口舌の徒のために(過去ログ) 

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No.714

カルチュラル・スタディーズって?
投稿者---國府田麻子(2002/05/12 20:52:48)


お久し振りです。風薫る季節になりました、皆様ご機嫌いかがでいらっしゃいますか?
今、上野俊哉/毛利嘉孝『カルチュラル・スタディーズ入門』(筑摩書房、2000)を読んでいます。CSを「理論と実践をつなぐ運動である」として、サブカルチャー、ジェンダー、エスニシティなどに結びついてくるこの分野を分かりやすく解説してくれている本のようです。英国で生まれたCSを今まで目の端に認める程度で、それ自体をあまり意識したことは少なかったので、面白く感じております。学部時代に佐多稲子の『素足の娘』をCS的視点で読んだ(と思っていた)のですが……。実際、CSを知ってみると私の「CS的視点」なぞ、怪しいものだったと大変恥ずかしく振り返る次第です。
それにしても、現在一種の方法論として日本に根付いている(?)カルスタと、英国で発生したカルスタでは、かなりの違いがあるのですよね。文章(ことに論文でしょうか、この場合)を書く上で「カルスタ(的)な論の展開にしていこう」と意気込んで書いていくものなのでしょうか…。よく分かりません。私にはなんとなく「何でもアリの分野」のように思えてしまうのですが。
今後、カルチュラル・スタディーズという研究方法(と限定して良いものかどうか…)をよりよく知っていきたいと考えているのですが、今読んでいるような入門書の他にも何かよい本など、御存知のかた、もしよろしければお教えくださいませ。

 


No.715

Re:カルチュラル・スタディーズって?
投稿者---森 洋介(2002/05/14 00:19:47)
http://y7.net/bookish


 國府田さんご專攻の日本近代文學でカルチュラル・スタディーズと言ったら、次の二册が基本書でせう。
  • 小森陽一, 紅野謙介, 高橋修編『メディア・表象・イデオロギー : 明治三十年代の文化研究』小沢書店, 1997.5
  • 金子明雄, 高橋修, 吉田司雄編『ディスクールの帝国 : 明治三〇年代の文化研究』新曜社,2000.4


 但しこれらは、敢へて「文化研究」と稱することで、現時流行の「カルスタ」とは微妙に距離を取りたい樣子ですね。その邊、何か斯界の事情はご存じですか。


No.717

有り難う御座いました。
投稿者---國府田麻子(2002/05/15 01:16:39)


森様、

早速にも本をお教えくださり、有り難う御座いました。
大学図書館で検索したところ、『メディア・表象・イデオロギー : 明治三十年代の文化研究』は貸し出し中、『ディスクールの帝国 : 明治三〇年代の文化研究』は見つからなかったので、他のところで探してみます。『メディア〜』は予約して参りましたので、近々読めそうです。

>これらは、敢へて「文化研究」と稱することで、現時流行の「カルスタ」とは微妙に距離を取りたい樣子

このあたりのことは、ワタクシ殆ど分からないと言ったところなのですが、関連論文を少し取ってきましたので、それを読みましてから日を改めてまた私の(拙い)考えを書かせていただきたいと思っております。其の折にはいろいろとご教示願えれば幸いです。

先ずは御礼です。森様にはいつも沢山知識をいただいていますネ……。

No.720

文化の政治學、ではなく
投稿者---森 洋介(2002/05/22 13:10:03)
http://y7.net/bookish


>[……]関連論文を少し取ってきましたので、それを読みましてから日を改めてまた私の(拙い)考えを書かせていただきたいと思っております。

 それは是非。期待します。
 ついでに、たまたまこの邊に關係するレジュメをWebで見つけたので、一往お知らせしておきます(就中レジュメ2)。


 先に擧げた二著はやはりあちこちで論議を喚んだ模樣。
 私自身の「カルスタ」への感想を申せば、文學に跼蹐しない文化現象全般に亙る研究は望むところですが、それが多く「文化の政治學」でしかないのが不滿です。しかもその政治學は、フーコー流のミクロ・ポリティクスを稱しながらそのじつ舊來の「權力」觀・「政治」概念の燒き直しの域を出ない。この點、夙に彌永信美氏がサイード『オリエンタリズム』におけるフーコーの應用を批判したのに耳を傾けるべきではなかったかと思ひます。日本近代文學研究での「文化の政治學」は、歴史社會學派と呼ばれたものの復興――最惡の場合は、左翼公式主義的な裁斷批評の再來を招いてゐるのではありますまいか。
 愚見にて失禮。


No.721

Re:文化の政治學、ではなく
投稿者---國府田麻子(2002/05/22 22:03:15)


森様、

菅野先生のHPのご紹介有り難う御座いました。是非参考にさせていただきます。で、関連論文(と申しますか、対談)はただいま読んでいる最中です。修論の合間を見て読んでおりますので、ナカナカ進みません。プロスペロウ様の仰有るように、私も「カルチュラル・スタディーズ」というネーミングの段階でなんとなくピンときません。…簡単に「文化研究」と訳してしまって良いものかどうか。川口喬一等編『最新文学批評用語辞典』(研究社)には「(カルスタとは)社会とそさまざまな文化現象を考察の対象とする教育プログラム」となっていますよね。教育プログラム??確かに日本においてカルスタは「教育」というカテゴリーに嵌め込まれたことにより発展してきたのも事実なのかも知れません。でも、まだ発展途上である(とワタクシは思っております)カルスタを「〜である」と定義づけることはできないような気がしてなりません。その点で、「定義付け」が随所でなされている筑摩の新書はあまりしっかりとした入門書とは言えないような感想を持ちました。(…独り言です)
さて、

> 舊來の「權力」觀・「政治」概念の燒き直しの域を出ない。日本近代文學研究での「文化の政治學」は、歴史社會學派と呼ばれたものの復興。

私も森様に近い思いを抱いております(「左翼公式主義的な裁断批評の再来」が招かれるのかどうかはワタクシ、不勉強のため分かりませんが。また招かれたからといって、それが「最悪の場合」であるのかも……)。ただ、現在の日本近代文学研究に於けるカルスタは明らかに旧来のさまざまな分野を踏まえての「膨張」を続けているように見え、「文化研究」などと銘打っておきながら、澱んでいる部分がない訳ではない。もしカルスタ=「文化研究」であるならば(私はイコールではないのでは?と思うのですが)、旧来のものからは兎に角脱しなければならないですよね?解放状態におかれている学問であるならば、その特性を存分に活かして、「現在」を何躊躇うことなく受け入れていく必要があるのではないでしょうか。その意味でフーコーの「異化なる空間」の概念などは、見逃してはならず、常に意識しておくべきものなのではないかと考えておりますが…今のところ。如何でしょうか?…よく分からない段階なのに書いてしまいました。



No.722

訂正
投稿者---國府田麻子(2002/05/22 22:33:11)


>菅野先生

ではなく、「菅本先生」でした……。すみません。

No.777

消滅
投稿者---森 洋介(2002/07/27 17:11:43)
http://y7.net/bookish


 先刻氣づいたのですが、菅本康之ホームページが改裝され、それに伴ってくだんのレジュメ「「批評理論」から〈カルチュラル・スタディーズ〉へ」は全て削除されました。Internet Archiveにも保存されてゐません。
 今のうちならまだGoogleのcacheで讀むことを得ます。これもそのうち消滅しますので、保存する氣があるならどうぞ。



No.778

保存してます。
投稿者---國府田麻子(2002/07/27 22:34:54)


森さま、御無沙汰致しております。

> 菅本康之ホームページのレジュメ「「批評理論」から〈カルチュラル・スタディーズ〉へ」

は、はじめにお教えいただいたときに「その気があった」ので、保存、プリントアウト致しております。お心遣い、有り難う御座いました。
……カルチュラル・スタディーズ。後期のはじめに発表があるので、またはじめなくては、と思いつつも、暑いし、修論は忙しいしで……(言い訳)。現在は戴エイカ氏の『多文化主義とディアスポラ』(明石書店)を読み始めては居るのですが、これまた全然ピンとこない内容なので困っています。ポール・ギルロイやスチュアート・ホールの論文や著作は邦訳が進んでいないようですし…。抑も「カルチュラル・スタディーズを或る一つの《分野》として学ぶことの意味って?」と発言して、前期の演習で教授に怒られている始末なのです。根本が解っていないのに《ディアスポラ》って云われても…ってところです。とにかく、今はあまり考えたくないので、(何故だか)三島を濫読してます(谷崎でもナク)。カルスタを、なんとなくでも《身近に、楽しく》受け入れる秘訣(!)など、あるのでしょうか???(ナイですかね……)

No.779

Re:消滅
投稿者---prospero(管理者)(2002/07/28 14:53:05)


やはりこういうことがあるので、webというのはソースとしては非常に不安定ですね。リンク集などを作っても何とも落ちつかない思いが付きまといます。

Studia humanitatisのリンク集も、Gutenberg Projektのアドレスが変わったため、いくつかリンク切れになっていたのを思いだし、訂正をしておきました。ついでに新たにライプニッツとスピノザについてのサイトを追加。しかし、web上で公開されているテクストにしても、版の表記がなかったりすることもしばしばで、最終的な拠りどころとするにはかなり不安なものが多くて困ります。

web上のテクストは、リンクを貼って語釈をつけたりなどということができるのは紙に優る点かもしれませんが、それも、紙の上で不可能なことではありませんし、検索ですら、行き届いた索引のほうが、機械的な検索よりも便利だったりするので、やはりまだいまのところ、紙による書物はまだその優位を譲り渡していないように思えます。何よりも、物質としての書物は勝手に「消滅」したりはしませんしね。

No.724

Re:文化の政治學、ではなく
投稿者---prospero(管理者)(2002/05/25 16:30:24)


>この點、夙に彌永信美氏がサイード『オリエンタリズム』におけるフーコーの應用を批判した

サイードは感覚的には共感をもっている著者ですが、この批判というのは寡聞にして存じません。具体的にどのようなものでしょうか。書目なりともお教え願えれば幸いです。

『オリエンタリズム』は、議論が比較的単純な分だけ、読み物としては面白かった印象があります。彼自身の知識人論(『知識人とは何か』〔平凡社ライブラリー〕)などは、それこそ國府田さんご指摘の、フーコー的「ヘテロトピア」(のことですよね)的感覚に貫かれているようにも思うのですが、如何でしょう。『音楽のエラボレーション』(みすず書房)なども贔屓の書物なので、これについては、更新もまばらな本体のほうに、そのうち何か書いておこうと思います。

No.726

サイード批判など
投稿者---森 洋介(2002/05/28 16:07:51)
http://y7.net/bookish


 お返事遲れました。實は先週パソコンが故障して、ウェブの利用も儘なりません。
 さて彌永信美氏のサイード批判といふのは、「問題としてのオリエンタリズム」(『歴史という牢獄』青土社、1988.12所收)のことです。特に「iii サイードにおける政治の意味」あたりを念頭に置いて申しました。また彌永氏は、「フーコー的な言説編制体の分析を弾劾の方法論として使うことができると考えたところに」サイードの「錯覚」があったのではないか、とも述べてゐます(p.23)。引用しないと論旨が察しづらいことでせうが、長くなってしまふので今はご勘辧下さい。
 ついでに下記も參考になるかしれません。


 なほフーコーの言説分析の方法を應用するにあたってのサイードの「鈍感」ぶりは、丹生谷貴志「歴史の〈外部〉」(『GS』3「特集 千のアジア」冬樹社,1985.10所載)も示唆するところでした。


>彼自身の知識人論(『知識人とは何か』〔平凡社ライブラリー〕)などは、それこそ國府田さんご指摘の、フーコー的「ヘテロトピア」(のことですよね)的感覚に貫かれているようにも思うのですが、

 『知識人とは何か』を上村忠男氏が書評したのを想ひ出します。曰く、學生に讀後感を聞いたら「なんかサルトルみたいですね」と不滿げな樣子なので、思はず上村氏は「サルトルの何が惡いんだ!」と反問した、とか。
 私はむしろその學生に共感します。上村氏の論はフーコーからヘテロトピアなる語を借りて論じ出したあたりから興味索然としてきた感があり、『歴史家と母たち カルロ・ギンズブルグ論』(未来社、1994)前後の論考は面白く讀めただけに、殘念に思ってゐます。もっとも、その後もう逐ってゐないので、また興味深いものをものしてをられるやも知れず、その場合は先入見を改めます。


No.732

Re:サイード批判など
投稿者---prospero(管理者)(2002/05/31 22:59:31)


>森さん

パソコンの具合はいかがでしょうか。彌永信美氏の件、ありがとうございました。「問題としてのオリエンタリズム」(『歴史という牢獄』青土社、1988.12所收)を早速に読んでみました。

これを読んで思いましたが、私自身、ある意味では『オリエンタリズム』のもつ「弾劾」のニュアンスを、知らず知らずのうちに脱色しながら読んでいたようです。私自身の思考の非政治性のなせるわざか、「オリエンタリズム」の発生源としての「西洋」に対する糾弾という側面にあまり目が行かず、近代における異文化理解一般の問題として受け取っていたところがあります。ですから、「オリエンタリズム」というものがはらむ最大の問題は、その当の「オリエンタリズム」を「東洋」自身が自主的に内面化してしまうことがあるというところだと思っていました。それはおそらく、彌永氏の言葉で「内なるオリエンタリズム」ということになるのでしょう。

『知識人とは何か』も、私自身は、確かにその一種の英雄主義的な雰囲気は警戒しながらも、基本的には肯定的でした。しかし、『オリエンタリズム』批判から考え直すと、これには単なる雰囲気の問題に尽きないものがあることに、遅まきながら気づいたようなところもあります。「サルトルの何が悪いんだ!」という文章は私も読みました。今はくだんの『ヘテロトピアの思考』(未來社)に収録されていますね。

上村氏はそのヴィーコ論を期待しているのですが、二冊のヴィーコ論(『ヴィーコの懐疑』『バロック人ヴィーコ』〔共にみすず書房〕)もまだ核心を突いたという感じがしません。『新しい学』の新訳も準備中という話でしたが、どうなったのでしょうね。

>上村氏の論はフーコーからヘテロトピアなる語を借りて論じ出したあたりから興味索然としてきた感があり

この辺の経緯もまた詳しく伺ってみたいものです。

No.718

Re:カルチュラル・スタディーズって?
投稿者---prospero(管理者)(2002/05/16 01:43:36)


>國府田さん

お久しぶりです。カルチュラル・スタディーズですか。私もどうもこの言葉は具体的なイメージを結ばなくて困ります。筑摩の新書は出たときに読みましたが、やはり要領を得なかったような憶えがあります。「何でもあり」というのもありますし、「良いところ取り」といった印象ももちました。どうも日本の「カルスタ」というものは、元の英国のCSにフランス風味で味付けした混ぜ物のような漠然とした印象がありますが……。

>森さん

いつもながら、管理者の不案内な分野に助け舟をありがとうございます。ご紹介の本、私も図書館でぱらぱらと眺めてみました。また何か伺わせてもらうこともあるやもしれません。その節はどうかよろしく。


No.582

転身の頌
投稿者---花山薫(2002/02/03 22:32:30)


ここ数日、ひどいインフルエンザにかかってなにをする気にもならず、仕事も休んで家でごろごろしていましたが、たまたま目についた漱石の「坑夫」をなんの気なしに読みはじめて、これはすごいと改めて驚きました。「坑夫」は漱石の作品のうちではあまり問題にされることもなく、じっさいプロレタリア文学といってもいいようなもので、漱石が書く必然性みたいなものは稀薄なのですが、これを読みながら、漱石というひとはふつうに考えられている以上に大力量のひと、ほとんど幻視者といってもいいような資質のひとだと思うようになりました。

この、一読して容易に去らないふしぎな感興はなんでしょう。食べ物が胃にもたれるように、いつまでも消化されずに残っているような膨満感。こういう読後感を残すというのも私にはあまりないことで、これももしかしたらインフルエンザの熱の影響かもしれません。

この小説はある意味で、魔術的レアリスムの産物ともいえましょう。というのも、この「坑夫」のもとになったのは、ある青年が漱石のもとにもちこんだ身の上話で、それは巻末に「坑夫ノート」として再録されているのですが、それを見ても、漱石が創作した部分というのはほとんどなくて、ほとんどもっぱらその青年が彼に語って聞かせたところを忠実に再話しただけの物語だからです。つまり漱石のオリジナリティにかかわる部分は希少であって、当時の執筆事情に徴しても、新聞小説の埋め草のため、ほとんど準備する時間もなく書かれた、いわばやっつけ仕事なのでした。それにもかかわらず、というかそれだからこそ、ここに描かれている鉱山や坑夫があまりにもリアルなのに驚くのです。どう見ても、漱石自身が坑夫になってじっさいに体験したところを書いたとしか思えないような生々しさで、読んでいる私たちもまた、主人公といっしょにぽん引きに連れられて鉱山へ行き、そこで彼とともに地獄巡りをしたような気になってしまうのです。地獄巡り──そう、これはダンテの地獄よりもいっそう現実的な地獄であり、その象徴性においてひとつのトポスをかたちづくるていの「山」の物語、地下への下降がすなわち登攀であるような登山小説なのです。

おそらく、漱石はくだんの青年の話を聞きながら、その青年の魂と同化し、語られることがらのひとつひとつを当事者と寸分違わぬ正確さで「体験」していたものと思われます。この、他人の魂と同化し、他人の体験をみずからの体験と同化すること──いまふと思いだすのは「倫敦塔」ですが、漱石がロンドン塔を訪れたときに体験した「幻視」も、創作のためのフィクションなどではけっしてなく、じっさいにそのときの漱石の身に起っていたことにすぎないのでしょう。こういった漱石の資質は霊媒のそれであり、降霊術師のそれであります。こういう資質にめぐまれた作家が、同時に高度の文学的教養をもち、また反省的な自我をもつというのは稀有のことに属します。漱石がいまなお高い人気を誇っている秘密はこんなところにもあるのではないか、と思いました。

なんだか熱に浮かされるままに一気に書いてしまいました。つまらなかったらごめんなさい>みなさま

 


No.584

鉱山幻想
投稿者---prospero(管理者)(2002/02/05 00:56:50)


>花山さま

文字通り「熱」の籠った書きこみ、大いに楽しませていただきました。書きこみを拝見して、ティークの『ルーネンベルク』のことなどを思い出していました。地理的な下降が魂にとっての上昇になるというモチーフはドイツ・ロマン派が大変に好んだ主題でもありますので。ノヴァーリスも、フライベルクの鉱山技師でしたね。この辺の鉱山=鉱物幻想については、堀切直人『石の花』(沖積舎)といった名品がありましたっけ。

しかしお書きになられた様子からすると、その不思議なリアリティは、そうした主題の選択というよりは、むしろひとえに漱石の筆力の所業と言えそうですね。ご紹介のお陰で、またトランク・ルームに漱石全集を取りに行く気持ちになっています。

インフルエンザでおやすみとのこと、どうかご自愛ください。

No.585

下降即是上昇也
投稿者---こば(2002/02/05 06:01:02)


エリアーデ『世界宗教史�』によれば、鉱山の発見によって人類は時間を支配できるようになったそうです。即ち、何万年もの時を経て形成された鉱石を鉱山に於いて発見し、それを人類の起こした火の力で変容させて、自分が描いた目的(未来)のために道具として役立てる。従って、鉱山と鍛冶場は火の力を借りて鉄を変容させる宗教的儀式の場であった、と書かれていたと思います。幻視者としての漱石という花山さんの発想は、錬金術に繋がる宗教的観念の端緒となった鉱山の魔術的位置づけを重視するエリアーデに照らしてみれば、同じ方向を指しているように思います。

鉱山への下降が魂の上昇に繋がる、という考え方は、樹木が地中に根を張って下降すると同時に枝が伸びて天へと上昇する、というニーチェのイメージを思い出させます。あれは『ツァラトゥストラ』に書かれてましたっけ?

花山さん、私も漱石の『鉱夫』は大好きな作品です。着の身着のまま家出してポン引きに誘われて鉱山へと働きに行く、というストーリーを読んで、突然夜中に放浪したくなって家を飛び出して徹夜で散歩したことを覚えてます。花山さんが『鉱夫』に対して持たれた印象は強ちインフルエンザのせいだけではありますまい。



No.586

漱石の試み
投稿者---國府田 麻子(2002/02/05 12:35:34)


『坑夫』、お恥ずかしいことに未読だったので、急いで読んでみました(…急いではいけませんね)。先ずはプロットの単純さに驚きました。『虞美人草』に続いて書かれた作品とはとても思えないほど。しかし、これは花山さまが仰有っていた「魔術的リアリスム」が、漱石の「内面の独白」への試行努力を陰に押しやってしまっている、とも言えないでしょうか。「小説の様に拵ヘたものぢやないから、小説の様に面白くはない。其の代わり、小説より神秘的である。」……そうなのかもしれませんね。「自然の事実」は「神秘」…。一貫した直截な会話体も「自然」を「自然」として読者の前に現出してみせる漱石の手法なのでしょうが、私はいまいち、分からない、というのが正直な感想です。この作品をもし、漱石のメレディスの世界からの脱皮、そして現代文学へのプロセス小説として読むことが可能であれば、漱石の示した「自然」というものは、限りなく「不自然」になってしまうのでは?などと思ってしまいますが。吉田健一は、「(科学的な文学論・方法論の努力)は「虞美人草」以下」の作品に殊にハッキリと窺えるとどこかで書いていました。私も「そうなのかな」と同感してしまうのですが、野暮な“読み”なのでしょうね。
こばさまの、
>錬金術に繋がる宗教的観念の端緒となった鉱山の魔術的位置づけ
>鉱山への下降が魂の上昇に繋がる
というような「読み」は勉強になります。こばさまのご専門からの知識に裏付けられた「読み」には、感服いたします。これからもいろいろとお教えくださいませ。

花山さま、
インフルエンザ、本当に辛いですよね。お加減は如何ですか?暖かくなさって、水分を十分にとって、休養なさることがイチバン!でしょうネ。呉々も御大事に。。


No.587

「坑夫」その後
投稿者---花山薫(2002/02/06 23:05:36)


なんだか夢中になって書いてましたけど、あとになって読みなおすと汗顔のいたりですね。幼稚な感想文にレスをくださってありがとうございます。インフルエンザのほうはお蔭さまで快癒いたしました>みなさま

「坑夫」は文庫本などの解説をいくつか読んでみましたけど、どうも的はずれなものばかりで、唯一まともだと思ったのは中村真一郎のものだけでした。ただ、この小説に関するモノグラフィとして小森陽一というひとの「出来事としての読むこと」という本があるというので発注しておきました。リベラル・アーツ叢書とかいうシリーズのもの。おもしろかったらまた感想など書いてみたいと思います。

それと、漱石はこの時期、流行の自然主義というものに対抗意識を燃やしていて、「坑夫」はその自然主義の手法をとりいれて(逆手をとって?)書かれたものらしいのですが、私は自然主義の小説をほとんど知らず、せいぜいストリンドベリくらいしか読んだことがないので、これではならじとゾラの「ジェルミナール」を買ってきました。これまた炭坑を舞台とした小説なので、読みくらべてみればおもしろいかもしれません。ゾラなんていまどき読むひとがいるとも思えませんけど、彼の「ルーゴン・マッカール叢書」は第二帝政期のエポペとしてそれなりの価値はあるそうです。


No.588

Re:「坑夫」その後
投稿者---森 洋介(2002/02/07 02:03:51)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/index.html


 ううん、ゾラだのストリンドベリだのの本家naturalismと、漱石存命中の文壇を席捲した日本的「自然主義」とでは相當に異なってゐるんぢゃないでせうか。その邊は近代文學研究ではよく知られてゐるはず(ですよね、國府田さん)。
 フト想ひ出すのが、たしか木下長宏『思想史としてのゴッホ』(學藝書林)の序説か何かで、著者が滯佛中たまたま美術館でフーコーと遭って話を交はす機會に惠まれ、我ながら圖式的だと思ひながらも日本における自然主義なるものの變質につき通り一遍の説明をすると、フーコーが興味を示したとか何とか書いてゐたやうな。

 こばさんご指摘の下降のシンボリズムを逆向きにして、上昇と魂の進化を結びつけた例といへば登山になりますね。ルネ・ドーマルの『類推の山』(河出文庫)が典型的でせう。私は普段「小説から遠く離れて」しまってゐるのですが、二、三年前にあれを讀んだときは、久しぶりに小説を面白いものに感じました。どうもああいふ理窟っぽい想像力が好きで、未完にも拘はらず點が甘くなってゐるかもしれません。

 ところで、宮嶋資夫の『坑夫』には漱石の前例への對抗意識があったのかどうか。他にも夢野久作とか、鑛山勞働者に材を取った小説は結構ありさうですね。

No.589

漱石論ふたつ
投稿者---花山薫(2002/02/08 21:06:55)


なるほど、そうかもしれませんね。ただ、日本における自然主義を、世界文学的なナチュラリズムの一種の狂い咲き、その特異なヴァリエーションとして見る観点というのもあるのではないでしょうか。たとえそれが「鏡のなかにあるごとく」だとしても、やはりそれなりにオリジナルに対するオマージュあるいは批評にはなっているのではないか、と。

それはそれとして、小森陽一「出来事としての読むこと」(東京大学出版会)を読みましたが、これは私にはダメでした。あまりにも関心のありかたが違いすぎるのです。著者のことばによれば、この本の記述を推進させるモメントとして「「理論家」夏目金之助と「小説家」夏目漱石との間のずれ」があったとのことですが、私にはこの「ずれ」がどうもよくわからず、同じものの両面に見えてしまうのです。つまり、焦点がふたつある楕円ではなくて、焦点がひとつの同心円に見えてしまうということで、そうなると記述はいたずらに同語反復を繰り返しているだけに思われてきます。

著者は大学の先生ですから、香具師めいた俗悪さなど望むべくもないのですが、ここでふと思い出したのは、ずいぶん前に買ったまま読んでいなかった蓮実重彦の「夏目漱石論」のことです。蓮実氏は小森氏とはちがって、東大総長でありながらかなり香具師的資質をもそなえているようなので、期待をもって読んでみましたが、ここでもやはり同語反復的な記述が目立つように思われました。どうしてこうも漱石について書くひとは漱石のテキスト内部にとどまっているのでしょう。テキスト批評だからって、テキストの外に一歩でも踏みだしてはいけないという掟でもあるのでしょうか。

まあ、私が漱石の作品をほとんど読んでいないというのも理解をさまたげる大きな要因のひとつでしょう。じつはそれがあったので、蓮実氏の本も未読のままほったらかしにしていたのでした。しかし、蓮実氏の本を読むために漱石の主要な作品に目を通すというのも本末転倒のような気がします。やはり機が熟するまで待ったほうがよかったのかもしれません。


No.590

自然主義って。
投稿者---國府田 麻子(2002/02/09 20:04:59)


花山さま、
ご快癒なされたとのこと、安心いたしました。
この度は、花山さまのご投稿を拝読して、今までちょっと遠巻きに眺めていて、なんとなく手に取りにくかった漱石を『坑夫』を切っ掛けに「もっとキチンと読み直さなくては!」という気持ちにさせていただきました。有り難う御座います。
さて、「自然主義」について、花山さまが仰有ったことは、私も全くその通りに思っているところです。「オリジナルに対するオマージュ」は本当にそうだと考えております。ヨーロッパで誕生した自然主義と、日本で育った自然主義には、確かにニュアンスの違いはあるでしょう。でも、「全然異なっている」とは言えないような気がいたします。田山花袋にしても、徳田秋声にしても、はたまた自然主義に対しておよそ関係を持たなかった日本近代文壇の作家までが、ゾラやモーパッサン、ストリンドベリに強く惹かれて挙って濫読したのは何故でしょう。「真実を書く」ということに無限の可能性を希求し、それに傾いていった日本作家たちの支柱は、何と言ってもオリジナルにあるのですよね(勿論、当時の時代背景などを無視して安易に考えてはいけないのでしょうけど)。漱石や鴎外、潤一郎や康成は、「自然主義に反対、若しくは無視」という態度を崩さなかったわけですが、それでも眼のはしには常に自然主義があり、彼等の意識していた自然主義というのは、飽くまで「オリジナルから題材を得た、日本の自然主義」であったと思われます。日本自然主義は、「個の探究」をヨーロッパとは違った土壌で発展させた結果であり、それが私小説へも繋がっていくと考えることができるとすれば、成長過程の違いから「オリジナルとは異なる」となるでしょう。しかし、プロセスは違っても、突き詰めれば求めるものは(当たり前のことですが)同じということになるのでしょうか。
何かゴチャゴチャしてしまいました。不勉強なもので、これを機会に漱石論などにも目を向けて、今後も学んでいかねば、と反省いたしております。

森さま、
お久しゅう御座います。ワタクシの不勉強、いつも森さまのお言葉で気付かされます。これからもいろいろお教えくださいませ。

No.591

Re:自然主義って。
投稿者---花山薫(2002/02/10 22:11:04)


>國府田さん

そうおっしゃっていただけると助かります。じつはここに書きこみするのは私には大変なことで、いつも「ばかなことを書きやしないか、こんなことを書いていて大丈夫だろうか」とびくびくものなのです。

さて、ゾラの小説に「獣人」というのがありますけど、要するに自然主義はケダモノとしての人間をあけすけに描いた結果、芸術とはほど遠いものになってしまったので、芸術派のひとびとからはそっぽを向かれてしまったのではないでしょうか。いずれにしてもストゥディア・フマニターティスの対象とはなりにくいものです。そこへいくと、鴎外や漱石はさすがに幅が広いですね。

それにしても漱石、どうもあと一歩というところで完全に気に入るにはいたりません。初期の短篇や「猫」、それに今回の「坑夫」などは非常にいいと思いますが、「こころ」でつまずき「三四郎」でコケてからは、なかなか先に読みすすめる気がしないのです。蓮実氏の本を読んで、ますます興味が失せてしまったのは困ったものです。

それでは、また。


No.592

鍛冶師と錬金術
投稿者---prospero(管理者)(2002/02/10 22:14:19)


漱石そのものから離れてしまいますが、少し寄り道させていただきます。「鉱山と鍛冶場」というこば氏ご指摘ですが、この主題をエリアーデは『鍛冶師と錬金術』(せりか書房)で詳しく展開していますね。これはユングの『心理学と錬金術』(人文書院)の後を承けて、物質の変容と魂の変容の平行関係を大々的に論じた刺戟的な試みだったのを覚えています。

鉱物に関する神話は、日本の場合でも、民話レベルで、柳田国男『桃太郎の誕生』から始まって、谷川健一『鍛冶屋の母』、石田英一郎『桃太郎の母』(共に講談社学術文庫)などの線を興味をもって追ったことがあります。

ちなみに、ニーチェの文章というのは、こんなものでしょうか。「人間とは樹木のようなものである。高く明るいところへ伸び上がれば伸び上がるほど、その根はますます強く反対の方向へと向う。つまり、内部へ、下方へ、暗きところへ、低きところへ、広きところへ ―― 言うところの<悪>へ向って」。(1884年の遺稿)。

脱線、失礼しました。

No.593

汎神論と漱石
投稿者---こば(2002/02/11 13:19:40)


>プロスペロウさん

説明を補足していただき有難う御座います。

このスレッドはそもそも『坑夫』を書く漱石に「幻視者」「魔術師」「リアリスト」像を見て取った花山さんのご指摘から始まりました。鉱山を下降するにつれて魂が上昇するという思想は、小説家漱石を超えて、儀式としての鉱山の魔術性宗教性を浮き彫りにし、鉱山そのものが宗教的観念を帯びた場であることを予想させます。

しかしながら、鉱山の宗教(錬金術)への親近性のみならず、漱石自身にも「魔術的リアリスト」としての素質は十分あると思います。
漱石の哲学はほとんど全てウィリアム・ジェイムズに教えられたイギリス経験論なのですが、修善寺の大患直後ジェイムズが死去し、漱石はその晩年の著作『複数的宇宙』を耽読しました(『思ひ出す事など』三)。
その内容とは即ち、哲学を多神教、一神論、汎神論、その中でもヘーゲルの絶対的合理主義、自身が主張する急進的経験主義に分類し、真理をそのつどの経験から導き出そうと主張するものです。とりわけ、ヘーゲルの合理主義には常に反論して、経験を絶対精神へと還元する態度を排斥していることが特徴です。この発想を宗教言語に置き換えて考えてみるなら、ジェイムズは汎神論的で急進的な経験主義に於いて、そのつどの経験に宇宙の中心(神の現れ)を捉えようと試みた、と言えます。
確かに修善寺の大患は『坑夫』が書かれたよりも後のことではありますが、このジェイムズの哲学に漱石が長らく親しんでいるのは、漱石にも同じような思想の方向性があるからではないでしょうか。即ち、そのつどの場面場面や出来事出来事、各人の各瞬間の心理状態に、宇宙の中心と神の現れを捉える、という漱石流の「リアリズム」があったのではと私は考えるわけです。漱石の作品は晩年になればなるほど一人称で書かれる作品が少なくなってゆくのですが、それはどの登場人物にも「宇宙の中心」がある、という漱石の強い信念が反映したのではないでしょうか。この観点で見ると、『坑夫』は他人の取材から発想を得て書かれたものではありますが、他人の体験にすら自分の経験であるかの如くに感情移入してゆくという、花山さんご指摘の「魔術的リアリズム」とは、他人の体験から鉱山の闇を経て自己の無意識へと下降し、宇宙の中心へと至る魔術的リアリズムである、と称してしまったら牽引付会でありましょうか。

他人の体験に宇宙の中心を見出し感情移入してゆく。即ち、他人の体験と作家の内面の隔たりを突破する『坑夫』には、作家の内面の独白を基調とする所謂「自然主義」を看破する力が込められていると私は考えます。

No.594

漱石の試み、再び。
投稿者---國府田 麻子(2002/02/11 22:10:06)


こばさま、

ご投稿、興味深く拝読いたしました。
「宗教性」「漱石哲学」については、私は殆ど何も分からないので、皆様のお考えからいろいろと吸収させていただいております。今後とも宜しくお願いいたします。さて、

>他人の体験から鉱山の闇を経て自己の無意識へと下降し、宇宙の中心へと至る魔>術的リアリズムである。他人の体験に宇宙の中心を見出し感情移入してゆく。

というこばさまのご意見、「なるほど」と思いました。しかし、以前に此方に書き込ませていただいた“プロセス小説としての『坑夫』”という考えが頭から離れないがために、この作品で漱石が「他人を通して自己を見出す」などという高尚なことに成功しているとは思えないのです(抑も「成功」「失敗」などというものが文学において存在するということは間違っているのかもしれませんが)。『坑夫』が書かれた前後の漱石の生み出した作品をみてみますと、明治四〇年は「野分」「文学論」「我輩〜(下篇)」、そして「虞美人草」。明治四一年は「坑夫」「文鳥」「夢十夜」「三四郎」。小さな論文などは省いて並べただけですが、これらの作品にどこか共通する特徴(若しくは手法?)が見受けられるでしょうか。全くバラバラのように私には思えます。乃ちこの「バラバラな作品たち」が一体何か、と考えますと、これは漱石の「試行錯誤の産物」なのではないでしょうか。
人一倍神経質であり、繊細であり、更には己を大切にしていた漱石は、「試行錯誤の時代」に、文壇で自らがシッカリした土台を創り上げたと確信できない時代に、「自己をさらけ出す」ことにある種の恐れを抱いていたのではないでしょうか。つまりは、そのスタンス模索の真っ只中に書かれた『坑夫』の中には、作家漱石の姿は認めることができないのでは?などと愚考いたします。もし、そこに漱石の気配が感じられるのだとすれば、それは“下降の意識”だけにとどまるような……。『坑夫』以降の三部作、後期三部作などには、漱石の自信とともに、その文豪としての姿もそこここに見ることが出来るでしょう(と、言い切ることもできませんが)。シェリーの詩篇に慰藉を求め、禅の世界に没頭し、終生“不安と苦渋”を感じ続け(ていたであろう)漱石には、もしかしたら一度だって作品に「己をさらけ出す」ことなどできなかったのかもしれません。作家は皆そうなのでしょうけど、殊に漱石はその作家生活を終えるまで「安住の地を求め続けた」作家であったとは言えないでしょうか。その意味で、プロセス小説(と、私は強く思っているのですが)としての『坑夫』の存在は大きく、作品内に漱石は存在しなくとも、漱石その人を具象化した作品としても間違いではないのでは?などと考えております。でも、これは、「作品論」としてみた場合ではなく、作品の範囲をはみ出して、作家にまで踏み込んでしまった“読み”となるのでしょうね。本来は、作品は作品としてじっくり味わうのが本当なのでしょうけど、私にはこのような無粋な読み方しかできなくて……。


No.595

作家から作品へ、或いは作品から作家へ
投稿者---こば(2002/02/12 02:31:33)


>國府田さん

恐らく國府田さんは、その国文学徒の広汎な文学知識を生かして、作家の生涯から作品を位置づけようと試みるのに対して、私は、偏った知見からでしょうか、作品の謂わば「観念性」から作家像を規定してゆく手法を取っている、と考えられます。

前者は、一つの作品を前にするとき作家の生涯や伝記といった更なる全体像を前提とします。つまり、作品の背景にある「メタ作品」としての実体的作家像(作家の伝記、生涯、文学的方向性など)を想定して、作品を規定するわけです。具体的に言えば、漱石の前期三部作と後期三部作は「成功」の部類に属し、その過渡期にある『坑夫』等はプロセス小説として位置づけられる、といった考え方は、どこに作家としての漱石の力量が発揮されているかを予め判断しています。或いは、神経衰弱に弱っている作家漱石の自信喪失という作家の伝記を想定して初めて『坑夫』を位置づけることになるわけです。この場合、このような作家像を提供している伝記の選択がどこまで妥当性を有するものなのか吟味する必要があるでしょう。勿論、漱石が倫敦から帰朝後、神経衰弱によって弱り果てたという「事実」は確かなのでしょうが、この「事実」は多数の作家像の中の選択された一事実であることを忘れてはなりますまい。また、そのような作家の伝記的「事実」が「正しい」選択であったとして、この作家の「事実」を作品理解に当てはめてよいものなのでしょうか。神経衰弱者としての作家漱石を『坑夫』に見出すことの根拠は何と言って作品の執筆年代なのでしょうが(つまり、この年代の作家はこれこれこういう状態にあって、その年代にこの作品が書かれたのだから、この作品には作家の件の状態が反映しているに違いない、という推論)、執筆年代が同じであるからといって作家の状態から必ずしも作品が規定されるとは限りませんし、そのような作家の状態からの作品規定によって作品の中で言われている内容(作品内容の独自性)が見失われる危険が存するかと思います。

國府田さんの読解には、1.作家像(伝記的事実)選択、2.作家像の一作品への妥当性に恣意性が付きまとう危険があり、また、3.作品内容の独自性を見失うという危険も孕んでいます。

しかしながら、私の読解にも当然危険が存します。
私は作品内容の或る要素(鉱山、下降、闇、労働者等)から観念(鉱山への下降と魂の上昇等)を抽出し、この観念の親近性から作家像を想定し(魔術的リアリストとしての漱石)、この諸観念の方向性から作家像(伝記的事実)を選択してゆく(漱石は他人の体験に基づいてこの作品を書いた、漱石はジェイムズから汎神論的急進的経験主義を学んだといった「事実」選択)、といった手法を取っています。この場合、作品の中の無数の内容の無数の観念の中でどうして或る特定に観念を選んだのかが曖昧であり、また、一作品の諸観念から全体的作家像を想定してよいものかどうかが問題になります。更に、この観念から作家像を導き出そうとすれば主要な伝記的事実(所謂作家の生涯)と抵触する危険は免れません。
即ち、私の読解は、1.一連の内容から或る観念を抽出する手続きの仕方、2.諸々の観念の選択、3.諸観念の「作家」への妥当性が恣意的である危険があり、また、一人格としての全体的作家像を見失う危険があると思います。

要するに両者は一長一短であり、作家が先が作品が先かというのは鶏と卵だと思うわけですが、私などは純粋に(或いは単純に)目前のテキストの指向性のみを前提としたいと考え、更に背後に作家の伝記という「メタテキスト」を設けるのは却ってテキスト理解の邪魔になると考えてしまいます。尤も、國府田さんのように国文学の知識の担い手となろうお方にとって、作家全体の知識を駆使する場合、作品の独自性などというものは却って作品理解を妨げることになるのでしょう。

皆様、私は以上のように纏めてみたのですが、貧識にして文芸理論なるものを知りません。もっと上手く纏めてくださるお方があれば幸いです。



No.596

Re:作家から作品へ、或いは作品から作家へ
投稿者---花山薫(2002/02/13 18:20:26)


うまくまとめるなんて及びもつきませんが、お二人のご意見をうかがって思いつくことをいくつか。

もし漱石が「坑夫」等を書いた時点で死んだ(あるいは筆を折った)としたら、後世の評価はどうだったか。たぶん、文豪夏目漱石は存在しなかったでしょうが、おそるべき可能性を秘めた特異な作家として、文学史上にやはり異彩を放っていたのではないでしょうか。

私には、この可能性の探求の時期(暗中模索の時期といってもいいですが)に書かれたものがおもしろくて、後年、確乎たる方向性を見出してからの諸作にはあまり惹かれないのです。その程度のものなら、べつに漱石が書かなくてもいいではないか、世界に目をうつせば、その程度のものならいくらであるではないか、という気がしてしまうのです。

日本の文学が真に成熟して、世界に出しても恥ずかしくないような作品を生みだすのは、やはり谷崎あたりまで待たなくてはならなかったのでしょう。谷崎は、小説家としては明らかに漱石などより数等上だと思います。しかし、漱石にはたんに小説家とだけいって済まされない幅の広さがあります。そのような幅を垣間見させるものとして、初期の(つまり「坑夫」あたりまでの)作品はことのほか興味ぶかいのです。

とまあ、かなりの管見ですが、いちおう書いてみました。

 


No.573

tuba mirum spargens sonum
投稿者---高野史緒(2002/01/31 22:24:58)
http://homepage2.nifty.com/takanofumio/


久しぶりです。ご無沙汰しております。

突然割りこんできた挙げ句、いきなり質問なんですが、RequiemにおけるDies ireaの挿入は14世紀以降、作詞はおそらくフランチェスコ会士、あるいは聖フランチェスコの伝記を執筆したトマス・ド・チェラー……
とのことですが、それ以上詳しいことが分からなくてちと往生しております。
どっかそのあたりの資料ってないでしょうか? あるいは何かご存知でしたらご教示いただければ幸いです。


 


No.576

くすしき喇叭の響き
投稿者---prospero(管理者)(2002/02/01 01:00:13)


>高野さま

お久しぶりです。

「怒りの日」ですか。私も詳しいことは良く分かりませんが、この部分は、アレルヤに続いて唱されるところから、いわゆる「セクエンツィア」(続唱)と呼ばれるジャンルになりますね。まさに「挿入」された部分であるわけです。このセクエンツィア自体の由来は古く、ザンクト=ガレン修道院辺りが中心となって発展して、12世紀のサン=ヴィクトルのアダムで頂点を迎えたようです。

件の「怒りの日」は、仰るように、フランシスコ会士のチェラーノのトマス(イタリア名Tommaso da Celano 1190-1260)に帰せられているようです。元になったテクストは旧約の「ゼファニア書」でしょう。このトマスは、仰るように、アッシジのフランチェスコの二つの伝記(『第一伝記』『第二伝記』)を書いており、翻訳もあります(あかし書房)。ですから「怒りの日」の成立は、12世紀後半から13世紀前半とされるようです。

ちなみに中世では大発展した「セクエンツィア」というジャンルは、トリエント公会議(ピウス五世)でおおむね廃止され、「怒りの日」はその廃止を免れたわずかなものの一つということになるようです。

取り急ぎ、思いつくことのみ。何となく「釈迦に説法」といった感じでお恥ずかしいのですが。典礼関係の書物を見ると、きっとさらに詳しいことが分かるとは思います。気にしておいて、具体的な書目をお知らせできればと思います。


No.579

追伸:こんなところが
投稿者---prospero(管理者)(2002/02/03 11:30:12)


レクイエムに関して、こんなところがありました。参考書も二点ほど記載されています。ご参考までに。

No.581

Per sepulchra regionum
投稿者---高野史緒(2002/02/03 20:59:20)
http://homepage2.nifty.com/takanofumio/


おお、即日ご回答下さったのですね。ありがとうございました。
思いつくままに、と言いつつ、いきなりこれだけ出てくるところがコワイ(笑)。
レクイエム・サイトも参考にいたしますです。左記の書きこみの前にも
海外のサイトをあさっていたのですが、例のラテン語テキスト・サイトに
まで行ってしまい、宝の持ち腐れ状態で往生してました。

ゼファニア書も読みました。なーるほど、こんなところに元ネタが。
私は今のところ、Tuba mirum以下の部分に特に感心がありまして。
喇叭が鳴って墳墓が開かれるんだったらいかにも黙示録的ですが、
そのまんまじゃないんですよね>黙示録。

何かご存知でしょうか。いやちょっとSFマガジンの原稿が(もごもご)。

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