蒐書記の新着分を拜見しました。
ウォーカー『古代神学』が「ヨーロッパ思想の底流を成している脈々たる「偽書」の歴史である」といふのは、日本中世と讀み合はせると面白さうです。先頃、佐藤弘夫『偽書の精神史 神仏・異界と交感する中世』(講談社選書メチエ、2002.6)なんて本が出たみたいですが(未讀)、佐藤氏ならずとも既に戰前から思想史家などの中世を僞書の世紀と目する論が散見されますから。
原克『死体の解釈学』は私も讀みました。いささか不滿が殘るのは同感です。注も少ないし。――が、あの〈廣済堂ライブラリー〉といふ小體な新書判の制約からして致し方無い面もあり、多くを期待しないで輕い讀み物として樂しめば良いのかもしれません。
『死体の解釈学』で興味深かった箇所の一つはベンヤミンを援用してゐる部分(163〜4頁)ですが、出典が記されてゐないので氣になって仕方ありません。原氏、こんな風にパラフレーズしてゐます。
ベンヤミンの表現を借りれば、断続的な思考のかけら、ひらめき、夢想、総体性の欠如ということになるが、これらはすべて本来、かつての活字メディアが作り上げてきた、閉鎖的なメディア環境の外側にはじき出されていたものばかりである。その結果、それらが避難所としてみずからを沈潛させていったメディアが、書物以外の表象システム、わけても、うわさ、伝承、口コミ、臆測といった口承メディアたちであった。そしてベンヤミンは、総体性の欠如を恐れない態度、これこそが新しいエクリチュールの原理となりうるかもしれないという。だとすれば、情報大量消費社会においては、かつての口承メディアたちの系譜が、活字メディアとしてのジャーナリズムにおける雜誌や新聞のなかに、ダイジェスト記事や読み物あるいはゴジップ記事などという新しいスタイルをまとって、合流し再生したということになろう。
でも、ドイツ語で書いたベンヤミンが「エクリチュール」なんて言ひますかねえ……。『文学の危機』とか『複製技術時代の芸術』とか晶文社版著作集をザッとめくったけれども見當たりませんでしたし。それとも『パサージュ論』か、或いはドイツ語のベンヤミン全集を參照したのでせうか。
出所にお心當たりありましたらどなたでもご教示下さいませんか。
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