シャフツベリ
Shaftesbury,
3rd Earl of, Anthony Cooper Ashley
1671-1713
|
【批判と風刺】
内実を伴わない権威や鹿爪らしい正論に悩まされたときには、シャフツベリの典雅な笑いを思い出すのがよい。なぜならおよそ300年前に狂信的宗教と戦った彼は、尊大な権威や熱狂的な宗教家を批判するための手段として、徹底した「揶揄」(raillery)や「嘲弄」(ridicule)といった「笑い」の武器を提供してくれるからである。正論同士が正面からぶつかり合い、ついには暴力にまで至った陰惨な宗教戦争の愚を繰り返さないために、シャフツベリは「真理の試金石としての嗤い(1)」と、人間である以上誰にでも具わる健全な「常識」を提唱する。虎の衣を借る狐の面目を潰すには、自らが虎の扮装をするのではなく、強暴な風袋の隙間から覗く、見るも哀れな痩身の身躯を笑いものにし、「雅趣あるユ−モア」によって冷や水を浴びせるのが最も効果的である。笑いやユ−モアによって脆くも敗れる主張は、その権威を真・偽の基準とは別のところから借りているのであり、およそ真理の名には値しないというが、彼の意味での合理主義であった。
真理に対する確信に貫かれたシャフツベリの笑いは決して野卑に流れることがない。彼の時代は、文学においては、ポ−プやスウィフトなどを代表とする風刺文学(satire)が一世を風靡した時代でもあり(2)、モンテ−ニュによって「四大詩人の一人」と賛美されるシャフツベリの中にも、文学的技巧に富んだ洗練された風刺の精神が脈打っているのである。このような同時代の軽妙洒脱な風刺の気風と、健全な理性を導きとする啓蒙主義の批判精神とを調和させ、豊潤で馥郁たる果実に実らせたところに、シャフツベリの真骨頂がある。
【ロマン主義の先駆者】
「諷刺]を武器として駆使したとはいえ、ヴォルテールのような洗練された批判精神から想像されがちな無感動な皮肉家という姿は、シャフツベリとは無縁である(3)。彼の批判の基盤となる合理精神は、宇宙全体に働く秩序への信頼や、自然の内に現れる美的調和への愛に支えられているからである。これはシャフツベリが、同時代のケンブリッジ・プラトン主義を通じて学び取った古代哲学の遺産であった(4)。そのため彼の主張する「常識」もまた、単なる社会的通念と言うよりは、権威や偏見に縛られない立場と、その内に現れる真理の秩序を表すものと言える(5)。このように古代哲学、特にプラトン主義に繋がる傾向と同時に、シャフツベリには近代的自然観としてのロマン主義を準備する側面がある。シャフツベリにとって宇宙の超越的な秩序は、美的感覚や想像力を介して感覚的に把握される。そのために彼は、宇宙の美的調和に驚嘆し、自然の中に溢れる力の崇高さ(6)に讃嘆の眼差しを送るのである(7)。自然の崇高に圧倒されながらも(8)、それをあくまで「美」として観照する(comtemplate)(9)近代的な美学的態度の発見者の姿がここにある。洗練された趣味(taste)をもつ美的・道徳人間像を「ヴィルトゥオ−ゾ」(virtuoso)として顕揚しながら、宇宙全体に対して開かれた感受性を解き放つシャフツベリは、ディドロ(10)やヘルダ−などの心酔者を産みながら、やがてくる本格的なロマン主義運動を準備することにもなるのである。
【生涯と著作】
1671年ロンドンで生まれる。祖父の初代シャフツベリ伯の秘書であった哲学者ロックが家庭教師役を務める。ヨ−ロッパ遊学(グランド・ツァ−)の後、5年の学究生活を経て政界入り。外来病弱であった彼の生涯は、1713年に43歳で世を去るまで、ウィッグ党の政治家としての活動と療養生活の往復である。その療養のあいだに、『熱狂に関する書簡』(1708)、『道徳家たち』(1709)などを著す。
【読書案内】
汎ヨ−ロッパ的な影響を及ぼしたこのシャフツベリには驚くべきことに本格的な邦訳がない。しかし洗練されて親しげな彼の文章は、18世紀の英語とはいえ、読者を差し招くかのような親密さに溢れている。例えば『熱狂についての書簡』は次のような出だしである。「卿下はいまや、より重大な公務の控えている時節を前にして、領地にお戻りになられました。もし卿下が、公務とも雑務とも無関係な、純粋に悦びのためだけの考察を暫時愉しまれようとなさるなら、今手にしておいでのこの文章をご一瞥くださいますよう。そして急を要する用事をおもちでないなら、気散じにこれを最後までお読みください」。哲学書にありがちな重苦しさは、彼の領分ではない。彼が生前公刊したものは、『諸特徴』(Characteristicks)全3巻に収められており
、初版の復刻も入手可能(11)。(18世紀刊本を古書で購うなら、当時の印刷の最高峰バスカヴィル版が垂涎の逸品。)
彼と同質の宇宙観はポ−プの『人間論』(岩波文庫)に詩の形で表現されている。また20世紀のカッシ−ラ−には、共感をもってシャフツベリを紹介した良い文章がある。『英国のプラトン主義』(工作舎)、『シンボルとスキエンティア』(ありな書房)。
B・ウィリ−『イギリス精神の源流』(創元社、版元切れ)は幅広い視野をもつ入門書。L・スティ−ヴンの大部の『十八世紀イギリス思想史』(全3巻、筑摩書房。版元切れ)は必携。代表的な研究書としては、R. L.
Brett, The Third Earl of Shaftesbury, Hutchison's U.Pr. 1951
が復刊されて、今ならば入手可能。
シャフツベリの予定調和的宇宙観は、しばしば楽天主義の名で語られるが、彼の時代にあって楽天主義とは、(ライプニッツがそうであったように)現状の追認と言うよりは、むしろ一つの決意表明を意味していたことを念頭におくべきだろう。また彼の「嗤い」の理論をルネサンスにまで遡って、バフチン『フランソワ・ラブレ−の作品と中世・ルネサンスの民衆文化』(せりか書房)などと対比するのも大きな課題。
【註】
(1)
シャフツベリに先立ってこの主張を前面に押し出したものとして、Abbe J. B.
Morvan de Bellegarde, Reflecions sur le
ridicule et les moyens de l'eviter があるが、これは1706年以降6回英訳されている(ただし6回目の1749年版は、The
Polite Tutor と題され、原著第1章のみの抄訳であった)。Cf. Chr. Fr. Weiser, Shaftesbury
und das deutsche Geistesleben,
Leipzig/Berlin 1916, S. 119. (この著作巻末の Bibliographisches
Material
は、古くなったとはいうものの現在でも示唆に富む)。
(2)
同時代の作家・批評家を完膚なきまでにからかったポ−プ(Alexander
Pope 1688-1744)の『ダンシアド』Dunciadやスウィフト(Jonathan
Swift 1667-1745)の『桶物語』A Tale
of Tub
を代表とする。この風刺詩の確立者ともいえるドライデン(John
Dryden 1631-1700)すらが、マシュ−・プライオル(Matthew
Prior 1664-1721)とチャールズ・モンタギュー(Charles
Montagu
後のハリファクスHalifax 卿)によってすかさずパロディ化され嗤いのめされる(The
Hind and the Panther Transvers'd to the Story of
the Countr Mouse and the City Mouse 1687)といった具合に、この時代の文学・思想は何よりも「嗤い」抜きには語れない。ドライデンは英雄対句 (heroic
couplet) による『風刺論』An
Essay upon Satire によって「風刺」の性格を以下のように表している。「〔諷刺とは〕人々の芳しからざる欠陥を思いのままに述べ、その無益な行いや益体もない考えを笑いのめすには、最善とは言わないまでも、最も大胆なやり方である。また聡明な人は、各人の特別の功徳を評価するときには、諷刺の中で異なった扱いをするものである」“And
(satire) is the boldest way, if not the best, /
To tell men freely of their foulest faults,/ To
laugh at their vain deeds, and vainer thoughts./
In satire, too, the wise took different way, / To
each deserving its peculiar praise.”: John Dryden, The
Poetical Works of John Dryden, London:
Printed and Embellished under the direction of C.
Cooke (n. d. but the edition in 18th Century), p.
88.
(3)
同時代になされたさまざまな批判を参照。バ−クリ(George
Berkeley 1685-1753)『アルシフロン』Alciphron
or, The Minute Philosopher in seven dialogues、ジョン・ブラウン(John
Brown 1715-66)、『諸特徴についての論考』。Essay
on the Charakteristics. 1st Essay: On Ridicule
considered as a Test of Truth, London 1751.
(4)
プラトンとストア哲学のどちらの影響を重く見るかという点に関しては、たとえばE.
Cassierer と A. O.
Aldridge との間には意見の相違がある。
(5) Cf. I.
Osske, Ganzheit, Unendlichkeit und Form. Studien
zu Shaftesburys Naturbegriff, Berlin 1939. C-4:
Der Begriff der Harmonie als Verwobenheit
(texture) von Gut und Übel, S.
50ff.
(6) “O glorious
nature! supremely fair and sovereignly good!
all-loving and all-lovely, all- divine!.... O
mighty Nature! wise substitute of Providence!
impowered creatress! O thou impowering Deity,
supreme creator!” Characteristicks,
I, 1, 97.
「突兀たる巌、苔むした岩屋、足元危うい粗造りの洞窟、水迸る奔流
――
野趣のもつ身の毛のよだつ魅力ゆえ、これらはますます人を惹き付け、子供騙しのフランス式整形庭園など手の届かない壮麗さを体現するのだ」。『モラリストたち
―― 狂想曲』I,
sec. 2 (Charakteristicks, p.393)
(7)
自然における崇高の発見に関しては、同時代の地学理論が大きな役割を果たしている。バ−ネット(Thomas
Burnet 1635?-1715)の『地球の聖なる理論』Sacred
Theory of the Earth (2 vols., 1684-1690)が「風景の弁神論」の意味を担った。しかもその文体はしばしばミルトンに比せられる。こうした感性がロマン主義にまで通底する見事な見取り図がエイブラムズによって記されている。
“Following the examples of
Milton’s Paladise
Lost and of Thomas Burnet's elaborate and
eloquent elaboration upon the events of Revelation
in his Sacred Theory of the Earth, the last
days were graphically rendered ... by Dryden in
the conclsion of Anne Killigrew, John
Pmfret in his Pindaric odes On the General
Connflagration and Dies Novissima,
Pope in The Messiah, James Thomson in
the conclusion of The Seasons, James
Hervey in his Meditations among the Tombs,
Edward Young in his ode The Last Day and
in the ninth book of Night Thoughts, and
William Cowper in the sixth book of The Task.” : M. H. Abrams, Natural
Supernaturalism. Tradition and Revolution in
Romantic Literature, New York 1973, p 38.
(8) Christopher
Thacker, The Wildness Pleases. The Origins of
Romanticism, New York 1983.
(9) J.
Stolnitz, On the Significance of Lord Shaftesbury
in Modern Aesthitic Theory, Philosophical
Quarterly 2 (1961); id., On the Origins of
Aesthetic Disinterestedness, Journal of
Aesthtic and Art Criticism 20 (1961-1962).
(10)
ディドロは『徳に関する考察』の匿名の仏訳者である。Philosophie
Morale reduite ses principes ou Essai de M. S.
sur le Meriite et la Vertu, 1751
(11)
遺稿・手紙の編集は、Benjamin
Rand (Ed.), The Life, Unpublished Letters,
and Philosophichal Regimen or Anthony, Earl of
Shhaftesbury, London 1900 および Second
Characters
HOME Library TOP
|