手持ちの文語譯『舊新約聖書 引照附』(日本聖書協会・1974)で「わが名はレギオン」の出典であるマルコ傳福音書第五章を見ると、「羅馬の軍隊にて、六千人をレギオンといふ」と註がついてゐます。たぶん當時は當り前の普通名詞だったのでせうが、「わが名は聯隊」では固有名詞らしくないので敢へて譯さずにその儘「レギオン」としたのではないかと思ひます(詳しいことはこばさんが御專門では?)。これは惡靈憑きの話ですから、それが「我ら多きが故に」と名乘るといふことは、今日の「解離性同一性障害」、いはゆる多重人格だったのかもしれません。イエスはサイコ・セラピストでもあったといふ説は時々見かけますし。
ヴィリエ・ド・リラダンが「日本ではずいぶんりっぱな文学者ということになって」しまったのは、渡邊一夫もさることながら、齋藤磯雄の紹介の所爲だと思ひます。齋藤磯雄譯リラダン全集は名譯の譽れ高いわけですが、それもものによっては怪しい。といって私はフランス語は全然解しませんが、昔『リイルアダン短篇集』上下(岩波文庫・1952)の辰野隆門下の譯文と對照したら、どうも「二人山師」とか反語的な諧謔味のある作品では齋藤譯の方が分が惡いやうでした。きっと齋藤磯雄はまじめな人なので、笑ひも嘲罵か冷笑に走りすぎ、どちらともつかないアイロニーの妙味を解さなかったのではありますまいか。
伊藤敬といふ人が言ふには「さる高名な文学者は、リラダンのことを「漢文のようなフランス語を書く人」と評したが、じつは、これは斎藤磯雄氏の訳文からの印象にすぎず、原文は意外とやさしいフランス語なのである」とか。また「リラダンの「二人の占師」「栄光製造機」「ヴィルジニーとポール」といった系列の作品を山本夏彦ふうの文体で新たに訳してみた」いとも述べてゐました(伊藤敬「覚書から」『幻想文学 22』1988.4)。なるほど、山本夏彦はレオポール・ショヴォ『年を歴た鰐の話』(櫻井書店・1941)の譯者でしたっけ。
「深刻亭」はボードレールの墓の前でも、リラダンの墓の前でも、意を決して、目をつぶり、沈思默考、數分間じつと立ちつくす。マラルメの家の前では、「あゝステファーヌ・マラルメ」と叫んで、溜息をつき、マラルメの詩を唸り出した。仝行のわれわれが吹き出しても、彼は何を笑はれたか氣がつかない。彼の隨筆「ピモダン舘」には、彼がリラダンの墓前で花を捧げるポーズをとつて、オペラ歌手の木内清治に撮らせた寫眞が出てゐる。セイバンさんはこれを見て笑つた。「深刻亭、やつてるな!」
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