという具合に理解するのです。


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No.1186

Re:おそるおそる試訳を
投稿者---過能(2004/12/16 11:50:00)


ご無沙汰しております。以前お世話になった過能です。
いつも楽しく掲示板を拝見しております。
突然ですが話題になっている誤訳の箇所について少し。

仏語原典を読む限り、「par la」はProsperoさんの言われる様に直前の「anachronisme」を指すと読むのが自然ではないかと思います。「Entendre .... par la」は「それは .... という意味だ」という程度の比較的軽い言い回しで、それが文章中に明示されていない「私の意図」を指すとは考えにくいのです。しかし邦訳者がそのように解釈したのも、理解できなくはありません。というのは「anachronisme」も同じ「par」で結ばれていて、二つの「par」を重ねて読んでしまうとそのように解釈出来なくもないからです。しかしよく考えればこの二つが意味の上でも文法の上でも同じ平面にないことは明白です。そのことは次の様にフーコーの略した言葉を補ってみるとよりはっきり解ります。

(Je voudrais faire l'histoire de la prison) par un pur anachronisme ? Non si on entend par la faire l'histoire .......

その上でフーコーは、これもProsperoさんの言われる様に、二つのanachronismeを提示しています。
1.現在の言葉において過去の歴史(監獄の歴史)を語ること。
2.(過去の歴史を語ることによって)現在の歴史を語ること。

すると、ここにフーコーのちょっとした皮肉が浮かんできます。普通の意味でのアナクロニズムとは2であって、つまり過去の言葉で現在を語ることです。ところがフーコーはここで1という囮を出しながら、実は2の中で一般的な意味でのアナクロニズムを逆転させているように見えます。積極的アナクロニズムとでも言いましょうか。
このニュアンスを出すのであれば「時代錯誤」という強い訳語を選んでもいいかもしれません。

とまあ「監獄の歴史」自体も読まぬまま勝手に自説を並べ立ててしまいました。
突然の乱入、失礼しました。


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No.1188

anachronismeの微差
投稿者---prospero(管理者)(2004/12/18 21:55:53)
http://members.at.infoseek.co.jp/studia_humanitatis/


過能さん、こちらこそご無沙汰しています。

援軍の書き込みをありがとうございます。いささか自信がなかったので、大いに力づけられたような思いです。私も、さっと原文を見たときには、そのままpar laがanachronismeを受けているというふうに理解できたので、邦訳者の読みが技巧的(というか不自然に)思えました。仰しゃるように、二重のpar ...のかたちにひきずられてそんな風に訳したのかもしれませんね。いずれにしても、ここではanachronismeという、通常は否定的に用いられる語を皮肉り、捻じれさせるようなことが行われているのでしょう。フーコーのテクストそのものに、「微差」が書き込まれていると言っても良いかもしれません。

それにしても、やはり奇妙なのはドレイファス+ラビノウの翻訳です。『監獄の誕生』本文だけでは、確かに語学的にはどちらにも読むことが可能であっても、その本文を解説し、解釈を加えているドレイファス+ラビノウのほうは、森さんの最初の指摘にあったように、矛盾を矛盾のままに放置していることに明らかです。本来なら、註ででもこの部分に関して邦訳版『監獄の誕生』の訳文を訂正するなり、解説するなりが必要なはずでしょうに。

そろそろ、懸案の『知の考古学』も始めたいとは思っているのですが。またぜひご参加ください。



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No.1196

Re:おそるおそる試訳を
投稿者---Konno(2005/03/26 16:01:54)


大変興味深い話題で、横から失礼ながら入らせていただきます(時間的に遅いでしょうか?)

件の原文、私も仏語で確認させていただきました。内容としては、管理人さんの仰るとおり、フーコーの主眼はfaire l'histoire du present にあると思われます。がしかし、仏語を読むと、やはり邦訳のあるとおりに「も」読めてしまうのも事実です。

その点、拝見する限り、英訳の訳文はその区別をしっかり理解していて、前者にはa historyと
非限定詞を付し、後者はthe historyとしていますね。ただ、これでも翻訳をする身としては、「勝手に定冠詞をはずすなよ」と言ってしまいそうでもありますが。

この手の叙述の多層性(フーコー自身のテクストの多層性)は、フーコーは自覚的にやっていそうな気がします。というのは、Non以下の二つのsiを明確に区別したければ、おそらく英訳がしているように、前者をune histoireとしていたでしょうから。

いずれにしても、非常に興味深い主題で、おもわずコメントをしてしまいました。


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No.1197

引用の拒絶
投稿者---prospero(管理者)(2005/03/31 11:46:49)
http://members.at.infoseek.co.jp/studia_humanitatis/


このところ、ネット環境も含めて、身辺の変化が大きく、こちらもすっかり更新が滞っています。

Konnoさん、ご指摘ありがとうございます。なるほど、英語の場合は、冠詞で区別をしているというのは仰しゃられて気づきました。それにしても、確かに分かりずらい書き方ではあります。しかも、この著作の意図を述べるようなくだりがこうなのですから、フーコーがこうした多層的な記述が意図的であるというのも頷けるところです。普通なら、こういうところこそ、誤読が起きないようにテーゼ風の書き方がなされるところだと思いますが、それをあえてしていないところに、フーコーの書きぶりが現れているようです。一旦テーゼにされたものは、文脈から切り離されて簡単に引用され、やがては元の狙いからは遠いところで、流通し消費されるという運命を辿りますが、フーコーは言説のそのような消費に抵抗しているかのようです。その意味では、意図的に引用しずらい、あるいは引用すると意味が変わってしまうような文体を取っているともいえそうです。

同じことは、私の経験の範囲内では(言語は変わりますが)ブルーメンベルクにもいえそうです。これも本当に引用文を見つけるのに苦労する著者です。彼の主張を簡単にまとめようと思って、どこかを引用しようとしても、これが本当に難しい。一つの文を引っ張ると別の文が一緒に釣り上げられるようにずるずると付いてきてしまうような、きわめて錯綜した書き方をしているからです。これも、「引用」一般のあり方という問題と合わせて考えると、なかなか示唆的に思えます。

ネット環境を含めた基盤整備はあと一・二週間ほどで落ち着くと思います。その後にまた、本編のStudia humanitatisも含めて(何よりも、中座している読書会)を再開したいと思っています。しばらくお待ちください。

Konnoさんも、今後もよろしく。


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No.1181

承前
投稿者---prospero(管理者)(2004/12/09 22:59:10)
http://members.at.infoseek.co.jp/studia_humanitatis/


書き込みが長くなりすぎて、エラーになってしまいました。分割して、続きです。

*****

そうなると、問題はここであらためて、「現在というものとの関連における過去の歴史」と「現在の歴史」との違いということになるでしょう。この区別に関する解説は、やはりドレイファス+ラビノウのものでいいのではないかと思います。前者が目的論的な現在中心的な態度で、クローチェ的なものもこれに含まれると考えてみてはどうでしょう。フーコーの「現在の歴史」は、もちろんすべてを現代の目で見る「現代史」とは違うものでしょう。実はフーコーは、この「現在の歴史」という表現の衝撃力を狙っていたのではないでしょうか。むしろここは、「現在そのものの歴史」とでも強く訳したらいいのかもしれません。

歴史とは「過去」について言われるはずであるのに、それが「現在そのもの」に関して語られる衝撃 ―― これが系譜学の着想の根にあるのではないかと考えますが、いかがでしょう。現在自体が歴史という差異と運動を孕んでいるという感覚です。つまりこの生成する現在の場所においてこそ、分析者の視点をも含めた「現在性」の成立が問われるのではないか。そんなかたちで理解するのなら、『監視と懲罰』の試訳ヴァージョンは筋が通るのではないでしょう。

いちおうこんな風に整理してみましたが、いかがでしょう。代名詞の取り方一つにしても、自信はないのですが、こんなふうに読まないと辻褄があわないように思うのです。いずれにしても、ドレイファス+ラビノウの邦訳は、あのままでは意味が通りませんよね。

ご意見、お待ちします。誤解しているようなら、ご指摘ください。



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No.1187

Re:承前
投稿者---過能(2004/12/16 12:16:04)


もう一つ気ままな思いつきを。

>実はフーコーは、この「現在の歴史」という表現の衝撃力を狙っていたのではないでしょうか。

さらに付け加えるならフーコーはhistoireという言葉の上で遊んでいる様にも見えます。「histoire du present」はそれだけで読むならむしろ「現在の物語」であり、Prosperoさんの指摘される様に「現在の歴史」とは少し尋常でない読み方です。そこを文脈の上からそう読ませることによって、その言葉に衝撃力を持たせ、同時に「過去の歴史とともに現在の物語を語る」というニュアンスも含ませている。つまらぬ深読みの類いかもしれませんが.....


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