口舌の徒のために

licentiam des linguae, quum verum petas.(Publius Syrus)
真理を求めるときには、舌を自由にせよ

過去ログ

啓蒙主義その他


No.971

はじめまして♪
投稿者---如月(2003/04/15 14:49:15)
http://www.furugosho.com/


こんにちは。googleでいろいろなサイトを検索していたら、たまたまこちらに漂着致しました。
それにしても、掲示板の扉写真がベールの辞書というのはすごいですね!そえてある岩波文庫はなにか気になるところです。
時間をみてまた寄らせていただきます。


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発言に関する情報 題名 投稿番号 投稿者名 投稿日時
<子記事>ありがとうございます972prospero(管理者)2003/04/15 22:12:31


No.972

ありがとうございます
投稿者---prospero(管理者)(2003/04/15 22:12:31)


>如月さん

はじめまして。ご覧いただきありがとうございます。最近は、少々身辺も慌しく、パソコンの不調も手伝って、更新も滞りがちで、不甲斐ない次第です。

掲示板の扉写真ですが、横の岩波文庫はサイズ比較という意味で入れたもので、正体はディドロ・ダランベールの『百科全書』です。ちなみに、本体のStudia humanitatisのほうの扉写真は、十八世紀のイギリス美学、とりわけ「ピクチャレスク」といわれたイギリス独特の美学の理論書群です。時にはこれらの写真も入れ替えたいとも思うのですが、何しろ技術力が不足している当方は、なかなか手が回りません。ご容赦のほど。

また何か具体的なご関心などがありましたら、お教え下さい。


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No.973

リンクのお願い。
投稿者---如月(2003/04/18 23:54:39)
http://www.furugosho.com/


prosperoさん、丁寧なRESどうもありがとうございます。
私の方も、今、関心が日本中世史に向かっているものですから、ロムが多いと思いますが、興味ある話題の時はぜひ会話に参加させてください。
それと、小サイトより貴サイトをリンクさせてくださいますよう、お願い致します。


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No.976

光栄です
投稿者---prospero(管理者)(2003/04/21 22:30:27)


如月さん、リンクのお申し出、ありがとうございます。「世善知特網旧殿」も拝見させていただきました。日本中世史のほかにも、思想的な問題にご関心がおありのようですね。同好の士のご来訪を悦ばしく思いますし、リンクをしていただけるのでしたら、光栄です。

私のほうは、日本および東洋関係に暗いので、話題を提供していただければ、いろいろと新しいことを学ぶ機会になり、助かります。いま、歴史とフィクションの問題との関係で、松田修『複眼の視座 ―― 日本近世史の虚と実』(角川選書)などを読んでいました。この松田修という人、なかなか妖しい書き手で、ちょっとはまりそうです。

それでは、今後もよろしくお願いいたします。


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No.977

「歴史批評辞典」の紹介ページを新設しました。
投稿者---如月(2003/04/23 01:09:36)
http://www.furugosho.com/


prosperoさん、STUDIA HUMANITATISさっそくリンク貼らせて頂きました。
また、それと合わせ、小サイトにベールの「歴史批評辞典」の紹介ページを追加しました↓。
http://www.furugosho.com/vertige/mably/bayle-dictionnaire.html
もっとも、説明の方は、訳者野沢協さん(田辺元の甥という!)の文章を引用しただけですけれど。


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No.978

脱線
投稿者---森 洋介(2003/04/25 23:20:55)
http://profiles.yahoo.co.jp/livresque


 如月さん、はじめまして。『フランス哲学・思想事典』「歴史批評辞典」(野沢協氏執筆)の項、拜見しました。 

……各種の辞典に見られる誤謬や書き落としを摘発・訂正する「誤謬の辞典」、「他の本の試金石」としてはじめ構想されたが、製作の過程で計画はやや変更され、……脚註の分量は通常、本文の数十倍、数百倍にのぼり、……項目の選択は全く無計画で、……

 上の箇所など、思はずニヤニヤ。いいですよね、いかにも脱線する知性といふ感じで。
 つまり何と言ひますか、厖大な知識を持ちながらも、厖大すぎるが故に體系を成さず折に觸れてその一端を漏らすのみで、それが世に現れる時は既にある書物の誤謬や不備に反應する批評や註釋の形を取ることが多いが、その些細な機會を捉へて自重から來る内壓に耐へかねたかのやうに蘊蓄が噴出し、即ちあたかも膨らんだ風船が針でつつかれた如く、主題から逸脱して不釣合ひに論述が展開され、それゆゑますます全貌は掴みがたくなる、さういふ知性の持主。
 このタイプで有名なのは、日本では南方熊楠でせう。他にも色々をりますが、特に思ひ當る人物や書物など、お聞かせ戴ければ幸ひです。
 prosperoさんの擧げた松田修氏なども、もっとうまくつつけばまだまだ面白い話が湧き出て來た人なのかもしれません。分厚な著作集が刊行中ですが、既に病牀にあると聞きました(同姓同名の萬葉學者の方だったかな?)。知識が死藏されぬよう外に出る機を與へるのは後進たる讀み手の仕事でせう。どこの諺でしたか、「一人の老人の死は、一つの圖書館を失ふに等しい」とか。


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No.979

雑駁なおもしろさ
投稿者---如月(2003/04/26 12:54:04)
http://www.furugosho.com/


森さん、はじめまして。
小サイトへのアクセス&言及、どうもありがとうございます。
(自分の掲示板では、ベール関連のコンテンツにはまだRESがないんですよ<笑>)
ベールに似たタイプ、日本ではどんな人がいるかというご質問にはちょっとこたえが思い浮かびませんが、ベールの辞書なんかをきっかけに、18世紀は反体系の思想に向かっていったというような気がします。結局その典型が「百科全書」なのではないでしょうか。世界をABC順に記述するという行為が「体系としての世界」を崩壊させていくというような。非常におおざっぱな言い方になってしまいますが、それをもう一度「体系」として構築しなおしていったのが19世紀の思想家ではないかという気がしています。
ですから、18世紀のものを読んでいると、その雑駁さがおもしろいんですよね。それを整理してみると、意外につまらなかったりする(笑)。
  *   *   *
ベールの辞書、たとえばライプニッツを激しく批判していることでも有名なんですが、その批判も「ロラリウス」の項の一註釈として出てきますね。


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No.982

十八世紀の面白さ & 再び人文書の翻訳
投稿者---prospero(管理者)(2003/04/29 13:24:13)


>18世紀は反体系の思想に向かっていったというような気がします

私も、十八世紀のもっている独自の感覚という点でも、仰ることには共感をもちます。十八世紀思想・社会全般を叙述したドナルド・グリーンの著作がいみじくも『繁茂の時代』という標題をもっていますが、まさに至るところに枝葉を伸ばし、体系ならぬ知識の叢をなしているのが、十八世紀型の知性のような気がしてなりません。かつて下村寅太郎などが、ライプニッツの活躍した十七世紀を「天才の世紀」としていたようですが、それになぞらえるなら、私は十八世紀を「アマチュアの世紀」と呼びたい思いに駆られます。

グリーンの著作のペイパー版は、ホガースの絵がその表紙を飾っているのですが、このホガースなども、絵画の場面で反=体系的な脱線の精神を体現しているようにも思えます。いたるところに思わせぶりな細部を書き込み、読者にいやでも多様な想像を喚起せずにはおかないその雑多な画面は、かつてチャールズ・ラムが「読む絵画」と呼んでいたように、その読解に終着点のない「開かれた作品」になっているようです。このホガースを好んだ人としては、ドイツ人ではリヒテンベルクがいます。彼なども、そうした逸脱の感覚に対して敏感な感性をもっていたのかもしれません。

十八世紀は「啓蒙主義」の時代として、「理性の時代」などと言われますが、そうした「啓蒙」などは、所詮は彼ら自身が「自称」していたプログラムにすぎないのであって、事はそれほど単純ではないようです。そんな雑多で旺盛な感性という点に関しては、私の尊敬措くあたわざるカッシーラーは残念ながら、アザールに一歩を譲るようです。

ということで、カッシーラーの『啓蒙主義の哲学』のことを少しだけ。以前紀伊國屋書店から出ていたこの名著・名訳が「ちくま学芸文庫」で改訂されて上・下二分冊で公刊されました。この改訂新版の訳文はまだ検討していないのですが、この公刊を気に、訳者の中野好之氏が筑摩書房のPR誌『ちくま』で、「古典翻訳の意義と将来性 ―― 英学商売店仕舞いの弁」なるエッセイを寄せておられます。やはり、最近の人文書の不審に触れられたうえで、「私はいまさら旧世代の独善的な価値観を若い世代に押し付けたり、ましてや学術なる錦の御旗を口実に出版社に商業的な犠牲を強要するわけにはいかない」と書かれた上で、「私はひたすら現在の世相に絶望する人間ではないが、学術上の起業家としては当分営業を自粛して、英学研究の店を畳んで他日に備える我が儘を許される、と確信する」と締め括られています。いろいろなことを考えさせられてしまう一文です。
いささか、「脱線」を失礼しました。


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No.983

啓蒙の多義性
投稿者---Juliette(2003/04/30 10:25:36)


>十八世紀は「啓蒙主義」の時代として、「理性の時代」などと言われますが、
>そうした「啓蒙」などは、所詮は彼ら自身が「自称」していたプログラムに
>すぎないのであって、事はそれほど単純ではないようです。

私は18世紀という時代のもつ独特な生命力のようなもの、ある種カオティックな側面を
この掲示板での皆様の議論を通じて、最近次第に分かってきたところです。
が、18世紀に絞らずとも、そもそも啓蒙の持つ多義性ということには以前から興味がありまして、
啓蒙主義=理性主義=合理主義という一面的な捉え方には反対です。

ただ、啓蒙の多義性がこれまで誤解されてきた理由を考える時に問題になってくるのは、
啓蒙という概念の捉え方が狭いためなのか、それとも啓蒙が依拠しているところの
「理性」の捉え方に支障があるためのか、ということです。
その意味では、ニーチェが「大いなる理性」と呼んだものも、
やはり一種の「理性」であったのだということは、興味深く感じます。

たとえば、『啓蒙の弁証法』で、アドルノはカントの理性概念の二義性を認めているにもかかわらず、
そのうちのひとつである「ユートピア的理性」の可能性の発展をきちんと議論の俎上に載せず、
ひたすら「科学的・合理主義的理性」の方ばかりに注目している感があります。

ところで、私が最近読んだ牧野英二氏の『カントを読む ―ポストモダニズム以降の批判哲学 ―― 』
(岩波書店)によると、「啓蒙」に従来とは別の解釈を見出しうるとすれば、
それにはカッシーラーの啓蒙概念が大いに参考になりそうなのです。
というわけで、ちょうど「ちくま学芸文庫」から出された『啓蒙主義の哲学』を、
ぜひ近々読んでみたいと思っている次第です。




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No.987

十人十色
投稿者---如月(2003/05/03 23:25:35)
http://www.furugosho.com/


Julietteさん、はじめまして。
カントの大部の著作、私は未読ですが、「啓蒙」を主題とするものなどを読むと、やはり18世紀のフランス思想家とは論点がだいぶずれてるなあという気がするのです。いわば、当事者と外野という感じでしょうか。
カントで読むと、啓蒙というのはとてもすっきりしたものに思えるのですが、フランスの現場はおっしゃるようにカオス的に混乱しています。これをなんとか整理しようとしたら、ほんと、abc順にやるしかないでしょう。
18世紀思想が革命を準備したといっても、これはあくまでも結果論ですよね。彼らはこのままでは社会は危機的状態に陥るという認識では共通していても、それがなんなのかを予見できた人はいない。起こってみたら「革命」だったというようなところがあるわけです。
そうした危機感のなかで十人十色、自己の説を展開していた。これが18世紀の実情なんじゃないでしょうか。


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No.989

さまざまな啓蒙
投稿者---prospero(管理者)(2003/05/04 14:53:02)


>啓蒙の持つ多義性ということには以前から興味がありまして、
>啓蒙主義=理性主義=合理主義という一面的な捉え方には反対です。

このような「一面的な」図式はどこから生じたものなのか、その経緯は少し考えてみたいところですね。漠然とした印象ですが、もしかすると、如月さんが「十人十色」という多様なものとして言われているフランスの十八世紀とドイツのそれとのあいだに多少ニュアンスの違いがあるのかもしれません。だいだい言葉としても、フランス語のsiecle des lumieresとAufklarungのあいだには、ちょっとしたずれがあるような気もします。ともに「光」を表す言葉を使って、理性の光(中世以来のいわゆる「自然の光」lumen naturaleとしての理性)が語られているわけですが、ドイツ語の場合、わざわざZeitalter der Aufklarung(光の時代)という言い方はあまりせずに、Aufklarungだけを使って、十八世紀自体を表すことが多いようです。言ってみれば、ドイツ語の場合のAufklarungは、時代感覚以上に、一つの「理念」を表しているからではないかと思います。それに対して、フランス語の場合、そもそも「光」が複数形で使われていて、それらのさまざまな「光」を取りまとめたものとして、「啓蒙の世紀」が考えられているような趣もあります。

いわば、フランス的啓蒙は「現象」として存在するのに対して、ドイツ的啓蒙は「理念」あるいは「本質」として考えられているとでも言いましょうか。カントがことさらに「啓蒙とは何か」という問いを立てるのも、そうした発想の顕著な現れかとも思えます。

そうした相違は、それぞれの時代を扱った書物にも現れているようです。代表的にアザール『精神の危機』とカッシーラー『啓蒙主義の哲学』を比べてみると、その肌合いはまったく違っています。アザールはまさに多様な「現象」を、思想家という「人間」の移動や交流を主眼に活写するのに対して、カッシーラーは「啓蒙主義」をあくまでも「哲学」として追い詰める作業をしています。そもそもの狙いが異なるとはいえ、やはりそこに流れている感性の違いも明らかです。如月さんの「当事者と外野」という感覚も、そうした事情と無縁ではないのかもしれませんね。

>Julietteさん

牧野英二氏の『カントを読む ―ポストモダニズム以降の批判哲学 ―― 』は未読ですが、「啓蒙」理解の新たな方向としてカッシーラーを活用するというのは魅力的に思えます。何か具体的な考えが見えましたら、またご意見を頂戴したいと思います。


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No.990

カントは外野だったのか?
投稿者---Juliette(2003/05/06 09:29:54)


如月さん、はじめまして。

>当事者と外野という感じでしょうか。
>カントで読むと、啓蒙というのはとてもすっきりしたものに思えるのですが、

たしかに『啓蒙とは何か』を読む限りでは、カントの「啓蒙」概念はきちんと定義づけされている分、「すっきりした」(=ひとつの概念として破綻なく整理されている)ように見受けられます。しかし、ドイツとフランスの18世紀の状況を考えるに、果たしてドイツにおける啓蒙がカントが言うほどすっきりしたものであったかどうかは、今一度慎重に考えてみる必要があると思われます。

といいますのも、カントは「我々の時代は十分に啓蒙された時代とは言えないが、啓蒙されつつある時代だ」というようなことを言っています。彼はまさに、「外野」ではなく、啓蒙の渦中にある人間として自分を、また当時のドイツを見ていたということになります。

それにもかかわらず、どこか他人事のように「啓蒙とは何か?」などと言っておれたのは、一つには、prosperoさんがご指摘くださいましたように、ドイツ語のAufklaerungが「理念」的な部分を持ち合わせているからでしょうし、二つ目に考えられるのは、カントが「啓蒙の時代=フリードリッヒ大王の時代」と捉えてきたことにも起因するでしょう。当時のドイツにおける啓蒙は、いわば後進国のそれとして、いわば「上からの」啓蒙だったと言われています。フランスの先進思想を積極的に取り入れようという意志のもとに、「おかみ」が決めたある種politischな面を、カントは肯定的に受け入れていたのです。

というわけで、私ににとってカントという人は、フランス的な啓蒙にも、ドイツ的な啓蒙にも、完全には染まりきれずに独特な位置を保っている面白い人に思えるのです。


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No.992

立体的な18世紀像にむけて。
投稿者---如月(2003/05/08 00:38:02)
http://www.furugosho.com/


こちらの掲示板になれないうちに、みなさんの発言に触発されて大量に書き込みしたものですから、言葉足らずの点や、逆に言いすぎがありましたらお許し下さい。
カントに関しましても、「外野」という言葉に多少不適切なところがあったかもしれませんね。ドイツのなかにもいろいろな状況があったということ、考えてみる必要があるようです。ただ私なんかは、フランスのものを中心に読んできたせいで、Julietteさんのご発言の

>といいますのも、カントは「我々の時代は十分に啓蒙された時代とは言えないが、啓蒙されつつある時代だ」というようなことを言っています。彼はまさに、「外野」ではなく、啓蒙の渦中にある人間として自分を、また当時のドイツを見ていたということになります。
>
>それにもかかわらず、どこか他人事のように「啓蒙とは何か?」などと言っておれたのは、一つには、prosperoさんがご指摘くださいましたように、ドイツ語のAufklaerungが「理念」的な部分を持ち合わせているからでしょうし、二つ目に考えられるのは、カントが「啓蒙の時代=フリードリッヒ大王の時代」と捉えてきたことにも起因するでしょう。当時のドイツにおける啓蒙は、いわば後進国のそれとして、いわば「上からの」啓蒙だったと言われています。フランスの先進思想を積極的に取り入れようという意志のもとに、「おかみ」が決めたある種politischな面を、カントは肯定的に受け入れていたのです。

といった点、ご指摘いただかないと、なかなか思い至らないのです。
この辺、性急に結論を出してしまうというより、よりいろいろな視点から議論をしあうと、18世紀という時代がより立体的にみえてくるかなとは思います。


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No.1090

コンディヤックをめぐって
投稿者---如月(2004/05/02 01:13:22)
http://www.furugosho.com/


ここ数日、サーバー・ダウンのため小サイトが不通となっておりましたが、その間、
「17世紀人物誌」
http://www.furugosho.com/precurseurs/peuple17.htm
「18世紀人物誌」
http://www.furugosho.com/precurseurs/peuple18.htm
のページを改訂し、新たな人物を追加するとともに、人物説明を追加・訂正しました。ただし、ヒューム、カントなどの大人物は、名前が乗っているだけで説明が空っぽです(笑)。
「18世紀人物誌」の改訂では、マブリの弟コンディヤックの生涯と思想を新ページとして以下に独立させ、
http://www.furugosho.com/precurseurs/condillac.htm
合わせて、コンディヤックの主著「感覚論」の内容目次の紹介ページを新設しました。
http://www.furugosho.com/precurseurs/condillac-sensations.htm
目次だけざっと目をとおしても、「感覚論」というのは、現代からみるとかなり変わった著作ですね。でも、コンディヤックという人は、もしかするとヴォルテール、ルソー、ディドロそしてマブリ、誰とくらべても一番18世紀らしい思想家かなという気がしてきました。変なたとえですが、「感覚論」の発想ってバッハやモーツァルトの発想ともどこかしら似てるような気がします。
また、当時の思想界におけるコンディヤックの位置を多少とも明確にするため、「ビュフォンの<博物誌>とモリヌークス問題」のページも新設しました。
http://www.furugosho.com/precurseurs/buffon-molyneux.htm
合わせてお読み頂ければ幸いです。

モリヌークス問題、調べてみるととてもおもしろいですね(登場人物も多彩ですし♪)。もう少しくわしく追いかけてみようと思います。


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No.1091

神に触らせよ
投稿者---prospero(管理者)(2004/05/03 14:21:23)


如月さん

サーバー・ダウンでしたか。ここ数日、何度かアクセスをしてもそちらに繋がらなかったので、怪訝に思っていました。それにしても、あいかわらず生産的に迷宮化をすすめてらっしゃいますね。早速に拝見しました。

生まれつきの盲人が視覚を獲得した場合、それまで触覚のみで認知していた立方体を、見ただけでそれと認識することができるか ―― このモリヌークス問題は、十八世紀の感覚論・経験論にとって実に大きな問題だったようですね。ご指摘のように、登場人物も多彩で、論じ甲斐のある問題だと思います。私も一度、その間の事情を通覧してみたいと思いながら、なかなかきちんと調べていないので、いろいろとお教え願えればとも思います。

このモリヌークス問題については、カッシーラーが『啓蒙主義の哲学』のなかで、空間理解の問題として論じていたのを覚えています。ライプニッツ的=合理論的な「唯一の空間」という理解に対して、モリヌークス問題が提出したのが、触覚による空間、視覚による空間などの、感覚ごとに多様化された複数の空間という理解であるというものでした。カッシーラーはそれを、複数世界論としてのフォントネル『世界の複数性についての対話』などと結びつけていたように記憶します。

感覚と触覚(あるいはその他の感覚)を総合する働きとして、古くは「共通感覚」(アリストテレス)が問題になり、やがてはそれがカントの「構想力」にも繋がることになるのでしょうが、そうした単線的な図式に解消されない、論理の微妙な綾が、十八世紀思想に即して浮かび上がると面白いと思っています。とりわけ、以前読んでとても感心したディドロの『盲人書簡』(『ディドロ著作集 I』法政大学出版局、所収)などを読み返してみたくなってきました。

『盲人書簡』の一節より:
盲目の数学者ソンダーソンの臨終の際に、牧師が神の栄光を教え諭すために、自然界の驚嘆すべき光景を滔々と語った。それに対する、ソンダーソンはこう述べた。「私は、生涯を暗闇の中で、過ごしてきた人間です。その私に神を信じさせようと思ったら、神に触らせてくださらなければいけません」。

直接にモリヌークス問題と絡むわけではありませんが、『盲人書簡』のこの一節が妙に印象に残っています。

***

ちなみに、コンディヤックも興味深い思想家ですね。彼の感覚論を出発点として、トラシーや『第三階級とは何か』のシエイエスなどの、いわゆる「観念学派」が生まれるということになりますね。フーコーは『言葉と物』のなかで、十八世紀的な「表象」の哲学の代表格として、この「観念学派」を挙げていたのも印象的でした。

ところで、「感覚論」の発想が、「バッハやモーツァルトの発想ともどこかしら似てる」というのは、どのようなイメージでしょうか。ちょっと面白そうなので、もう一言膨らませていただけるとイメージがはっきりしそうです。


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No.1093

複數世界論の二つの系譜
投稿者---森 洋介(2004/05/05 10:12:02)
http://y7.net/bookish


 「感覚ごとに多様化された複数の空間」といふのは面白い考へです。ユクスキュルの『生物から見た世界』を聯想させられました。あの環世界論を、コンディヤックの『感覺論』『動物論』とを掛け合はせた延長上にある思考と見做すことはできませんか?(ハイデッガーの「世界内存在」といふ概念もユクスキュルの影響ださうですが……) 
 十八世紀において、旅行記の知見に基づく『ペルシャ人の手紙』『ブーガンヴィル航海記補遺』式の異國人の眼を借りた西歐中心主義の相對化があり、これは二十世紀には文化人類學に承け繼がれたわけでせうが、一方、博物誌の知見に基づく人間中心主義の相對化もあり、こちらはダーウィン進化論を經てこのユクスキュルとかローレンツの生態學とかに流れ込んでゐると言へさうです。 
 フォントネルの複數世界論は旅行記式批判を地球外にまで延長して見せたものと考へればよく、他の天體、つまり外宇宙を舞臺にしたSF的思辨ですが、感官といふ内宇宙に基づく複數世界論は、よその世界ではなく他ならぬ今ここの世界を多重化してくれる所が一層興味深く思はれます。 
 「人間に鑢のような歯列と、反芻動物の胃があったなら、社会学の基盤も根本的に違ったものになっていただろう」とは、レジス・ドブレがよく引くルロワ=グーランの言です。SFでもさういふ思考實驗として、別の感覺器官を備へた人類の可能性を探った小松左京『継ぐのは誰か?』なんていふのがありました。『現代思想』の特輯で注目を集めた聾文化論なども、異文化論として提唱されてゐる所は半ば文化人類學的批判ですが、身體論を介して生物學的・生理學的な批判の系譜にもつながるものではないかと愚考します。
 割り込み失禮しました。


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No.1094

複数世界論の複数性
投稿者---prospero(管理者)(2004/05/05 21:05:16)


なるほど、複数世界論の文化人類学的ヴァージョンと、いわば現象学ヴァージョンというわけですか。感覚によって複数化された空間という見方を貫くなら、感覚の異なるもの同士はそもそも住んでいる世界が違うということになりますね。そもそも世界なるものの組織化のあり方が違ってくるということなのでしょう。ユクスキュルの「環世界」(Umwelt)は、そうした現象学的な複数世界論に近いというのは、仰られてみて気づきました。

ハイデガーは『存在と時間』の二年後の講義録『形而上学の根本問題』で、ドリーシュと並んで、ユクスキュルを挙げていました。しかし、ハイデガーの場合はここから進んで、人間は「世界形成的」だが、動物は「世界化の度合いが低い」(weltarm)というテーゼに進んでしまうので、この辺りはユクスキュルから見たら、とんでない逸脱ということになるでしょう。ここは、ハイデガーの強力な存在論に絡めとられないかたちで、ユクスキュル的な複数世界論をもう少し徹底させてみたいところです。

ちなみに、まったくの偶然なのですが、このユクスキュルは、つい昨日Studia humanitatisのほうで紹介した『個人的生活の擁護』の著者グラッシと繋がりがあります。何しろ、この二人には共著があるうえに、それが『個人的生活の擁護』を第三巻としているシリーズの第一巻なのです!Wirklichkeit als Geheimnis und Auftrag(『秘密および契約としての世界』)というものです。これはまだ未見なので、入手したいと思います。

****

複数世界論のもう一つのヴァージョンとして考えられるのが、その論理的ヴァージョン、つまりライプニッツの「可能世界」論です。ライプニッツの理論では、論理的に可能なものはすべて存立可能なので、われわれの世界以外の無数の世界が存在しうるということになります。尤もライプニッツの場合は、その無限の世界のうちから、神が最も良い世界を選んだという「最善世界説」へと向ってしまうのですが。

さらには、その宇宙論的ヴァージョンとしてのブルーノの「無限世界論」なども考えられますね。これは文化人類学的ヴァージョンとも違って、神学的世界観(神の創造した唯一の世界)の脱構築のような性格ももっているので、フォントネル的な楽観的な複数宇宙論とも趣が異なってくるようです。

こういった複数世界論は、仰るように、SF的発想によく馴染むようですね。感覚による世界の多元化ということでは、私はジョン・ヴァーリイの『残像』などを思い起こしました。こちらは、視覚・聴覚・発話能力のすべてを欠いた人々の文化を題材としていました。ライプニッツ的世界の小説化としては、トーマス『ペルシャの鏡』(工作舎)がありましたっけ。ライプニッツの弟子の著作を発見するところから始まる、ボルヘス風の心踊る物語でした。


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No.1132

剥き出しの複数世界論
投稿者---prospero(管理者)(2004/08/02 16:48:24)


自分の書きこみに応答するのも変な話ですが、少し展開があったので補足です。
「ハイデガーの強力な存在論に絡めとられないかたちで、ユクスキュル的な複数世界論をもう少し徹底させてみたい」などと書きましたが、それをやってみせたものとして、アガンベン『開かれ』、さらにはグラッシとユクスキュルの共著を目にしたので一言。

アガンベンも触れているのですが、ユクスキュルの環境世界論は、同時代のド・ラ・ブラーシュの「人文地理学」や、ナチスとも関係するラッツェルの「政治地理学」との並行現象ということになります。これにハイデガーの「世界=内=存在」という議論が重なってくるわけです。それについてアガンベンはこんなふうに言っています。「それほどまでにこの問題領域は、二〇世紀初頭において、生物一般とその環境世界とのあいだの伝統的な関係を本質的に転回することになったものである。あらゆる国民は、本質的な次元として、その生存圏に密接に結びついているというラッツェルのテーゼは、周知のように、いずれナチズムの地政学に多大な影響を及ぼすことになる」。そして、それに続く驚きの一文。「ナチズムが擡頭する五年前の一九二八年、穏健このうえないこの科学者〔ユクスキュル〕が、いまでのナチズムの黒幕の一人と目されているヒューストン・チェンバレンの『十九世紀の基礎』のために序文を執筆しているのだ」(p. 98)。そんなことがあったのですね。まさに「複数世界論」のアンチ・ユートピアです。

さらに、このアガンベンの『開かれ』は、人間と動物との分断を問題にするため、言語起源論の問題にも触れています。とりわけそこで論じられるのが、フンボルトの後継者として、その広告塔の役割も果たしたシュタインタールです。

このスレッドとの関連で言うと、アガンベンは、存在論的に人間論へと回収されることのない複数世界論を模索していると言ってもいいのかもしれません。


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No.1133

Re:剥き出しの複数世界論
投稿者---skiamachos(2004/08/04 04:36:47)


はじめまして。いろいろ教えてもらっているものです。

そして、それに続く驚きの一文。「ナチズムが擡頭する五年前の一九二八年、穏健このうえないこの科学者〔ユクスキュル〕が、いまでのナチズムの黒幕の一人と目されているヒューストン・チェンバレンの『十九世紀の基礎』のために序文を執筆しているのだ」(p. 98)。そんなことがあったのですね。まさに「複数世界論」のアンチ・ユートピアです。

以上の点についてですが、生松敬三『現代思想の源流』のなかにユクスキュルに触れた文章があって、それによるとユクスキュル自身は反ユダヤ主義に反対で、チェンバレンの思想についても、それを反ユダヤ主義の基礎付けに利用する傾向を批判していたそうです。



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No.1134

ユクスキュルとチェンバレン
投稿者---prospero(管理者)(2004/08/04 13:03:59)


skiamachosさん

はじめまして。ユクスキュルについてのお知らせ、ありがとうございます。

いま私も生松氏の別著『人間への問いと現代 ―― ナチズム前夜の思想史』(NHK出版)を引っ張り出して調べてみました。なるほど、仰る通りですね。「男爵フォン・ユクスキュルは、粗野な人種理論をかざしたナチズム運動には真っ向から否定的であった」(p. 94)とあります。そして、チェンバレン未亡人に宛てて「一種の詰問状ともいうべき手紙を書いて、祖国ドイツの現状への憂慮を表明している」(ibid.)ともありました。チェンバレン未亡人というのは、作曲家ヴァーグナーの娘ですね。

しかし、くだんのアガンベン『開かれ』の訳註にはこんな記述があります。「ユクスキュルは、チェンバレンの友人であり、彼の未完の原稿を整理したり、彼についてのエッセイをいくつか著したりしている」(p. 149)。生松氏の記述と「矛盾」するわけではありませんが、与える印象は大分違いますね。

ちなみに、ナチスに追われてアメリカに亡命したカッシーラーは、渡米後の著作『人間』の中で、人間を「象徴を操る動物」(animal symbolicum)と定義する際に、ユクスキュルの理論を使っていました。


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No.1135

Re:ユクスキュルとチェンバレン
投稿者---skiamachos(2004/08/04 21:37:50)


お返事、ありがとうございます。

生松氏の記述と「矛盾」するわけではありませんが、与える印象は大分違いますね。

私も、アガンベンの一節から受けた印象が、生松さんの本からの印象と違っていたので書き込みした次第です。

いま手元に『現代思想の源流』がないので正確な引用ができませんが、
ユクスキュルとしては、チェンバレン本人の思想と「粗野な人種理論」を区別したうえで、
チェンバレンをナチズムによる利用(誤解)から守るというつもりだったようです。
チェンバレン夫人への詰問状もそういう趣旨だったと記憶しています。

ところで、以上の話とはあまり関係ありませんが、
最近、本屋さんで

ピーター・ドロンケ『中世ヨ−ロッパの歌』(高田康成訳 水声社)

を見つけて、びっくりしました。買わなかったんですけども。
すでにご存知かとは、思いましたが・・・


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No.1136

生松氏
投稿者---prospero(管理者)(2004/08/05 21:05:41)


くだんの生松氏は『二十世紀思想渉猟』(青土社)なども良かったと記憶しています。いま、歿後木田元が遺稿を纏めた『書物渉歴』(みすず書房)などを久しぶりに出して眺めていました。これが出たのが1984年ということは、もう亡くなってから20年ということですね。カッシーラーの『象形形式の哲学』の全訳を始めたのが彼ですし(第一巻だけに終わりましたが)、『光の形而上学』(朝日出版社)でブルーメンベルクを最初に紹介したのも彼でした。いま『書物渉歴』を見なおしても、それほど鋭いという印象は受けませんが、独特の嗅覚をもって、面白いものを手際良く紹介してくれる人として貴重でしたね。友人の木田氏のその後の活躍を見ると、やはり亡くなるのがあまりに早かったというふうに思えてきます。

ところで、ドロンケの翻訳は知りませんでした。なかなか立派ですね。日本の出版界もまだまだ捨てたものではないのかもしれませんね。訳者の高田氏は『キケロ』(岩波新書)の著者ですね。あれも新書として良い本でした。


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No.1139

剥き出しの「生」?
投稿者---森 洋介(2004/08/06 23:06:57)
http://y7.net/bookish


 はじめ標題の「剥き出し」の意味がわからず、複數世界論において何が露呈してゐるのだらうと思ったのですが、「蒐書記」の書評にある、アガンベンの謂ふ「剥き出しの生」を指すのでせうね。即ち「人間と動物のあいだの境界線が引かれるその中間領域」……。 
 しかしグラッシは言ふに及ばずアガンベンについても、讀まずに御紹介を見ただけではなほ判然としない所があるので、ちょっと自分なりに補助線を引いてみます。 
 まづ「あらゆる国民は、本質的な次元として、その生存圏に密接に結びついているというラッツェルのテーゼ」とある、この地政學的な「生存圈」といふのが、生物學・生態學においてはユクスキュルが謂ふ環世界のやうな「生物から見た世界」の意味と重なるといふわけなのでせうか。 
 さういへば、フッサールの「生活世界 Lebenswelt」といふ語が「かなり早い時期からハイデガーに見られる」とおっしゃってゐましたがNo.1100、この語を「生命界」と譯した本を見かけたことがあります。たしか三宅剛一か誰か戰前の現象學研究者で、なるほどそんな譯語も當て嵌められるのかしれないが、何だか隨分違った意味になってしまふ。英語のlifeにしてもさうですが、生命、生活、生存、人生……といった差違する意味を西歐諸語では一語に兼ねるわけで、これを譯文でも一語で表はさうとすれば「生」の一字を以て代ふくらゐしか手が無ささうです(ナマと讀みたくなりますが)。 
 生存圈といふ語も、地政學風の文脈では自領土擴大の野心を正當化する意味合ひを帶びるので、問題視されるのだと理解します。例へば戰前日本で滿洲を「生命線」と稱呼したやうに――。また同じ頃、文藝界においては島木健作『生活の探求』(1937)や北條民雄『いのちの初夜』(1936)のごとき生(活/命)主義を見出すこともできるやもしれませんが、そんな冗談はさておき、ユクスキュルや現象學やと絡めて對照するならば、擧ぐべきは今西錦司『生物の世界』(1941)でせうか。のちに棲み分け理論を提唱した今西の處女作ですが、生物學といふよりは生物を題材にした認識論を語ってをり、その意味ではこれも「生物から見た世界」ですし、そこに哲學上の京都學派の影響が見られると云はれますが、難解な術語を振り回すことのない平易な文章だったと思ひます。
 補助線といふか、脱線でしたね。 


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No.1141

生命・生活・生
投稿者---prospero(管理者)(2004/08/11 00:11:51)


> はじめ標題の「剥き出し」の意味がわからず、複數世界論において何が露呈してゐるのだらうと思ったのですが、「蒐書記」の書評にある、アガンベンの謂ふ「剥き出しの生」を指すのでせうね。即ち「人間と動物のあいだの境界線が引かれるその中間領域」……。

まったく説明不足で失礼しました。仰るように、この「剥き出しの生」というのは、アガンベンの一つのキーワードとなっていて、すでに翻訳も出た『ホモ・サケル』(以文社)も、副題に「主権権力と剥き出しの生」とあります。「生存圏」との関わりも仰るような線で考えていました。 

さて、問題のLebenですが、生命 → 人生 → 生活と一巡して、いま「生」と語りなおされる辺り、やはり問題意識の変化がそれなりに反映しているような気がします。19世紀末の「生命主義」から、「人生」に思いを凝らす「実存主義」へ、さらにあらゆる理論の基盤となる「生活世界」へと移り、「生の哲学」、「実存主義」、「現象学・解釈学」というそれぞれの理論によって、同じLebenが微妙にニュアンスを変えていっているようですね。

いま現在は、それを再び「生活」でも「生命」でもなく、「生」として語るのは、生の躍動性や運動性を捉えようといった発想と並行しているのではないかとも思います。「生命」というほど実体化させずに、差異性を孕んだ遂行としてLebenを理解することで、知の発生や活動性を記述しようという狙いがあるのかもしれません。そういえば、scienceないしWissenschaft, Wissenの訳にしても、「学問」から「知識」(フィヒテの「知識学」も含めて)、そして最終的に「知」へとかたちを換えることで、実体性や制度的枠組みを脱色していく経験を経ているのかもしれません。その意味では、「知と生」というのが、現代風の問題設定とも言えるでしょうか。

アガンベンを読んでいて(いまも『ホモ・サケル』を読んでいます)一つ思ったのは、こうした訳語を含めた思想の文脈が、イタリアを鍵として変化する可能性です。アガンベンによって用いられるハイデガーなり、カール・シュミット(これは『ホモ・サケル』の主題)なりは、やはり元もとのドイツ思想の文脈とは異なったところへと接続され、それによって翻訳の言葉もいくらか偏向してところがあるのではないかと思います。これはけっして悪いことではなく、少々閉塞感の強いドイツ思想の文脈を解き放ってくれるものとしては、とても有効で歓迎すべきものだとも思います。加えて、このイタリア思想を紹介する人たちの姿勢がまた好ましいところがあります。表面的なことですが、アガンベンたちを翻訳・紹介している訳者たちは、おおむねきわめて立派で読み応えのある「解題」なり、「後書き」をつけています。やはり、翻訳というのは、自分たちの新たな文脈を作ることでもあるわけですから、訳者がその程度の意識をもってやらなければいけないものでしょう。それを考えると、いままでの「学術的」翻訳は、あまりに「お勉強ふう」か、「頼まれ仕事ふう」で、本人たちの気負いを感じさせるものが少なかったようなところもあります。最近では、一部にいくらか違った雰囲気が感じられるのは、心強いところです。

ちなみに、話題にされた三宅剛一は、私にとっては何と言っても『学の形成と自然的世界』(みすず書房)の著者です。あれは名著でした。


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No.1095

訂正と追補
投稿者---prospero(管理者)(2004/05/05 21:17:32)


『ペルシャの鏡』の著者名を書き損じしました。トーマス・ペヴェルでした。内容はこちらをご覧下さい。フォントネルや『ライプニッツ術』の読者にとってはまたとない贈物です。

ちなみに、ユクスキュル=グラッシの共著は、いましがたネット書店で見つけたので、勢いを借りて、その場で注文を出しました。届きましたらご紹介を。

書き損じの訂正と追加でした。


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No.1097

可能世界論∩イデオロジー
投稿者---森 洋介(2004/05/06 20:08:33)
http://y7.net/bookish


 私は外の世界へ行く複數世界論に對し内的複數世界論もあるナと考へただけですが、おっしゃる通り、ライプニッツの可能世界論を忘れてはいけませんでした。
 このアイデアはクリプキの固有名論にも生かされ、竝行宇宙(パラレル・ワールド)といふこれまたSF的な發想に似通ふわけです(これぞSpeculative Fictionか)。實際、赤間啓之『ユートピアのラカン』(青土社・1994)がその線で分析哲學とSFとを接合しようとしてゐたやうです。「しようとしてゐたやうです」と曖昧なのは、それが本になる前に雜誌で發表されたのを讀みかけて、理解できずに投げ出してしまった憶えがあるからです。特に、どうも相性が惡いのか、ラカンがいけません。
 「彼はいつだって自分にはラカンが理解できないと公言してはばからなかった。〔……〕彼はこんな風に言ったものです、いいかい君、いつか僕にラカンを説明してくれなくちゃいけないぜ」――これはジャック=アラン・ミレール(ラカンの女婿にして相續者)がフーコーを回顧した文にあるさうです(丹生谷貴志『ドゥルーズ・映画・フーコー』177頁所引)。全く、こんな風に言ってやりたいものですが、フーコーならさう言っても皮肉だと思はれて格好がつくけれど、凡人が言っても單に理解力の無さを曝け出すばかりでせう。情けなや。
 しかしその後、同じく赤間啓之著の『監禁からの哲学 フランス革命とイデオローグ』(河出書房新社・1995.7)の方を讀んだら、ふつうに讀めて、まあ面白かったので、『ユートピアのラカン』も今讀めば判讀できるのかもしれません。それとも『監禁からの哲学』が讀めたのは、理論だけでなく歴史的な對象を扱ってゐたからなのでせうか。この本はカバニスとデステュット・ド・トラシを中心に、フランス觀念學派(イデオロジスト)を論じてフーコー『狂氣の歴史』批判に及ぶものでした。今日所謂イデオロギーの語源となったといふ以外餘り觸れられることもない學派なので、單純に初めて知ることが多くてそれが面白かったのに過ぎないのではあるまいかといふ疑ひもあります。prosperoさんはこの學派に關心がおありのやうですから讀まれてゐるでせうか。ルイ・デュモンの『ドイツ・イデオロジー L'ideologie allemande』を引いてフンボルト(兄)を例に佛獨對照させるあたり(115頁前後)は殊に御意見おありかと思ひます。
 なほ赤間氏は可能世界論を考案者ライプニッツにまで遡って論じることは(なぜか)してゐなかったのではないかと思ひますが、不確かです。或いは『分裂する現實 ヴァーチャル時代の思想』(〈NHKブックス〉1997、未讀)あたりで觸れてゐるやもしれません。


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No.1099

ダス・イン・デア・ヴェルト・ザイン
投稿者---如月(2004/05/09 17:06:52)
http://www.furugosho.com/


ちょっと拝見していないうちに、こちらは小掲示板より盛り上がっていますね(笑)。
さて、書きたきことはたくさんあれど、とりあえず「イン・デア・ヴェルト・ザイン」について。

井筒俊彦「ハイデガーなどになると多分に東洋的といえるようなところがあるでしょう。そのためかどうか、後期のハイデガーには何かフレキシブルなところが感じられる。」
今道友信「私はハイデガーは大嫌いなんですよ、ほんとに声を大にしていっておかなきゃいけないんですけれどもね。」
井筒「そういえば、ハイデガーと禅なんかを比較する人はずいぶん多いですね。あれはどうお考えになりますか。」
今道「ハイデガーというのは例のダス・イン・デア・ヴェルト・ザインにしても、独創ではありません。1890年代に出た岡倉覚三の英文の「茶の本」の「ビーイング・イン・ザ・ワールド」というのが最初に1908年かに独訳されたときにダス・イン・デア・ヴェルト・ザインと訳されましてね、独訳の「茶の本」はインゼル叢書にあって第一次大戦前後のベスト・セラーです。彼はそれを伊藤吉之助から貰い、あの語をそのまま取って黙っていたり、リヒャルト・ヴィルヘルムの訳した荘子や老子の書物から取った言葉を黙って知らん顔しているというようなところがありますしね、だからハイデガーを本当に研究しようと思ったらハイデガーのソースを考える必要がある。たしかに後期フッサールがあるでしょう…」
井筒「そうですね。」
今道「それからもう一つはグノーシス、そしてまた東洋の言葉ですね、テルミノロジーとしては東洋が多い。だから「ビーイング・イン・ザ・ワールド」というのは荘子の「処世」の訳なんですから、それを「世界内存在」なんてまた変に訳さないで、処世という言葉にもどしてくるぐらいのそれこそ思想史的なフレキシビリティーがないと、読んだってハイデガーはわからないことはたしかだと思いますね。」(井筒俊彦著作集別巻「対談鼎談集」〜「東西の哲学」、99〜100ページ)

これ、語源の話、意外に知られてないんですけどとてもおもしろい指摘です。そのうえでユクスキュルと重ねてみるとハイデガーもユクスキュルも新鮮に見える♪

今、コンディヤックの「感覚論」読んでますけど、これをユクスキュルと比較するのもたしかにおもしろいですね。「人間認識起源論」から「感覚論」をとおし、コンディヤックはビュフォンと激しい論争をしてるんですが、コンディヤックにいわせると、ビュフォンは動物の感覚と人間の感覚を別の作用と考えている。でもそうじゃなくて、およそ「感覚」というかぎり、それは同じ作用なんだというものなんですね。

とりあえずの走り書きということで…。


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No.1100

コンディヤックとフンボルト、など
投稿者---prospero(管理者)(2004/05/13 00:17:12)


森さん、如月さん

興味深いご指摘をありがとうございます。

In-der-Welt-seinの一件、実に面白いですね。今道御大らしい指摘という気もします。フッサールからの借用ということでは、最近は例のDestruktion(形而上学の「解体」)という言葉もフッサールに起源があるのではないかという指摘もあるようです。しかし他方では、フッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』で有名になった「生活世界」(Lebenswelt)なる用語は、最近の初期ハイデガーの講義の公刊に連れて、かなり早い時期からハイデガーに見られる言葉だということも分かってきています。この辺りはいろいろと複雑に絡み合って面白そうです。私などは、発想の起源を隠したことを今道先生のように「叱る」よりは、むしろ後世のために謎解きの楽しさを作っておいてくれたと思って、あれこれと言い募って楽しみたいところです。

それにしても、「処世」というのは良いですね。最近はハイデガーをプラグマティズムに繋げて読もうという流れもあるので、そうした読解にはむしろぴったりと嵌りそうな感覚です。確かにハイデガーが少し新鮮に見えてきます。

コンディヤックとの対比でいくと、森さんのご指摘のフンボルトは、赤間氏の著作にもあるように、若い頃パリに滞在して(このときには、シエイエスのところに寄宿していたようです)、観念学派の人々とも相当に交流をもったようです。カント哲学を紹介する集会などを開いてドイツ思想の啓蒙に努めたようですが、どうにも上手くいかなかった模様が当時のフンボルトの日記から読み取れます。最大の要因はやはり感覚の受容性を元に認識を自然主義的に理解するフランス式発想にとっては、認識の自発性と総合力を強調するカント的思考が馴染まなかったというところにあるようです。フンボルトの日記にも、コンディヤックの著作そのものからの抜粋がずいぶんと書き込まれているのですが、それはおおむね批判含みの意味合いで捉えられています。ただし、『人間認識起源論』の「シャルトルの聾唖者」の例など、言語と観念の結びつきを強調した理論に対しては、相当に影響を受けたようで、フンボルトの言語思想の隠れた源泉として、最近ではコンディヤックが挙げられるようになってきました。これもまた面白い影響関係だと思います。

私のほうも走り書きで。またあらためて展開したいと思います。



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No.1106

ついでながら
投稿者---prospero(管理者)(2004/06/02 14:46:48)


引用いただいた井筒さんと今道さんの対談を含んだ『叡智の台座』(岩波書店)をひっくり返していて、該当箇所の直後にこんな文章も見つけました。

今道:「ブルトマンを介してのグノーシスの知識なんか彼のソースとして大事ですね、ああいうものとか中世哲学とかいろんなものがハイデガーのなかにありますから、ゴッタ煮になっているようなものを一度は歴史的に解明する努力もハイデガー研究には必要な気がします」。
―― まことにご尤もです。

このグノーシスですが、H. ヨナスが有名なグノーシス論(『グノーシスの宗教』)を書いたときの指導教授は、ほかならぬハイデガーなのですよね。このグノーシスの系譜と、ブルーメンベルクのグノーシス論などが、また微妙な関係にあって、このあたりはまだまだ面白くなりそうな気がします。

そんなわけで、昨日図書館で雑誌History of Ideasの新しい号に載っていたヨナスとブルーメンベルクのグノーシス理解に関する比較論文などもコピーしてきました。日本でも大貫隆さんを中心に、グノーシスはちょっとしたブームですし、山内志朗さんの『天使の記号学』などでもグノーシスの議論が背景になってもいるので、展開が楽しみな話題でもあります。

蛇足ながら。


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No.1084

カント歿後200年
投稿者---prospero(管理者)(2004/04/14 17:22:03)


今年2004年は、1804年に歿したカントの歿後200年ということになります。今後、おそらく各種の雑誌・学会などが目に付くようになるでしょう。以文社から『純粋理性批判』の新訳が出たようですね。どういうものなのか、いずれ確認したいと思いますが。

しかし、多少なりとも哲学・思想などを齧っていると、カントのすごさというものが年を追うごとにわかってくるようなところがあります。あの語り口にしてから、当時の18世紀ドイツ講壇哲学とはあまりにも異質です。本当にどこからあんなエクリチュールを作り出したのかと思えるほどの力技です。ギリシア語の日常語から哲学的概念を作り出したアリストテレスの大事件を、近代で再演したのがカントなのではないかという印象をもちます。

歿後200年ということにも引っ掛けて、トマス・ド・クインシーの『イマヌエル・カントの最期の日々』を再読してみました。これは、ある種の偶像破壊のようなもので、カントはいかにして耄碌したかというような話です。驚異的な知識量と機知を誇った壮年期の知性がいかに崩壊していくかという、知性の黄昏をかなり執拗に描いていて、それでいて、そこから何か教訓めいたものや達観のようなものを引き出すわけでもなく、ただひたすらカントの痴呆ぶりを淡々と描いている、何とも奇妙で風変わりな著作です。理性から狂気への転換などというと聞こえは良いのですが……

カント歿後200年ということで、古いスレッドをサルベージしてみました。


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No.980

逸脱する版面
投稿者---prospero(管理者)(2003/04/27 21:16:43)


>森さん、如月さん

ベールについてお書きいただいたことを拝見して、私自身、あの大部の事典を18世紀の「英訳」で手に入れ、掲示板を作るときの巻頭口絵にした感覚を思い起こさせられたようなところがあります。知識を整理して、見通しの良い全体図を提供するのだとするのが事典だとするなら、事典でありながらまさしく「ごった煮」であるようなベールの不可思議な書物は、読者の知識を体系化するどころか、むしろ繁茂して見分けもつかない知識の鬱蒼たる森へ迷い込ませる「反=事典」であるようにも思えます。

全体知を囲い込もうとするencyclopaediaの欲望が、自ら解体していくような不思議な魅力を感じて、このベールを手に入れたような思い出があります。現物を見て、そうした思いを一層新たにさせられました。それというのも、脱線に継ぐ脱線を実演するくだんの脚注の部分は、本文の下に一段ポイントを落として組まれているのですが、ギリシア語・ラテン語が随所に混じり、よくもこれだけの活字を組んだと思えるほど、版面をびっちりと覆い尽くし、目で追っていると眩暈が起こりそうです。もちろん、総索引と、言及項目についての年代準別一覧(要するに人名の年表のようなもの)までが付されています(ちなみにその先頭にきている人名は「アダム」です)。この索引部分だけで、あの大判で150頁にも及ぼうという力作です。

それにしても、とにかく大きくて重い。十八世紀の当時には、この「大きさ」ゆえに、サロンでこれを開いて読んでいるだけで相当のアピールになったらしく、まさに自由思想家たることを堅持する恰好のツールだったようです。

さて、それからもう一つ、「英訳」の特徴ですが、巻頭写真の英訳第二版は、単にフランス語原典の翻訳にとどまらず、フランス語各エディションの校訂と、内容的な補弼・訂正を含む旨を謳っているばかりか、引用部分の古典語・外国語をすべて英訳するという力技をやってのけています。多少なりとも翻訳に関わっている人間としては、これを見てやはり圧倒されずにはいられません。

「自重から來る内壓に耐へかねたかのやうに蘊蓄が噴出し、即ちあたかも膨らんだ風船が針でつつかれた如く、主題から逸脱して不釣合ひに論述が展開され、それゆゑますます全貌は掴みがたくなる、さういふ知性の持主」 ―― この森さんの記述は良いですね。この種の知性は、近代的というよりは、むしろ「アルカイック」とさえ言えるような、世界全体に対する神秘的感応力のようなものを前提とするのかもしれませんね。それでふと思い出すのが、中世における「聖書註解」の伝統です。聖書本文の解説ということにかこつけて、語学的学識から始まって、自然学的知識の披瀝、さらには思弁的・哲学的思索への驀進といった具合に、この分野には、現代の実証的文献学とは似ても似つかぬ知識の大盤振る舞いがあったように思います。おそらく彼らにとっては、聖書という「書物」と世界という「書物」は、等しく読解可能であり、そこに自らの読解という第三の書物を書き込んで、無限にそれを豊かにすることで、世界の知の産出に参与するという感覚があったのではないでしょうか。


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No.981

解剖
投稿者---森 洋介(2003/04/29 01:11:49)
http://profiles.yahoo.co.jp/livresque


 如月さん、私の書き方が意を達しなかったやうで、ベールに似たタイプは別に日本に限るつもりはなかったのです。
 例へば〈澁澤龍彦文学館〉の一册に『脱線の箱』(筑摩書房、1991)といふのがありました。收録するはロバート・バートンにトマス・ブラウン、トマス・アーカート、ロレンス・スターン。要は、アナトミーの系譜。ピエール・ベールの諸著なんかもアナトミーとして論じることはできるのでせうかね。
 アナトミーといふことに引っかけて言へば、「逸脱する版面」はある種の解剖圖と呼べませんか。『歴史批評辭典』といふ書物の身體の切片にして且つピエール・ベールといふ脱線する知性の在り樣を端的に示す一斷面。


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No.984

ベールに輪をかけるライプニッツ
投稿者---prospero(管理者)(2003/05/01 22:15:17)


Studia humanitatisの「蒐書記」でも取り上げたのですが、ベールのように分散して多様化する知性として、ライプニッツが気になっています。ライプニッツの世界観は、微細な世界をさらに細分化していくようなものであって、どんなに小さな部分の中にも、その中に入れ子状になった世界全体を見ていくようなところがあるようです。まさに「胡桃の中の世界」、「壺中天」といった趣です。それを考えれば、このライプニッツが、ベールの著作を相手に神学問題を議論した『弁神論』が月並みな著作になろうはずもなく、脱線に次ぐ脱線を繰り返し、とどまることを知らないものとなっています。

これは『人間知性神論』も同様で、こちらの相手はロックなのですが、これに関して『ライプニッツ術』の佐々木氏が言っていることを引用しておきます。「ロック自身がいろいろなことを手がけていた人であり、またその文体も方々で道草を食うタイプであっただけに、ライプニッツは我が意を得たりとばかりに、ロックにさらに輪をかけた寄り道をする。この道草は半端なものではない。歴史、自然、数学、法律、神学、地理、言語、文学と、ライプニッツの知識が大挙して洪水のように押し寄せてくる。『人間知性新論』のどこを見ても、リンクが張りめぐらされているといえる。しかもこのリンクは、コンピューターで言うなら、JAVAが有効の状態であって、勝手にリンクが開いてしまうようなものである」(276頁)。なかなか面白い喩えです。


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No.985

脱線博士
投稿者---森 洋介(2003/05/03 01:47:10)
http://profiles.yahoo.co.jp/livresque


 ライプニッツといへば、先に名を擧げた南方熊楠も私淑する所があったやうです。熊楠の書翰にライプニッツの異名doctor universalisを「一切智」と譯してゐるのが見えることなど、詳しくは松居竜五『南方熊楠 一切智の夢』(朝日選書、1991)に書いてあったはずですが、あの本が引越ししてから出て來ないのでいま確かめられません。
 といっても幾ら博學の熊楠と雖もライプニッツの哲學まで修めてゐたのではありますまい。名前を出しただけのやうにも思ひます。まあでも一切智云々以上にむしろ熊楠が共感を覺えてゐたのはライプニッツの脱線癖にあったとしたら――などと想像するのは少々愉快ではあります。
 あれ、でも萬能博士 doctor universalis の呼び名があったのはアルベルトゥス・マグヌスの方でしたっけか。中世哲學史にはかういふ博士の異名が多かったと思ひますがどれがどれやら、手近の事典類を見てもかういふ豆知識は案外に載せてくれてゐないやうです。


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No.986

アマデウス?
投稿者---如月(2003/05/03 23:07:01)
http://www.furugosho.com/


知り合いの不幸や世俗的な原稿の執筆でなかなかRESをつけることができませんでした。悪しからず。
「人間悟性新論」、昔、4年ほど講読しておりましたのでテオフィル(=アマデウス?)とフィラレットの名前とともになつかしく思い出します。
予定調和的かどうかはさておき、ネット・コミュニケーションというのはモナドロジー的な気もしますね。晩年のライプニッツとベールは「悪」の問題をめぐって激しく対立していたわけですが、争点をいったん棚上げして二人の論述スタイルを比較すると、やはりなにか共通する時代性のようなものが浮きあがってくるのではないでしょうか。


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No.991

Re:脱線博士
投稿者---ながしま(2003/05/06 14:23:21)


ながしまです。

> あれ、でも萬能博士 doctor universalis の呼び名があったのはアルベルトゥス・マグ
>ヌスの方でしたっけか。中世哲學史にはかういふ博士の異名が多かったと思ひますがどれ
>がどれやら、手近の事典類を見てもかういふ豆知識は案外に載せてくれてゐないやうで
>す。
 有名なところでは、くだんのアルベルトゥス以外に、トマスの「天使的博士 Doctor Angelicus」、ドゥンス・スコウトゥスの「精妙博士 Doctor Subtilis」、クレルヴォーのベルナールの「密の流れる博士 Doctor Mellifluus」などでしょうか。確かに調べれば他にたくさんありそうなのですが、まとめて載せているものを思い付かないので、どうやって調べていいやら。(^^;;


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No.1021

博士一覧
投稿者---prospero(管理者)(2003/09/23 16:30:36)


随分と昔の話で恐縮です。

中世のDoctor ...の一覧表というものを何かで見た覚えがあるのですが、このときは思い出せませんでした(今もまだそうなのですが)。ただ、いまちょっと作業をしていて、K・ラーナーなどが企画した有名な『神学・教会事典』(Lexikon fuer Theologie und Kirche)を使っていて、その索引巻にDoctorという項目があるのを見つけました。Doctor angelicusのトマス・アクィナスから始まって、そこそこ出てきます。D. Illuminatus(ルルス)、D. mirabilis(ロジャー・ベーコン)などなど。40名ほどがこれで拾えますが、ざっと見て気がつくのが、あまり有名な人物がいないということです。ニコラウス・ボネトゥス(D. pacificus)、メディアヴィラのリカルドゥス(D. solidus)など、半分以上知らない人名なので、不明を恥じる次第。有名な「蜜の流れる博士」というのは、クレルヴォーのベルナルドゥスだけでなく、フリーマールのヘンリクスという(これまた私の知らない)人物にも言われるそうです。

たまたま目に止まったので。



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No.988

Only Connect
投稿者---森 洋介(2003/05/04 01:28:01)
http://profiles.yahoo.co.jp/livresque


 「蒐書記」で、『モナド論』に對し佐々木能章氏が述べた「さまざまな主題を他の繋がりへと開いていく「リンク集」なのではないかという指摘」に着目してゐましたね。確かに興味深い譬喩です。殊にライプニッツの場合その普遍記号學が今日のコンピューターを生んだ思想的源流とも目されますから、なほさら相性がいいアナロジーなわけです。
 ところで私はこのリンクの譬喩からベンヤミンの『パサージュ論』を想起しました。『パサージュ論』の中に出てくる■ ■のマークで示された項目、あれを鹿島茂氏は「別のテーマへとコレクションを「開く」蝶番のマーク」「そのテーマのコレクションをこれから「開く」ための符牒」だと言ってゐます(『『パサージュ論』熟読玩味』2「コレクトする子供」青土社、1996.4)。それってつまり、リンクを開くための下線の附いたアンカーと言ふに等しいのではありませんか。
 鹿島氏は「『パサージュ論』は偉大なる書物蒐集家が残した特殊な形態のブック・コレクションの売り立て目録である」と喝破し、本と本との關係性・本が本を呼ぶ關聯性が生む思想に注意を促してゐます。成程、古本好きには實に實に肯ける話です。本から本へと脱線するうちに自づと時代や人物を浮び上がらせる古書目録として二、三年前に話題になった月の輪書林のものなど好い實例でせう。
 ライプニッツとベンヤミンと。彼はバロック期の人、此はバロック演劇を研究した人、マア滿更無縁でもありません(?)。田中純氏などは「〈モナド〉としてのパサージュ」とまで言ってゐるやうです。別な言ひ方(P・K・ディック風)をすれば――バロック哲學はハイパー・テキストの夢を見たか?
 ……などと兩者を強引にリンクしてみましたが、話が逸れすぎましたかね。


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No.993

人物連環
投稿者---prospero(管理者)(2003/05/08 23:21:28)


> ところで私はこのリンクの譬喩からベンヤミンの『パサージュ論』を想起しました。

まさしく着眼の方向が同じところを向いていたと感じ入ったような次第です。田中純『アビ・ヴァールブルク ―― 記憶の迷宮』も入手したばかりです。まだ少しも読めていないので、新着図書紹介のための棚に、他の書物と一緒に順番待ちをしてもらっています。

ところで、コネクションといえば、悪い意味での「コネ」ではなく、分野の違った人間同士の良質な結びつきということも考えられそうです。初期近世から十八世紀くらいのヨーロッパで、ライプニッツ始め、あれほどに多面的な活動をした人物が輩出したというのは、一つには人的交流がそうした活動をかなり裏打ちしていた側面があったのではないかとも思います。十八世紀ヨーロッパも、アザールが「静止から動へ ―― 旅行の趣味と習慣によって、人心はしだいに静から動へと移る」と語っていたように、人間同士の交流が想像以上に盛んだったようです。

翻って日本の十八世紀ということで考えたとき、ふと思いついたのが、木村兼霞堂のことでした。それこそヨーロッパ的なサロン(中村真一郎『木村兼霞堂のサロン』新潮社)の中心となっていた兼霞堂は、木内石亭、与謝野蕪村、伊藤若冲、司馬江漢などなど、恐るべきネットワークをもっていたようですね。山口昌男が『内田魯庵山脈』などといってた伝でいけば、まさに木村兼霞堂山脈というところでしょうか。

ところで、件の山口昌男ですが、『山口昌男山脈』なる雑誌を出しているようですね(どなたか現物をご存知でしょうか)。この版元が、この掲示板でも、ヘーゲル『精神現象学』の翻訳をめぐって話題になった「けいめい出版」。どこで何が「繋がって」いるかわかりませんね。


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No.994

根莖
投稿者---森 洋介(2003/05/09 00:47:39)
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 『山口昌男山脈』、現物はまだ見ませんが、bk1で檢索すると内容目次が見られます。
 この版元の「めいけい出版」は蓋し茗溪でせう。いつぞやのヘーゲルの方は慥か鷄鳴出版でした。音位顛倒ですね。

 ところで『内田魯庵山脈』の標題は'40年代に本多顯彰あたりが「漱石山脈」と言ひ出したものを眞似たらしく思はれます。しかし、魯庵は山脈といふやうな高みに立って睥睨するやうな偉物ではありませんし、あの本が取り上げる人士もまた、頂點人物をつないで綴る從來の家永三郎流思想史からすればむしろ裾野に近い、「二流の人」らです。
 以前No.948に「芋蔓式」と述べたとき頭をかすめたのは、『内田魯庵山脈』にも一章を割かれた齋藤昌三ら『いもづる』同人のことでした。ああいふ地下莖式に絡まったつらなりは、山脈圖では模式化し切れないことでせう。かのフランス人の唱へたRhizomeとは、この謂にあらずや。


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No.995

玉葛
投稿者---Juliette(2003/05/09 15:26:22)


ヴァールブルクの名前が出ましたので、最近ふと思った疑問について
皆様のご教示を仰ぎたく存じます。
といいますのは、カッシーラーにおける「シンボル Symbol」の概念は、
ベンヤミンの「媒質 Medium」ととても近いと思ったのですが、
両者に思想的影響関係、あるいは何がしかのつながりはあったのでしょうか。

ライプニッツの「分散して多様化する知性」はベンヤミンの「パサージュ論」とつながり、
「胡桃の中の世界」が体系を成すその世界観は、『ドイツロマン主義』におけるMedium
としての芸術概念の中にもある意味で息づいているように思え、
また、「普遍記号学」や「表象するモナド」等はシンボル学の先鞭を切るものといえるでしょう。
さらに、ヴァールブルク→カッシーラーの路線をも考慮に入れると、どうしても
ベンヤミンとカッシーラーの関係が気になってくるのです。

ところで、山脈というほど頂点をつなぐわけでもなく、かといって「いもづる」というほど
地下茎的でもないつながりは、どのように呼んだらよろしいでしょう。
「玉葛」などという美しい花を思い出したりもしましたが、確かあれは実をつけないはず。
あまり適当ではないですね。



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No.996

授粉/受粉
投稿者---森 洋介(2003/05/11 18:23:18)
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>ベンヤミンとカッシーラーの関係が気になってくるのです。

 私も氣になりますので知りたく思ひます。でも何となく、關係ありさうで無ささうですね――少なくとも直接的關係は。

>ところで、山脈というほど頂点をつなぐわけでもなく、かといって「いもづる」というほど
>地下茎的でもないつながりは、どのように呼んだらよろしいでしょう。

 加へて、現實には關係の無かった著者同士を讀者の方で關係づけるやうな創造的讀解、一種の「僞系圖作り」もあってよいわけでせう。
 植物の譬喩を續けるならば、書物として蒔かれた種があちこちで勝手に芽を生やすにも似ます。さういふのをデリダ流には「散種 dissemination」と呼ぶのではありませんか(でもタネマキ diss?mination なら撒種でよかりさうなものを。撒布を散布とした、戰後漢字制限の一環たる「同音の漢字による書きかえ」の魔の手がここにも?)。まあ吹けば飛ぶタンポポの種みたいなもので、澤山飛ばしてもどれだけ根付くかは頼り無く、必ずしも實を結ばない(郵便論的には誤配とか言ふ?)のがあたかも相應しい譬喩かと。
 この散種といふ概念、ドイツ・ロマン主義にも一脈通じるやうですから、ベンヤミンに使へるかもしれません。といふのは、仲正昌樹『モデルネの葛藤――ドイツ・ロマン派の〈花粉〉からデリタの〈散種〉へ』(お茶の水書房、2001)と題する本がありまして。……いや、背文字だけで中味は一ページも讀んぢゃをりませんがね。これまた植物にて、他花受粉では、蜜蜂などが蜜を集めるついでに意識せず花粉を持ち運んで授粉する仕組みでした。「花粉」も亦そこはかとない影響關係には似合ひの譬喩でせう。


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No.997

飛散する百科全書、あるいはアラベスク
投稿者---prospero(管理者)(2003/05/11 21:31:54)


仲正昌樹『モデルネの葛藤――ドイツ・ロマン派の〈花粉〉からデリタの〈散種〉へ』は、近頃稀な、なかなかに硬派なロマン派論でした。

フィヒテの『知識学』から説き起こす本格的なロマン派論は、ロマン主義は「哲学」として論じられるべきだと思っている私など、大いに共感したものです。この書物の後半では、ドイツ・ロマン派(とりわけ「花粉」のノヴァーリス)が抱いた「百科全書」の構想が取り上げられています。「百科全書」といえば、Enzyklopadie、まさにヘーゲルの「エンツィクロペディー」的な「体系」を考えがちですが、ロマン派の「百科全書」は、むしろヘーゲルが諸学と一切の知識を強引に纏め上げ、一冊の「書物」へと懸命に綴じ合わせようとした努力を嘲嗤い、各々の知識を元のばらばらな紙葉へと飛散させ、その一枚一枚の結びつきを偶然の手に委ねようとしもののようです。

仲正氏はこんなふうに書いています。「巨大な系統樹のように発展していくヘーゲルのテクストに対して、細分化された<種子>としての<断片>の恣意的な結合がノヴァーリスにとっての百科全書の作品化された形態である」(266頁)と。シュレーゲルならば、このような恣意的な結合を「アラベスク」とでも呼ぶところでしょう。

あたかもタロット・カードを並べ替え、次々と新たで別々の物語を作っていくような(カルヴィーノ『宿命の交わる城』を思わせる)所作は、また同時にのノイバウアー『アルス・コンヴィナトリア』(ありな書房)が描き出したロマン主義像でもありましょう。

「古書の売りたて目録」にもなぞらえられるベンヤミンの『パサージュ論』もまた、体系となることを拒み続ける飛散する百科全書とでも言えるかもしれませんね。


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No.998

シンボルと媒介
投稿者---prospero(管理者)(2003/05/26 23:02:21)


カッシーラーにおける「シンボル Symbol」の概念は、
>ベンヤミンの「媒質 Medium」ととても近い

この論点は、ずっと気になりながら、うまく考えがまとまらないので放ってありましたが、その後少し思いついたことがありましたので、遅くなって気が抜けてしまいましたが、応答です。

認識を媒介する中間者の役割を果たすという点で両者は繋がるように見えるのですが、やはりその肌合いには微妙な相違も見られるような気もします。それは、
「分散して多様化する知性」というものが、どこまで分散したままで耐えられるかという論点に関わりそうです。

カッシーラーも「シンボル形式の哲学」を謳う以上、そこにはシンボルの複数性が言われており、言語・神話・科学的認識などは、どれが優位ということのない、それぞれの独自性を保つものと理解されていたと思います。だからこそ、新カント学派的な科学論一辺倒の認識論とは異なり、神話論などを打ち出し、ヴァールブルクなどとも感性を共有することができたのでしょう。しかし、カッシーラー自身、その多様性・複数性を最後まで維持することができたかは疑問にも思えます。最も代表的なものは『国家の神話』です。ここでは、やはり理性の直線的な進歩という「啓蒙」的な理性観が強力に現れ、シンボル諸形式の多様性を圧倒しているようにも見えます。

こうした「理性の神話」を再興することに対しては、ベンヤミンは真っ向から反するような感覚を持っていると思います。多様性を多様性のままに理解し、性急に一つの「物語」に収斂させないというのが、「パサージュ論」の方向かと思います。

さて、そうなると、カッシーラー・ベンヤミン両者の「媒介」の理解は何が違うのかということになりますが、おそらくそれは、媒介と制度との関係ということにならないでしょうか。要するにカッシーラーの場合、「媒介」としてのシンボルは、ある種の制度として自立するものであるのに対して、ベンヤミンの場合はその媒介はあくまでも「儚き」ものとして、制度化されることのない一過的なものであるとでも言いましょうか。

これは、いましがた「新着図書」を更新して、カッチャーリ『必要なる天使』のことを書いていたときに思いつきました。言ってみれば、カッシーラーの媒介はキリスト論に相当し、ベンヤミンの媒介は天使論である、と。

言葉足らずではありますが、叩き台として一言。

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