>この前の『文学』には、生田長江が学生時代に主催していた雑誌の記事が
實は、その雜誌『夕づゝ』の現物を縁あって目にしました。一部切りの廻覽雜誌ですから同人の自筆稿本(毛筆)を和綴じにしたもので、各作品の末尾や鼇頭欄には廻覽した讀者による感想・批評が朱筆で書き込まれてゐます。その批評に不滿だと作者が更に反論を書き込んだりして――あのライブ感は單色の活字に起こしてしまっては傳はりにくいでせう。二色刷影印本にでもなるとよいのですが。
ところで遺稿のお話、例によって私はフーコーを想起させられます。『知の考古学』には恰も資(史)料演習の基礎をおさらひするかのやうな一節がありましたっけ。
たとえば、作者の名前は、同じ仕方で、かれが自らその名で刊行したテキスト、さらに、なぐり書き、手控え帖、「紙片」、にすぎぬテキスト、を指示するであろうか?[……]作者によって公刊されたテキストに、印刷に付そうと企てたテキスト、死という事実によってのみ未完となっているテキストを加えるだけで、十分であろうか?[……]棄て去られた草稿をも加えるべきであろうか?[……]一方でニーチェの名前と、他方で青年時代の自伝、学校での論文、文献学(フィロロジー)の論稿、『ツァラツストラ』、『この人を見よ』、書簡、「ディオニソス」とか「皇帝ニーチェ」とか署名された晩年の葉書、洗濯屋の勘定書とアフォリスムの企てがごっちゃになった無数の紙のとじ、などの間に存在するのは、同一の関係ではない。[……]
正にいまの話題そのものの問題意識ぢゃありませんか。このくだりは「作者とは何か」といふ獨立した論文でも考察されることになります。
ちなみにフーコーは確かフランス版ニーチェ全集の編纂だか監修だかにも關はってゐたはず。これは空疎な哲學的自問自答ではなく、文獻學的實踐に裏附けられた言として受け止めるべきでせう。資料の扱ひに困ったとき、フーコーを文獻學者として參照することは、必ずしも迂遠なやり方ではないと思ひますが、如何。
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