口舌の徒のために

licentiam des linguae, quum verum petas.(Publius Syrus)
真理を求めるときには、舌を自由にせよ

(過去ログ)


No.836

世の中には色んな出版社があるんですね
投稿者
---こば(2002/09/03 05:13:12)
http://www.h3.dion.ne.jp/~sabato/index.htm


「ブレーズ・サンドラール」とはいかなる人なのか、ネットで検索してみたところ、「サバト館」なるHPがひっかかりました。

ここの掲示板を読む皆さんにとっては今更ながらかもしれませんが、サバト館なんていう名前の出版社があるんですねえ。外国文学や日本近代文学、美術書を取り扱っている出版社で、在庫目録を見てみると生田耕作の著書、訳書が多いようです。

なぜかこの出版社は他社(主に中公)の宣伝ばかりしています。本好きにとっては、出版社に拘ることなく同一のトピックについての色々な本が紹介されているのは良いことなのですが、他社の宣伝ばかりしてこの出版社は儲かるのかしらん。
尤も、この掲示板に入浸る人々はそういう儲けを返上して本を愛する出版社に浄財を施す尊い人ばかりなんでしょうね。

近々この
HPで宣伝されているフェリシアン・ロップス展に行って来ようと思います。様子など眺めてきて拙い感想でもここに書き込むかもしれません。



No.839

Re:世の中には色んな出版社があるんですね
投稿者
---今出川(2002/09/04 20:27:25)


初めて投稿する今出川と申します.
この書肆は生田耕作氏御自身が著作翻訳を自らの手で
好みに装丁して作り上げるために設立したものです.
氏の逝去後は奥様がお続けになっていると伺っています.

No.840

生田氏
投稿者
---prospero(管理者)(2002/09/04 23:22:03)


>
こば様、お久しぶりです。
>今出川さま、始めまして。

奢霸都館(表記、不正確ですが)は確かに独特の癖のある個性的な書肆ですね。それだけに、熱狂的なファンも多いように聴きます。画集を別として、近いところで私が入手したものでは、『山崎俊夫作品集』などがありますが、これも相当に強い個性を発散しています。

生田耕作氏と言えば、何と言っても「バイロス事件」が有名でしょうが、翻訳の問題が常日頃気になっている私などが真っ先に思い浮かべるのが、生田訳・ブルトン『シュルレアリスム宣言』への大岡信の評価に対する反論です(「難解派翻訳家にひとこと」『紙魚巷談』〔倒語社〕所収)。大岡信が、ブルトンの難解な原文が、翻訳によってひどく平板になってしまっているというような批判をしたことに対してこんなきつい一言を書いています。「きたんなく申せば、フランス語という外国語を媒介にするときは、大岡にとってぼやけて見えるものが、生田にとってはより明瞭にうつることもありうるというしごく簡単な、語学能力の差異に起因しているといえるだろう」。要するに、ブルトンの原文を難解だ難解だといってあり難がっているのは、あなたのフランス語力が足りないだけのことだと言い切っているわけで、これはなかなか凄いものがあります。しかし、このくらいの冷静さは、総じてやたらに難解だとして持ち上げられている文学者・思想家を考えるときには案外必要なものかもしれませんね。

No.844

異色出版社列傳を讀みたい
投稿者---森 洋介(2002/09/09 01:50:22)
http://profiles.yahoo.co.jp/livresque


 奢[汗−干+覇]都館といふのは如何にも熱心な愛讀書が附く出版社で、その筋(とはしかし、どの筋か?)ではよく知られてゐます。『BOOKMAN』#26「特集=秘密のベストセラー」(トパーズプレス、1990年2月)でも取り上げられたことがありました。
 ウェブでは、
「異色出版書肆」といふページを造りかけてゐる人がゐ、中に「奢覇都館」も擧がってゐます。そこに列記されてゐる、薔薇十字社、森開社、創土社、コーべブックス、等の出版社には、そこが出した書物といふだけで注目させられてしまふ魅力がありました。といっても私が斯道に踏み出しかけた頃には、既にみな閉業、古書漁りでめぐりあふしかなかったのですが。だいいち高値の本ばかり、貧書生には殆ど手が出ませんで。
 村上博美
『幻想書誌学序説』(青弓社、1993.1)が薔薇十字社(倒産後、出帆社として再出發)の軌跡を追ってゐますが、あれはいかにも「序説」で粗いので、もっと内堀弘『ボン書店の幻 モダニズム出版社の光と影』(〈叢書レスプリ・ヌウボオ〉白地社、1992.9)みたいに博搜徹底したものが出て、さういった小出版が細い筋ながら支へてゐた或る種の文脈――當時の文化情況みたいなものを跡付けてくれると面白いのにと思ひます。'60年代・'70年代も既に歴史となりつつありますから、當事者が生きてゐるうちに聞いておくべき話もあるでせう。薔薇十字社の編輯者だった故・矢牧一宏については皓星社が注目して、その編輯書を「ふくろう叢書」の名で復刊しようとしてゐます。コーベブックスや雪華社で活躍した渡邉一考氏は、いまはですぺらといふバーをやりながら時に『別冊幻想文学 怪人タネラムネラ〜種村季弘の箱』(アトリエOCTA、2002.4)の編輯に與ったりしてゐる模樣(昔『銀花』で連載してゐた文章を纏めてくれると嬉しいのですが)。他にも知られざる編輯者がゐたことでせう。かつて『幻想文学』誌にあった「Fantastic Editors」といふ頁は毎回興味深く讀んだものでしたが、あの要領で非現役の編輯者にも聞き書きをしてくれる篤志家はゐないものでせうか。
 なほ、神田神保町へ行く折があったら
書肆アクセスへ立ち寄られることをお勸めします。地方・小出版流通センターの直營店で、奢[汗−干+覇]都館の刊行書もかなり揃って見られますから。勿論、その他様々な特色ある出版社の圖書も。

No.845

新興学術出版
投稿者---prospero(管理者)(2002/09/11 21:46:42)


>森さん

情報満載の書き込みをありがとうございます。やはり小さな志ある書肆は、大出版社とは違って、出版書目のラインナップ自体に個性を表すもののようですね。

ところで、学術出版の新興書肆として、「知泉書館」という出版社が立ちあがりました。易しいもの、気楽に読めるものが大量に流通するなか、あえて内容のしっかりした大著を出していこうとするその意気込みが実に立派で頼もしく思えます。
新着図書に追加しておきました。


No.850

ロップス
投稿者---
こば(2002/09/19 04:52:09)


今出川さん、挨拶が遅れてしまいましたが、初めまして。

今出川さん、プロスペロウさん、森さん、私の拙い投稿に対してご教示有難うございます。

フェリシアン・ロップス展の感想を一言。この展示の宣伝文句は「ロップスは通常、官能主義的悪魔主義的傾向で知られる画家であるが、若い頃には風景画を描いた時代もあるので、これまで日本では知られていなかったロップスの一面が垣間見れるだろう」といった内容でした。しかし、そうは言われてもどうしてもロップス後期の、女性と悪魔を題材とした諷刺画に目が行ってしまったのは私だけでしょうか。性的に乱れた裸婦を諷刺として描くことによって世紀末巴里の退廃的雰囲気を巧妙に抉り出している観がありました。19世紀後半の巴里の芸術家(或いはその攻撃性の故にそこから追い出された人々も含めて)にとっては、ボードレール然りロップス然り、諷刺と象徴が両輪の歯車のように相補的に連動していたのではないか、と想像してみました。



No.859

町田版画美術館
投稿者---prospero(管理者)(2002/09/29 14:54:18)


>こば様

ロップス展にお出かけになられたのですね。私も行きたいと思いながら、都合がつかないうちに期日が過ぎてしまい残念です。

「風景画家」ロップスですか。彼の風景画はベルギー王立美術館が買い取ったりもしているわけですから、これが彼のいわば「表の顔」というわけですね。当時の画壇では重鎮クラスだったのでしょう。でも、風景画を描いていたのは「若い頃」だけなんですか。私は生涯、二つの顔を持ちつづけたのだと思っていました。

「女性と悪魔を題材とした諷刺画」という点では、似た傾向の人として、私はリンゼイが贔屓です。以前に『サチュリコン』の挿絵入り本のことに触れたと思いますが、彼はニーチェの『アンチクリスト』の挿絵入り本も作っていて、これがなかなか見事です。

それから、町田の版画美術館ですが、ロップス展と並んで、ボイデル展をやっていませんでしたか?私はどちからというとこちらに行きたかったのです。ボイデルのシェイクスピア・ギャラリーの版画の展示です。これは、いつか現物を入手したいと思っている版画集の一つなので。

No.860

Re:町田版画美術館
投稿者---
こば(2002/09/29 23:59:39)
http://village.infoweb.ne.jp/~fwba1821/hangamuseum/silkhp04a.htm#zyousetsu


ロップスに関しては、作品が時代順に並んでいて前半に風景画が集中していたので「若い頃は風景画」と覚えてしまったのかもしれません。定かではありません。

或いは企画展が日本のロップス受容(需要)としての諷刺画をメインディッシュにして、風景画を前菜に見立てたのかもしれません。何れにせよ、ロップスに限らず画家の全体像を掴むには、現地に飛んで通常見過ごされがちな細部に至るまで直接点検しに行くのが理想なのかもしれません。

『小特集シャイクスピアの世界』と題されたボイデル展は9月16日に終了してしまったようです。また、プロスペロウさんが関心を持っているボイデルとは『シェイクスピアギャラリー』(小田島雄志著、ボイデル編、社会思想社、1992年)と関係があるものなんでしょうか。

No.861

ボイデル
投稿者---prospero(管理者)(2002/10/02 00:03:08)


ボイデル(Boydell)というのは、18世紀後半から19世紀始めにかけて活躍した出版業者で、この人がシェイクスピアの舞台に題材を取った版画集を企画して実現したのが、有名な『シェイクスピア・ギャラリー』というものです。これは、一点一点の作品が新聞紙大の巨大なもので、総数も180点あまりあります。何よりもここの版画に原画を寄せた画家に、フュースリがいるのが、私には気の引かれるところです。この版画集は、洋古書店などで、ときどき単品で額装して飾ってあったりもします。

シェイクスピア関係の図版というのは、それこそ無数にあるので、とても全貌が掴み切れません。私のところのシェイクスピア全集の一つには、フュースリ原画・ブレイク刻の版画が入ったものなどもあります。チャールズ・ナイトの全集も挿絵入りの版としては有名なものの一つです。

 


No.752

「実戦哲学の復権」とは?
投稿者---discipulus(2002/07/05 21:31:51)


初めての書き込みですが、
いつも楽しく読ませていただいております。
Libraryも読んでみたいなという項目がいくつも並んでいますので、
完成されていくのを楽しみにしています。

さて、質問があります。
「ヨアヒム・リッターらに代表される、ガダマー派の解釈学に基づく新アリストテレス主義的ないわゆる「実戦哲学の復権」という、1960・70年代ドイツ哲学の大きな流れ」という文があったのですが、
これはどういったものなのでしょうか?
私は解釈学というと、ガダマーの『真理と方法』、
それも日本語訳が出ている部分しか読んでいないような知識の無さなので、 
よく分かりません。
あるいはどういった本を読むとこのあたりのことが分かりそうでしょうか?

お忙しいことと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

 


No.753

「実践哲学の復権」について
投稿者---prospero(管理者)(2002/07/07 12:08:24)


>discipulusさん

はじめまして。数日、東京を離れており、お返事が遅れて失礼しました。ご覧いただきまして、ありがとうございます。本編の増補が滞ったままで、申し訳ないような次第です。

さて、「実践哲学の復権」ですが、これは、ガダマーが(ハイデガーの影響の下で)、アリストテレスの「賢慮(フロネーシス)」を中心に、「共通感覚」を中核に据えた社会的実践を強調したところ辺りから始まって、著名な大冊二巻本の論文集『実践哲学の復権』(Rehabilitierung der praktischen Philosophie, 1972)が公刊されたことで、一つの流れとして注目されたと言っていいかと思います。

この論文集の編者となったリーデルは、この運動の代表者でしょう。彼自身の著作はいくつか翻訳がありますが、この主題に直接に関わるものとしては、『解釈学と実践哲学』(以文社)でしょうか。リーデルの文章は、私も以前にある論文を訳したことがありますが、これがなかなか難物でした。しかし、着眼がとても面白く、才気煥発な印象を受けます。

なお、岩波書店の『思想』が1981年に『実践哲学の復権』(no. 684 [1981. 6])を出しており、この特集号などは、この主題の理解には有益なものだと思います。

とりあえず思いつくこの辺りでいかがでしょうか。


No.735

昔を今になすよしもがな
投稿者---森 洋介(2002/06/02 18:34:08)
http://y7.net/bookish


 私事ながら――パソコンのハード・ディスクが損壞、かなりのデータが失はれ復元不可能と判明しました。いまは修理に出す間、友人を通じて借りたノート・パソコンを使用してゐます。
 改めてバックアップは大切だと思ひ知らされました。なんでも、毎日まめに保存するにはPCカードといふのが便利で、近頃安くなってゐるのださうです。もしお使ひになってゐる方がいらしゃったら、使用感などお聞かせ下さると參考になります。

 しかしコンピューターなんて脆いものです。その點は向後いかに技術が進歩しようともやはり印刷物には及ばない所ではあるまいか。いささかラッダイトめいた電腦不信の歎を漏らしたくなります
 ネット上に公開してあるものでも、ページが削除されたりサイト自體が消滅したりして、リンク切れで見られなくなることが屡々。圖書ならば古書店で探すこともできますが、ウェブの方は消え失せたらそれきり。それでも昨秋、The Internet Archive Wayback Machineなるものが公開されて少しはましになったと思ひきや(cf.紹介記事、サイト制作者にはむしろこれに反撥する向きも少なくない樣子。「お前はただの現在にすぎない」とはテレビ論の古典のタイトルでしたが、インターネットも何か「永遠の現在」といった性格がありはしないか。過去をほじくり返してばかりゐる後ろ向きな男としては、電網の恩惠に與りながらもどうもその邊が馴染めないところです。

 さて、過去のデータを保存といふことでは、こちらの掲示板の過去ログも氣になるところ(これが言ひたかった)。prosperoさんはお忙しくて中々アップロードする暇はないかとは存じますが、パソコンに保存してあっても私みたいにいつクラッシュするか知れたものではありません。ご考慮下さいますと幸ひです。

 


No.738

Re:昔を今になすよしもがな
投稿者---prospero(管理者)(2002/06/03 22:05:07)


> 私事ながら――パソコンのハード・ディスクが損壞、かなりのデータが失はれ復元不可能と判明しました

これはそざや打撃のことでしょう。私なども、そうした事態を考えるとぞっとします。いまのところ、共同で当たっている作業などの場合、添付書類で共同者にデータを送ってそちらでも保存してもらうというようなこともしています。普段は原始的にフロッピーですが。

> ネット上に公開してあるものでも、ページが削除されたりサイト自體が消滅したりして、リンク切れで見られなくなることが屡々。

確かにwebの情報というのははかないものですね。その点、まだCD-ROMのデータなどは安心ができます。しかも、近頃本当に古典的著作のCD-ROMが安価になりましたから、紙のときでなら、空間的な問題でとても入手することができなかったものを手元に置けるようになったのは大きな利点です。ゲーテの書簡全集などが1万円程度ですから。

>過去のデータを保存といふことでは、こちらの掲示板の過去ログも氣になるところ

私も同じです。常々何とかしたいと思い続けているのですが。一度、癖にしてしまうとコンスタントに整理することはそれほど苦にはならないのでしょうが、重い腰をあげるまでが大変そうです。私自身も、どうしても「紙」の作業のほうを優先してしまいがちですので。

それにしても、紙の上でいまだに赤字を入れて校正などをしていると、webに比べていかにも泥臭い作業をしているような思いも抱きますが、やはりそうした「物」がもっている抵抗感が、何かを作り出すという作業には欠かせない要素のような気がします。
No.742

Re:手書き再考
投稿者---Juliette(2002/06/08 09:37:07)


>それにしても、紙の上でいまだに赤字を入れて校正などをしていると、webに比べていかにも泥臭い作業をしているような思いも抱きますが、

まったく同感です。世間でさんざん言われていることではありますが、メールが普及してから、いわゆる「手紙」を書かなくなりました。
書くにしても、下書き&清書の手間ひま時間を考えると、ワードで打ってしまいたい欲求に打ち克つのは大変でしょう。
でも、もしあえて今「手紙」を書くとしたら、それはメールなどをご利用にならない年配の方への私信か、恋文くらいでしょうか。
どちらも、ワードで打つにはあまりにも不向きです。

>やはりそうした「物」がもっている抵抗感が、何かを作り出すという作業には欠かせない要素のような気がします。

そうねすね。特に私がいつも悩むのは「読書ノート」と「日記(風覚え書き)」です。

本の読み方には人それぞれスタイルがあって、私は興味を覚えた人間の読書スタイルはとても気になるクチなのですが、
自分自身はというと、内容によって大体3つくらいに別れます。小説などは流し読み、内容的に軽いものは行間に線を引いたり、
本の余白にコメントを書いたりします。そして、「読む」ことにかなり体力を要する類のものは、読書ノートに要点をまとめながら
時々疑問やコメントを書き添えつつ読み進めていきます。

読書は自宅だけに限っていなので、このノートは携帯の利便のいいものであることが必須です。
しかし、最近だんだんこれが溜まってくると、ここに書かれていることが全部PCにも入っていたら
後々もっと使えるのに・・・と思い始め、早めにPCに切り替えるべきか悩んでいます。

一方日記の方は、まさにProsperoさんがおっしゃるように「書くことの泥臭さ」が反射光に一種の粘り気を与えます。
だから手書きで書いた日記を後で読み返すのは、とても重たい泥球を自分自身に投げ返すような気持ちになります。
しかし、そうしてこそ得られる何かが(うまく言えないけど)絶対あるような気がします。
ワープロはあまりにも簡単に自分に都合の悪いことを、つまり羞恥、憤怒、嫌悪、絶望、焦燥・・・etc.を消してしまえますからね。

No.744

手書きの速度
投稿者---prospero(管理者)(2002/06/15 12:04:49)


>Julietteさま

無精者の遅いレスポンスです。

私も最近は、手で文字を書く機会がめっきりと減りました。しかし何といっても手書きの良いところは、紙の平面を自由に使えることで、矢印やら記号やらを勝手に作れるところが大きな利点でしょう。ですから、何か大きなものを書いたり話したりということの準備をするときだけは、いまだに紙のメモを使っています。漠然とものを考え始めるときには、手書きの速度と手を動かすという感覚がちょうど刺戟になって良いということもあるようです。

私の場合、読書ノートのたぐいはほとんどつけませんし、書物に書き込みをすることもあまりありません。人文系の学問は、大量に読んで大量に忘れて、その忘れたものが腐葉土のようになり、そこから何かが生まれてくるという古風な感覚があるので、忘れるものは忘れるに任せています(要するに、単なる無精なのですが)。

思想書に関しては、情報を纏めるだけというわけにはいかないので、私の場合、仮に思いつきをメモしても、後で読むと自分のメモさえ理解不能ということが多々あります。ですから、どうしてもある程度のまとまりのあるものを書いておかないと意味がないということになりがちです。そんなわけで、Studia humanitatisなどの一応の「書評」なり、書物紹介というものが、今のところ唯一の防備禄となっているようです。

 


No.736

日本語書籍のネット書店
投稿者---柳林南田(2002/06/03 06:50:43)


日本語書籍(新刊)を海外で買うために利用するネット書店ですが、品揃えが良く送料が安いのはどこでしょうか。アマゾン日本を利用していますが、やや品揃えが悪いように思われます。また私は配達速度よりも送料の安さを重視します。ご教示下さい。

 


No.737

Re:日本語書籍のネット書店
投稿者---こば(2002/06/03 11:04:31)


>柳林さん

口を挟むようで恐縮ですが、恐らくアマゾン日本より発達した日本書籍のネット書店は到底望めないと思います。

というのも、海外で日本語の書籍を求める人はほとんどいないし、また日本国内ではネットを利用せずとも書店が乱立しているので本屋で注文すれば容易に本を入手できます。要するに、日本語書籍のネット書店に対する需要はあまりないように思うのですが。

それにしても、日本は本当に書店の多い国ですよね。西欧でもアメリカでも大都市に行かなければ書店を見かけることはありませんが、日本ではどんな小さな駅でも駅前には大抵本屋があるし、そればかりか古本屋もチェーン店ができる始末。ネット書店ができにくいわけですよ。

海外におられる柳林さんのご不便、お察し申し上げます。

No.740

ネット書店など
投稿者---prospero(管理者)(2002/06/06 20:14:06)


海外からの利用の快適さという点に関しては、経験がありませんので分かりませんが、私はamazon, bk1などのネット書店も比較的よく利用しています。確かに、「日本ではどんな小さな駅でも駅前には大抵本屋がある」わけですが、その書店の品揃えは、おそらくこの掲示板に集まって下さっている方々の需要を満たす水準からは程遠いと思います。少し小さな書肆の専門的な書物になると、大手の書店でも「うちでは扱っていません」というような返事が返って来たりもしますから。未知谷の書物など、私は多くの場合、古書店でその「新刊」の姿を初めて目にするような始末です。

ですから、ネット書店は、こちらの目標さえ定まっていればかなり便利に使えると思いますし、弱小出版社にとっては、相当本気で考えるべき販路ではないかと考えています。出版社のHPでの販売も同じです。それもあってでしょう、未知谷やありな書房はそれなりに、社風にふさわしいHPを作っていますね。尤もこれらは、現物を見ることができないのが大きな難点ですが……。

それから、最近は、CDもHMVのネット販売を良く使っています。輸入盤もかなり値下げをして刻々入荷をしているので、欲しいものが決まっている場合は、うろいろ歩き回らずに済んでなかなかに便利です。

No.741

Re:ネット書店など
投稿者---柳林南田(2002/06/07 07:42:35)


>ですから、ネット書店は、こちらの目標さえ定まっていればかなり便利に使えると思いますし、弱小出版社にとっては、相当本気で考えるべき販路ではないかと考えています。出版社のHPでの販売も同じです。それもあってでしょう、未知谷やありな書房はそれなりに、社風にふさわしいHPを作っていますね。尤もこれらは、現物を見ることができないのが大きな難点ですが……。

郵便振り替えなどを利用して、前払いで申し込んだ場合は割引などのサービスをすると良いのではないでしょうか。書店を通さなければ、送料と振り替え手数料を差し引いてもまだ書店売りより利益が出るはずです。

No.743

Re:日本語書籍のネット書店
投稿者---柳林南田(2002/06/13 00:44:44)


http://www.e-hon.ne.jp/
http://www.boople.com/
http://books.rakuten.co.jp/
http://www.amazon.co.jp/
http://www.junkudo.co.jp/
http://www.esbooks.co.jp/
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/
http://market.bookservice.co.jp/top/
http://shopping.yahoo.co.jp/books/

このようなサービスがありますね。
 

No.745

姜 尚暉 (カン サンフィ) 1920-1994
投稿者---柳林南田(2002/06/20 13:59:38)


題名の人について教えてください。在野の研究者だったらしいのですが。

著作は下記。

ヘーゲル大論理学精解 (全3巻) ミネルヴァ書房
上巻 有論 1984
中巻 本質論 1990
下巻 概念論 1993
No.746

Re:姜 尚暉 (カン サンフィ) 1920-1994
投稿者---prospero(管理者)(2002/06/20 19:25:26)


私も知りませんので、少し調べたら、こういう記事がありました。「ある哲学者の死」というところをご覧下さい。

No.747

ヘーゲル大論理学精解 (全3巻)
投稿者---柳林南田(2002/06/24 01:36:16)


こちらに投票お願いします。

http://www.fukkan.com/vote.php3?no=10729

No.10729
ヘーゲル大論理学精解 (全3巻)
著者名/姜 尚暉 (カン サンフィ) 1920-1994
出版社/ミネルヴァ書房
内容

上巻 有論 1984
中巻 本質論 1990
下巻 概念論 1993

No.748

ヘーゲル『大論理学』の邦訳
投稿者---柳林南田(2002/07/03 01:13:22)


ヘーゲル『大論理学』の邦訳には、

寺沢 恒信/訳 以文社
武市 健人/訳 岩波書店

があるようですが、どちらが良いのでしょうか。岩波書店版は1956-66年発行であり、以文社版は1977年発行なので、後者のほうが新しく良いのでしょうか。

No.749

Re:ヘーゲル『大論理学』の邦訳
投稿者---prospero(管理者)(2002/07/03 22:05:51)


私は残念ながら、武市 健人/訳 岩波書店のほうしか読んだことがないので、寺沢 恒信/訳 以文社については、何とも申し上げかねます。ただ武市訳は、今の感覚だと大分古い印象を受けるということはあると思います。寺沢訳については、どなたかご存知の方に伺ってみたいところです。

先日、ある集まりで初対面の哲学関係の教員数名と話す機会があり、その折に偶々長谷川訳『精神現象学』の話になりました。面白いことに、哲学の教員たちは、別にヘーゲルの専門家でなくとも、この長谷川訳に対して懐疑的な方が多いような印象を受けました。彼らの感覚は、やはり原典と辞書を脇に置きながら、翻訳を読むというスタイル(もちろん、実際にはいちいちそんなことをするわけではないのでしょうが)を模範としていて、極端な場合、似たような意味の動詞が大した違いもなく二つ並べて使ってある場合でも、翻訳の方では動詞が二つなければいけないという雰囲気なのです。さらには、対象読者によって翻訳を変えるという考えも、俄かには受け容れてもらえそうもない様子です。

しかし、本来はやはり「独文和訳」と「翻訳」とは基本的に違うものと考えるべきでしょう。どうも(とりわけ「専門家」の場合)、語学のテストの答案のようなものが、「正確な」翻訳と考えられているような節があって、そのために、日本語として受容するという姿勢が乏しくなっているところがあるような気がします。そういえば、件の長谷川氏も、かつてのハーバーマスの訳などでは、旧態依然の「語学的」翻訳をしていたように見受けられますから、あそこまで思いきった翻訳をするには、そこにいく紆余曲折がいろいろあったのだろうと推測できますが。

関係のないことで失礼しました。


No.750

では古典語を和訳する場合はどうでしょう?
投稿者---こば(2002/07/03 23:02:09)


>本来はやはり「独文和訳」と「翻訳」とは基本的に違うものと考えるべきでしょう。どうも(とりわけ「専門家」の場合)、語学のテストの答案のようなものが、「正確な」翻訳と考えられているような節があって、そのために、日本語として受容するという姿勢が乏しくなっているところがあるような気がします。

最近、個人的な趣味で、エゼキエル書の或る箇所を和訳していたのですが、どの翻訳を見ても非常にいい加減であることが分かりました。ヘブライ語の同じ単語を全然別の日本語に訳していて、とても不満に思っています。聖書の場合は、ほとんどその読者がキリスト教徒に限られているせいか、その原義よりも日本語としての読み易さの方が重視されているように思います。しかしどうでしょう、聖書などはキアスムといった形式美が意味を強調することが多々あるのに、その形式を全く反映させないで日本語の読み易さを重視するような現在の聖書の翻訳には不満があります。

プロスペロウさんは、古典語の和訳に関しても、日本語の読み易さを重視されますか?特にラテン語の翻訳などはどうなんでしょう?


No.751

基本的には日本語の立ち姿を
投稿者---prospero(管理者)(2002/07/03 23:57:33)


語学的な正確さと「日本語の読み易さ」をあえて二者択一にするのなら、やはり私は後者を取るでしょう。仰るように、原文の形式の反映ということも意味内容と密接に関わっている場合があるわけで、それも無視できない要素だということもわかるのですが、やはりそれが日本語だけを読んでどれだけ読者に意識されるかということが重要だろうと思います。キアスム(交差配列語法)くらいだと、反映させることが可能でしょうが、すべてのレトリックを同じように日本語に映せるとは限りませんでしょう。

私など、極端に言うと、英詩などの場合も、かならずしも原文にある行分けを踏襲する必要すらないのではと考えている口です。原文がそこで改行しているから、日本語も「意味」のうえでそれに対応する個所に行分けを入れるというのは、およそ無意味だと思います。

専門家の人たちは、やはりどうしても全体を見るよりも、個々の部分や語句の解釈に重点を置きすぎるのではないかと思います。部分部分の正確さを追うあまり、全体としてぎこちないのでは元も子もないでしょう。私としては、せめて翻訳は、原文をネイティヴが読むときに感じる抵抗感と同じ程度の感覚で読めるものであって欲しいと思っています。その意味では、長谷川訳ヘーゲルは原文よりも抵抗感を減らしているところがあるので、全面的には賛成しません。ある種の違和感が残ることは一向に構わないのです。ただそれが、原文のもつ違和感と同種のものであることを望むわけです。

ところで、エゼキエル書の訳についての不満などを、具体的に示していただけるとたいへんに興味深いと思うのですが。
(と、話題を振っておきながら、申し訳ありませんが、私自身は明日から数日ほど、おそらくレスポンスができませんので、悪しからず)


No.654

critical realism
投稿者---柳林南田(2002/03/17 02:17:23)


critical realismの哲学は、日本で紹介されてますでしょうか?

Roy Bhaskar, Andrew Collierなど。

http://www.raggedclaws.com/criticalrealism/



No.658

Re:critical realism
投稿者---森 洋介(2002/03/17 10:44:32)


 生憎不勉強にして、いきなり名前を出されてもそれだけではなんのことやらサッパリです。
 そのcritical realismとはどんなもので、なぜそれが注目に値するかをご自身で語って下さらないと。
 文脈を共有せざる者にも通じるやうに、關心のありかを前提として示していただけると理解しやすくなることでせう。

No.659

Re:critical realism
投稿者---柳林南田(2002/03/17 23:30:31)


> そのcritical realismとはどんなもので、なぜそれが注目に値するかをご自身で語って下さらないと。

私も critical realism の何たるかを理解しているとはいえません。辞書に載っている critical realism (科学哲学における「批判的現実論」) とはちょっと違うようです。

創始者は Roy Bhaskar (Oxfordを退職)ですが、彼の本はもともと難解なうえに悪文のため理解できません。私の友人(マルクス主義哲学を専攻)は Roy Bhaskar を「現代のヘーゲル」と呼び、同じ評価を他の人からも聞いているので、注目に価することは間違いないと思います。

易しい入門書として

Critical Realism : An Introduction to Roy Bhaskar's Philosophy
by Andrew Collier
http://www.versobooks.com/books/cdef/collier_bhaskar.shtml

があります。こちらを近いうちに読むつもりです。

No.665

critical realismの学者
投稿者---柳林南田(2002/03/21 05:58:34)


Roy Bhaskar は Oxford の哲学教員でしたが、退職しました。

現在大学で教えている学者としては、

Tony Lawson
http://www.econ.cam.ac.uk/faculty/lawson/

Steve Fleetwood
http://www.lums.lancs.ac.uk/bino/Fleetwood.htm

Andrew Collier
http://www.soton.ac.uk/~philosop/collier.htm

などがいます。

No.663

www.criticalrealism.com
投稿者---柳林南田(2002/03/20 01:17:15)
http://www.criticalrealism.com/


http://www.criticalrealism.com/
参考web

No.716

critical realism at Cambridge
投稿者---柳林南田(2002/05/15 00:08:24)
http://www.res.otaru-uc.ac.jp/~egashira/Cambridge/20010313.htm


Cambridge 大学で研究している小樽商科大学教員の方のサイトに、critical realism への言及がありました。Tony Lawsonの主催する Critical Realism Workshopの話などが載っています。

No.731

Stephen Houlgate
投稿者---柳林南田(2002/05/31 01:16:39)
http://www.warwick.ac.uk/philosophy/sh.php


http://www.warwick.ac.uk/philosophy/sh.php
Stephen Houlgate

重要なヘーゲル研究者らしいです。私は読んでませんが。
一応ブックマークということで紹介しておきます。



No.733

Re:Stephen Houlgate
投稿者---prospero(管理者)(2002/06/01 13:43:00)


>Stephen Houlgate

Nietzsche-Studienなどにも寄稿している著者なのですね。「特定の存在理解を前提しているというハイデガーのヘーゲル解釈を是正する」という目論見は、少々立ち入って読んで見たい気がします。

差し当たってはHegel, Nietzsche and the Criticism of Metaphysicsが入手容易のようですので、覗いてみようかと思っています。

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