(旧)口舌の徒のために(1/20-3/31)

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ようやく峠を越える 投稿者:庵主  投稿日:03月31日(土)21時22分13秒

翻訳関係の大きな山が昨日一つ終わった。中世末期の奇妙なラテン語満載の独逸語原文を原稿用紙にして250枚ほど。そのうちの100枚ほどは一週間程度でやる羽目に。これはちょっと難儀した。

>きゅーさま

 花見ならぬ墓見ですか。まあ、今日を花見に設定しなくて良かったですね。 『無門関』は、そういうものなんですか。今度覗いてみます。

>國府田さま

 東京は今日が雪です。私は『指環』では、おそらくクレメンス・クラウス盤は全体として一番良く聴いていると思います。単体だと、ショルティ盤の『ヴァルキューレ』でしょうが。クラウス盤は、ブリュンヒルデがフラグスタートではなく、アストリッド・ヴァルナイです。けっして美声ではありませんが、声の演技力はなかなかだと思います。フラグスタートの母性溢れるブリュンヒルデに比べると、人間的・悲劇的なブリュンヒルデですけど。ですがそのために、『神々の黄昏』第二幕は実に禍禍しい演奏になっていて痺れます。

>こばさま

 エリアーデ関係は、こんなところはいかがでしょう。  自爆など、あまり物騒なことは考えないで下さいね。なんなら爆発物処理班を待機させましょうか。いずれにしても、アマチュアリズムと遊び心はお忘れなく。

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墓見て花見ず。 投稿者:きゅー  投稿日:03月31日(土)04時04分06秒

禅僧のような軽さには憧れますね。先日『無門関』(西村恵信訳注 岩波文庫)を読んでいたく感銘しましたので。あの理解を拒否するような逸話の群には心惹かれます。どこが面白いのか分からないところがまたおかしみに満ちていて・・・ところで昨日(木曜日)あの雨の中、青山墓地に行きました。(宇都宮では雪ですか(笑))夜の9時過ぎ、誰もいませんでした。本当にたんなる墓地でした。花見では決してありませんでした。寒かったです。暗かったです。靴の内側に水が溜まってました。志賀直哉の墓を見つけようとしましたが真っ暗で見つかりませんでした。はたから見たら挙動不審者でした。私はアルバイト仲間の花見の実行委員なのですが開花の早さ、と思いきや急に寒くなる、雨は降る、等でかなり困らされてます。と言うか、もうよいのです。何もかもよいのです。総て忘れてすっきりしましょう。そのうち、モクレンの花見でもすればよいのです・・・ケシの花でも良いではないですか。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/6481

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少し休憩。。 投稿者:こば  投稿日:03月31日(土)03時11分33秒

庵主さま。わたくしは常に正面突撃をして玉砕するタイプであります。そのうち当たって砕けて自爆する予定でありますので、爆風にはご注意ください。 先程フレイザー『金枝篇』のe-textを発見してとても喜んでおります。エリアーデのe-textがどこにあるかご存知ですか? 國府田さま。そうです、その通りです。わたくしときゅーは並々ならぬ関係にあります。よくご存知ですね。鋭い。どのような関係かはご想像にお任せしましょう。。。

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年度末。 投稿者:國府田麻子  投稿日:03月31日(土)00時41分24秒

庵主さま。ここのところ、毎晩お邪魔してます。お忙しいのにスミマセン…。〈プラトン的な二世界論〉と〈グノーシス〉との関係の御解説、有り難う御座いました。いただいたレスを踏まえてもう一度「�」を読ませていただいたところ、昨日より《深く》理解できたようです。今日は、「�近代―表象と他者の消失」を拝読いたしました。《近代》という特殊な時代の性質というものが、以前に読んだ吉田健一の評論「時評」(『吉田健一著作集』第十六巻)にも重なって、改めて面白く感じられました。夫れから、ベラスケスの絵は本当は大きい画集があれば良かったのですが、「万有百科大事典2美術」(小学館)に載っていたのを側に置きながら庵主さまの御文を読ませていただきました。ここはすんなり(?)と理解できたように思っております。と、報告でした。『指輪』のご感想、楽しみにしております。クレメンス・クラウス盤はローゲだけでなく、《全体的に》庵主さまのオススメの盤なのでしょうか?? こばさま。庵主さまとこばさまの「理想的質疑応答」は、私のようなナニモワカラナイ者にはとても勉強になり、こばさまのご質問の鋭さにも大変驚いた次第です。きゅーさまとこばさまは、並々ならぬご関係のようにお見受けいたします。。。今後とも宜しくお願いいたします。

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まとめて 投稿者:庵主  投稿日:03月30日(金)01時18分58秒

>きゅーさま

 やはりそうでしたか。そんな気がしていたのですが。そうなると私は結構お宅のお父上と話が合ってしまうかも。でも「金城さまは<夢野好き>を隠していらっしゃるのでは」という國府田さまのご意見はなかなか穿っているのではないかと....。  軽い文章でも構いません。ピリオド一つだけ置いて去っていくなんて禅僧のような軽さも嫌いではありません。

>こばさま

 重くても全然構いません。ただ、私の方の応答はあまり正面からのものではない場合もあるだろう(場合によってはほったらかしになる論点もあるだろう)というのはご容赦のほど。  典礼関係は複雑で、なかなか本腰を入れて追う機会がありません。そう言えば、東方でのクリュソストモス典礼なんかは、チャイコフスキーやラフマニノフが作曲していて、しかもラフマニノフのものなんかは、教会で実際に使われていたそうですね。割合と最近になって知って吃驚しました。 >國府田さま  相当にバイアスの強い私の文章を読んでいただいているようで恐縮です。「理解できたような《錯覚》」とは、たいへんな褒め言葉です。「思想」などというものはとにかく「勢い」ですから、多くの魅力的な「錯覚」の積み重ねは、平板な真実に優るとでも言いましょうか。  とりあえず簡単にお答えしておくと、プラトン的な二世界論を、理論の領域に留めずに、実際に生きようとするとどういうことになるかという極端な例がグノーシスに現れているとでも言えば良いでしょうか。プラトン自身の中にも、イデアと物質的現実の二元論にもとづいて、「肉体」(ソーマ)=「墓場」(セーマ)とする考えの萌芽があるわけですが、グノーシスは、それをさらに推し進めて、極端な現世拒否に辿りつくわけです(仕事をしては駄目、子孫を残しては駄目などなど)。しかし、これはやはりプラトンの一面を肥大化させたものであって、一方でプラトンの思想は、美的イデア論ともいえる「新プラトン主義」の源流にもなって、それがルネサンスの現実謳歌の基盤ともなるわけですから、やはり思想の歩みというのは、生半可なものではありませんね。実は、グノーシスその他に関しては、ここを覗いてくれている人のなかにもっと詳しい人がいるのですが...。  『指環』は、また追ってご報告を。私自身の感覚からすると、『ラインの黄金』辺りは、馬鹿馬鹿しくても思いきり写実的に演出してもらいたいという気持ちがあります。『ラインの黄金』のなかでは、とりわけローゲがお気に入りです。因みに、クレメンス・クラウス盤でローゲを演ったエーリヒ・ヴィッテは神技でした(もちろん録音で演奏だけしか知りませんが)。

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再びヒートアップ、その一歩手前。。 投稿者:こば  投稿日:03月29日(木)22時32分12秒

引用の件、誠に失礼いたしました。恰もわたくし自身が、自己完結しているはずの表象に映し出された「国王夫妻」の国王であるかの如くの錯覚に捕われていたことがわかりました。つまり、「国王」としての自分自身が表象に映し出されているのだから、この「現実」と表象は対応しているはずだ、、と。申し訳ありません、これからは「自己欺瞞」(ニーチェ)に陥ることなく表象の自己完結に努めます。ご容赦あれ。 実は先の質問には続きがあるのですが、その前に根本的なことを確認させていただきたいと思います。表象の自己完結は当然の前提としても、この掲示板では重い文章は書かないほうがいいですか?(ここまで暴走しておいて何ですが)他のお客様の手前もあることですし、客観的に見て、もし止めたほうがよければ、そうおっしゃってくだされば幸いです。

ユングマン(1889−1975)について。主著、『福音と現代の宣教』(1936)、『ミサールム・ソレムニア ローマ・ミサの発生論的解明』(1948)、『変遷の中に永続するキリスト者の祈り』(1969)   邦訳『ミサ』福地幹男訳(オリエンス宗教研究所、1992年)、『古代キリスト教典礼史』(平凡社)その主著は悉く未邦訳であるために、庵主さまの見識に与り、顰に倣おうと思い立った次第です。(因みにこの情報の元である『カトリック生活』は、文章の下に、「ローマ法王CDデビュー!『アバ・パーテル』」という宣伝広告があるくらいマイナーな雑誌です。)

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大雪そして。。。 投稿者:國府田麻子  投稿日:03月29日(木)22時23分29秒

庵主さま。宇都宮、外は時ならぬ大雪です。どうしたことでしょう!そんなことより、『ラインの黄金』、観にいらっしゃるのですね!?もう、どうしようもなく、絶句してしまうくらい羨ましいです。私は昨年、知人から「その様な企画がある」と聞いた時から観に行きたくて行きたくて仕方がなかったのです。しかし、オペラのS席は高い、とにかく高い、で泣く泣く諦めたのです。観にいらしたら、是非是非ご感想をお聞かせ下さいませ。 今日は、「�古代・中世―グノーシスと他者」を読ませていただきました。手元にしっかりとした参考となる本がなく、澁澤龍彦『秘密結社の手帖』(河出書房)で少しグノーシス、マニ教の事を知ってから改めて御書評を読ませていただいた次第です。ここで、かなり無恥且つ愚かな質問をしても宜しいでしょうか??(無視してくださって構いません)プラトン的二世界説(「二元論」)と、ペトルマンが云っている(?)「宗教的二元論」の違い、又は類似が解らないのです。また、〈解る〉必要はありますでしょうか?嗚呼、済みません。庵主さまの御文は、とても読み易く、何となく私にも理解できたような《錯覚》があるのですが、あくまで《錯覚》でしかなさそうです。とにかく、「�」は何とか自分なりに吸収した(つもり)です。 きゅーさま。レス、有り難う御座いました!お名前の由来となった夢野久作には確かになんの落ち度(!)もナイですね(笑)。しかし、何故、金城さまは夢野をそこまでお嫌いになるのですか??(否、実は金城さまは「夢野好き」を隠していらっしゃる、とか?だって、わざわざハンドルを《きゅー》となさっているんですから!)。私は実名で登場しております。東京目白の某大學(今度、院に進学する)の学徒です。以後、宜しくお願いいたします。文学について、いろいろお教え下さいませ。新幹線通学者の《命》は仰有るとおり、「買ったばかりの定期券」です。常に何処にあるか気になり、「なくした(かも)」と思ったときなど、総身水を浴びたように感じます。定期とは、ワタクシメの寿命を少し縮めるものであるのです。散歩は気持ちがよいですね。鴉には気をつけなくてはなりませぬ。

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クールダウン 投稿者:きゅー  投稿日:03月29日(木)03時34分48秒

ここの掲示板は皆様非常に情熱的に意見を開陳しているので軽い文章を載せるのにためらいがあるのですが、まあ良いですか?庵主様へ:今日購買でロバート・バートンの「憂鬱の解剖」を注文しました。楽しみです。ホルブルック・ジャクソンの「ビブリオマニアの解剖」についてはよく分かりませんね。図書出版社が“日本書籍出版協会 会員出版社一覧”の中に載っていないことから倒産したか、社名を変えたのかもしれません。とにかくウェブ上にはいなかったです。 國府田麻子様へ:“形而上図書館”なるあやしいページの管理人の金城久生と申します。わざわざお越し頂いて恐縮です。私には哲学は分かりません。偽哲学徒です。アマチュア文学愛好家、読書人であるので残念ながら哲学についてはよりよい人間(と言うよりも庵主様)に聞いてくださいな。ところで私が使っているハンドルネーム“きゅー”なのですが実は父が夢野久作ファンでして、何をとち狂ったのか私の名前を“久作”にしようとしたのです。当然母と親戚一同の猛反対によってとりあえず“久(きゅー)”の字を使って“久生”となった次第です。そのようなわけで私は夢野久作が嫌いです。本人に落ち度はないのですが・・・もし私の名前が“久作”になっていたなら、多分私は両親を金属バットで殴打し刑務所にいるか、言葉のない世界、名前のない世界にむけて旅立っていたことでしょう。 こばへ:正常人の世界に戻ってきてください 四ッ谷の真田堀の桜が綺麗です。ここ三日間毎日四ッ谷から靖国神社まで歩いています。今日は千鳥が淵に行きました。どうやら明日は赤坂のアークヒルズを通って東京タワーに行く予定です。この季節の散歩は楽しいですね。國府田様は宇都宮から大学の方へ通っているのですか。(目白の方にあるのですか?)私の親しい知人にも宇都宮から今年の春まで上智社会福祉専門学校の方へ毎日通っていた者がおりまして彼は毎日新幹線で来ていました。財布の中身で何が一番重要かというと定期券(笑)。遠距離通学者は本当に大変だと感じました。ではどうぞよしなに

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/6481

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表象の表象 投稿者:庵主  投稿日:03月28日(水)23時57分07秒

>國府田さま

 芥川は市河氏のことをやはり尊敬はしていないが、空理空論で文学論をぶち上げる人たちよりは、手堅い「英語学」という領域に身を律している分だけ立派だというような感じなんでしょうかね。結局は自分とはまったく違う世界の人だから、それはそれとして認めておこうといった風な。ゴオチエはどうなんでしょう。あの頃の一般的なゴオチエ像というのはどういうものなんでしょうかね。  『こうもり』は舞台作品としてもよくできていますよね。私は今度(4月1日)、新国立劇場での『ラインの黄金』(『ニーベルンクの指環』)に出かけます。これは楽しみですが、その前にひとつ仕事を片付けないと...。  またまた強引な長文をご覧いただきありがとうございます。折角プリントしていただいたというのに、後述の如く、「理想的質疑応答」をまた追加してしまいました。陳謝。

>こばさま

 丁寧に読んでいただいたようで恐縮です。ただ一言お願いしておくと、web上の私と、紙の上に跼蹐している私は、とりあえず区別していただければ幸いです。web上はweb上だけで、いわば「表象世界」内部で完結させていただけるとありがたいのですが。紙での私のものに絡めてのご意見は、できましたら引用というかたちではなく、こばさまご自身の言葉で言い換えていただけば、ここだけをご覧の方にもお分かりになるのではないかと...。まあ、どうでもいいことなのですが。  それはともかく、頂戴したご質問は、「理想的質疑応答」のかたちで追加させていただきました。一言だけ言い添えると、「近代の表象=力への意志=他者及び主体の消失」というご理解は、おおむねその通りです。  ご質問を「理想的質疑応答」のかたちにしてしまったのは、実を言うと、例の完結した表象世界を図解するためです。表象の世界においては、自分が自分にとっての他者になるという仕組みの簡単なモデルを作ってみました。問いを出したこばさまは、いまやQ4,Q5(あるいはA4, A5)というかたちで表象世界の内部の登場人物として表象されます。そのために、それを読む「現実の」こばさまは、その中に自分の朧気な映像を認めながらも、その文章を、書き手の私が「表象する」というその「機能」を通じて見るより他はなくなります。要するに、こばさまは表象内部の「Q4, Q5」の内に(さらには「A4, A5」の内にさえ)自分の影を認めながら、それを私の視線を通じて、他者として表象せざるをえなくなるわけです。その場合、その表象を作った機能としての私は、質疑の中に登場する「A」ではありません。この表象世界の中には、書き手は存在しません。質疑の中の「A」が「経験的主観」、書くという機能を果たす限りの私が「超越論的主観」というわけです。

 ちょっと悪ふざけですかね。あんまり正直に取らないで下さいね。ですが、いわゆる「ヴァーチャル・リアリティー」なるものは、表象世界の完成にすぎないということくらいはこれで示せるかもしれませんね。  ユングマンですが、『古代キリスト教典礼史』は、やはりその筋の古典で、受容も多いようですね。重版したはずです。ユングマン本人のことは、この本以外のことを知りません。それこそ私の方が、「神学学徒」氏にお尋ねしたいくらいです。

 大分重くなってしまいました。ご容赦。

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諸論文についての若干の質問 投稿者:こば  投稿日:03月28日(水)21時09分27秒

庵主さま。こんにちは。

『思想史の中の他者』、『ニーチェ、解釈学、モナド論』、『仮象としての世界』をまとめて拝読いたしました。 やはり書評は論文と違って大胆不敵で迫力があって殺気立っていて結構ですね。3つの御文章を比べて拝読すると、ここ最近の庵主さまの動向あるいは軌跡のようなものがぼんやり見えてきてとても興味深かったです。具体的には、読後の第一印象として、「庵主さまは、例の『花山さん』とベラスケスの『侍女たち』とホルバインの『大使たち』とバルトルシャイティスとシェイクスピアがお好きらしい」ということです。

例によって質問が7,8あるのですが、小出しに回を追って少しずつ質問させていただきたいと存じます。 書評の中で、中世においては乗り越えられなかったグノーシス主義の他者問題を「克服」した近代という思想史の枠組みがブルーメンベルクに基づいて語られているわけですが、『仮象としての世界』では、同じブルーメンベルクに基づいて今度はSelbstbehauptung(自己主張)との関連でニーチェのSelbsterhaltung(自己保持)のオッカム以来の思想史における位置付けが試みられています。ですから、わたくしは、書評を拝読したとき、この文章にはニーチェが何かしら念頭に置かれているのではないか、という深読みをついついしてしまったわけです。そこでお尋ねしたいのですが、書評の文脈において(あるいは近代における「機能」としての表象の出現と他者の消失という文脈において)ニーチェの力への意志はどのように位置付けられるのでしょうか?あるいはよく言われるように、ニーチェは「近代の完成者」にして「形而上学の完成者」なのでしょうか?

つまり、「ニーチェの狙いは、(、、)あらゆる作用と機能を力への意志へと還元し、『内側から見られた』世界を再構成する」(『ニーチェ・解釈・モナド』P26)ことである故に、また、「各々の力への意志が行う解釈は相互に還元不可能であり、それが開くそれぞれの世界は徹底して通約不能である」(P29)故に、端的に言えば、「モナドには窓が無い」故に、ニーチェの力への意志とは、他者の消失という事態を意味することになるのでしょうか?

さらには、書評では、近代の表象には実はその対象のみならずその主体すら消失してしまっている、と書かれていましたが、ニーチェにおいても、解釈遂行に対する解釈主体の措定が拒否されています。そういったことからも、近代の表象=力への意志=他者及び主体の消失、という図式を作り上げたい誘惑にかられてしまうわけですがいかがでしょう?つまりは、力への意志にとっての他者はどのようなものなのでしょうか?(恐らく、「闘争」や「等しきものの永劫回帰」がキーワードになってくるのでしょうが。) 長くなって申し訳ありません。

最後に一つだけ。秘蹟について。『古代キリスト教典礼史』(平凡社)の著者J・A・ユングマンが少し気になっているのですが、何かお勧めの本はありませんか?

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お詫び。『思想史の中の他者』。。 投稿者:國府田麻子  投稿日:03月28日(水)19時38分37秒

済みません。。。『思想史』と打ったつもりが・・・。慌て者です。

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『思想の中の他者』! 投稿者:國府田麻子  投稿日:03月28日(水)19時34分12秒

庵主さま。折角暖かくなったかと思ったのに、なんだか花冷え。。。地元宇都宮の桜は今日開花したと云うのに…。(余談ですが、私は宇都宮から大學に通っています) “Die Fledermaus”は絶品ですね。でも、この曲も実際弾くとなると本気で難しいのです。指はまわらない、弓は追いつかない、指揮者がテンポを好き勝手に揺らしまくる等々…。嗚呼、5月が思いやられます、、。

「あの頃の自分の事」、芥川は市河氏のことをどう思っていたのでしょうね。しかし、芥川らの「谷崎潤一郎論」(!)は何度読んでも興味深いです!芥川がゴオチエを軽蔑している、というのも面白いです。 更新なさった「書評」の『思想の中の他者』、早速拝読(?)させていただきました、が!ワタクシにはとても一度で読みこなすことは無理です(当たり前ですネ)。。先程プリントアウト致しました。明日から辞典を片手に少しずつ読ませていただきます。庵主さまと「理想的質疑応答」が出来る事を夢見て(無理かしら?)努力いたします。…少しお時間を下さい。こんなワタクシにも御評がほんの少しでも理解できれば嬉しいです。とにかく、《拝読開始》!!

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クライバーその他、更新情報 投稿者:庵主  投稿日:03月28日(水)01時33分48秒

國府田さま クライバーですか。彼の『こうもり』なんかも良かったですね。いわゆるウィーン風というのとは大分違いますが、あの切れ味と爽快な疾走感は忘れられません。でも、クライバーは、ビデオで本人の指揮ぶりを見るのも、結構愉しめますよね。 「あの頃の自分の事」というのは、歌舞伎座だか帝劇だかで、谷崎を見かけたというやつですね。あれは、英語学者の市河三喜のことに触れられていたので、記憶に残っています。

 私の方の翻訳・編集というのは、だいたいこの本体のページで取り上げているような傾向のものです。編集とはいっても、いわゆるプロの「編集者」というのではなく、「校閲」というか、言ってみれば他人の原稿のあら捜しをするような質の悪い作業です(いまに天罰が下りそう)。実は、このページの書目の中にも、自分の関わったものをこっそりと紛れ込ませてもいるんですが...。具体的にどれかは内緒。 

>皆さまへ  今日、翻訳の仕事が一つ終わったので、気晴らしにやや大きな更新をしました。晩方にいざ書き出したら、なかなか終わらなくなって長くなってしまいました。明らかに「書評」の枠を逸脱して、いささか暴走気味の感なきにしもあらずといったところですが、よろしければご覧下さい。ちょっと話が複雑(見る人が見れば乱暴)すぎたかもしれません。悪しからず。

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暖かい日。。 投稿者:國府田麻子  投稿日:03月27日(火)21時43分28秒

庵主さま。今日は、芸大の友人のところに遊びに行ってきました。「J・シュトラウスの一番いいのを貸してくれ」と云った処、1989録音のクライバーのを貸してくれました。帰りの電車の中で聴いたのですが、結構良かったです。気分はスッカリ《ニューイヤー》。夫れと、今日は一寸した収穫がありました。大學のそばのB・O目白店で、『芥川龍之介集』(旺文社)を¥100にて購入しました。これは論文用に安く探していたのです。「あの頃の自分の事」という短篇(?)に谷崎のコトが面白く書いてあるので。 「二次元に徹した画家達」と云えば、ミロや、ダリ、ドニなんかも好きです(でも、モローなんかも好きなので、あまり絵画に対しては節操(!)がありません)。お忙しいのに、レス、有り難う御座いました。 きゅーさま。初めまして。庵主さまに様々な知識をいただいている國府田と申します。貴方様のHP、アチコチ拝見させていただきました。楽しいページですね。哲学をなさっているなんて、素晴らしいです。ワタクシは日本文学専攻ですので、「哲学」に関してはとことん無知です。いろいろお教え下さい。

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いいことを 投稿者:庵主  投稿日:03月27日(火)00時48分06秒

「公開質問状」という果たし状のような響きに一瞬驚きましたが(しかも二つも)、一つはHolbrook(ホルブロック or ハルブロック) Jackson でしたか。そうですよ、何言わん彼こそが『憂鬱の解剖』エヴリマン版の編集者ですよね。このジャクソンは、世紀末文学・美術の研究者として有名で、The eighteen ninetiesは、その手の研究書・解説書にはかならずと言って良いほど引き合いに出されています。とりわけ、少し前に話に出ていたワイルド、ビアズリー関係のものです。ワイントラウプ『ビアズリー伝』(中公文庫)などにも、「ジャクソンに言わせれば、...」などという当然の前提のようにして使われていますし、当たり前のことですが、プラーツ『肉体と死と悪魔』(国書刊行会)の註でも引かれています。因みに、このThe eighteen ninetiesは、標題が変わってしまって発見しにくいのですが、『世紀末イギリスの芸術と思想』というタイトルで翻訳が出ています。版元は、またしても、松柏社!頑張ってますね。

 さて、肝心の『ビブリオマニアの解剖』、私も未見ですが、すでにお分かりのように、バートンがあからさまに下敷きになっているようですね。これは、図書出版社の「ビブリオフィル叢書」の一巻として翻訳が予定されているのを、企画立ち上げ時のパンフレットで見ました。その後どうなったんでしょうか。このシリーズ、気谷誠『愛書家のベル・エポック』くらいまでは買って読んだのですが、その後の消息を知りません。何かご存知ですか?  良いことを思い出させてもらいました。『ビブリオマニアの解剖』は私も気にしたいと思います。因みに、「解剖」のジャンルを追ってみるというのも面白いような気がしてきました。現代ではノースロップ・フライ『批評の解剖』(法政大学出版局)ですね。アンガス・フレッチャーの『アレゴリー』(未邦訳)なども仲間に入れたいな。いわば百科全書のマニエリスムですからね。

>こばさま

 「公教会祈祷書」に別段深い意味はありません。リンク集はだいたいにおいて、こちらの翻訳・編集の仕事に(ふとしたら)何かの役に立ちそうなものを蒐めて、いざというときに備えようというだけのものです。すべてはそれだけのことであって、実生活上の意味は皆無です。下の方にある「東方教会」などというのも同じです(これはついこの前の翻訳で実際に役立った。東方教会の用語は漢語だらけで雰囲気がありますね)。やはり「定訳」というのは、なかなか斯界の内部の人しか分らない部分があるので、そういったときにはこの種のものを頼りにするというわけです。いま頼まれている翻訳の一つに、「ヴァーチャル・リアリティー時代の秘跡」などというのがあります。また面妖な。インターネット告解とかでしょうかね。  そう言えば、最近「主の祈り」の訳を統一したものが回覧されたようですね。「天におられる私たちの父よ、み名が聖とされますように...」など、微妙に現代語風に改めているようですが、これこそどんな意味があるんでしょうね。

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公開質問状2?? 投稿者:こば  投稿日:03月27日(火)00時04分59秒

突然ですが、ふと気になったので質問させてください。失礼かもしれませんが、庵主さまの実生活或いはお仕事或いはご趣味にとって、リンク集の公教会祈祷書はどのような役に立つのですか?愚昧神学学徒である私にとっても、このリンクの活用法がよく分からぬ次第であります。

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公開質問状? 投稿者:きゅー  投稿日:03月26日(月)20時09分40秒

「憂鬱の解剖」に関する貴重な情報ありがとうございます。「トリストラム・シャンディ」さながら、という言葉だけでもう充分です。早速、購買で注文します。それにしてもペーパーバックで千数百ページというのは読みにくそうですな。 ユリイカでネイチャーライティングの特集を組んでいたことをよくご存知ですね。さすが、と言うほかないです。この特集にはさんざんお世話になってます。 “解剖”つながりでまた一つお聞きしたいのですが、ホルブルック・ジャクソン(Holbrook Jackson)に「ビブリオマニアの解剖」という著作はありませんか。これが何故か手帳の探し本の欄に書いてありまして。非常に気になる本なのですが。何度も申し訳ありません。

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皆さまへ 投稿者:庵主  投稿日:03月26日(月)02時07分15秒

>鏡谷さま

 『見出されし時』は私も気にはなっていました。ですが、「プルーストののんびりした空気をじっくりあじわうには...」というご感想から、何となく想像できるような...。プルーストの映画と言えば、シュレンドルフの『スワンの恋』がありましたよね。これは確か見たような記憶があるのですが、何とも覚えがあやふやで、情けない限りです。それにしても、鏡谷さまは、ダヌンチオといい、ヴィスコンティといい、之ぞというものには、相当に力をお入れですね。しかもそれをご自分の「言葉」の中に同化しようという強い共感の力を感じます。またいろいろお教え下さい。

>國府田さま

 ロートレックといい、ビアズリー、クラークといい、國府田さまは、絵画の奥行き感を捨象して二次元に徹しようとした大胆な画家たちがお好みのようですね。基本的には挿絵画家はそうした志向を強く持っている人が多いので、マイナーな作家でもいろいろ捜すと感覚の合う画家が見つかるかもしれませんね。クラークのステンドグラスも、ご覧になられたら感想をお聴かせください(あのBoweのものは図書館だと少し見つけづらいかもしれませんが)。

 マゼールはかなり以前の録音で聞いて、ブラームスに似ぬ色彩感に感心した覚えがあります。新しい録音でも出ているのですか。最近私が買ったのは(新しいものではありませんが)チェリビダッケの交響曲四番があります。これは第二楽章が絶品でした。

>きゅーさま

 バートンの『憂鬱の解剖』は、この際是非に。縮約ではないですよね(全体で1000頁ほどにも達します。もちろん私もとても全部など読みきれません)。この著作は、ラテン語・ギリシア語の引用満載なので、それが英訳に落とされているかも買う際の選別基準でしょう。私のところにあるのは、最初にその英訳を敢行した1938年のeditionです。しかしペーパーで出そうと言うのですから、おそらくその点は大丈夫でしょうね。

 因みに、かのサミュエル・ジョンソンが二時間早起きして毎朝読み続けたというこの『憂鬱の解剖』は、「著者デモクリトゥスから読者へ」という序文だけで100頁くらいある上に、各節も主要項目のあいだに、Digression(脱線)が堂々と入り込んでいる始末。まさに『トリストラム・シャンディ』さながらの稀代の奇書です。ここで召喚されているのが、ルキアノスだったりするので、これはもう溜まりません。「新着図書」のコーナーで、コールリッジの『文学評伝』を「解剖」というふうに書いたときには、この『憂鬱の<解剖>』が念頭にありました。

 ネイチャーライティングは、残念ながら、いきなりウォールデンなどというところに思いが跳ぶばかりで、あまり我がこととして見たことがありません。数年前、ユリイカが特集を組んでいましたね。この際ですから、どういう点が面白いのかお教え願えますか?

>神学学徒こばさま

 リンク集、失礼しました。ご指摘ありがとうございます。修正して、Gutenbergのものよりもう少し使い出のあるものに差し替えておきました。使い勝手その他、また何かありましたらお知らせ下さい。あのリンク集は、できるだけ遠回りせずにいきなり目的の場所に行くために造ったものですが、やはりWebというのは不安定で、消滅とか引越しとかが避けられないようですね。  急ぎましたので、打ち間違いその他、ご容赦のほど。

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いまだ失う時知らざれど 投稿者:鏡谷眞一  投稿日:03月25日(日)15時02分55秒

昨日ですが、日比谷にて公開中の映画『見出されし時』を観てまいりました。監督は、以前から気になっていたラウール・ルイスということもございまして、楽しみに劇場へ足をはこぶ。正直、内容はちょっと・・・でした。先日読み返したヴィスコンティの『失われし時を求めて』のシナリオの読後感(これは映画化されていません。撮影される前に巨匠が鬼籍にはいってしまいましたので)の緊張度の高さとくらべてしまい、どうしても間延びして見えてしまいます。『見出されし時』という、全篇のなかでもっともアクティブな場面が多い(第一次世界大戦の巴里空襲、ジュピアンが経営するSM倶楽部で鞭うたれる男爵など)本編、プルーストののんびりした空気をじっくりあじわうには、少々雑音かしましいと申せば酷でしょうかね。個人的には『とらわれの女』が一番好きなもので。映像は、本当に綺麗でした。プルーストが、劇中の中でぼくたちが良く知っている彼の写真の中のポーズをいろいろととってみせるのが面白かったですね(ナレーションではいるプルーストの声をやったのはパトリス・シェローでした)。四十年後にもう一度観たいですね。

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どうぞよしなに 投稿者:きゅー  投稿日:03月25日(日)02時10分52秒

掲示板に書き込んでいただいてありがとうございます。ところでアマゾンで何気なく検索していたらRobert Burtonの「Anatomy of Melancholy」が4月9日にペーパーバックで安く出版されるそうで購入しようかと思っているのですが、この本についてはどのように思われますか? 最近はネイチャーライティングの本(具体的にはエドワード・アビー、ローレン・アイズリー、アニー・ディラード等)を読んでいるのですが庵主様のお薦めは何かあるでしょうか?どうも日本ではネイチャーライティングについてはほとんど話題にされないようで和書・洋書ともに探すのが大変で・・・今日は勇んで神保町のはずれにある下井草書房に行ってきました。ご存知と思いますがここはアメリカ文学のみを扱っている古書店ですけれどここにも目当てのものは全く無くて。まああったとしてもどうせ他の店の2倍近い価格でしょうけど・・・先ほどここでもらった目録を見ていて「レトキ詩集」沢井淳弘訳を見つけて喜んでいるのですが、この目録去年のだしなあ、まだあるかなとも思っています。それにしてもメールアドレスがshandyですか・・・

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/6481

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雑然と 投稿者:庵主  投稿日:03月24日(土)22時24分13秒

吉田健一の連綿と続く息の長い文章は、私は嫌いではありません。『東西文学論』は未読ですが、確かに『英国の近代文学』などの近代理解は読み応えがありますね。もう少し思想的に煮詰めた類書は『ヨオロッパの世紀末』でしょうか。あれなどは十八世紀論としても面白く思っています。吉田健一の文書の呼吸が、論じる対象と寄り添うかたちで見事に結実したのが『時間』でしょう。確かに、あの独特の文章の流れ自体、時間というものを実感させる有効な手立てなのかもしれませんね。 ブラームスは駄作がなくて良いですね。ひところ、歌曲を除いて(多すぎるので)全作品を聴いてやろうと思ったくらい入れ揚げた時期があります。どれか一つを挙げると、クラリネット五重奏曲、それも古いウラッハとバリリ弦楽四重奏団の演奏が忘れられません。ハイドン・ヴァリエーションのフルトヴェングラーも鬼気迫るものがあって、記憶に残ります。新しい録音だとシンフォニーなどは誰のものが良いのでしょうか。

それから、以前ペンディングにしたままになっていたハリー・クラークについて少々。彼は父親がステンドグラスを含む教会の装飾の仕事をしていた関係で、職人としてのキャリアをステンドグラス作家として始めたわけです。挿絵画家としてのほうが私たちには身近ですが、本人の意識では、イラストレーターの方がむしろ余技だったのではないかと思います。ステンドグラスのほうの作風は、挿絵で見慣れているあのタイプのものです。というか、むしろ逆に、ステンドグラス固有の鋭角的でコントラストの強い表現が、挿絵にもそのまま使われているというほうが正確なのかもしれません。一度写真などをご覧になる機会があれば、おそらく見間違いようなく、クラークだと分かると思います。以前、鏡谷さまにもご紹介したのですが、Nicola Gordon Bowe, The Life and Work of Harry Clarke, Irish Academic Pr. 1994 などは手頃かと思います。クラークの挿絵では、やはりポオは傑作ですよね。何点か蒐めましたが、一昨年くらいに『スウィンバーン詩集』を入手したのを最後に、最近では増えていません。もう少し捜したいとは思っているのですが...。

語学云々ですが、あまり隠すのも厭味なので言ってしまうと、私の生活の三分の一くらいは翻訳と編集(対象言語は、主に獨・英、時折仏・羅)に占められていて、外国語はいわば商売道具のようなものです(大きな声では言えませんが、獨逸語に至っては、大して出来もしないのに、大胆不敵にも人様に教えたりもしてしまっています)。ですが、外国語の語学力と言われているものは、つまるところは「自」国語力プラス熱意のことなのではないかと思っています。是非にも読みたいものさえあれば、語学力などは後から如何様にでもなるものではないかと愚考する次第です。 ちょっと長くなりました。

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吉田。ブラームス。 投稿者:國府田麻子  投稿日:03月23日(金)22時19分47秒

庵主さま。度々お邪魔を致します。はじめの「谷崎云々」、説明不足で済みませんでした。。。夫れと、プラトンの御解説、有り難う御座います。さて、私も昔購入した吉田健一の『東西文学論 日本の現代文学』(講談社文芸文庫)の中の「�永井荷風とフランス」「日本現代文学 河上徹太郎」、『英国の近代文学』(岩波文庫)の中の「�ワイルド」などを再読してみました。読めば読むほど解りにくい吉田の文章・・・・。しかし、《近代》を特殊な(?)視点で捉えている吉田の評論には改めて驚かされました。殊に『英国の〜』の方では、ポオヘの言及もあり、「アレ?私は2年前、何処を読んでいたのやら??」などと思った次第です。夫れにしても、庵主さまは、大変な語学力をお持ちのようで、羨ましいです。ワタクシはとことん語学が苦手で、ホトホト困っております。大學院に入った後、少しは勉強しなくては・・・。 私事ですが、大學のオケを追い出され、新しいアマチュア・オケに入団しました。ブラームスの交響曲第2番を練習しております。・・・此は本当に難しくて・・・。弦楽器への負担が大きすぎます。庵主さま、ブラームスは如何ですか??

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追加 投稿者:庵主  投稿日:03月22日(木)01時10分01秒

>國府田さま

 谷崎についてのご説明、そういうことならよく分ります。ありがとうございます。今し方、「自然人と純粋人」の入った評論集(吉田健一などと抱き合わせの簡単なもの)をぱらぱら見返していて、「詩と現代生活について(二)」というエセーの冒頭にいきなりプラトンが引き合いに出されているのが眼に止まりました。こんな一節があります。「我々にとって現実とは既に名づけられたイデアなのである。〔...〕従って感動の新鮮さは、イデアを物象の仮面の如く敵視してこれを抜け出るよりも、却ってイデアをば純粋な形の内に保たしめてその相貌を読み取るという状態である」。プラトン云々ということで私が書いたことは、河上氏本人が表現するとこうなるようです。  今日でご卒業ですか。しかしこれから大学院に進まれて、まだまだ研鑚を積まれるという訳ですね。ますますいろいろな愉しみを見つけて行かれることでしょう。ご健闘のほどを。

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純粋。 投稿者:國府田麻子  投稿日:03月20日(火)21時06分28秒

庵主さま。「自然人と純粋人」についての素晴らしいお答え、有り難う御座いました。「純粋」を「美」を敷衍したもの、と考えれば、何となく「アリョーシャはミーチャのミーチャ的な理想型」の意味も分かるような気がいたします。《形式が素材の中に入り込む》事によって、完成(なんてモノはあり得ないのでしょうが)に近づく、と云う事なのでしょうか。イデア的な「美」の理念とは異なる、と云うのは、ワタクシには難しいのです。プラトンの哲学を殆ど理解できていないので、此を機会に勉強してみたいと思います。まずはウチにある『饗宴』『パイドロス』などを読んでみることに致します・・・・。・・・・・嗚呼、庵主さま、尊敬です!庵主さまの「お答え」を己で消化するまでに暫く時間が掛かりそうです。ジックリ、もう一度考えてみたいと思います。ところで、「谷崎の〜」は私の理解ではなく、確か、河上の、だったと思います。チョット曖昧なのですが、何かで読んだことがあるのです。庵主さまの仰有る通り、ヴェルレーヌの改宗の一件と同じ型の「例え」だと私にも思われます。『蓼食う虫』以降の作品で、谷崎が完全なる《日本回帰》を果たし、夫れに谷崎自身の「美」を求め、自らの《芸術》の昂揚を求めたのであれば、夫れは河上が例として取り上げたのも頷けます。(しかし、なんの書物に書いてあったのかも分からないのでは失格ですね・・・・)今度確かめてみます。哲学については全く無知で、しっかりした「哲学書」も読んだことがありません・・。また、読んでも分からないかも知れません。でも、庵主さまのような。。。何と言ったら良いのでしょう・・・「論を展開なさる力量」には大変憧れます。今回いただいた御返事を何回も読み返して、ご教示に応えられるよう勉強したいと思います。こんな私ですが、此からもいろいろお教え下さい。夫れにしても、庵主さまの大切なお時間をいただいてしまっているようで恐縮です・・・。此じゃ、「宿帳」の方にもいらっしゃれませんね。。。(あ、でも庵主さまにとっては「アサメシマエ!」でしょうか?) さて、私事ですが、明日、大學の卒業式です!やれやれ。。。怒濤の4年間が終わりました。波乱の5年間の始まりでもあります。

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自然人と純粋人 投稿者:庵主  投稿日:03月20日(火)14時49分19秒

>國府田さま

  河上徹太郎のものは随分と前に通り一遍に読んだだきりですし、いま捜したら『日本のアウトサイダー』すらどこかに行って見つからない始末。手元にちょっとした評論集成のようなものがあり、それに偶々「自然人と純粋人」が載っていたので、そのテクストの中だけで考えたことを少々。  まずは、自然人・純粋人という人間類型の問題は措くとして、「自然」と「純粋」という二項のみで考えるとすると、後者の「純粋」は、美学での「美」の定義を敷衍したもののように見えます。「自然物の個体性を失わずに、純粋形式のみを保有するに至る」というような説明は、たとえばヘーゲルの「理念の感性的現れ」というような定義で言われていることに対応すると思います。美は、個別的な場面でしか現れないが、かといってそれは感覚的な刺激に尽きるものではなく、ある種の高次の「理念」を顕現させたものだということになるでしょう。ですが、この「自然」と「純粋」の関係を、「素材」と「形式」という関係に当てはめることはできないと思います。むしろ、形式が素材の内に入り込んで、それを一つの「形態」にまで高めるというところにこそ、「純粋性」が求められているようだからです。その意味で、「自然」と「純粋」は、いわゆるプラトン的な美の理念とは異なり、両者とも、ともに「リアリスティック」ということになるのだと思います。「したがって自然と純粋という概念はいまや対立していずに、一存在の両端の存在様式を現すのだと言える」とある所以でしょう。

 この両者の概念を人間類型として理解し直すという荒業が、「自然人と純粋人」の要なのでしょう(正直言って、ちょっと困惑させられる飛躍ではありますが)。「アリョーシャはミーチャのミーチャ的な理想型」というような言い方は、「自然」と「純粋」の上述の関係から理解できることなのでしょう。さて、そこで肝心の谷崎云々ですが、日本回帰云々というのは河上氏本人の説明なのでしょうか。あるいは國府田さま自身のご理解ですか?一応、手もとのテクストでそれに類するものとしては、ヴェルレーヌの改宗云々という件があるようです。やはりここでも、自然人から純粋人への転回は、「自然人であることを止めることなしに」純粋性へ到達すること、というかたちで説明されているようですね。そうだとすると、これもやはり、純粋性を自然性の「昂揚(止揚)」ないし「包含」として考える思考が働いているのではないでしょうか。  ということで、とりあえず思いついたことのみ。およそ的確な応答ではないでしょうが、何かお考えになるきっかけにでも。私の方は、日本文学には至って蒙いので、河上氏のエセーの書かれた背景なども何も知りません。また何かお知らせ願えれば幸いです(谷崎云々のことも含めて)。  理屈っぽくなりました。クラークのことなどはまた改めて。そうそう、こちらもネット新参者ですから、どうぞご安心を。

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お尋ねしたきこと。 投稿者:國府田麻子  投稿日:03月18日(日)22時58分12秒

レス、有り難う御座います。日夏の「大鴉」。実に哲学的且つ絵画的!!素晴らしいです。『ポオ秀詞』を手に入れたく思っておりますが、屹度高価なのでしょうね・・・。取り敢えず保留です。パシュラールが『アーサー・〜』に言及しているなんてはじめて知りました。今度探してみたく思います。 エイスケは面白いです。和風ボオドレエル散文詩、といった感じが致します。しかし、ワタクシが購入したのは「作品集」と名が付いていながら、ほんのごく一部しか作品が載っていません。

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さて、お聞きしたいこと、と云うのは、「自然人」と「純粋人」についてなのです。簡単に申し上げますれば、《一人の人間の中に介在する「自然」と「純粋」》、そして《「自然人」としての(又は「純粋人」としての一人の人間》の違いが分からないのです。例えとして、前者は谷崎の「西洋カブレ」と「日本回帰」、後者は『カラマゾフの兄弟』のアリョーシャという一個人。実際と、物語との大きな違いはあるのでしょうが・・・・。兎に角、「自然人」「純粋人」の観念と言うモノが理解できないのです。・・・・って、私の質問の仕方が稚拙なので、一体なんの事やら分かりません、か?よね・・。

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さて、私は庵主さまに嫌な想いをさせてしまったようです。お聞きしなくても良い、余計なことをお聞きしてしまいました。「ちがいます」とお答え下さったのは、嬉しかったのですが、私はデリカシーに欠けていました。申し訳ありません。ネット歴の短い私は、「書き込み」とかそこら辺の常識みたいなものが全然分かっていません。今までメールばかりやっていたものですから・・・。此からも何か失礼なコトを申し上げてしまうかも知れません。そんなときは、ご指摘を! 夫れにしても、クラークのステンドグラスとは?クラークはもう、ビアズレーの次に好きなのですが、ステンドグラスなどが存在するのですね。庵主さまは、クラークのどの様な点に魅力をお感じになられますか?私は兎に角、繊細で病的な処が「好き」の所以です。 最後に、音楽ネタを少々。こないだ、ブラームスの「ドイツレクイエム」を何の気ナシに購入したところ、ジャケットがベックリンの「死の島」だったのです(ベックリン、『魔術師』に出てきましたよね)。 ポオの面白いサイトを見つけました。↓

Edgar Allan Poe’s House of Usher  http://www.comnet.ca/~forrest/index.html

長くなりました。失礼します。

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ヴァーグナー、ポオなどなど 投稿者:庵主  投稿日:03月17日(土)16時06分24秒

>鏡谷さま

 いらっしゃいませ。フルトヴェングラーのスカラ座盤は、確かにフラグスタートは立派ですが、録音や他の配役、オーケストラなどをトータルで見ると、もう一息という感が否めません。やはり、聴くときは、ついついクナッパーツブッシュ盤か、クレメンス・クラウス盤に手を延ばしてしまいます。『鐘』は、ドミトリィ・キタイェンコのCHANDOS盤で聴いて、少々イメージが掴みにくかったのですが、改めて聴いてみたいと思います。アンドレ・キャプレ『赤い死の仮面』というのは知りませんでした。今度捜してみます。 ルイズ・ブルックスの『パンドラの箱』は、もうかなり前、アテネ・フランセで上映会をやったときに出かけたのですが、会場に大岡昇平氏がいました。ちょうど『ルイズ・ブルックスと<ルル>』(中央公論社)を出した頃だったと思います。あの本は、『パンドラの箱』の写真も豊富でありがたい一冊です。 ポオと言えば、以前お尋ねいただいたハリー・クラークのステンドグラスですが、1988年に倫敦で開かれた展覧会のカタログを、つい最近入手しました。しかしこれは全体で30頁ほどで、カラー図版の発色もそれほど綺麗ではありません。やはり以前お知らせしたBoweの研究書の方が数段良いかと思います。 >國府田さま 日夏の「大鴉」、いいですね。ポオは、あの「大鴉」の舞台裏を明かした(ことになっている)「構成の原理」のような発想が好きです。『ゴードン・ピム』については、バシュラールが『夢見る権利』(筑摩書房)の中で、短いですが良い文章を書いていたのが記憶に残ります。 吉行エイスケは、その人物だけでなく、作品も面白いのですか。気にしてみたいと思います。 そうそう、「庵主さまって、女性でいらっしゃるのですか」という問いかけですが、確かにあまり人物像を伺わせるデータを入れていないので、その辺すら曖昧ですね。ネット上でのtrans-vestismの非常に強い誘惑に抗って正直に答えると、「ちがいます」。 他に何やらお尋ねになられることがおありとのこと。仰るだけは仰ってみてください。大抵のことはわからないと思いますけど...。

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いろいろ。 投稿者:國府田麻子  投稿日:03月16日(金)01時00分16秒

鏡谷さま。「宿帳」ではレスを賜り、まことに有り難う御座います。しかし、クライヴァーの『ヴォツェック』はさぞや素晴らしいのでしょう・・。芸大に居る知人も以前、絶賛してました。ポオはあまりお好きではいらっしゃらないようですね。ワタクシは兎も角ポオが大好きで、邦語訳されたものはほとんど読みました。今は邦語訳されていないものを解読するのに手間取っています。。。こんなことでは論文が捗りません。嗚呼、語学力が欲しい。其れと、ポオの音楽の件、御教授いただき有り難う御座いました。今度探してみます。日夏の訳(殊に「大鴉」)はイイです。『ポオ秀詞』(?)に入って居るやつですよね。 庵主さま。・・・・河上関係でお訊ねしたいコトが、と申し上げておきながら、まだどの様に「お訊ね」して良いのか頭の中で考えが纏まりません・・。『自然人と純粋人』の「カラマゾフの兄弟」のアリョーシャのこと(彼は「純粋人」なのですよね?)が気になって。谷崎も関連して来ますので、もう少ししたらまた。 さて、先日『吉行エイスケ作品集』(文園社)を地元古書店にて購入し、読んでいるのですが、結構面白くて驚いています。生粋のダダっ子(!)も偶には良いですね。「女百貨店」「職業婦人気質」「バルザックの寝間着姿」なんか、優れていました。絶版になってしまったという冬樹社版を神保町あたりで探してみようと思っています。庵主さまは、吉行など、如何でしょう??そうそう、「アーサー・ゴートン・ピム」ですが、私も大好きです。「アモンティリヤドの酒樽」「ペスト王」「赤死病の仮面」なども好みです(って云いますか、ポオならなんでも好きなのです!)。*最後に・・シノーポリのはテルデックです。

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はじめまして 投稿者:鏡谷眞一  投稿日:03月15日(木)20時05分41秒

YAMANAKAさんのページでのお話になりますが、アンゲルブレシュトの『聖セバスチャン』おこたえ賜りましてありがとうございました。探してみます。フルトヴェングラーの『指環』、ラ・スカラ盤もよくないのですか。同じ頃に録音されたという、ローマ響盤が好ましくないという話は聞いていたのですが。ブルックス出演の作品は『パンドラの箱』しか見たことがありません。もっともあのルルは一番のはまり役のように見受けるのですが。まとまりのない書き込みで恐れ入ります。またこちらに参ります。

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有り難う御座います。 投稿者:國府田麻子  投稿日:03月11日(日)16時02分10秒

庵主さま。

『官能の庭』重版の件、お教えいただき有り難う御座います!早速購入・・・!と云いたい処ですが8000円超とは・・・。なかなか、です。暫く我慢しなくては。。。 夫れにしても『魔術師』を読んでいただいたとのこと、嬉しく存じます(谷崎になりかわりまして!)。アレは本当に面白い話で、大好きなのです。「魔術の森」についての庵主さまの御見解、納得です。様々な《人工庭園》の要素が含まれているように私も感じます。私はボオドレエルの「寡婦」と云う散文詩の冒頭を夫れこそ強引に「森」と結びつけたのですが、見事に失敗しました。 そうそう、ちょっとお聞きしたいことがあるのですが、また夫れは後日・・・・。河上徹太郎関係なのですが。哲学にお詳しい庵主さま(・・庵主さまって、女性でいらっしゃるのですか?)に是非。

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『官能の庭』重版 投稿者:庵主  投稿日:03月11日(日)00時29分12秒

>國府田さま

 こちらでははじめまして。かなり強引なプラーツ評、ご覧いただきありがとうございます。まず一つ訂正なのですが、『官能の庭』は、比較的最近になって重版が出て買うことができたと、ある友人が教えてくれました(8000円を超えますが)。「書評」本文の方に追記をしようと思いながら、忘れていました。申し訳ありません。ただ、お読みいただいたように、『官能の庭』はなにしろ主題が多岐に渡るので、個人的には推薦ですが、特定の主題のための資料としては、扱いにくいこと、『肉体と死と悪魔』以上ではないかと思います。『肉体と死と悪魔』でも、世紀末文学という特定の枠はあるものの、そのなかでのさまざまな主題の組み合わせ方には、かなり自在な感覚が見られますよね。『綺想主義研究』に至っては、エンブレムという主題自体にまだ日本側の受容の文脈が整っていないので、訳者の伊藤博明氏が懸命に長文の解説を書いて、文脈を作ろうとしているほどです。それでもなかなか定着するのが難しい主題だとは思いますが。  谷崎で論文をお書きとのこと、私の方こそ、ほんの通り一遍のことしか知りませんので、いろいろお教え願えればと思います。お触れになっている『魔術師』も、いましがた挿絵入りの中公文庫を数年ぶりに引っ張り出してきたようなありさまです。お蔭様で久しぶりに読み返すことができました。確かにあの中には「陥穽と振子」や「アルンハイムの地所」など、ポオへの直接的言及が多いのですね。「魔術師の森」なども、「アルンハイムの地所」のlandscape-gardenの応用なのでしょうか。フランス式幾何学庭園に逆らった英国式庭園、さらにはボマルツォの綺園や、ウィーン・バロックの幻想建築家エルラッハなどを思い出したりもしてしまいます。メスメリズムの言及などもあるのですね。改めて細部が面白いテクストだと感じたような次第です。  因みに私はポオでは、「アーサー・ゴードン・ピム」のような、ジャンルを跨ぎ超えてしまうような感覚が好きだったりします。  またいろいろとお聞かせいただければと思います。今後もよろしくお願いします。シノーポリの『ルル』も捜してみたいと思います。

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お邪魔いたします。 投稿者:kouda  投稿日:03月10日(土)21時03分00秒

「宿帳」でレスをいただいた國府田です。有り難う御座いました。早速、庵主様(とお呼びしたらよろしいのでしょうか??)の「書評」、拝読させていただきました(それ以外にもあちこち拝見させていただきました!)。庵主様のプラーツの独自の《読み》にはただただ驚き、感銘を受けている次第です。私はいままでプラーツのプラーツたる所以すら解さずに読んでいたこと、いたく反省致しました。「博覧強記」としか思っていなかった節、なきにしもあらず、です。かなり前の「宿帳」の書き込みでも申し上げましたが、私は大學では谷崎を専攻しております(其の関係でyamanaka様には大変御世話になっております)。で、私の西洋文学への知識、興味は、全く付け焼き刃的なところがありまして、サドに関しても、ユイスマンスにしても、はたまたジャリやコクトーに至までほとんど凡てyamanaka様からいただいた知識なのです(以前、梶井基次郎をやっていたときにラフォルグやロスタン、マラルメは多少読みましたが・・・)。話が前後してしまい申し訳ありませんが、私の谷崎のテーマは「初期谷崎文学の西洋文学(又は文化)の受容」、主にポオに視点を当てて論じております(扱っている作品は『魔術師』(大正6年)と其の周辺)。とは云え、拙論ではビアズレーやワイルド、更にはボオドレエルにまで論旨が拡散してしまい、指導教官に再三注意を受けております、「兎に角、纏めなさい」と。で、プラーツは教授に「是非にも(而も早急に)読む必要がある」と云われて取り敢えず「肉体と〜」を購入し、「大量の情報」に軽い目眩を感じつつパラパラと必要な部分のみ読んでいたのです。勿論『官能の庭』については未読ですし、プラーツをどう読んでいったらよいものかも実はほとんど分かっていません。。。(しかし「官能の庭」、版元切れとは残念!)。『官能の庭』も屹度そうなのでしょうが、「肉体〜」もワタクシにとっては兎に角難解で、これを庵主様のように味わうゆとりなど全然ありません。また、どの様に谷崎に結びつけていったらよいのかも五里霧中・・・。そこら辺のこと、庵主様にいろいろお教え願えれば、これ以上の幸せはありません。今後とも、此方でも、また「宿帳」の方でもどうぞ宜しくお願いいたします。これから博士前期に進まんとしている未熟なワタクシですが・・・。長くなってしまいました、ともかく、哲学的な素敵な文章を読ませていただき、本当に感謝です!*音楽については、またあちらで・・・。でも、一つだけ。シノーポリのは『ルル組曲』でして、ルル役は、ドラマチック・ソプラノのアレクサンドラ・マークです。姿を観た訳ではないので何とも云えませんが、彼女の美声はルルに嵌っています!

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Bibliofind 投稿者:庵主  投稿日:03月07日(水)21時47分19秒

昨日古書サイトのbibliofindから物騒なお知らせがありました。 「昨年10月から今年の2月にかけて、クレジット・カードのデータを管理しているセキュリティ・サイトが破られて、データが流出した惧れがある。いまのところ被害報告は出ていないが、しかるべき法的措置に訴え、各種クレジット・カード会社にも通告をしてあるが、顧客各位におかれても、保安のために十分な注意を喚起したい」といった内容。 このような記事もありました。実は去年の9月なのですが、私も使った覚えのない引き落としがあったりました。ヨーロッパ各国の通貨単位が犇めくなか、ひときわ目を引く、RUR(ロシアン・ルーブル)。不審に思って信販会社に報告したところ、差し戻し請求をしてもらって、その分は返却されました(もっとも額にしたら少額なのですが)。ただし気づかないで放っておくと、そうした処置も無効になってしまうようなので、お心当たりのある方は、月々の明細をしっかりチェックして、不信なものに関してはカード会社に連絡を取られたほうが良いと思います。まったく便利な反面、余計な心配がついて回りますね。

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こちらこそよろしく 投稿者:庵主  投稿日:03月03日(土)00時00分16秒

ご覧いただき、ありがとうございます>yamanakaさま ご覧の通り、立ち上げたばかりで内容も乏しく愛想もないところですが、よろしければまたお立ち寄りください。yamanakaさんの博捜力こそ懼るべし。いろいろ学ばせてもらっています。リンクをしていただけるのでしたら光栄です。 このページはあまりに文字ばかりで愛嬌がないので、ハリー・クラークのものも含め、美書と稀覯書(もっぱら洋書ですが)のコーナーを開きたいと思っているのですが...。そのコーナーを開いた折りには、是非yamanakaさんのwebをリンクさせていただきたいと思っております。またその節には、そちらにご挨拶とお願いに参ります。

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(無題) 投稿者:yamanaka  投稿日:03月02日(金)04時34分26秒

初めて書き込みします。先日は当方の掲示板で、クラークについてのHPを教えて下さって有り難う御座いました。いつもここの御論評を拝見させていただきますと、驚きと共に、学生でありながら趣味的な小説ばかり読んでいる己が恥ずかしくなってきます。また、「私も頑張らねば」といい刺激になっております。またうかがわせていただきます。これからも宜しく御願いします。それと、もしよろしければ、リンクしたいのですが、宜しいでしょうか?

http://www3.tky.3web.ne.jp/~taqueshi/

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東洋文庫探訪 投稿者:庵主  投稿日:02月22日(木)22時53分02秒

今日はある知人を介して、駒込にある東洋文庫を見学。G.A.モリソンの東洋学関係の一大蔵書を三菱財閥の岩崎久彌が買い取ったものを核にした、東洋学の総本山。研究図書館として一般には公開せず、閲覧には紹介状などが必要なのだが、知人の紹介で千載一遇の機会に恵まれた。 東洋学というのは、こちらにとっては知識がごっそりと欠落してる部分だが、この文庫の素晴らしさ、いや底知れぬ恐ろしさは遠巻きながら伺える。コーラン古写本、チベットの貝葉型写本で『死者の書』、『四庫全書』、果ては科挙の最終試験である殿試の答案など、館長の案内で次から次に驚くべきものを拝見することになった。『解体新書』なども、その翻訳の底本になった『ターヘル・アナトミア』の原本とともに、ごく当たり前の顔をして書架に収まっていて驚かされる。日本の活字本も、五山本から始まって、朝鮮から伝わった活字(秀吉経由と言われている)を元に日本で初めて活字を起こして作られた(いわば日本のグーテンベルク、インキュナブラ)慶長勅版本、そして嵯峨本まで見せていただけた。 この嵯峨本は、日本のケルムスコットなどと言われることがあるように、私家版として作られた豪華本。これは光悦の書体を元に活字を起こし、活字にもかかわらず連続書体(手書きで書いたような続け書き)になっている。この辺も、初期のインクナブラが、できるだけ写本を真似ようとしていたのと似ているかもしれない。『徒然草』などは、雲母摺りという光沢を透かし込んだ紙に印刷されており、挿絵入りの『伊勢物語』などは折帖毎に紙の色が違っていたりする凝りよう。日夏耿之介などもでエセー「美しき書籍の話」(『日夏耿之介全集』第8巻、河出書房新社)で絶賛している。

 また意外だったのは、この東洋文庫は、東洋に関する夥しい「欧文」稀覯書まで擁していること。ふと目にして見せていただけたが、かのグールドの『アジアの鳥類』。こうした博物学関係でも「東洋」と名がつけば、この文庫の守備範囲となるようだ。この手彩色図版がまた圧巻。ちょっと書ききれないくらいの経験をさせてもらったが、とりあえずご報告。 ちなみにこの文庫の財政的支柱となった岩崎財閥といい、嵯峨本を作らせた角倉(すみのくら)素庵といい、文化を育てる良質のパトロンの力というのを見せ付けられたような気がする。

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復刊&美学会 投稿者:庵主  投稿日:02月18日(日)21時41分24秒

復刊ドットコムの『ダルタニャン物語』は、訳者が鈴木力衛だったんですね。講談社文庫の古書を気長に一点ずつ蒐めて行くという手もあるでしょうが、一挙に復刊というのは良いですね。

>別の会議室幹事さま デジカメ、Balthazarさんにもお薦めしましょう。 美学会のお知らせありがとうございます。>J.Ch. F. von Sさま でも、美学会というのは、大方の学会と違って、研究例会でも院生ではなく、中堅以上の人が積極的に発表するんですね。今回は私も行きます。

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美学会例会 投稿者:J.Ch. F. von S.  投稿日:02月18日(日)16時42分58秒

美学会の件お知らせしておきます。 平成13年3月3日(土)午後2時より東京大学法文1号館113番教室 小田部胤久 「自然」と「先入見」ー 18世紀イギリス趣味論のアポリア室井尚   メディアアートという「現象」を読む

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復刊リクエストについて 投稿者:別の掲示板の人  投稿日:02月18日(日)09時48分48秒

復刊リクエストは、人気のある本ならあっというまに決まってしまうこともあるようです。講談社の『ダルタニャン物語』は再刊行されています(私も買いました)。ただ、アラビア関連とかは、こうほそぼそとやっていても埒があかないだろうなあ、とは思います。組織票が必要でしょう。気長に待っています。 山内先生の本は『普遍論争』すら積読状態で・・・・・何をかいわんや。 ところで、デジタルカメラですが、Nikon CoolPix950 が六万円以下で買えますから、よいと思います。あるいはオリンパスの200万画素クラスですね。300万画素あっても、PCのモニタには半分も映りませんし、失礼ながら庵主様のマシンだと結構処理が重くなるはずです。WEB用なら80万画素だって無用ですから、150万以上あれば、年賀状にだって大活躍のはずです。

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国会図書館 投稿者:庵主  投稿日:02月17日(土)13時50分46秒

以前少し触れた昔の「ディドロ著作集」、国会図書館にはあるようだ。演劇論の巻もあるらしい。しかし私の入手した弘文堂の文庫は見当たらない。 --------------------------------------------------------------------------------

こんなものが 投稿者:庵主  投稿日:02月16日(金)22時05分37秒

ドイツ語早口言葉なんてサイトがありました(英訳付き)。やはり関係代名詞、指示代名詞、冠詞5連発みたいなものがいくつか載っています。

Die, die die, die die Diebe ausreisen liesen, der Polizei melden, bekommen eine Belohnung!

「窃盗団の高飛びに手を貸した者たちを警察に通報した方には、報奨を差し上げます」。

でも、これならさらに増やせる。

Die, die die, die die, die die Diebe toteten, ausreisen liesen,

「窃盗団のメンバーを殺害した者たちの高飛びに手を貸した....」 (これでどうだ。でも合っているかな)。

こんなものも。 Zwischen "oder" und "und" und "und" und "und" und "und" und "oder" ist immer ein Leerzeichen.

「または(OR)」と「と(AND)」と、「と」と「と」と、「と」と「または」のあいだには、かならずスペースを空けるように」。(コンピュータ上のことでしょうかね。訳に自信なし) でも、これなら英語でもできますね。

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更新しました 投稿者:庵主  投稿日:02月13日(火)00時55分48秒

『天使の記号学』を一応料理して、鹿島茂『『パサージュ論』熟読玩味』なども加えました。それにしても『天使の記号学』は梃子摺りました。相当に議論の水準がハードです。私の紹介ではおそらく十分ではないでしょうが、とりあえず話しの切っ掛けにでも。

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是非是非 投稿者:βεκκ  投稿日:02月12日(月)21時18分32秒

ワタクシは足抜けしたので元関係者ですが、書評期待しています。 #フリークと言えるほど読んでなかったしなあ……

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新刊『天使の記号学』 投稿者:庵主  投稿日:02月12日(月)00時15分15秒

予約注文してあった山内志朗『天使の記号学』(岩波書店)がきょうやってきて(BK1は休日でも配達がある)、今しがた読み終わった。内容的にはこれはかなりすごい。メインになるのは、アヴィセンナとそこに連なるスコトゥスの線 ―― 個体化の問題 ―― を軸にした、相当に強い議論。称讃(それも絶賛に近い)と不満の双方を寵めて、いずれ論評したい。それにもまして、こちらをご覧下さっている中世哲学フリークの皆さんが、これにどういう感想をもたれるか、お訊きしたいところ。

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新着図書 投稿者:βεκκ  投稿日:01月28日(日)00時19分45秒

 またまた到着ですね(^^)。一月のうちで本のつかない日は何日ぐらいあるのでしょう(笑)? ワタクシの知らない分野ばかりなので(じゃあよく知っているものはあるのかと問われるとはなはだ心許ないのですが(^^;))、なるほどこういうものもあるのかと勉強になります。なかでちょっと気になったのが、モラヴィアさん。ひょっとしてあの有名な作家のアルベルトと縁戚関係があるのかな。それともモラヴィアという姓はありふれているでしょうか。イタリアの文人だと、作家のナタリア・ギンズブルグは歴史家カルロ・ギンズブルグの母親らしいですね。

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探索 投稿者:βεκκ  投稿日:01月27日(土)23時46分06秒

 ジンメルと生松敬三の本それぞれ教えていただいたので今日出かけた折りに新刊書店を探してみましたが、どっちもありませんでした。生松さんの方は版元品切れみたいですね。ということでネット書店を探してみます。

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左派 投稿者:βεκκ  投稿日:01月27日(土)23時42分50秒

 「アリストテレス主義左派」っていうのはどんなものなのでしょう、なんとなく形容矛盾のような気がするけれど(笑)、なんか気になります。 「なんとか左派」っていうのはいくつかありますよね。フロイト左派とかへーゲル左派とか。よりradikalということなのかな。あと青年へーゲル派というのもあったけれど、これもどんなのか。老年ヘーゲル派というのはないですよねさすがに。  あ、それから業務連絡ですが、申し訳ないのですけれど明日はちょっと参加は難しいです。来月もどうなるかわからないのですが、もし都合がつけば伺いたいと思います>庵主様

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またまたブロッホ 投稿者:庵主  投稿日:01月27日(土)23時18分07秒

今日も雪の中、郵便やさんが小包をいくつも抱えてやってきた(ご苦労さま)。その中に、またブロッホが(もちろん、自分で注文したんだけど)。Avicenna und die Aristotelische Linke(『アヴィセンナとアリストテレス主義左派』)という小冊子でした。それ以外にも、大分新着分が溜まったので、そのなかから5冊くらいを選んで「新着図書」に追加しておきました。 今日の雪の一日は、シベリウスの歌曲集でした(A.S.オッター)。これがまたいいんだな。

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ブロッホその他 投稿者:庵主  投稿日:01月26日(金)19時03分05秒

>とてもリーダー・フレンドリー:『西洋古代・中世哲学史』

 ありがとうございます。本文の記述は、あれだけコンパクトなスペースに、良くあれほどの情報を盛り込んだと思えるようなものになっています。辞典代わりとしても末永くお使いいただければ何よりです(スタッフ一同)。

> 『異化』

 ブロッホの 『異化』は、現在の完訳版の前に、現代思潮社から抄訳が出ていました。この訳者の一人は例の種村季弘さんです。こちらはいま「スーパー源氏」で見たら、2,000円のものが転がっていました。>ケダちゃん  抄訳のほうにも「探偵小説の哲学的考察」なんかは収録されています(そんなに長いものではありませんが)。あの中に収められるられているものでは、個人的にはワーグナー論が素晴らしいと思っています。アドルノの『ワーグナー試論』(未邦訳)と並んで、ワーグナー論の傑作ではないでしょうか。

 ブロッホには、『ルネサンスの哲学』(未邦訳)という講演があるのですが、ルネサンスの反骨・反権威というのはブロッホには良く合うらしく、かなり元気なルネサンス論になっています(トーマス・ミュンツァー論は邦訳がありましたが〔国文社〕、いまは品切れかな)。この講義の最後にはヴィーコが挙げられています。18世紀人にもかかわらず、「遅く生まれてきた」ルネサンス人で、ブルーノの「英雄的ルネサンス」の後継者だというわけです。

   このヴィーコをヒーローとして大々的に持ち上げようとしたのが、βεκκさんの触れられたサイードですね(『始まりの現象』〔法政大学出版局〕)。そして彼は別のエセーでは、「亡命」という生活形態に関して、ヴィーコのドイツ語訳者アウエルバッハを賞賛しているわけです。しかもこの忘れられていたヴィーコのことを、マルクスはしっかり知っていて、『資本論』の註で言及したりしています。この辺も、思想家同士の観念上の見えない繋がりを掘り起こすには良い材料になりそう。またまた「結合術」です。

>生松さん

 生松さんのワイマールものというのは、ヒューズの『意識と社会』(みすず書房)を訳したことが大きいのでしょうね。思想史関係のきちんとした訳者は、翻訳をやりながらいろいろなことを調べて、自分の仕事に繋げて行くのでしょう(それに引き換え.... という例を、今度書評の方でやろうと思います)。

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ヨーロッパの知識人 投稿者:βεκκ  投稿日:01月26日(金)13時55分27秒

>庵主様

姉妹編もあったのですか、これは知らなかった。機会があったら読んでみたいですね。『現代思想』なんですが、よくよく書棚を見たら、おんなじものを既に持っていました(笑)。どうも最近、すでに買って持っているのにまた買ってしまうというのが続きます。老化の始まりでしょうか。ということで、今度お会いしたときにでも進呈いたします。 ブロッホの『異化』はこれもずっと前に白水社版を買っていましたが、全然手をつけていなかった。目次を見ると確かにいろいろ面白そうですね。ブロッホはちくま学芸文庫の『この時代の遺産』が読みさしのままだけれど、独特のスタイルですね。原文で読んだことはないですが、訳文からも元の文の雰囲気が伝わるような気がします。

しかし、ヨーロッパでの知識人の繋がりは、遠い日本から見ると思った以上に緊密なようですね。現在はどうなのか知りませんが、大学や学会といった制度的なものとは関係ない、真に関心を共有する繋がりが自然に求められできあがっていくものなのでしょうか。それとも、19世紀的ヨーロッパが崩壊した1920年代は大変革期で、既製の枠に収まらない新たなネットワークが活性化したからなのかな。生松さんが力説しているように大学外のサークルがいっぱいできたわけですよね。そして現在にまで残るような仕事をしたのは、大学のポストを占めていた教授連ではなく、アカデミズムの外にいた人たちだったわけですね(ハイデガーなんかは別格でしょうけれど)。あと、30年代から40年代にかけては亡命知識人の時代ということになるのでしょうか。みすずで昔そういうシリーズがありましたね。

亡命と言えば、以前教えていただいたサイードの『知識人とはなにか』(平凡社)もそういう話題を扱っていました。 >ケダちゃん 古本だと半額ぐらいで買えるかも……

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来ました 投稿者:ケダ  投稿日:01月26日(金)13時06分19秒

>『西洋古代・中世哲学史』クラウス・リーゼンフーバー(平凡社ライブラリー)。

虚弱読者のわたしにとって、なにより大切なのは目次と索引なのですが(笑)、この本は、目次に余分な情報がなくて検索にも使いやすく、索引も事項と人名にわかれていて、とてもリーダー・フレンドリーですね。ぼつぼつ読んでいきたいと思います。

>庵主さま

フッサールのテキストへのリンク、ありがとうございました。まだ英語のほうをちらっと見ただけなのですが、後で読みに行きたいと思います(わかんないような気もしますが)。 ときに、「探偵小説の哲学的考察」というのに惹かれて、『異化』をちょっと検索してみたら、な、な、七千円ですか、それも上下……。

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生松さん 投稿者:庵主  投稿日:01月26日(金)12時05分06秒

『二十世紀思想渉猟』は、最初青土社から出ていたやつですね。あれは私もひどく楽しんで読んだのを覚えています。ヘルマン・カイザーリングの「智慧の学園」とか、キャバレー文化とかね。この姉妹編『人間への問いと現代 ―― ナチズム前夜の思想史』(NHK出版)も面白かった(こちらの方が「姉」かな)。『現代思想』は、いま捜したら、その翌々月のデカルト特集が出てきましたが、ご指摘のものは発見できず。多分未見だと思うので、今度捜してみたいと思います。 >ジンメルが世評に先がけて高く評価したブロッホに触発されたアドルノがジンメルを批判するという捩れた構図  確かにこれは興味深い関係ですね。これにルカーチなんか混ぜたら、どんなことになるんでしょう。ブロッホのエセーも一種独特で面白いですね。『異化』(現代思潮社、白水社)の中の「探偵小説の哲学的考察」とか、「機械と幽霊」とかね。でも、ブロッホのドイツ語は結構妙です(そんなに読んだわけではありませんが)。 >質疑応答  そういえば、山口昌男もこんなものを書いていましたね。書きながら考えていたのは、「学会」の質疑応答も、せめてこれくらい内容に即して簡潔だったらなぁ、ということでした(嗚呼)。

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もひとつおまけに 投稿者:βεκκ  投稿日:01月25日(木)02時11分57秒

「思想としての百科全書」の後半の自分自身との質疑応答は、もしかして山口昌男風? 違っていたらごめんなさい。

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誤植 投稿者:βεκκ  投稿日:01月25日(木)01時40分11秒

啓三→敬三 でした。

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ジンメル 投稿者:βεκκ  投稿日:01月25日(木)01時37分49秒

 なるほどジンメルですか。白水社(でしたっけ?)の全集は高そうだけれど、ちくま学芸文庫だと手頃ですね(でも文庫としては高いけれど)。実は最近、先日買った生松啓三『二十世紀思想渉猟』(岩波現代文庫)を読んでいて、ジンメルをめぐるいろいろな人的繋がりの話が出て来てちょっと興味を持っていたところでした。ジンメルとルカーチ、ブロッホ、ウェーバー、クレンペラー、アドルノなどの名があって面白く思いました。ジンメルの「把手」をめぐっては、アドルノが「壺の把手、壺、昔の経験」で、ジンメルのそのエッセイを手厳しく批判しつつブロッホを賞揚しているということで、かえって興味が涌いています。ジンメルが世評に先がけて高く評価したブロッホに触発されたアドルノがジンメルを批判するという捩れた構図がどうなっているのか、気になるところです。 『二十世紀思想渉猟』のなかで、『現代思想』1975年5月号「特集フランクフルト学派 その全体像」では川村二郎がこのことについて書いていると言及されているのを読んだ直後に、偶然古書店でその号を見かけて入手し、件の文も読むことができました。こういうことってあるものなのですね。

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一分足らずの擦れ違い 投稿者:庵主  投稿日:01月24日(水)23時45分40秒

>βεκκさま

 早々にご覧いただいたようで、ありがとうございます。『中世思想原典集成』活用法というつもりで書き出したものが、なんだか話がどんどん広がってしまいました。さらに膨らませる材料もQ&Aなんてかたちで入れたので、まだまだ考えたいと思います。それにしても、やはりSummaが難物です。これさえなければ上手く行くのに...。 「文学形式による思惟の形成」というので、私なんかが真っ先に思い浮かべるのは、ジンメルでしょうか。「橋と扉」とか「把手」「廃墟」「流行」「冒険」など、ベンヤミンなんかが好きな人なら当然に反応するようなエッセーが目白押しですね。最近のちくま学芸文庫の『ジンメル・コレクション』には、「橋と扉」と「取っ手」は収録されています。 >フッサールの項目 きちんとリンクを張らずに不精をしました。すいません。

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ちなみに 投稿者:βεκκ  投稿日:01月24日(水)23時14分06秒

思惟の文学形式への定着、文学形式による思惟の形成を論じたものとしては、アドルノの「形式としてのエッセイ」なんかを連想したのですが、他にそういうものはあるでしょうか?

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フッサール 投稿者:庵主  投稿日:01月24日(水)23時13分17秒

>ケダちゃん(βεκκさんのところの続き)

 例の『30年代の危機と哲学』に入っているフッサールの「ヨーロッパ的人間性の危機と哲学」というのは、いわゆるウィーン講演というやつなのですが、これはWeb上で原文と英訳が公開されています。

http://www.cc.jyu.fi/~rakahu/kirjat/krisis_kleine.html 

(原文)

http://sweb.uky.edu/~rsand1/Husserl/#Texts

 (英訳)  どんなもんなんだろうとお思いなら、ちらりとご覧下さい。あとでリンクの中にも放り込んでおきます。 そして別件のお問い合わせに

>J.Ch.Fr.v.S.さま(便宜的に)

 お問い合わせのものはもしかするとこちらでしょうか。『危機書』の付録と言えば、「幾何学の起源」を指すのが普通ですが、これは草稿であって「講演」ではありません。上記の「ヨーロッパ的人間性...」のほうには、『危機書』の元となった「講演」です。また、「幾何学の起源」のE-Textは、今のところはなさそうです。 --------------------------------------------------------------------------------

力作 投稿者:βεκκ  投稿日:01月24日(水)22時48分27秒

 更新された書評集の「思想としての百科全書」、スバラシイですね。百科全書という書物の形式が言わば剪断面となって西洋思想史の地層が露呈する様、また逆に包括的な思惟が百科全書という形をとり時代精神の具現として結実していく道程が見事に描き出されていて、このままにしておくのはもったいない気がします。もう少し膨らませて『現代思想』あたりに出せたらいいのに、と思うのですが……

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おっとシツレイ 投稿者:βεκκ  投稿日:01月24日(水)22時21分00秒

えー、書き方が悪かったです、キリル文字=ロシア文字ですね>ケダちゃんだから、キリル文字の大文字と小文字があるわけです。IMEで文字のコード入力をするウインドウがもしあれば、そこでスクロールしていくとキリル文字やギリシア文字が出てくるはずです。

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あらま! 投稿者:ケダ  投稿日:01月24日(水)21時39分34秒

大文字小文字の違いじゃなかったのですね!>βεκκさま。なんとお恥ずかしい。というか、恥ずかしいと実感できないほどよくわかってない(笑)。 ロシア文字の小文字がキリル文字で、大文字は別の名前なのでしょうか?<どこまでも無知……。

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真面目なお答え(^^) 投稿者:βεκκ  投稿日:01月23日(火)23時48分15秒

>ケダちゃん えーと、RTのときにたまに語頭を大文字にすることを除けば、ワタクシはいつも小文字です(^^)。'ъзкк'というのはキリル文字(ロシア文字の小文字、の筈)で、 'βεκκ'はギリシア文字(の小文字)ですね。 でも、キリル文字とギリシア文字が紛らわしいのは訳があって、それは前者が後者を参考にして作られたものだからなのです(の筈だったがうろ覚え(^^;))。この辺はいのさんが御専門なので、帰ってこられたら解説してくださることでしょう……。 --------------------------------------------------------------------------------

つまらない質問 投稿者:ケダ  投稿日:01月23日(火)13時00分21秒

>βεκκさん

最初の文字を大文字にするときと小文字にするときでは、意味が違います?というか使い分けをしていらっしゃいますか? (あの、本人はいたってまじめにお尋ねしていますです、はい……)

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そうなんですよね 投稿者:庵主  投稿日:01月23日(火)12時37分12秒

大学関係のこと、まったくβεκκ さん(イタリック格好良い)の仰る通りで、研究者・大学人といってもさまざまですからね。しかもおそらく高野さんもご存知の通り、大学というのは脳を硬化させる因子が瀰漫して入るらしく、結構関心の狭い人が多かったりもします。制度上、専門上の付き合いなんて、たかが知れているかもね。でも、その外の世界はもっとつらいと言われれば、それはそうなのでしょうね。 しかし、そもそも研究者と非研究者(アマチュア)の境界なんてものもどこにあるんでしょうか。大学外の編集者・校正者といった人たちのなかに、研究者を名乗る人々よりもよほど確かな理解と見通しをもっている人がいるのを実際に見聞きすることで、そんな疑問は膨らむ一方ですよ。当たり前のことですが、大学・研究機関に属していることが研究者としての身分証明ではないはずですものね。 アベラールは好きだな。師匠のシャンポーのギヨームを討論で打ち負かして学者生命の息の根を止めたり、お前には聖書解釈などできまいと言われたのに反撥して、翌朝にはエゼキエル書講解をやってしまったりと、その小生意気なところが良い。でも、例の事件を起こして行き場のなくなったアベラールを引き取ったペトルス・ウェネラビリスはもっと立派。ちょっと、ほっとする話です。

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乱入 投稿者:高野史緒  投稿日:01月21日(日)18時46分10秒

ケダちゃんのところから来ました(爆)。これから資料探しの際、頼りにさせていただくやもしれず、とりあへず、ご挨拶までに。

http://homepage2.nifty.com/takanofumio/

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ドーナツ甘いか 投稿者:ケダ  投稿日:01月21日(日)18時21分30秒

ではなくて、domusって家っていう意味なのかな。 あ、どうもこちらでははじめまして。ъзккさんところから来ました。すごいなあ……。更新がんばってくださいね。

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早業 投稿者:ъзкк  投稿日:01月21日(日)11時33分32秒

 早くも新着図書欄更新ですね。御自身の言葉に反して庵主自らがますますのめり込みそうな雲行き(笑)。

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祝・開設 投稿者:別の会議室幹事  投稿日:01月21日(日)11時17分50秒

遅れ馳せながら、ウェブサイト開設のお祝いを申し上げます。いや〜、書籍紹介書評欄の高級さ。更新を楽しみにしています。自分の所にもラテン語をちりばめないと・・・・(笑) ところで、昨日W先生の最終講義を聴きに図書館に行ったついでに、イスラムを \8,400で購入しました。今まで我慢した甲斐がありました。iさんが一人で仕事をなさっていました。

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早々に 投稿者:庵主  投稿日:01月20日(土)21時52分52秒

ご訪問と激励ありがとうございます。>ъзкк さま、訪問者1さま

 昨日はほぼ丸半日以上、この内容の文章を書くのに費やして、仕事がストップしてしまいました。ъзкк さんも仰るように、無理せずにぼちぼち書いて行くのが長続きのコツなのでしょうね。そうは言いながら、昨日到着分の新着図書を書き込んでいたら、また今日の分が着いた。これを一々やっていたら身が持たないということが一日にして分かってしまったので、後の更進はある程度まとまったところで選別してやることにします。  でも、この掲示板では、私の方でもいろいろ質問を発して(語学その他の問題で)皆様のご意見を窺えたらと、虫のいいことを目論んでいたりもします。  リンクやご紹介、これはありがたいことです。私の方でも、もう少し内容が何とかなったら、出入りしている掲示板その他にご挨拶に行こうと思っているので、よろしくお願いします。でもこんな内容、関心を持ってくれる人がどれほどいるんでしょうか。  まだリンクに結構エラーが出るようです。済みません。追々改善して行きます。

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注意 投稿者:訪問者1  投稿日:01月20日(土)12時32分09秒

購買欲をかきたてる危険なサイト。良心的弱小出版社、書店が見ればリンクしたくなるだろう。

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いやしかし 投稿者:ъзкк  投稿日:01月20日(土)02時14分48秒

 HPや掲示板の名、入口に掲げられた一幅の絵のごとき日夏耿之介の詩、随所に散りばめられたラテン語の句、推薦図書と書評集で取り上げる書物の選択とその紹介文、そして実用に徹したリンク集とどれをとっても素晴らしいですね。こういった方面に関心のある人にとっては、興味と必要をともに満たす場ではないでしょうか。唯一広告が入ってしまうのが残念ですが、維持コストを考えると致し方ないのでしょうね。まだスキャンしていない書影もスキャンしていずれお送りいたしましょう。

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開設おめでとうございます 投稿者:ъзкк  投稿日:01月20日(土)01時44分59秒

 ついにHPをつくられたのですね、いやあ嬉しいです(^^)。本の話題だけというのも徹底していてよろしいのではないでしょうか。内容はぼちぼち手を入れていくというのがあまり疲れず続いていくような気がします。面倒だったらほったらかしでもいいですしね。掲示板があるのも、ちょっとした雑談ができたり、本来の機能である(笑)連絡に使えたりと、便利そうです。また一つ、巡回先が増えました。それと、こちらからリンクを張ったり、ここを掲示板で紹介したりしてもいいですか?

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口上 投稿者:庵主敬白  投稿日:01月20日(土)00時13分50秒

HPなるものを立ち上げてはみましたが、内容はいたって貧弱です。やはり実際の構想と実現のあいだには大きなギャップがあるようです。どこを見ても本の話題しかない悪い冗談のようなペイジですが、ときどきはご覧下さい。 何分にも俄仕立てのこと、かなりの部分をうろ覚えで書いているので、記載がかなりいい加減です。それぞれのコーナーの分類も大いに再考の余地があります。皆様にあれこれと言っていただければ幸いです。今後の御贔屓のほど。