口舌の徒のために

(過去ログ)

 

No.479

鹿島茂「『パサージュ論』熟読玩味」
投稿者---花山薫(2001/11/01 23:18:32)


私がパサージュの存在をはじめて知ったのは映画「地下鉄のザジ」においてです。そのときはなにぶん映画の画面だもので、パサージュがどんな構造になっているのかはっきりとはわからず、ただこういうギャラリーつきの劇場のような商店街がパリにはあるんだ、と漠然と意識しただけのことです。といっても、そのときの印象は強烈で、その影像は長いこと謎のような効果を私に及ぼしつづけました。ですから、私のパサージュとの出会いはまず映画の一場面でのことだったので、もちろんそのときにはこれがパサージュと呼ばれていることすら知りませんでした。

さて、その後だいぶたってからじっさいにパリに行ったとき、ふと「ザジ」のなかの建物のことを思い出して、そうだ、あれを見なければ、という気になりました。そこで泊まっていたユースの受付のひとに「こういう建物を知らないか」と絵を描いて示したところ、いかにも心得たように「あ、ラファイエットね」といって、地図でそのありかを教えてくれました。ところが、じっさいに行ってみると、私が思い描いていたものとはぜんぜん違う建物で、ラファイエットというのはその建物(たしかデパートだったと思う)の名前、日本でいえば大丸とか三越みたいなものなのでした。つまり、私の絵があまりにもへたくそで、現物とはおよそかけ離れたものをイメージさせてしまったわけです。

しかし、その後町を歩いていて偶然にも映画に出てきたパサージュに出くわしたのでした。そのときの印象は──まったく夢でも見ているようなふしぎなもので、見ているときにはなんの変哲もない建造物なのですが、あとで思いだしてみると、じっさいに自分の目で見たものではないような、夢のなかの光景のように現実ばなれのした、奇妙にノスタルジーをかきたてるていのものなのです。このふしぎな印象はどこからくるのか、と自問してみても満足な答が得られるわけでもなく、ここでもパサージュは私にとってさらに謎の度合を深めたわけです。といっても、そのときになってもまだこの建物がパサージュと呼ばれていることには気づきませんでした。いまから三年前のことです。

その後、ガイドブックでそれがパサージュと呼ばれていることを知り、さらにパリの見どころのひとつとされていることを知っていちおう納得したのでしたが、このHPで鹿島茂氏の「『パサージュ論』熟読玩味」なる書物の存在を知って、かつての感興がもういちどよみがえってきました。で、たまたま古本屋で見つけたのをさいわい、買ってきて読んでみましたが、まず驚いたのはベンヤミンにしろ鹿島氏にしろ、どうやら私が感じたのと同様のふしぎな魅力をパサージュに見出していたという事実です。これは私の個人的な(と思っていたところの)印象がじつは普遍的なものであることをあかすとともに、さらにその印象にはある歴史的事実にのっとった必然性があることをも示しています。

鹿島氏の本に対する感想を書こうと思っていましたが、ついつい前置きが長くなってしまいました。つづきはまた後日にでも。



 

No.482

集団の夢
投稿者---prospero (管理者)(2001/11/03 23:56:54)


>花山さま

お久しぶりです。パサージュは現物をご覧に行かれたことがあるんですか。私はただベンヤミン関係の書物で、写真を通して知るばかりです。

>じっさいに自分の目で見たものではないような、夢のなかの光景のように現実ばなれのした、奇妙にノスタルジーをかきたてるていのもの

この感覚は、まさしくベンヤミンが「集団の夢」などということで言わんとしたことなのでしょうね。そう言えば、松浦寿輝『知の庭園』(筑摩書房)所収の「円環の廃墟」では、ベンヤミンにとってのパサージュと図書館が並列的に語られ、アラゴンがパサージュを「人間の水族館」と呼んだことを承けて、パサージュと図書館が「水族館の微光」というかたちで論じられていました。パサージュのことを、「<青緑色の微光>に浸された深海を、色とりどりの魚のかわりに、着飾ったブルジョワたち、無為の遊民たちあてどない<遊歩者>たちが、夢見るように遊泳している」と記述している、なかなか美しいイメージがありました。

また、鹿島氏の書物の感想の続き、楽しみにしています。

No.484

パサージュと庭園
投稿者---花山薫(2001/11/05 00:34:35)


「パサージュ論」におけるベンヤミンの議論は、たしかに「人工庭園」のテーマとも結びつくものがあります。そういう意味で、谷崎の「魔術師」を読み返してみたいと思っています。ベンヤミンにとってのパサージュと、谷崎にとっての浅草公園との比較みたいなものですが、こういうことはだれか専門のひとがやっていそうですね。松浦氏のその本にも扱われているかしらん。

パサージュと図書館(この場合はとくにパリの国立図書館)との並列ということでいえば、ベンヤミンというひとはパサージュを完全に「所有」したいがゆえに図書館に通ってせっせとノートをとっていたんだと思います。これはたんなる個人的な推測にすぎませんが、私のうちではかなり確信に近いものになっています。それくらいの情熱がなければ、とても5巻本(それでもまだ未完らしいですが)なんていう大きな仕事はできないでしょうから。

というわけで、感想といってもちゃんとしたものは書けそうもないので、思いついたことをぼつぼつ書いていくことにします。まちがっていたらご指摘くだされば幸いです。それでは、また。


No.491

『停車場とパサージュ』
投稿者---prospero (管理者)(2001/11/08 23:48:39)


>ベンヤミンというひとはパサージュを完全に「所有」したいがゆえに図書館に通ってせっせとノートをとっていたんだと思います。

これはまさしく、上掲の松浦氏の文章が主張していることに他なりません。鹿島氏の書物の、『パサージュ論』は全体が古書の売りたて目録であるというテーゼも、つまるところ同じ点を指しているのでしょうね。

ところで最近、W. van Reijen et al., Aufenthalte und Passagen(停車場とパサージュ)という書物が、書肆Suhrkampから出たようです。ベンヤミンゆかりのホテルや住居、もちろんパサージュを写真で紹介した本のようで、本文300頁、図版140葉とあります。一種の写真集のようなものなのかも知れません。手に入れて、現物を見たら、ご報告したいと思います。


No.494

Re:『停車場とパサージュ』
投稿者---花山薫(2001/11/11 21:06:59)


ズールカンプというのは「パサージュ論」の出版社ですね。prosperoさんはこの本屋のものをけっこう買っておられるようですが(比喩的にも実際にも)、日本の出版社でいえばどのあたりに相当するのでしょうか。

きょう、「パサージュ論」の訳者のひとり、今村仁司氏の「群集──モンスターの誕生」という本を買ってきました。まだぱらぱらと眺めただけですが、この分野(?)でもやはりポオとボードレールの存在は大きいみたいです。19世紀のロンドンとパリですね。あと、19世紀ニューヨーク代表ということでホイットマンが加われば、私のいちばん好きな19世紀の詩人が出そろったことになります。いまにして思えば、この三者、いずれもベンヤミンのいう「遊歩者」としての資格をもっていますね。

ということでベンヤミンですが、くだんの5巻本を見に本屋へ行ったのですが、あいにく1巻と3巻しかおいてなくて、全貌を俯瞰するというわけにはいきませんでした。しかし、よくもこんな引用だらけの本を翻訳したものだと思います。鹿島氏が「超人的な努力」と評したのもゆえなしとしません。ただ残念なのは、まったく索引がついていないことです。この手の本こそ索引が必要なのではないか、と思うのですが。原著にもついていないのでしょうか。

鹿島氏は「熟読玩味」のはじめのほうに、「まったく、どこを引用しても、ベンヤミンの言葉はじつにカッコいい。……おそらく、読者は、ベンヤミンの言葉だけを記憶して、それを引用しているこの本のことは忘れてしまうにちがいない。だが、それこそが本書の目的なのである」と書いていますが、私の場合、それを通り越して「ベンヤミンのほうへ」押し流されいく自分を感じています。「パサージュ論」、どうにかして手に入れたいものだと思っています。


No.495

訂正と補足
投稿者---花山薫(2001/11/12 19:24:56)


まず最初に訂正しておきますと、今村氏の本の題名は「群集」ではなくて「群衆」です。うかつなことに「ぐんしゅう」にふたつの表記があることに気づかず、なんの違和感もなく最初に変換した「群集」をそのまま出してしまいました。

この本は内容的にも私がばくぜんと予期していたものとはずいぶん違っていました。というのも、この本で扱われている「群衆」は、19世紀の資本主義が生み落した、必然的な人間のありかたとしての群衆、著者のことばによれば恐怖と魅惑のアマルガムとしての群衆であり、しかも本書の主調音はむしろその「恐怖」の種々相を語ることにあるので、あとがきに引かれた萩原朔太郎のエッセイにあるような気楽な「群集」とはあまり縁のないものなのでした。ベンヤミンのいう「集団の夢」の「集団」の担い手としては、むしろこの気楽な「群集」のほうではないかと思っていましたが、それもどうやら再考の余地があるようです。

とはいっても、今村氏の本は全体としてはあまり得るところがなく、わかりきったことを蒸し返しているだけのようで、ふたたび著者のことばを借りれば、「後知恵」の書ではないかという気がします。



No.497

屑拾いベンヤミン
投稿者---prospero (管理者)(2001/11/14 00:57:22)



>ベンヤミンのいう「集団の夢」の「集団」の担い手としては、むしろこの気楽な「群集」のほうではないか

これにはまったく同感です。その点では、かつて山口昌男が『本の神話学』(中央公論社)でフックスに託して、「屑拾い」ベンヤミンの姿を活写したのはまったく慧眼だと思います。そういえば、鹿島氏といえば、彼の『デパートを発明した夫婦』(講談社現代新書)は、デパートという商品の劇場を通してそうした「集団の夢」を駆り立てたさまを見事に描き出して、たいへんに面白かったことを思い出しました。

Suhrkampですが、最近スローターダイク『<人間園>の規則』(御茶の水書房)の訳者前書きにこんな一節がありました。「それまで彼〔スローターダイク〕を文芸評論家としてしか見ていなかったズーアカンプ(日本の岩波書店に相当)などの大手・老舗の学術出版社も、彼を<哲学者>あるいは<社会理論家>として遇するようになった」。やはり、とりあえず思い浮かぶのは岩波書店なんでしょうかね。でも、ズーアカンプは変なタレント本を出したりはしませんけど。しかも、哲学・思想の分野でももう少し小回りが効いて、岩波の大学依存的な権威主義とは少々違った印象を受けますけど。

また「『パサージュ論』その後」を期待しています。

No.500

Suhrkampは……
投稿者---花山薫(2001/11/15 20:42:47)


ズーアカンプと読むのですか。またまた不見識をさらけだしてしまったようでお恥ずかしいしだいです。

「とりあえず」岩波的であるというだけでもよほどイメージが明確になります。といっても、いまの岩波書店しか知らない若いひとにはぴんとこないかもしれませんね。私も岩波の黄金時代を知っているわけではありませんが、その没落の初期あたりには立ちあったような記憶があります。いつごろからか、岩波の出す本そのものから発するオーラがどんどん稀薄になっていったというか、そんな感じです。岩波文庫にしてもダサくて暗いイメージが好きだったものですが……というのも、私自身、父のもっていた岩波文庫で文庫本に目ざめたので、いまでも古書店で古い岩波文庫を見かけると、「集団の夢」の幻影を見たような気分になります。

きょう、古書店で「パサージュ論」の第五巻を買ってきました。とりあえずいま「蒐集家」の章(?)を読みましたが、これはすごい! この章だけでも、19世紀のパリと古書とを愛する鹿島氏のようなひとを魅了するのに十分でしょう。「本書では、パリのパサージュも、一人の蒐集家の手のうちにある所有物であるかのように考察される」という章句を読んで、私のおおざっぱな見当もそれほど的外れではなかったことを知ってほっとしました。

私は蒐集とはあまり縁のない人間で、また遊歩者としての資格があるかどうかもよくわからないのですが、もし「蒐集しない蒐集家、遊歩しない遊歩者」というものを想定しうるとすれば、それは私であるといってもいいでしょう。


No.502

ドイツ語のR
投稿者---prospero (管理者)(2001/11/21 01:43:47)


Suhrkampは、私も普段は「ズールカンプ」と読んでいます。ドイツ語のR音は強く表記しようとすると、Schillerを「シルレル」、Husserlを「フッセルル」とするなど、多少昔風の表記に近くなるようですけど。「不見識」どころか、いささか古式で奥ゆかしい読み方かと……。

ちなみに、「蒐集しない蒐集家、遊歩しない遊歩者」を、私は「メタ蒐集家、メタ遊歩者」と呼びます。私の畏友には、マニアの生態にマニアックな関心ををもつ「マニアのマニア」とも言うべき人物がいますが、それなどは、さしずめ「メタ・マニア」といったところでしょう。


No.503

ドイツ語もろもろ
投稿者---花山薫(2001/11/22 20:00:37)


ここへ来るたびに「ドイツ語やらなきゃ……」と思うのですが、なかなか思いどおりに進みません。なによりも単語のおぼえにくさが半端ではありません。もっと若いうちにやっておくべきだったかも。それでいて、テキストだけはふえていくのです。本屋でちょっと見て、これならいけそうだ、と思って買ってきても、半ページも読むと頭が痛くなってきて(なにしろ辞書と首っぴきですから)、本を閉じてためいきをつく、というのが決まりきったパターンになりつつあります。

とにかく、開いたページがよそよそしい。そればかりか、こちらの読もうとする意欲を峻絶している気配すらあります。前にprosperoさんが「ドイツ語自体が自意識をもちはじめる」といったようなことを書いてらっしゃいましたが、私にとってドイツ語ははっきりと意識をもった存在です。それも、かなりの悪意です、私の感じるのは。意地でもわからせてやるもんか、といったような。

いま、机の上にあるのはホフマンスタールの紀行文をあつめた小さい本です。すごい名文で、ポエジーの含有量もかなりのものだということはなんとなく伝わってくるのですが、いかんせん、いまの私にはこれを読みこなす力がない……ホフマンスタールのドイツ語についてもしなにか思いつくことがありましたらお教えください。


No.504

ドイツ語の重さ
投稿者---prospero (管理者)(2001/11/26 00:17:40)


私も英語などと比べると、ドイツ語は読んでいると頭の芯が疲れるような感じを強く感じます。それも日常的なごく普通のことを書いてある文章にそれを感じてしまったりします。いっそのこと、うんと抽象的なものになってくれるとかえって読みやすくなってしまうという奇妙なところがあるようです。「ドイツ語は、すべてを語ろうとするには適した言葉」という、スタール夫人の言葉が思い出されます。

そうしたドイツ語の重苦しさを破っているのが、ニーチェと、あとは思いつくところで、ブロッホというところでしょうか。

私の場合、ホフマンスタールの原文は、おそらくR・シュトラウスのオペラ台本が一番親しんだテクストということになりそうです。散文としてざっとでも眺めたのは「シャンドス卿の手紙」でしょうか。ちなみにこのChandos、日本では「チャンドス卿」という表記が一般化しているようですが、これはイギリス系の名家の家系なので、「シャンドス」のほうが正確とのことです。


No.498

第二帝政期もの
投稿者---森 洋介(2001/11/14 09:35:54)
http://y7.net/bookish


>ベンヤミンのいう「集団の夢」の「集団」の担い手としては、むしろこの気楽な
>「群集」のほうではないかと思っていましたが、それもどうやら再考の余地があ
>るようです。

 つい最近、笠井潔『群衆の悪魔――デュパン第四の事件』(講談社文庫、2000.6)を古本屋で見つけて讀みました。これは小説ですが、まさにパサージュに生じた「純粋群衆」について隨所で考察をめぐらしてゐます。
 時は1848年、所はパリ。エドガー・アラン・ポオに心醉する悪魔主義詩人シャルル(誰だかわかりますよね?)が、革命騷ぎの中で殺人事件を目撃、その謎の解明を名探偵オーギュスト・デュパンに依頼する――。「モルグ街」「マリー・ロジェ」「盜まれた手紙」に續く第四の事件といふわけです。
 デュパンのごとき小説中の架空人物を別の小説世界の住人として持ってくるといふ設定は、bookishな人間にとってはそれだけで魅力的なもの。さらに『群衆の悪魔』の登場人物にはシャルルはじめ、小説家バルザック、亡命ドイツ人マルクス、新聞王ジラルダン、元犯罪者にして警視庁刑事ヴィドック、革命家ブランキ、等々、歴史上の實在人物たちも樣々に織り込まれ、虚實を綯ひ混ぜにしたところが工夫です。山田風太郎の明治ものみたいな感じと云へば、お察しいただけませうか。
 私は明治ものも好きですが、「第二帝政期もの」も好みます。といっても私が勝手に名づけてゐるだけで、嚴密には七月王政・第二共和政期や第三共和政期をも含みますが、つまりは第二帝政期を中心とする19世紀フランス文化史に關はる書物です。具體的には、本邦ですと蓮實重彦(『凡庸な芸術家の肖像』)、鹿島茂、山田登世子といった人の著書。飜譯ですとアナール派の社会史など。そして勿論、ベンヤミン『パサージュ論』も。
 また同じ古本屋で、長らく探してゐたウジェーヌ・シュー『パリの秘密』全四卷(江口清譯、集英社、1971.10〜11)を見つけて買ひました。大衆小説・新聞小説の古典として名高く、マルクス『聖家族』が論じてゐることでも知られますが、全譯はこれだけなのです。
 省みるに、どうもこの邊り、小學生の頃に『モンテ=クリスト伯爵』(一往完譯で)を讀んで以來、デュマとかユゴーとかの通俗大長篇に親しんだ影響がまだ脱けないのかもしれません。
 因みに、デュパンをポオから借りて登場させた小説としては、「盜まれた手紙」を元にふくらませた延吉実『王宮の閨房』(青弓社、1991.11)といふのもありますが、これは讀んでガッカリしました。物語としてつまらなく、かといってラカンの論議も參照したと云ふ割にはさしたる思辨も展開されてゐなかったので。――まあ笠井潔氏の方も探偵小説としての面白さはさほどでもないのですが。
 『群衆の悪魔』は所詮は小説ですから讀み易いのが取り柄で、評論ほどの精細な思考は期待できませんが、ポオ-ボードレールに於る「群集の人」が必ずしも氣樂な「群集」であるだけでなく恐怖の「群衆」でもある事情はうかがへることでせう。これについて仔細は後考を待つことと致します。

No.501

Re:第二帝政期もの
投稿者---花山薫(2001/11/18 19:24:49)


明治や第二帝政は、いってみれば「大物」の時代、政治の時代ですね。軍靴の響きが聞こえてくるような。それにくらべると、大正や第三共和制は「小物」の時代、一種の停滞期なのだと思います。で、私にはむしろこっちのほうがインティメイトなのです。やはり小物には小物がふさわしい……

ウジェーヌ・シューはなぜかカルト的に人気がありますね。それだけに古書価も高い。ちょっと前に「さまよえるユダヤ人」が角川文庫の復刊にありましたが、そのときも買いそびれてしまいました。シューの名前は「パサージュ論」第五巻のなかでもあちこちに散見されます。通俗小説のほうが芸術小説よりも時代の無意識の夢をよく表現している場合が多いので、「屑拾い」ベンヤミンが注目するのも当然のことでしょう。「パリの秘密」というのは「裏レ・ミゼラブル」ではないかと思っているのですが、読了されましたら、感想などお聞かせいただければと思います。

それでふと思いついたのは、第二帝政におけるユゴーに相当する人物として、第三共和制ではカチュール・マンデスをあげることができるのではないか、ということです。これまた「屑拾い」にとっては拾いがいのある人物ではないか。そう思って「パサージュ論」の索引を見ましたが、一箇所しか言及がありませんでした。このマンデスも一種のパサージュのようなひとで、彼を通じてみるといろんな人物や出来事がパノラマみたいに展望できる点が私などにはおもしろいのです。

そうそう、前に「パサージュ論」に索引がないと書きましたが、第五巻の巻末には全巻の索引と引用書目一覧とがちゃんとついていました。もっとも、慣れないとかなり使いにくい索引ではありますが。

さて、デュパンもののパロディやパスティッシュについてですが、どうなんでしょう。どうもホームズものにくらべて影が薄いというか、私たちの目にはなかなかとまりません。そういった状況では、笠井氏のものにしろ、延吉氏のものにしろ、珍重すべきものかもしれませんね。笠井氏のものは、機会があったら読んでみたいと思います。


No.505

マイナー・ポエットの時代
投稿者---森 洋介(2001/12/04 19:58:18)
http://y7.net/bookish


 最近、この掲示板に接續できないことがたびたびです。サーバーの調子が惡いのか、それとも私だけなのか……。

 さて花山さん曰く、
>明治や第二帝政は、いってみれば「大物」の時代、政治の時代ですね。

 さうでもありません。
 明治といっても私が好むのは山田風太郎の明治もの、宮武外骨や石井研堂らの明治文化研究會が對象とするやうな明治でして、司馬遼太郎式の明治に非ず。
 同じく第二帝政期も、小物の時代として捉へられます。
 例へばユゴーやバルザックといった藝術家の大物が大物たり得た時代はせいぜい七月王政期までのこと。そのあとにやって來るのは――蓮實重彦氏の書名に倣っていへば――「凡庸な藝術家の肖像」なのです。
 蓮實著『物語批判序説』(中公文庫)は、ゴーチエ『ロマン主義の歴史』(渡邊一夫譯『青春の回想 ―ロマンチスムの歴史―』)を引きながら、天與の靈感によって語る特權的な藝術家の時代から、さうした「藝術家」の物語をなぞる(例へば第二のヴィクトル・ユゴーを夢見る)群小作家たちの時代への轉換を考察してゐます。或いは、ネルヴァルに典型的な匿名癖――名も無き群小作家たることの悦びを、ボードレールの所謂「群集の中の孤獨」に引き付けて解釈してもよささうです。
 兔まれ、第二帝政期こそは模倣と複製の時代の始まりでありました。
 政治的に見ても、第二帝政はナポレオン一世のなぞりであり、マルクスに云はせれば二度目に繰り返されたファルスに過ぎません。そもそもクーデタの成功はルイ・ナポレオンの義弟ド・モルニー伯爵によるところが大とされますが、拙劣な素人芝居(オペレッタ)を書いて悦に入るその姿には、大物めいたところなどまるで無いのです。こちらは蓮實氏の小著『マスカルチャー批評宣言1 物語の時代』(冬樹社)『帝国の陰謀』(日本文芸社)に詳しい。
 以上、いささか異を唱へましたが、惡しからず。
 

No.507

マイナー・ポエットとパロディ
投稿者---prospero(管理者)(2001/12/06 00:09:02)


「<大藝術家>の物語をなぞる群小作家たち」というのには、いまの話題の文脈とは多少違っているかもしれませんが、私も興味のあるところです。彼らの場合、強すぎる自意識のために、作品を反省する力がそれを生み出す力を上回ってしまうのかもしれませんね。そういう点では、年代的にはユゴーよりも年長ですが、書痴ノディエなども、そうした資質を十分に持っていたといえるでしょうか。

彼の『ボヘミア王と七つの城の物語』は、「剽窃」であることを何憚ることなく公言し、タイポグラフィー上の遊びから、脱線に継ぐ脱線という点で、まさに群小作家らしい奇書である旨、最近の清水徹『書物について ―― その形而下学と形而上学』(岩波書店)で紹介されていました。まさしく「模倣と複製」です。群衆ないし群小は、祖父たちの「大きな物語」を、さまざまな「小さな物語」に解体し、その散乱した屑を掻き集める中で、時代の夢を夢見るのかもしれませんね。

No.515

『帝政パリと詩人たち』
投稿者---花山薫(2001/12/10 20:52:04)


題記の本(出口裕弘著)を古書店で見つけたので、題名にひかれて読んでみました。しかし、読みはじめて驚いたのは、その語りの異様な熱っぽさ、若々しさです。出口氏といえば、もうずいぶんいい歳のはずなのに、この若さはいったいなにごとでしょう。どこを切っても血がしたたるような生々しさなのですが、それもそのはず、これはじつは旧作の再録なのでした。つまり、69年の「ボードレール」、83年の「ロートレアモンのパリ」に、あらたにランボー論をほんのちょっぴり書きおろしてできあがったのがこの本です。

題名に「帝政パリ」とありますが、あまり歴史的、風俗的に踏みこんだ記述はなくて、パサージュについてもそれなりの言及にとどまっています。だから、そういう関心をもって読んだら肩すかしをくいますし、げんに私もちょっと当てがはずれたところはありました。とくにロートレアモン論はかなり退屈で、途中で読むのをやめて先にランボー論を読んでしまったくらいです。しかし、ボードレール論は本質的な部分とトリヴィアルな部分とがうまくないまぜになっていて非常におもしろいし、ランボー論などはその短さ(全体の10分の1ほどしかない)が惜しい気がするくらいのもの。とはいっても、ランボーと都市とを結びつけて論じること自体にかなり無理があるので、このテーマでそんなに長く書きつづけられるものではないのでしょうね。

この本には、ちょっと気になる本が何冊か紹介されています。「辻馬車時代のパリ」、「パリ・一九〇〇年」(ユベール・ジュアン編)、「第二帝政下の日常生活」(イヴァン・クリスト編)、「十九世紀のパッサージュとギャルリー」(ロベール・ドワノー、ベルナール・デルヴァーユ共著)がそれで、どうやらいずれも写真集らしい。本書にも、それらの写真集から採られたとおぼしい写真が数葉掲載されていますが、どうも印刷がわるくてあまり鮮明とはいえません。それだけに、ちゃんとした写真集で見てみたいという気を起こさせるものでした。



No.450

友達に勧める本
投稿者
---ようかん(2001/10/17 09:51:35)


prosperoさん、こんにちは。はじめまして。
哲学系のサイトをいろいろ探しているうちに、ここまでたどり着きました。
ところで、私は数年前に哲学科を卒業したのですが、最近、
20代後半〜40代前半の友人たちから「哲学書を読んでみたいんだけど、
何かお勧めはある?」と、よく聞かれます。
そのように私に聞いてくださる方たちは、話を聞いていると、
今まで哲学書は全く読んだことなく、傾向としては、
ロマン主義系のものを読みたいと思っているようなのです。
ところが、私は不勉強な学生だったので、自分が関心を持っていた
スピノザ、デカルト、ライプニッツなどの合理論者と呼ばれる人々の
ものしか読んだことがなく、彼らに有益なアドバイスをすることができません。
しかし、せっかく「哲学書を読みたい」といってくれる友人たちのために、
なんらかのお手伝いをしたいと思っているのです。
prosperoさん、こんな友人たちのために、お勧めの本を10冊くらい
(もっと多いとなおうれしいのですが)挙げていただけないでしょうか。
哲学科に再入学したいとか、大学院に行きたいとか、そこまで思っている
わけではないようなので、なるべく、彼らが挫折感を味わわないような
ものを、お勧めしていただけたら、と思っております。
とてもメジャーなものばかりでも結構ですので、
どうぞよろしくお願いいたします。



 


No.451

ロマン派の哲学
投稿者
---prospero (管理者)(2001/10/18 16:48:51)


はじめまして。

>ロマン主義系のものを読みたい

「ロマン主義系」というと、哲学の方では時代的には、フィヒテ、シェリングということになりますが、おそらくそういうイメージではないでしょうね。「ロマン主義」という括り方からすると、もう少し文学寄りのことを考えておられるのかと思います。さて、そうなると意外とあるようでないのですよね。

シュレーゲル、ノヴァーリスは、有名な割には本格的な邦語の解説書のようなものがなくて困ります。私も以前、その手のものを捜して、林誠宏『ドイツロマン主義の哲学』(第三文明社)などという数少ないロマン主義哲学の書物を読んではみたものの、どうにも充たされない思いをしたものです。ドイツで初期ロマン派研究が活況を呈して、ベーラー
/ヘーリッシュ『初期ロマン主義の現代性』(Bohler, Horisch, Aktualitat der fruhen Romantik, Schonigh 1987)を入手して、ようやくこちらの考える種類のロマン主義研究が出てきたと悦んだものです。生憎これは翻訳がありませんが、こうした路線での紹介としては、今泉文子『鏡の中のロマン主義』(勁草書房)があります。この著者は最近平凡社から『ロマン主義の誕生』という本を出し、私も発注したところです。個人的にはメニングハウス『無限の二重化』(法政大学出版局)が、この傾向を推し進めた成果としてお奨めです。ポスト・モダンの哲学などに馴染みがあると分かりは早いでしょうが、初めて読むものとしては難しいかも。それは、ベンヤミンの『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』(ちくま学芸文庫)も同じかもしれません。

ロマン派の文学者の哲学的著作の翻訳としては、やはり、シュレーゲル『ロマン派文学論』(冨山房百科)が代表的なところでしょう。同じシリーズでのゲーテ『自然と象徴』も、直接にロマン派ではありませんが、ロマン派的な自然観に大いに通じるところがあります。シェリングの自然哲学などをここからイメージするのも悪くないかと。去年の『思想』にも、「ゲーテの自然学」という特集がありました。高橋義人『形態と象徴』(岩波書店)もこの路線。

あとは、国書刊行会のロマン派全集の中の『無限への憧憬』がロマン派の文学者の理論的な著作を編集したアンソロジーになっています。

ロマン派に多少引っかかる哲学史という点では、ハイネの『ドイツ古典哲学の本質』(岩波文庫)は愉しく読めます。もう一点、ロマン派というキーワードで捜すとむしろ見つからないかもしれない名著として、ノイバウアー『アルス・コンビナトリア』(ありな書房)があります(原著タイトルは『象徴主義と記号論理学』。
Studia humanitatisに書名のみ掲載。そのうちに内容紹介をします)。ノヴァーリスを中心としたロマン派の思想を、普遍記号論という観点から読み解いたもので、情緒纏綿たるロマン派という既成イメージを覆すにはもってこい。お奨めです。

後は
,『叢書・ドイツ観念論との対話』全六巻(ミネルヴァ書房)などはどうでしょう。これは、『講座・ドイツ観念論』全六巻(弘文堂)と対を成す性格のものですが、後者が純粋に哲学であるのに比べて、美学・藝術をずいぶんと取り入れていて、幅広い論集になっています。図書館などで、気の向いたところを拾うにはいいかもしれません。

すぐに思いつくのはこんなところでしょうか。また具体的にご要望があれば考えたいと思います。他の方からの情報提供もお願いします。




No.453

林誠宏
投稿者
---柳林南田(2001/10/18 23:47:53)


>シュレーゲル、ノヴァーリスは、有名な割には本格的な邦語の解説書のようなものがなくて困ります。私も以前、その手のものを捜して、林誠宏『ドイツロマン主義の哲学』(第三文明社)などという数少ないロマン主義哲学の書物を読んではみたものの、どうにも充たされない思いをしたものです。

その本は読んでいませんが、林誠宏さんは、人格的にすばらしい人だと思います。定職を得られず、非常勤講師で生活してきた人です。朝鮮総聯との対立をおそれず、祖国の状態を憂い、キムイルソン主義を果敢に批判してきました。そのために陰湿な嫌がらせを受けたり、子供が朝鮮学校に通えなくなったりもしたようです。

彼の思想に賛成するかどうかは別としても、発言する知識人として真摯な人生を歩んでこられた方です。


No.455

ロマン派の哲学(承前)
投稿者
---prospero (管理者)(2001/10/20 01:35:29)


>林誠宏さんは……発言する知識人として真摯な人生を歩んでこられた方です。

そうですか。それは知りませんでした。やはり訊いてみるものですね。『ドイツ・ロマン主義の哲学』を読んだのは本当に随分と昔で、その内容もほとんど覚えていませんが、著者の不思議な熱気だけは印象として残っています。そう言われてみると、なるほどと思わせられます。

今日、今月の新刊案内を一覧していたら、仲正昌樹『モデルネの葛藤 ―― ドイツ・ロマン派の<花粉>からデリダの<散種>へ』(御茶の水書)というのが目に止まりました。主題を見る限り、方向は悪くないような気がしますので、チェックしてみたいと思います。


No.458

林誠宏の著作
投稿者
---柳林南田(2001/10/20 09:56:57)


国会図書館の検察(ここのリンクで知りました。ありがとうございます。)によると、21件あります。ドイツ語の非常勤講師なので、ドイツ語教科書がけっこう多いみたいです。「東西ドイツ哲学の動向」(原書は1945-75をとりあつかっている)あたりが面白そうです。

なお
5番は、6番と21番をあわせて加筆したものです。

<和図書
: 21 件>
1欺かれた革命家たち/2/林誠宏/啓文社/1988.6
2欺かれた革命家たち/1/林誠宏/啓文社/1986.6
3あばかれた掟/林誠宏/啓文社/1983.9
4「甘やかされた」朝鮮/和田洋一,林誠宏/三一書房/1982.1
5裏切られた革命/林誠宏/啓文社/1991.5
6裏切られた革命/林誠宏/創世記/1980.3
7帰らざる日本人妻たち/林誠宏/啓文社/1990.2
8完成ドイツ語文法・読本/林誠宏,松本ミサヲ/啓文社/1990.4
9詳解ドイツ語文法・読本/吉田浩司[他]/啓文社/1994.4
10殉教者たちの終焉/林誠宏/人間の科学社/1996.2
11綜合ドイツ語文法・読本/林誠宏,松本ミサヲ/啓文社/1992.4
12楽しく学べるドイツ語文法・読本/林誠宏,松本ミサヲ/啓文社/1989.4
13東西ドイツ哲学の動向/H.M.バウムガルト…[他]/昭和堂/1983.10
14ドイツロマン主義の哲学/林誠宏/第三文明社/1978.3
15独作文の基礎/林誠宏,松本ミサヲ/啓文社/1990.4
16独作文の基礎/林誠宏,松本ミサヲ/啓文社/1987.3
17独作文の基礎/林誠宏‖〔ほか〕編/啓文社/1985.2
18怠ける権利/ポール・ラファルグ[他]/啓文社/1988.4
19標準ドイツ語文法・読本/林誠宏,松本ミサヲ/啓文社/1986.3
20望郷の嘆き/林誠宏/啓文社/1990.10
21私は、なぜ金日成主義批判を書くか!!/林誠宏/創世記/1981.4


No.493

『ドイツ・ロマン主義の哲学』
投稿者
---柳林南田(2001/11/11 02:56:15)


>
そうですか。それは知りませんでした。やはり訊いてみるものですね。『ドイツ・ロマン主義の哲学』を読んだのは本当に随分と昔で、その内容もほとんど覚えていませんが、著者の不思議な熱気だけは印象として残っています。そう言われてみると、なるほどと思わせられます。

『ドイツ・ロマン主義の哲学』は、まだ持ってますか?もし持ってたら内容を簡単におしえて頂きたいのですが。


No.499

Re:『ドイツ・ロマン主義の哲学』
投稿者
---prospero (管理者)(2001/11/14 09:56:53)


>『ドイツ・ロマン主義の哲学』は、まだ持ってますか?もし持ってたら内容を簡単におしえて頂きたいのですが。

少し捜してみたのですが、いまちょっと見当たりません。シュレーゲルとその周辺の伝記的事実を追った記述が多かったように記憶していますが、定かではありません。みつかりましたら、またお知らせしますので、しばらくお待ち願えればと思います。




No.461

ようかんさんへ
投稿者
---レンズ(2001/10/21 22:01:40)


こんにちは、はじめまして。
ようかんさんは、お友達にお勧めする本を探されているとのことでしたが、
prosperoさんのおはなしの中に、芸術という話がでてきたので、音楽関係で言うと、「音楽美学」(野村 良雄 著)など、読みやすくてお勧めですよ。
ここで特に音楽を選んだ理由の一つめは、まず音楽が対象として多くの人に興味を抱かれやすいかと思ったためです。
理由の二つめは、私自身が哲学を學びはじめた時、読む対象を文学作品から哲学書へと広げていく過程で戸惑いましたが、哲学書の中でも著者が主観的に語っているものは比較的入りやすかったので、音楽という、(一般的な意味での哲学よりは)主観的な要素を多く持つ(と思われる)対象から入って、哲学へとアプローチするのも手段の一つであると思ったためです。
上述の本などを手掛かりとして、主観的な要素を多く持つ音楽について主観的に語っている「意志と表象としての世界」(ショーペンハウエル)などに進み、あとはカント等へとつながっていく、なんてことになるかもしれないですね。

ところで、ようかんさんは、スピノザを読んでいらしたんですか?
寄遇ですね。私もスピノザで論文を書いているんです。
お友達に『エチカ』を勧めたりされたんですか?




No.323

題辞について
投稿者
---こば(2001/06/27 22:46:55)


文学でも、哲学でも、特に古典的著作は多くのものがそうなのですが、よく見開きに外国語の題辞が載せてあることがあります。例えば、ポオ『盗まれた手紙』ではラテン語の題辞が載っていたりします。原語を確かめてみると、そのラテン語が英語に訳されていることはなく、そのままの言葉で引用されています。ところが、日本語に訳されると、ラテン語だろうが、英語だろうが、何区別なくブルドーザーの如くに日本語訳が続きます。勿論、最近は日本語訳の上に小さくカタカナで原語の発音が書かれてはいます。ですが、何でもかでも全部を全部日本語に訳すのは無粋だと思います。せっかくの外国語の風味を損ねるものです。全てを訳して日本語で分かる気になるよりは、分からない部分の分からないなりの異国情緒を味わう方が余程その著作に対する自然な接し方ではないかと思うのです。引用される異国語は日本語に訳さずそのまま残した方がよいと考えます。

わかる人間にだけ分かる。勉強した人間にだけ分かる。だからこそ分かりたいと欲する。結局はそれが勉強というものではないか、と考えます。どんな人間にでも分かる、サルにでも分かる、そういう読者に媚を売る「平等主義」は文化の停滞を招く!・・・・なんて言い過ぎですかね?





No.325

Re:題辞について
投稿者
---花山薫(2001/06/29 01:06:25)


>こばさん

うーむ、どうなんでしょう。私だったら、買った本の題辞が原語のままだったらたぶん欲求不満に陥るでしょう。少くとも註をつけて大意なりとも訳しておいてほしいと思います。まあ、たいてい題辞なんていうのは「飾り」みたいなものでしょうから、意味はあんまり重要でないことが多かったりしますが。

Nil sapientiae odiosius acumine nimio. なんとなくこばさんのご主張とも響きあうような気がします。しかし、これはセネカの著作には見あたらないそうです。ではどこから引いてきたか? 記憶違いか捏造か?

ところで、題辞ではなく文中の引用(引証)を原語で行っている場合はどう思われますか? 純然たる学術書ならともかく、一般書の体裁で出される本の場合にはちょっと不親切な気もするのですが。




No.326

題辞訳を好かない個人的理由
投稿者
---こば(2001/06/29 13:08:04)



>Nil sapientiae odiosius acumine nimio.
叡智にとりてあまりに鋭敏すぎるほど忌むべきはなし

結局、訳を参照してしまいました。花山さんの仰るとおりですね。言い過ぎました。訳はあったほうがいいみたいです。

ただ、私がどうして訳を付けるのが無粋だと感じたかと申しますと、家にポオの全集が転がってまして、ついでだから一度『盗まれた手紙』を原文で読んでやろう、と思ったわけです。その頃、ちょうどラテン語を齧っておりまして、早速最初の題辞を理解しようと、ラテン語の辞書をひっくり返したのですが、力及ばず、何が書いてあるのかほとんどわからなかったのでした。それで思ったのです、どうしてこれほど難しいラテン語が、原文では英訳されていないのだろう?と。1.ネイティブにとってはラテン語は、日本人の古文のように、何となく誰にでもわかる文章であって、だから、態々英訳するまでもない。2.流石に、ネイティブにとっても、ラテン語は死せる言語であって、最早外国人であってもわかる奴にしかわからん。出版者は読者の教養を試しているのではないか。
そのポオの全集を買ったのは、なんとあのラスベガスでした。外に出ると炎天下、内にいるとカジノの喧騒。嫌で嫌で堪らずに彷徨って本屋で息抜きをしようと思って手に取ったのがポオの全集でした。2000円くらいで、金色のページの分厚い1冊本です。
まさか、ラスベガスにいるような連中が、ラテン語を当たり前の教養としているわけがない、それが私の直観でした。そこで、上記選択肢2を採りたいのです。個人的な思い出話で恐縮ですが、そのような特殊事情があって、しかも原文には英訳が付けられていないところに一種の憧憬を感じていたから、だから、日本語訳もそうすべき、と考えました。
ただ、花山さんに指摘されて、やはり和訳を参照してしまって、それで今では迷っています。教養を採るか、作品理解を採るか。訳注を後のページに付ける、辺りが妥当なのでしょうかね?

引用文については、私は花山さんとは逆の意見です。学術書にこそ和訳を付けて、文学・小説には訳を付けないことを望みます。学術書は何らかの共通理解を言語化する書物だと思うので、共通理解が一部の人々に占有されるのはまずいと考えます。しかし、文学に関しては、わかる奴がわかることしかわからん世界だと考えているので、別に一部が理解されなくてもそれなりに楽しめるから訳がされなくてもよいのではないか、と。
<こんな区別をする理解だと、プロスペローさんか森さんからクレームがきそうな気がします。わかる奴にしかわからん世界は学術書だって文学だって同じだろう、というレスが目に浮かびます(新口舌の徒「読者、作者論(文学と聖書の各解釈の区別)」のトレース参照)。学術書が自分のわかるだけの言葉で書かれていたりするのは見るに堪えません。例えばアイルランド語で引用文が書かれていたとして和訳がされていなかったとしたら、一部の学者がほくそえむのはちょっと気に食わないのです。>
ジェイムズ・ジョイスなんて全体が作者言語の引用文であって、日本語で訳されるよりそのまま原語で読んだ方がよいとすら思っています。だって、比較的分かりやすいとされる『若き芸術家の肖像』ですら、和訳のわからなさと原語のわからなさに違いがありませんでしたからね。

わからなくてもとりあえず読み進む、という作業が日本人には苦手なのではないかと思われます。途中がわからなくても適当に読み進んでやれ、という根性が日本人には欠けていて、だから、単語を細かく暗記することが流行るんでしょうな。

ところで、ポオの作品は、アッシャー家の崩壊、黒猫等の恐怖小説は、真に迫っていて結構気に入っているのですが、盗まれた手紙、モルグ街の殺人などの推理物は、ストーリーが出来すぎていて嫌いです。猿らしきものが殺人を犯していたり、探偵デュパンが偶然大臣と友達であったりというのは、読者の推理以前の問題です。推理小説物でしたら、それに比べてエラリークイーンの諸著作の「読者への挑戦」は堪らなく好きでしたよ。

何だか止め処なく書いてしまいました。



No.328

Re:題辞訳を好かない個人的理由
投稿者
---花山薫(2001/06/29 22:24:17)


ギリシャ語やラテン語の題辞は、たしかにわかる人間にだけわかればいいものですね。わからなかったからといってテキスト理解の上で支障をきたすものではないし、わかったらわかったで知的虚栄心(?)の満足にはなりますし。しょせんは「飾り」ですが、その飾りにも作者のセンスはあらわれます。そういうところまで味わいたいという気になったら、その作者に対する「愛」もほんものに近いといえるでしょう。

古典語の題辞(のみならず引用全般)には、こばさんのおっしゃる(1)の場合と(2)の場合のほかに、出版された当時は(1)であったけれども時の経過とともに(2)になってしまった場合もあると思います。それだけ古典語の教養のレヴェルが落ちたということでしょう。あるいは読者層がそれだけ下のほうまで広がったとも見られますね。

それと、学術書や紀要の引用は原語のままでもよい、と書いたのは、そういった場合の引用には学問的厳密を期す必要があると思うからです。訳したら、どうしたって意味が多少ずれてしまいますからね。それでは学問としてはまずいのではないか、ということです。

というわけで、レスもれあるかと思いますが、今回はこの辺で失礼します。




No.327

思想書の場合
投稿者
---prospero (管理者)(2001/06/29 20:16:43)


>引用される異国語は日本語に訳さずそのまま

やはり、私は思想書の小心な訳者としては、基本的にすべてを訳してしまうほうを取ると思います。もともと文化的なコンテクストが違うのですから、原語を残したところで、原著と同じタイプの違和感(そうしたものがあるとして)を生み出せるとは限らないというのがその理由です。だとしたら、わざわざ日本の読者に、わからないものとして提示する必要もないかな、というくらいの感触です。

 それよりも私が許せないのは、ラテン語だからといって無闇と原語を括弧で入れたりするような翻訳感覚です。
cum grano salis(多少割り引いて)みたいな慣用句まで、わざわざ括弧内でラテン語を書き込んでいるのは笑ってしまいます。傍点を振ったりしているようなケースもありますね。でも、そんなことをするくらいなら、etc.だって原語を入れなさいと言いたくなります。原著のネイティヴの読者がさしたる違和感を覚えず読めるような表現は、日本語でも目立たせずに普通にやれば良いのではないでしょうか。ラテン語表現というのは、言ってみれば、日本語の中の漢語表現のようなもので、われわれが考えるほど近代語と異質のものではないはずです。まして学術書においては。日本語環境でその種の感覚を生み出すために、いっそのこと漢訳してしまうとかね。

 


No.231

「超越論的」ということ
投稿者---prospero (管理者)(2001/05/31 21:44:41)


「超越論的」ということについての問題が棚上げになっていたので、唐突ですが、ここで改めて。具体的にはno.200辺りへの応答ということになりますか。

この語の最も古典的な定義は、ご存知のように、カント『純粋理性批判』の、「対象についての認識ではなく、われわれが対象をア・プリオリに認識する、そのあり方についての認識を超越論的認識と呼ぶ」というものです。簡単に整理すると、ここに含まれている要点は二点です。�超越論的認識は、個々の対象を問題にするのではなく、その認識自体のあり方、ないし条件を問題にする。つまり認識一般の「可能の制約」についての認識である。�超越論的認識は、認識についての認識であり、経験的な普通の認識と次元が異なるだけでなく、認識の自己吟味という自己関係的な構造をもつ。いわばメタレベルの認識である。

おそらく、方法的な概念としての「超越論的」というのは、比較的ニュートラルに上のように整理できるでしょう。こういう意味での「超越論的」という理解は、アーペルも継承しているし、現代でも十分に展開されなければならないと私も思っています。

問題が出てくるのは、その「超越論的」という思考が、方法概念から独立して、一個の理論枠として働く場合です。そうした場合には、超越論的次元と経験的次元とが独立した二領域として自立するかのような理解の仕方が往々にして生じがちだと思います。カントの中でもそうした綻びを指摘することはできるでしょう。代表的には、超越論的主観と経験的主観とのあいだの関係をどう理解するかといった問題が挙げられます。おそらくカントの理論枠では、この問題はきわめて解決しずらいもので、最終的に二つの主観の統合は図れないままに終わっているのではないかと思います。

以前の記事で「超越論的次元と経験的次元の捩れ」という言い方をしたのは、その二つの次元相互の区別はかならずしも自明のものではないということを示唆しようとしたものです。ですから、「カント的でない両者の区別」があるということを何ら考えていません。この両者を峻別すること自体が、「超越論的」ということに関するカント的な解釈であって、それによって「超越論的」ということの内容がすべて尽くされているわけではないと思っているという次第です。

言語などというものはそういう再考を促す格好の場面になるだろうというのが漠然とした予想です。なぜなら、言語はある意味では認識の条件になりはするが、それはア・プリオリな形式などではなく、歴史的・文化的に形成された産物でもあるからです。20世紀後半の解釈学の人びとはこうした発想を強く持っており、そのために、アーペルの「準-超越論的」を始め、「歴史的アプリオリ」など、およそカント的でない用語をすら用いるわけです。「解釈学的循環」などというものも、「超越論的次元と経験的次元の捩れ」ということで言ったこととかなり重なっているかもしれません。

まあ、やはりこの話、書き始めてはみたものの、相当に複雑ですし、いろいろな前提を必要とします。それこそカント解釈云々というところにまで遡らなければならないので、これ以上はここでは負担が大きすぎるかも。大枠なりとも伝われば良いのですが。

 


No.235

Re:「超越論的」ということ
投稿者---こば(2001/06/01 20:31:27)


プロスペローさん。応答有難う御座います。

言語が、超越論的次元と経験的次元の区別に尽きない特殊な位置において捉えられる、ということについては私なりに了解できました。

私が問題にしたいのは、やはりカントの「超越論的」という言葉の理解のほうです。

>カントの中でもそうした綻びを指摘することはできるでしょう。代表的には、超越論的主観と経験的主観とのあいだの関係をどう理解するかといった問題が挙げられます。おそらくカントの理論枠では、この問題はきわめて解決しずらいもので、最終的に二つの主観の統合は図れないままに終わっているのではないかと思います。

>この両者を峻別すること自体が、「超越論的」ということに関するカント的な解釈であって、それによって「超越論的」ということの内容がすべて尽くされているわけではないと思っているという次第です。

確かに仰る通り、図式論などでは超越論的主観と経験的主観の関係について十分な説明は為されていない、と云えるでしょう。しかし、「二つの主観の統合」となるとどうでしょう。2番目の引用でプロスペローさんが仰っているように、二つの主観の峻別こそ、「超越論的」という概念の、ひいては『純粋理性批判』の目指しているものであって、「統合」はカント自身望んでいないどころか禁じてすらいるように思います。というのは、両者を峻別せずに「混同」した結果として、直観の与えられていない純粋悟性概念の誤用(仮象の論理学)が生じたのであって、このカント当時の「形而上学」に対して、超越論的主観としての純粋悟性概念の客観的妥当性を保証することが『純粋理性批判』の目的だからです。
ですから、「超越論的」の内容を尽くさないことがカントのそもそもの意図だったのではないか、と考える次第です。その内容の尽くされない余地に「信仰」を求めることをカントは主張しているのではないでしょうか。従って、両者の「統合」という問題は、むしろ『実践理性批判』で展開されると考えられます。


No.237

Re:「超越論的」ということ
投稿者---prospero (管理者)(2001/06/02 00:13:53)


>「統合」はカント自身望んでいないどころか禁じてすらいる

 まさにそうです。ですからそれこそが、カント的に理解された限りでの「超越論的」という「理論枠」だと言いたいわけですよ。『実践理性批判』にしたって、突き詰めれば、「可想界」と「現象界」の区別として同じ構成になっていると思います。しかし、カントがそうやっているからといって、問題が解決しているわけではありません。『純粋理性批判』での主観性の問題は、ある別の問い(伝統的な魂問題)に決着をつけるために、新たな問題を引き起こしてしまった一例だとも言えるでしょう。カント自身の狙いはどうであれ、経験的主観と超越論的主観が別の主観として並立しているわけではない、その意味では、両者をともに「主観」と呼べる理由を示さなければいけないのに、それをカントはやっていないとは言えるはずでしょう。『実践理性批判』では、同じ問題が「自由」を巡って生じます。「可想界」に属している限りで無制約的に主張できる「自由」というのは、果たして「自由」の意味を汲み尽くせているのか。汲み尽くさないことがカントの狙いだったというのは、答えにはなりません。そういった点を考慮すると、やはりカント自身も、自分自身の提示した超越論的な「方法論」をかならずしも徹底したわけではないと言ってもいいでしょう(この判断に最も強く同意してくれるのはフィヒテかな)。

 でも考えてみれば面白いものです。カントがあれほど警戒しなければならなかった古典的形而上学など、今日では真先に嫌われるようなものになっているわけで、その点でも、カントをあまりに当時の問題状況だけに縛り付けてしまうと、逆にカントを古くしてしまうことにもなりかねないという事情があると思います(もちろん、そうした事情は当然の前提として押さえなければならないでしょうが)。この辺にも、「歴史」ということを自覚させる場所があるような気もします。

No.238

自分を取り戻せ!
投稿者---こば(2001/06/02 10:02:09)


>カント自身の狙いはどうであれ、経験的主観と超越論的主観が別の主観として並立しているわけではない、その意味では、両者をともに「主観」と呼べる理由を示さなければいけないのに、それをカントはやっていないとは言えるはずでしょう。>

なるほど。簡単にいってしまえば「見る自分」と「見られる自分」の分裂、といったことでしょうか。そういった意味で経験的主観と超越論的主観の区別が最も問題を呈しているのはカントの「統覚」という概念なのでしょう。カントは統覚における対象としての自己を物自体の領域に押しやって超越論的主観としての純粋悟性概念から完全に切り離してしまっています。そうすると、「見られる自分」は最早自分ではなくて、なにかワカラヌ対象となってしまって、「見る自分」が完全に浮き上がってしまうわけです。
そう考えてみると、(プロスペローさんがフィヒテに少し触れましたように)どうしてカントからドイツ観念論が発生したのか、その事情が何となく見えてきます(カント自身は観念論をあれ程嫌がっていたにもかかわらず)。ドイツ観念論はまさしくカントが取り残した「自己意識」の問題を廻って、見る自分と見られる自分を「統合」すべく、あれやこれやと展開してゆくからです。ヘーゲルが『精神現象学』で試みているのは、見る自分と見られる自分が統合されたり(即自存在)、分離されたり(対自存在)しながらかつての自分自身を絶えず見つめ直してゆくプロセスを描いてゆくことだったと思います。しかし、最後の「絶対精神」の中で両者の統合が本当に上手くいったかどうか、何が間違っていたのかはプロスペローさんに伺ってみたいところ。

確かどこかのスレッドで國府田さんが、自分自身を他者のように見る、ということに触れていて、それに対してプロスペローさんが現象学や精神分析学を取り上げて、視線を自らの内に取り戻す、といったことを述べておりましたが、まさしく上の問題系と繋がってくるのではないか、と愚考します。

No.240

Re:「超越論的」ということ
投稿者---森 洋介(2001/06/02 14:35:31)
http://y7.net/bookish


 哲学の方には初歩的かもしれない質問ですが、一つ、よろしいでせうか。

> まさにそうです。ですからそれこそが、カント的に理解された限りでの「超越論的」という「理論枠」だと言いたいわけですよ。

 ではカント的ならざる「超越論的」とは? そも「準-超越論的」とは如何なるものなりや。
 あやふやな知識なので確認させていただきたいのですが、昔の訳語ですと、カントのtranscendentalは「超越論的」ではなく「先験的」ではありませんでしたか。「超越論的」は専らフッサール現象学の訳語として後から広まった術語のやうな印象がありますが、結局それが遡ってカントの訳語を覆ふにまで及んだのでせうか。
 どうも私は「超越論」といはれると現象学に添って受け取めてしまふのです。同じく超越論と言ってもカント主義と現象学とでは内実が異なりさうですが、門外漢なものでよくわかりません。ひとまづ、カント的ならざる超越論の代表格が現象学と理解してゐますがよろしいのですか。

 ついでに。
>この辺にも、「歴史」ということを自覚させる場所があるような気もします。

 「歴史的アプリオリ」なる語は私の場合フーコーを読んで初めて知ったものですが、そもそも言ひ出しっぺは誰だったのでせう。その経緯が知れると今少し理解が進むと思ふのですが。

No.244

Re:「超越論的」ということ
投稿者---prospero (管理者)(2001/06/03 12:40:44)


一頃は「ア・プリオリ」も「先天的」とやっていましたね。

森さんご指摘の問題は、とりあえず私が「方法論的」な意味での「超越論的」と、「理論枠」(パラダイム)としての「超越論的」を整理したことに対応させることができるかもしれません(多少の無理はあるでしょうが)

仰るように、カントの訳語では「先験的」が一般的だった時期がありますが、そのカントに関しても、すでに九鬼周造なんかは、そろそろtranszendentalを「先験的」と訳すのは止めようと提案していたことがありました(代替案はやはり「超越論的」でした)。何が問題かというと、やはり「先験的」の場合、「経験に先立っている」というニュアンスが強すぎることではないかと思います。訳語そのものの中に、あらかじめ「経験とそれを超えるもの」といった二つの「次元」を前提しているようなところがあるわけです。

フッサールの場合は、「現象学」という新しい「方法論」との兼ね合いでtranszendentalを導入しているので、この場面ですでに特定の理論を前提とするような「先験的」を使うのは上策ではありません。そこで理論的にニュートラルな「超越論的」という訳語が取られるのではないかと思います。要するに、ここでは、transzendentalが方法論的に理解されていると言えるでしょう。このスレッドで私が一番最初に挙げた形式的な理解がこれに当たると思います。

アーペルが「準‐超越論的」などという奇妙なことをいったのは、丁度日本語の訳語で言えば、「超越論的」ではあるが「先験的」ではないところを言おうとしたためだでしょう。方法論としてはtranszendentalではあるが、そこではカント的な経験的次元vs先験的次元という図式を前提されているわけではないといった意味で。

もちろん、カント的なtranszendentalを、そのようなある種の二元論のように捉えたうえで、それを批判しようとするのは、カントそのものの読みとしては問題があると思います。つまりカントの中にも、「先験的」と訳して構わないような部分と、やはり現代的な「超越論的」な理解として受け取れる部分とが混在しているからです。ですからカントを積極的に読もうとする場合、カントをも「先験的」という読みでやるより、「超越論的」という訳で論じることが好まれるのでしょう。私なんかはその点ではどっちつかずなので、「カント的意味での超越論的」などといってそれを悪者にする際には、心の中ではカントに手を合わせて詫びているという次第で。

「歴史的ア・プリオリ」の正確な出典というのは、いますぐに思いつきません。いろいろな人が散発的に言っているような気がするんですが、ドイツ哲学の文脈だとやはり解釈学系の人たち、フランス系だとフーコー的系譜学ということになりますか。「歴史的ア・プリオリ」の考え方そのものは、ヘルダーのカント批判辺りにすでに根差していて、それを指して「歴史的アプリオリ」云々ということを語っているものも見たような覚えがあります。どうもあやふやですいません。何か思いつきましたらお教え下さい。私も気にしたいと思います。

No.251

歴史的アプリオリ
投稿者---森 洋介(2001/06/05 02:04:12)
http://y7.net/bookish


 思ひ出しました。「歴史的アプリオリ」なる術語ですが、フッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』、就中「付録二 幾何学の起源について」に出てをりました。この付録はデリダの解説によって知られますが、フーコーはそれを読んでこの語を借用したのでせうか。でもフーコーはフッサールに論及したことはあまり無かったと思ひますし、同じ語でも異なる意味を籠めてゐさうですが。
 ともあれ、「歴史的」と「アプリオリ」との形容矛盾の如き組み合はせは、フッサールの造語と見做してよろしいのでせうか。
 なほ該書改訳版の木田元「解説」には、「〔細谷恒夫〕先生が「先験的」という訳語を当てられたtarnszendentalという基本的用語を「超越論的」と訳し変えることさえもしている。これは、今日ではカント哲学に関してさえも「先験的」という訳語に疑義が生じているし、現象学関係の文献では、「超越論的」がほとんど定訳になっているからである」云々とありました。

No.253

歴史的アプリオリとエピステーメーと
投稿者---prospero (管理者)(2001/06/06 20:33:29)


私はもう少し解釈学寄りのことを考えていましたが、そうでした、フッサールにありましたね。ご指摘ありがとうございます。例えばシェリングなんかにも「超越論的過去」などという不思議な術語があるので、捜すと意外なところに意外な言葉ありそうですが、やはり現代思想の中での「歴史的アプリオリ」の源泉はこのデリダの解釈あたりということになるんでしょうかね。ただ私としては、前に少し触れたように、すでにヘルダーやハーマン、あるいはそれらを巡る解釈の中にそうした語、あるいはそれに類する発想がないかというのが気になるところです。今あまりきちんと調べる余裕がありませんが、気にしておきたいと思います。また何かお気づきになられましたらお知らせを。

しかし、肝心のフッサールのテクストの中でのその言葉の使い方は、少し不明な点があります。
� まずは、das historische Aprioriというその形容詞のhistorisch:ドイツ語での慣例からすると、Geschichte(出来事としての歴史)とHistorie(学問・記述としての歴史)という分け方がされるので、この場合、フッサールの「歴史的アプリオリ」は「歴史学」にとってのアプリオリと読めます。そして実際のテクストの文脈も、歴史相対主義を牽制しながら、歴史学という特定の領野にとってのアプリオリのことを言っているような格好になっています。つまり、アプリオリそのものが「歴史的」だと言っているのではなく、歴史学のような変化を扱う学問にもれっきとした不変のアプリオリがあるという文面になっていると思います(と、うろ覚えではあるのですが)。

� フッサールはこのテクストで、はたしてアプリオリ主義を放棄しているのかという問題:上の言葉の点を無視しても、歴史的アプリオリと歴史的アプリオリのどちらに力点を置くかで事情は変わってきそうです。この点も、解釈は分かれるような気がします。W.ビーメルという現象学者などは、やはりこの段階でもフッサールの関心はアプリオリの側にあるのであって、その意味では、「幾何学の起源」での試みはかなり曖昧で無理のあるものとみなしているようです。メルロ=ポンティもどちらかというとそういう感じかも。

デリダの読解は、むしろ逆で、「歴史的」と「アプリオリ」が矛盾しないような読みを模索しているような気がしますが、いかがでしょう。これは、構造主義での「歴史」と「構造」というような話とも重なってくるような部分でしょう。いわば「歴史」と「構造」とを対立概念ではない仕方で捉えるという方向がこの問題関心と共鳴するのでしょうし、その具体的な現れがフーコーの「エピステーメー」理解だとでも言えるだろうと思います。『言葉と物』でのフーコーのこの語の扱いは確かそんな風でしたよね。そう考えると、やはりフッサールの場合とは微妙に重なりながら、微妙にずれているということになるますか。

No.254

『知の考古学』で……
投稿者---森 洋介(2001/06/06 22:55:25)
http://y7.net/bookish


 フーコーは『知の考古学』第三章にて「歴史的アプリオリ」についてひとくさり説き述べてゐます。中村雄二郎訳ですと「歴史的〈先験性〉と集蔵体」と題する第五節です。
 いままで気づきませんでしたが、『知の考古学』は「幾何学の起源」をフランス的な「科学史(エピステモロジー)」の文脈で摂取した上で批判的に展開し直した論とも見做せるのではありませんか。殊に、フッサールは「幾何学の起源」で言表の反覆性について述べてゐますが、言表を如何に定義すべきかが『知の考古学』最大の山場でありました。ここにこそ言語論が超越論的哲学と切り結ぶ戦場もあるわけです。フーコーは、言表への精緻な考察によってフッサールの議論の難点を乗り越えやうとしてゐる如く見受けられます。
 フランス流エピステモロジーの場合は少しは察しもつきますが、ご紹介のアーペルはじめドイツでの議論、解釈学系の論者となるとサッパリ無知です。歴史的アプリオリに就て、どんな論を展開してゐるのでせう。先に挙げていらしたヘルダーやディルタイといったドイツ哲学の系譜から類似概念を発掘するのが主なのでせうか。それだとやはり「歴史」といふより「哲学」の仕事ですね(どうも哲学は苦手でして)。『言語の理念』の目次から臆測する限りでは、語用論の重視といふ点で案外アーペルはフーコーの方に近い感じもしますが……。
 このあたり、願はくはご示教賜はらんことを。

No.270

構造と地平
投稿者---prospero (管理者)(2001/06/09 23:16:45)


 ご示教などとんでもない。漠然と思い浮かべた雑談を。

 フランス的エピステモロジーとはバシュラールやカンギレーム辺りのことですか。その辺のところは私の方こそ良く分かっていないので、具体的にはまたいろいろとお教え願えればと思います。

 そんな訳ですので、半分以上は推測なのですが、『幾何学の起源』の議論をエピステモロジーと接合するという方向性が、ご指摘のように、言表の反復可能性というような議論に親近性のあるものだとすると、それはやはり、通時性を巻き込んだ共時性という反復可能な「構造」(フーコーの場合なら「エピステーメー」)という発想に連なるものなのでしょうね。そのように理解できるのだとするなら、やはりドイツ哲学の文脈との違いも多少見えてくるような気もします。ドイツ系の現象学の後継者たちは、おそらく『幾何学の起源』の反復可能性の議論を「沈澱」という意識作用の方向で読んで、意識の中の習態(ハビトゥス)の成立という仕方で展開することに関心が行くように思います。そしてこれは、解釈学的な「地平」の理解と連繋するような議論でもあるわけです。そうした方向を取らない場合は、意識の原初的形態における「生き生きとした現在」(ヘルト)に注目するなど、意識の発生論へと向かうのが一つの主流のようなので、形成物としての「構造」という議論にはやや繋がりにくいところがあります。現象学のなかで解釈学と構造主義の中間を占めようとしているのはロンバッハ辺りということになりましょうか(『実体・体系・構造』〔ミネルヴァ書房〕)。

 アーペルの場合、出発点がパース研究だったので、語用論(言語遂行論)もそうした英米圏の議論の流れを強く念頭においていると思います。ただアーペルの「理論」の中での語用論は、英米系の「経験的語用論」と区別される意味で「超越論的語用論」と呼ばれるもので、やはりこの点では、カント的な「経験の可能の制約」という問題設定の流れを汲む、かなり理論的な色彩の強いものです。これに対して、アーペルが『言語の理念』などでいわば「歴史家」としてやっていることがどれだけ一致しているのかは、もしかすると再考の余地があるかもしれません。

 ドイツ系哲学の論壇のあり方としては、純粋に理論的なものが先行して、それを肉付けしている(あるいはもしかするとまったく別物かもしれない)歴史的労作が放って置かれる傾向があります。日本での紹介も同じことで、アーペルの場合でも、理論編である『哲学の変換』(二玄社)が抄訳なりとも出ているのに、歴史的な『言語の理念』の翻訳が一向に出ないという事情にあります。その辺は、多少なりとも改善の余地があるだろうと思います。野家啓一氏が「海峡を隔てた<語用論>」という論文(『現代思想』1986.10「現代ドイツの思想」)でアーペルとハーバーマスを論じたとき、最後の節が「歴史的アプリオリ」となっていましたが、これも特に具体的な出典との関係で言われているわけではなく、ましてや『言語の理念』などには一言の言及もありませんでした。やはり、ドイツ系の哲学はもう少し歴史と結びついてくれないといけないのではないかと考えています。

 解釈学の系統はかつてに比べると現在では大分低調になっているようですが、それも上に書いたことと無縁でないと思います。特にこれといった焦点が絞り込めない状況にあるようです。解釈学がもっていた理論的な弱点に目が行きすぎて、それがもっていた歴史的感性というものまでが一緒に捨て去られてしまってはまずいなとは思っているんですけど。さしあたっては、ガダマーが批判ないし無視したロマン主義的解釈学を掘り起こすというのも一つの課題でしょう。シュライエルマッハーに関しては、すでにマンフレート・フランクが大きな仕事をして、それを元に『個的普遍』(未邦訳)を出しましたが、それもすでに一昔前のこと。後は例えば、フリードリヒ・シュレーゲル辺りはまだ有効なのではないかと、個人的には考えていますが。

 ところで、フーコーの場合、語用論の重視というのはどのようなかたちを取っているんでしょうか。昔皆目理解できなかった『知の考古学』もそろそろもう一度きちんと読み返したいとは思っているのですけど。

No.290

言表、語用論、ディスクール
投稿者---森 洋介(2001/06/14 02:11:30)
http://y7.net/bookish


 パソコンが突然故障して、数日間インターネットに接続せずにゐました。今後当分不自由が続きますので応答速やかならぬかもしれませんが、悪しからず。

> フランス的エピステモロジーとはバシュラールやカンギレーム辺りのことですか。その辺のところは私の方こそ良く分かっていないので、具体的にはまたいろいろとお教え願えればと思います。
>
 当方も先に申した通り「少しは察しもつきます」といふ程度であります。ちゃんと勉強したとはいへません。以下、どうぞ眉に唾つけてお読み下さい。

 ご承知の通り、フランスのエピステモロジーとはバシュラールやカンギレムに代表され、フーコーも元来この系統に発します。Epistemologieなんてどうも馴染みにくい言葉ですが、ひとまづ科学史乃至学問史といふ訳語で解しておきます(或いはフーコー曰く「諸科学の〈認識論的歴史〉」)。「幾何学の起源について」も「幾何学(といふ科学=学問)のエピステモロジー」として読み換へられないかと愚考した次第でした。ただしフーコーの所謂「知の考古学」はこのエピステモロジーを独自に展開させたもので、「知」とは「科学」を逸脱した言説をも含む範疇として定義されてゐますし、「エピステーメー」といふ術語ひとつとっても一般にフランス流エピステモロジーで使用される意味とは既に異なってゐること、注意が要りませう。
 さてそのフーコーは、歴史家を自称してゐました。『知の考古学』も亦、哲学書といふよりむしろ、歴史学(殊に思想史)方法論の書として読んでみなくては始まらないと信じます(その意味で中村雄二郎氏に訳されたのはあの本の不幸でした)。桑田禮彰氏はアナール派の「新しい歴史学」と併読すべきと述べてゐます(「『知の考古学』を読む――「歴史家フーコー」のイメージ」、桑田ほか編『ミシェル・フーコー 1926−1984 権力・知・歴史』新評論、1984.10、所収)。歴史理論――歴史認識と歴史叙述とに関する――の省察としての『知の考古学』。

> ところで、フーコーの場合、語用論の重視というのはどのようなかたちを取っているんでしょうか。

 一方、『知の考古学』一巻の山場は、言表の定義にあることは既に申しました。「フーコーがその[『知の考古学』の]中心に据えている語は「アルケオロジー」でもなく、「ディスクール」(言説)でもない。言表(エノンセ)なのだ」とは、夙に豊崎光一「砂の顔――「アルシーヴ」と「文学」」(同名書、1975、小沢書店ほか所収)の断じた所です。『知の考古学』にご関心ある方には副読本として一読をお奨めします。
 『知の考古学』第III章では、言表とは何であるかをめぐって、有名な(その筋でだけか?)ないないづくしが繰り広げられます。言表とは、文ではない、命題でもない、あれでもないこれでもない……。そのうちで、最終的にはやはり「ではない」と退けられるものの、「最も真実らしい」として比定されるのが言語行為(スピーチ・アクト)、就中「発語内行為」なのでした。ここで参照されたオースティンに始まる言語行為論が、言語への語用論的アプローチであること、申すまでもありません。

 それにしてもフーコーは言表はスピーチ・アクトに非ずと明言してゐるではないか、と? しかしここに再考の餘地があると思ふのです。といふのも、そもそもフランスでは英米思想の紹介が不充分で、分析哲学もその例外ではないといふ事情がある由。ましてや、オースティンに加へて後期ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論などに見られる或る種のプラグマティズム=語用論(pragmatics)ともなると……。現時から見れば、フーコーと雖も理論的検討に万全を缺いてゐたのではないか。
 とはいへ一応オースティンの言語行為論についてはデリダとサールの間で論争がありました。しかしデリダの標的は、オースティンそのものといふよりエミール・バンヴェニストのオースティン解釈――行為遂行的(peformartive)発言の反覆不可能な一回性の強調――にあったのではないかといふ指摘が山田広昭氏によってなされてゐます。これはprosperoさんの蒐書記でも触れられてゐる立川健二との共著『ワードマップ 現代言語論』(新曜社)に見えます。この本も言語使用論(=語用論)的視点を特筆した本でした。
 ところで、フーコー経由で日本語でも頻用されるに至った「言説」。これは「言表の総体」と定義されてゐます。原語はdiscours。もともと言語学ではバンヴェニストの用語です。ここで考へますに、フランスでは、その分析哲学無き土壌において、言語行為論的な思考は辛うじてバンヴェニストに見出されるといふ事情があったのではありますまいか。だとすれば、フーコーやデリダでさへ制約されてゐたフランス特有の文脈から来る無理解を離れて、改めてオースティンやヴィトゲンシュタインのプラグマティクスをフランス・ポスト構造主義に接続できないものか? 例へばフーコーが『監獄の誕生』で言説的実践/非言説的実践と書く時の実践、praxisではなくpraticを追究するアルチュセールからブルデューに至る実践論、あそこにフランスなりのプラグマティズムが芽生えてゐるのだとしたら?
 さらに補助線を引けば、バンヴェニストのディスクール/イストワールの対比概念は、ジェラール・ジュネットによって物語論(説話論、ナラトロジー)に摂取されました。これを歴史に応用し、ヘイドン・ホワイト以来取沙汰されるやうになった「歴史の物語論」には、ディスクール概念を言語行為論と突き合はせて再定義することが必要なのではないでせうか(野家啓一氏の物語行為論ではまだ不足です)。その時こそ、もう一つのディスクール概念の創始者たるフーコーの『知の考古学』が歴史理論の書として足がかりを与へてくれるはずです。
 以上、愚見を示しました。固より狭い紙幅の短見にて不分明や誤謬は多々ありませうが、どうかボケだと思ってツッコミ下さい。

No.297

プラティックと行為
投稿者---prospero (管理者)(2001/06/19 23:38:17)


>森さん

 コンピュータの具合はいかがでしょうか。まったくこのツール、便利ではあるけどほかのどの道具よりも不安定で困りますね。私も仕事上、突然の不都合は致命的なので、現在はWindows Mashin二台(ノート+デスクトップ)とMacintoshパワーブック一台という態勢でようやく安んじて万が一の場合に具えることができます。

 さて、英・独・仏、それぞれの言論界は意外と相互の交通がよろしくないようですね。ヨーロッパ現代思想を一番バランスよく消化しているのは日本かもしれないなどと、時折言われるのもむべなるかな。

 読み応えのある書き込みをありがとうございました。相互の繋がりが大分付いて来たような気がします。デリダ・サール論争で問題になった反復可能性/不可能性という議論が、『幾何学の起源』でのフッサールの反復可能性の議論と反響し合い、フーコーの「言表」概念を理解する某かの補助線になるというお話も、おおむね理解できるように思います。ただご紹介になられた豊崎氏の論考はすぐには見つけられなかったので、フーコーそのものについてたいした理解の進展もないまま、まだ私には不分明な点を思い付きで申し上げてみます。

 バンヴェニストによって解釈されたオースティンがフランスでの語用論理解の手掛かりになっていたというのはわかるのですが、そうだとすると、そのバンヴェニストの解釈に取り入れられることのなかったオースティンの余剰分とは果たしてどういうものでしょうか。これは最後に展望されているフランス流のプラグマティズムという点にも関わる問題でしょう。ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論などに想到されている点から察するに、ここで見据えられている境域は、言語ゲームのルール、あるいは規約の社会性といった問題に関わるものと考えて良いのでしょうか。慣習的行為という意味でのプラティックの語から推すと、おそらくそうした方向でフーコーの議論との繋がりが構想されているのではないかと思います。

 そこで、お尋ねしたいのですが、このような展開は、バンヴェニストを踏まえた上でそれを発展させるという方向のものなのでしょうか、あるいはバンヴェニストを一旦棚上げにして、もう一度オースティンに立ち返って議論を立て直そうとするものなのでしょうか。もし後者だとしたら、デリダ・サール論争での「現前の形而上学」批判に回収されない「行為」理解を提出しなければならないと思いますが、それはどのようなものになるのでしょうか。まあ、これは私がオースティンをよく分かっていないということに由来する愚問かもしれませんが。ただこれはつまるところ、(プラクシスではなく)プラティックにおける「行為」とは何かというところに収斂しそうな疑問ではあります。習慣性や規範性(反復可能性)を前面に押し出すとき、行為概念はどのように変わってくるのかといったところでしょうか。そういった方向でお考えいただくと助かるのですが。

 後段の「物語論」の件も関心を惹かれます。ホワイトの源泉の一つはヴィーコの『新しい学』であるわけですが、例のアーペルはまさにこのヴィーコを人文主義の伝統の頂点として呼び戻そうとするわけです。これは同時に古代・中世での唯一の言語行為論であった「修辞学」の復興とも見事に平行することでありました。そうした点でも、この議論、私にも大変に興味があります。これらについてもまた後々、ご意見を伺いたいと思います。

No.300

プラグマティズム、反覆、チェスタトン
投稿者---森 洋介(2001/06/20 20:31:17)
http://y7.net/bookish


 パソコンは修理に出しました。餘分に買ふ財力も置くスペースも無いので、知合ひから一台借りて何とか用を足してをります。

> [……]ヨーロッパ現代思想を一番バランスよく消化しているのは日本かもしれないなどと、時折言われるのもむべなるかな。
>
 いかにも、日本は翻訳大国です。にも拘らず、英独仏それぞれの專門家間での交通となると、やはり滞りがちではありませんか。それが證拠に、邦譯書にはしばしば珍妙な固有名詞(書名、著者名)が出てきます。ジョルジュ・ルイス・ボージェスとか。畑違ひでもそれ位は知ってゐて当り前と思ふやうな名前や既に譯書のあるやうな書名ですら、頓珍漢に訳されてゐることが稀ではありません。研究者の方には普段からもっと專門外の本(翻訳に限りませんが)にも手を出して貰ひたいものです。
 かくいふ小生にしたところで、固より研究者でなく何の專門も持たないとはいへ、今度お話をうかがふまでアーペルら現代ドイツ哲学について無知でした。しかし訳書もあるのですし、本當はもっと早くに知ってゐてよかったはず。例へば、そもそも現代思想で「語用論的転回」なる呼稱を唱へ出したのはハバーマスでしたが、気をつけてみると、ハバーマスと並んでアーペルの名が挙げられてゐる文献も少なくない。語用論に関心あると言ふならチェックしておいて然るべき名なのに、看過ごしてゐたのでした。不覚。
 しかしながら、今度のことを機にまだ少し覗き見ただけなのですが、アーペルの謂ふ「超越論的語用論」やハバーマスの「コミュニケーション行為」の議論は、どうも性に合はない気がします。餘りに合理性に執してゐるやうな感じなので。
 理性的討議の基礎づけのための語用論といふのは、確かにそれも「実用主義」と訳されるやうな意味でのプラグマティズムのうちでせうが、しかしそれは思想的プラグマティズムの矮小化であり、そんな読み方ではオースティンもさして面白く読めますまい。そもそも日常的実践(ドイツ風に言へば生活世界?)といふ奴はもっと不条理でもっと途方もないものではないでせうか。さういふ視点から読み込むことでこそ、オースティンなりヴィトゲンシュタインなり(オックスフォード学派?)に汲み取るべきものが見出せるのではないかと思ふのです。
 それらイギリス系の「経験的語用論」といふものは、周知の通り、普通人の常識に基づく哲学的観念論への批判といった性格を持ちます。「常識」とは、いかにも穏当な観念である如くです。けれどもこれがイギリス人の「常識」といった場合、どこか不条理で狂気じみた相貌を呈して来ないでせうか。ここで念頭に置いてゐるのはチェスタトン、就中『正統とは何か』(安西徹雄訳、〈G.K.チェスタトン著作集1〉春秋社、1973.5)第四章「おとぎの国の倫理学」です。これは哲学用語抜きに反覆可能性を思考したエッセイとして秀逸です。チェスタトンは、何かが反覆されるといふことは決まり切った自然法則や退屈な慣習であるどころか、むしろ驚歎すべき奇蹟的出来事であることを説いてゐます。
 チェスタトンの論を紹介し出すとまた長くなるのでそれはご要望があったらといふことにしておきますが、注意したいのは、そこに見られる狂気じみた常識の展開は、逆説の名手チェスタトン個人に限ったことではなく、一種イギリス的なものと見做せるといふことです。即ち「ヒューム以来、或いはむしろスコトゥス・エリウゲナからドゥンス・スコトゥスを経て極く最近にいたるまで持続して来たイングランド的狂気の常識(?)の伝統、エキセントリックな常識の伝統がここにはあるだろう」(丹生谷貴志「チェスタトンを巡る神学的フォニィ」『ユリイカ』1989年7月号「特集 G・K・チェスタトン」)。お望みとあらば、オッカムに代表される唯名論的思考、無神論スレスレの神学の伝統といってもいいのかもしれません。乃至は、ルイス・キャロルの『不思議の国』としてのイギリス、そのナンセンスとしての常識=コモンセンス……?
 この意味でのイギリス的(といふ言ひ方が適切かどうかはさておき)なプラグマティズムを踏まへてオースティン、バンヴェニスト(、その他)を併せて共に読み返すならば、フーコーらのディスクール論的転回(cf.石田英敬「「メディオロジー的転回」の条件」)を進めるに裨益するところがあるのではないか――といふのが今の所の見通しです。
 プラチック論との絡みで言へば、フランスではpraxisに代ってpratiqueが人文社会科学での唯名論的傾向と共に使用されるやうになった語であること、桑田禮彰氏も指摘してゐました(「pratiqueの思想」『アレフ』2、アレフの会、1989.1)。pratiqueといふ語に於ては、実践はpraxisの如き理論の対立物ではなく、理論も亦「理論的実践」といふ実践として捉へられます。謂はば実践といふ「個物」への一元化ですが、この「唯名論的傾向」を、言語論に於る語用論的傾向と重ねて捉へるならばどうなるか。むろんここでの語用論は、例へば言語行為論が検討する誓約や宣言といった行為遂行的発言を常識によって保證するものではなく、むしろ恆にその遂行不成立の可能性――反覆再現性はチェスタトンの謂ふ「奇蹟」に等しいこと――によって脅かされてゐる、さうしたエキセントリックな常識に基づくプラグマティズムでなければなりません。と同時に、その時の視線は、遂行的発言の一回性(といふバンヴェニストの解釈が仮に正しいとして)にも拘らずなぜか成立してゐる言表の反覆性の方へ、その奇蹟のやうな現象の解明へ向かふものであることが期待されます。一回性ではなく反覆を、つまり現前ではなく再−現前(representation、表象)の不可解さに惹きつけられる態度が根本にあるわけです。

>[……]ただこれはつまるところ、(プラクシスではなく)プラティックにおける「行為」とは何かというところに収斂しそうな疑問ではあります。習慣性や規範性(反復可能性)を前面に押し出すとき、行為概念はどのように変わってくるのかといったところでしょうか。そういった方向でお考えいただくと助かるのですが。

 以上、正面からの答にはなってゐませんが、とりあへず、その反覆可能性といふこと自体を、チェスタトンに倣って、驚異の対象として再考すべきかと存じた次第。但し自分で考へるのはようしませんので、その先を考へよといふことでしたらヒントになる文献をご提示下さると助かります。「読書とは、他人にものを考へてもらふことである」(ショーペンハウエル)と申しますから。


No.322

シャンディズムと物語と
投稿者---prospero (管理者)(2001/06/27 02:15:38)



こちらのスレッドへの応答が少し間が空いてしまいした。

>研究者の方には普段からもっと專門外の本(翻訳に限りませんが)にも手を出して貰ひたい

 まったく同感なので、この話題にはスレッドを改めて乗りたいと思います。

とりあえず本題に関して。

 >遂行的発言の一回性にも拘らずなぜか成立してゐる言表の反覆性

 これはやはり、「習慣性や規範性(反復可能性)を前面に押し出すとき、行為概念はどのように変わってくるのか」という私の疑問を裏側から表現していただいたものと受け取りました。チェスタトンの『正統とは何か』も私も好きな本ですが、森さんのご利用のなさり方を見てちょっと膝を打ったようなところがあります。「何かが反覆されるといふことは決まり切った自然法則や退屈な慣習であるどころか、むしろ驚歎すべき奇蹟的出来事である」。まさしく。「終わりなき日常」がニヒリズムだなんていうのはとんでもない話です。そこで森さんが言及されたイギリス的=スコットランド=アイルランド的伝統というのも、大いに思い当たることがあります(どうでもいいことですが、エリウゲナの名前のスコトゥスは実はスコットランドではなく、アイルランドのことなんです)。

 そこで私なんかは、またまたスターンに想到してしまうわけです。伊藤誓『スターン文学のコンテクスト』(法政大学出版局)は、スターンを珍しくも哲学的な文脈を射程に入れて論じた好著ですが、そこではヒューム哲学の影の下に、自我の解体に直面したあまりにも現代的なスターン像が提示されています。その際に伊藤氏がもちだすのが、「自我同一性を保ち生き生きと充実した生を送るには、つねに自分についての<物語>を語ろうとしなければならない」という、物語論的視点です。ほとんどリクールの「物語的自己同一性」といってもいいでしょう(『時間と物語』全三巻、新曜社)。『トリストラム・シャンディ』の脱線に次ぐ脱線、タイポグラフィの混乱、小説という形式の破壊は、実は一回的な行為を通じて、同一性を産み出して行く「遂行」なのではないか。ここで与えられる同一性や反復可能性は、線状的・水平的な反復ではなく、一見すると反復可能性と区別できないようなものなのかもしれません。こんな風に、語ることを通してのみ形成され、語ることを通じてのみ保持される自己同一性という考え方は、反復可能性の成立を、物語という「行為」の側から解明する可能性を秘めているとは言えないでしょうか。私としては、これは「修辞学的自己同一性」などと言ってみたい誘惑にも駆られますが。

 こんな感想はチェスタトンと響き合うところはありますでしょうか。まるで読み返す手間を省こうとしているかのようですが、何か思いつかれることがありましたらお教えください。

 


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