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Libris novitas lenocinatur 新奇さは書物に魅力を與ふ

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Historisches Wörterbuch der Rhetorik,Bd. 8, Wissenschaftliche Buchgesellschaft 2007
(『修辞学概念史事典』第8巻)

 『哲学概念史事典』の索引巻が出てしばらく、同種の企画の『修辞学概念史事典』にも動きがあった。今回は、 Rhet-Stの項目で、Rhetorikそのものから、最後はStilなどを含む。この事典は、『哲学概念史事典』以上に大項目主義なので、一つ一つの項目名は相当に一般的。「修辞学」という性質上、もう少し細かい項目が立つのかと思っていたのだが、この企画は、「修辞学」という切り口での文化史のような感覚らしい。具体的な修辞学用語や用法を期待すると裏切られる。それぞれの項目は、ブックレットになるくらいの大きさ。今回も、「諷刺」(Satire)など、それなりに面白い。「スコラ学」(Scholastik)という項目があって、意外な感がしたが、「スコラ学」における修辞学研究だけでなく、スコラ学で用いられた修辞、つまり「祈り」や「討論」(disputatio)、「註解」(glossa)、「説教」などが取り上げられていて納得した。「スコラ学の修辞学」というこの問題は、「大全」(Summa)なども含め、面白い問題だと思う。


Historisches Wörterbuch der Philosophie: Registerband, Schwabe Co. 2007
(『哲学概念史事典』索引巻)

 ついに出た『哲学概念史事典』の索引巻。これで1971年から35年をかけた事典がめでたく完成と相成った。リッターも草葉の陰で喜んでいることだろう。どういう索引になるのか楽しみにしていたのだが、思ったほどの刺激はなかった。やはり事典の性格上、索引でも概念同士の関係がほとんどで、固有名詞・人名が思ったよりも少ない。基本的に人名は索引項目にはなっていないし、どこまでも概念史に徹したという観がある。それはそれで一貫しているが、やはり固有名詞が拾っていないと想像力が働きにくいし、索引だけを「読む」には少々物足りない。
 この最終巻にはCD-ROMが付いており、最初は索引の全文が入っているのだろうと思ったら、なんと事典全体のデータだった。やはりあのくらいのテクストデータなら、CD-ROM一枚に収まってしまうらしい。こうなると、実は索引は自分で作れてしまう。人名の件も、自分で人名を検索で打ち込めば、それで項目が全部拾えてしまうのである。これは恐るべき機能である。こういうサポートがあるというのを前提して索引を見直してみると、同じ概念の各国語表記が煩いほど拾ってあるのが納得できる。つまり同じ概念が、ラテン語・ギリシア語・ドイツ語で何に相当するかというのは、CD-ROMを使って検索をかけてもわからないわけで、そういう場合にはこの紙媒体の索引が力を発揮するという次第。役割をうまく使い分けていると言えるだろう。
 そうなると、この索引巻さえ手に入れれば、本文はデータとしてついてくるので、本編の事典は買わなくてもよいということになってしまう。この索引巻だけの販売というのはやっているのだろうか。


E・サイード『晩年のスタイル』大橋洋一訳(岩波書店 2007年)

 アドルノのエッセイ「晩年のスタイル」を下敷きにした評論集。ここで言われる「晩年」とは、けっして「円熟」や「完成」のことではない。むしろ、終わるに終われない、引き伸ばされた結論というか、「遅延」する終わりといった独自の芸術スタイルを指す。「芸術史において、晩年のスタイルとはカタストロフィである」と語ったアドルノは、とりわけベートーヴェンの最後期の作品群にそのスタイルを見ていたが、サイードはそれを拡張して、リヒャルト・シュトラウスの戦中・戦後作品、映画『山猫』における原作者ランペドゥーサと監督ヴィスコンティ、ジャン・ジュネ、グレン・グールドなどにそうしたカテゴリーを拡大していく。『さまざまな始まり』でスタートを切ったサイードの活動の最後に、今度は「最後」についての思弁がなされるという点では、実によくできた話ではある。サイードの語る「晩年性」とは、「不調和、不穏なまでの緊張、またとりわけ、逆らい続ける、ある種の意図的に非生産的な生産性である」(28頁)。「晩年性とは、終焉に位置し、どこまでも意識的で、十全たる記憶を保持し、しかも(異常とさえいえるほど)現在を意識している」(38頁)。伝統的な話法を熟知したうえで、そこから逸脱し、調和や総合を意図的に破っていくスタイルが、ここでは「晩年のスタイル」と呼ばれる。
 こうした議論のときに、サイードがかならず引き合いに出すのが、トーマス・マン。『ファウストゥス博士』の前半に登場する音楽教師クレッチュマーが行うベートーヴェンの作品111のソナタについての講演。ベートーヴェン最後のこのソナタがなぜ二楽章しかなく、しかもその最後の二楽章が(なかば締まりのない)長大な変奏曲なのかという、あの講演である。不器用と思える繰り返し、本来なら伝統的な話法で書きあげる力量がありながら、あえてそこから逸れている反逆心、未知の話法に取り組もうとする冒険心、こういったものがないまぜになっているのがあのソナタであり、サイードやアドルノが考える「晩年のスタイル」なのである。リヒャルト・シュトラウスの晩年がかなり大きく取り上げられているのも、このところのリヒャルト・シュトラウス再評価の動きと絡んで興味深い。しかし、『音楽のエラボレーション』の後半でリヒャルト・シュトラウスを題材に論じていた議論を思うなら、この路線は十分に予想ができたことでもある。
 しかし、この「晩年のスタイル」というのは、どうしても「晩年(あるいは後期)」という時間的表現でなければいけないのだろうか。むしろこうしたスタイルは、時間と関係なく、「マニエリスム」言うべきではないか。伝統的な芸術技法を熟知したうえで、あえてそれに逆らい、不意打ちや不必要な反復によって完結を先送りしてしまう自己意識的なスタイルという点では、まさに「マニエリスム」は、ここで言われる「晩年のスタイル」と重なるはずだからである。それにもかかわらず、サイードは、そうした(どちらかというと二流の作家が多い)マニエリスムの系譜を追うのではなく、ベートーヴェンやグールド、R・シュトラウスといった斯界の大御所の「晩年性」といった、いわば実存的でなおかつエリート主義的な概念に収めてしまう。この辺りに、サイードの拭いがたい「正統性」意識を感じてしまうのだが。
 翻訳は読みやすいし、この分量にしては値段も手頃。しかしこの本の装幀には実に驚くべき点がある。なんと大江健三郎の手書きの「推薦文」がカバーに麗々しく刷り込まれているのである(ご丁寧に帯にも同じ文章が記されている)。近年稀に見る愚劣きわまりない装幀である。装丁者・編集者の見識と、それを許可した(はずの)大江氏の傲慢さに呆れ果てる。読書中はそれが手に触れるのも嫌なので、カバーを剥がしてしまったが、カバー自体は愚行の記録として保存しておきたいと思う。目次裏に名前を出した装丁者の勇気を讚えたい。
 (いま、Amazonの読者投稿を見たら、まさにこの装幀のことに触れている人がいた。しかもかなり似た表現で。やはり普通の常識を持ち合わせた人は、そう思うだろう。ちなみに、Amazonでは、サイードの書物のなかで、唯一『晩年のスタイル』にだけ表紙の写真が掲載されていない。これがAmazonの見識なのだとしたら、大したものだが)


G. Naumann, Zarathustra-Commentar, Verlag von H. Haessel 1899-1901 (4 Tl.).
(ナウマン『ツァラトゥストラ註解』)

 ソルトレーク・シティの古書店からABEを通して入手。ずいぶん長いこと探していたが、ようやく入手できて、久しぶりに達成感がある。一年ほど前に、ボン大学の除籍本でE. F. Podach, Friedrich Nietzsches Werke des Zusammenbruchs(ポーダッハ『精神崩壊期におけるニーチェの著作』)を手に入れたときも嬉しかったが、今回の『註解』は大学図書館での収蔵も少なく、かなり前から内外の古書店に問い合わせをしていただけに、喜びもひとしお。A. Messer, Erläuterungen zu Nietzsches Zarathustra(メッサー『ニーチ・ツァラトゥストラ解説』も随分前に入手していたが、これはほんの小冊子なので、あまり参考にならない。その点、ナウマンの註解は、これ以降、これを凌駕するものが出ていないので、ぜひとも見ておきたかった。この本、『ツァラトゥストラはこう語った』の各部ごとのある程度逐語的な註解なので、全体が『ツァラトゥストラはこう語った』の構成と同じ四部に分かれている。それぞれ1898, 1900, 1900, 1901と年号を打った扉が付いているとことを見ると、元々分冊で出されたものが完成後に合本されたのだろう。それにしても、この出版年もまさにニーチェの死を挟んでいるわけで、なかなか意味深長である。
 かなり入手困難になった書物と言えるはずなのだが、購入の値段は$45というお手ごろな値段。見返しを見ると、250の文字が消され、$95と直され、最終的な売値は$45になったという寸法。確かに、最初の$250というのは、妥当な評価だと思う。しかし、ソルクレイト・シティで亀の子文字のドイツ語本は荷厄介だったのだろうか。状態はほぼ問題がないが、序文の最初のページにだけ、前の著者の鉛筆書きの書き込みが。unvollendetの上の行間にunfinished、erwähntの上にmentionsといった具合。そうとうドイツ語のできない学生が四苦八苦して読み始めて、最初の半頁で投げ出してしまった模様。売り払ってくれてありがとう。


山田由美子『第三帝国のR. シュトラウス ―― 音楽家の<喜劇的>闘争』(世界思想社 2004)

 ナチス時代のリヒャルト・シュトラウスの活動、とりわけオペラ『無口な女』をめぐる弾圧事件を核に晩年のシュトラウスを追う。ナチスの帝国音楽局総裁を務めたシュトラウスが、表向きナチスになびきながら、いかに抵抗を試みていたかを鮮やかに描いてみせる。「ユダヤ人」ツヴァイクを台本作者にしたために上演禁止となった『無口な女』自体は、政治色をもたない他愛のない喜劇だった。それにもかかわらず、シュトラウスは最後までこの作品にこだわり続けたのはなぜであるのか、オペラ・ブッファの伝統をも辿りながら、語り口も巧みに叙述する。ツヴァイク宛のシュトラウスの手紙がゲシュタポに押さえられた降りから説き起こし、サスペンス・ドラマのように語っていく叙述も上手いし、最晩年のシュトラウスとヒトラーの関わりを同時並行的に追っていく辺りは映画的でもある。
 著者は、イエイツ『ヴァロワ・タピスリーの謎』(平凡社)の訳者であり、元々はベン・ジョンソンなどの研究者。ツヴァイクによる『無口な女』の台本はベン・ジョンソンの原作の翻案であることも、著者には有利に働いているのだろう。言及される対象のそれぞれが付け焼き刃でない共感をもって扱われているのは、そのためだと思う。同じ著者の『ベン・ジョンソンとセルバンテス』も読んでみたいと思う。
 同じく名著である岡田暁生『<バラの騎士>の夢』(春秋社)が対象とした時期以降のシュトラウスを扱い、主題も異なるが、続けざまにシュトラウス関係の良書が現れたのは偶然だろうか。本書では、オペラ・ブッファというジャンルに焦点を当てることで、「『バラの騎士』=オペラの終焉」という岡田氏の図式とはまた違った光景が見えてくる。いずれにしても、ヴァーグナーの重苦しさや生真面目さとは違った、シュトラウスの多面的で韜晦的な作品が理解されるメンタリティの成熟というのもあるように感じられる。(つまらないことだが、二度ほど触れられる「調整の欠如」(26頁)や「調整を破る」(30頁)は、共に「調性」の変換ミスだろう。また161頁の最後にある『ニーベルンクの指環』は『パルジファル』の間違い。そうでないと話が通じない。)


大塚信一『山口昌男の手紙』(トランスビュー 2007)

 岩波書店の編集者(後に社長)で、学生時代から山口昌男と交流の会った著者が、山口昌男から受け取った手紙を編集しながら、自ら編集者として伴走した記録を記している。山口昌男のかなり内容の濃い手紙からは、ナイジェリア、パリ、メキシコと、世界の各地を移動しながら活動の場を作っていった様子が窺える。レヴィ=ストロースを始め、オクタヴィオ・パスなどとすぐに親しくなって、活動の場を与えられていく山口昌男独特の才能を、大塚氏は「知的居候」と呼んでいるが、これは日本のアカデミズムに場所をもたなかった山口が身につけた処世術でもあったのだろう。そういえば、そんな「知的居候」の術をフルに使って作られた『二〇世紀の知的冒険』『知の狩人』(ともに岩波書店)は実に面白かった覚えがある。
 日本の学界の中心からはずれたところで、自ら「中心と周縁」の理論を築いていった山口の力量に著者は賛辞を惜しまないが、後年彼自身がジャーナリズムに乗り、ある種の「中心」と化していったのを苦々しく思い、交流も途絶えがちになっていったらしい。そして岩波書店では山口昌男の著作集を出さなかった理由をこう説明する(後に筑摩書房で5冊本の著作集が作られる)。「私は山口氏の著作集をつくることをしなかった。河合隼雄にせよ、中村雄二郎にせよ、山口氏と関係もあり私と親しかった人の著作集を、私はつくった。……しかし、山口氏の著作集をつくるという気にはどうしてもなれなかった。……周縁的な存在であった山口氏が中心的(=体系的)になること自体、自己矛盾的な要素を含んでいるのではないか、とすら思えるのだった」(368頁以下)
 果たしてそうだろうか。もしそれが本当なら、『ニーチェ全集』や『ベンヤミン全集』(ともに包括的かつ機械的編集での全集)は成立しえないということになってしまうのだが。むしろ、作品をわざわざまとめるほどの中身のない著者の「著作集」を作る方がよほど自己矛盾的に思える。そして世の出版物にはそうした自己矛盾が如何に多いことか。


巌谷國士監修・文『澁澤龍彦・幻想美術館』(平凡社 2007)

 澁澤龍彦を彼好みの図版を通してサーヴェイしようという、これまでもいくつか出された企画の一つだが、本書は造りが良い。元々は同名の展覧会のカタログということもあって、図版の発色やサイズも手頃で、図版選択もヴァラエティーに富んでいて飽きない。巻末には、澁澤が好んで言及する作家・芸術家の人名録のようなもの(30頁ほどある)、そして年表や著作データが主な著作の書影入りでついているのも嬉しい。作り手の思い入れをそれなりに感じる仕上がりになっていて、いまどき2500円程度という値段設定もお買い得感あり。
 今年は澁澤歿後20年ということで、『ユリイカ』でも特集が組まれ、NHKテレビの「こだわり人物伝」でも取り上げられる(11/6から放映:このテクスト・ブックも発売中)。少しまとめて振り返ってみるのに良い機会になりそう。
 ちなみに『ユリイカ』特集号で、本書をめぐってなされた対談から、巌谷氏の発言を。「澁澤さんはある意味ですごく幸運な人でしたね。編集者に恵まれていたということ。実際、編集者によって作られた澁澤龍彦というものもある。美術だったら美術出版社に雲野良平さんがいて、『夢の宇宙誌』なんて美術作品のことはほとんど書いていないのに、図版を入れて美術書にしちゃった。だから澁澤さんの知らない図版まで入っているんだけど」(50頁)。同じ感性の人たちがある中心に向かって集まってくるというのは、おそらくどこの世界にでもあることなのだろう。


J・ヘンリー『一七世紀科学革命』東慎一郎訳(岩波書店2005)

 科学革命に関して、近年の研究動向などを踏まえコンパクトに概観した概説書。「魔術と科学」というイェイツの問題意識や、「科学とピューリタニズム」といったマートン・テーゼなども踏まえ、バランスの取れた解説を行っている。小著ながら、科学史上の具体例(ケプラーやニュートンとプラトン・ピュタゴラス主義との関係、レーフェンフックに対する当時の逆風)も適宜取り上げられていて、読み物としても面白い。パラダイム論などを大上段に論じるわけではなく、文化史・社会史を含めた科学史への入門書に徹している点が好ましい。近世初頭の大学は、いまだに修辞学の影響下で、中世的な「討論」のみを中心としていたため、科学革命の担い手たちは大学から距離を取って、新たな学会を作り始めたというような社会史的状況などにも、かなり強調されている。
 原著自体、元々が入門書のシリーズなので、巻末に一行コメントが付された文献表と用語集が付されていて、この300点ほどの文献表がなかなか有益。さっそく何点か発注してしまった。本文中にも、随所にこの文献表への参照番号が記されており、考えてみれば、本書全体が、この文献表に対する詳細な序文とも言える。翻訳も気負いがない優れた訳文で、翻訳書であることを感じさせない。
 しかしやはりいくつか問題もある。肝心の文献表は、邦訳のあるものはデータを記載するという方針で作られているようなのだが、例えば、コーペンヘイヴァー/シュミット『ルネサンス哲学』榎本武文訳(平凡社 2003年)、ドッブズ『錬金術師ニュートン ―― ヤヌス的天才の肖像』大谷隆昶訳(みすず書房, 2000年)、ドブズ『ニュートンの錬金術』 寺島悦恩訳(平凡社, 1995年)らの大著群が、原著データのみで、邦訳が挙がっていない。信じられない見落としで目を疑う。さらに、「日本語版として<日本語文献案内>および<訳者解説>を付した」(凡例)ということになっているが、これがなんとも御座なり。概説書として書かれた本書を、「解説」でなぜ要約する必要があるのか。日本での文献案内や、最近の山本義隆の一連の著作などを含め、日本語での展開を解説して欲しかった(日本語文献表では、『磁力と重力の発見』に簡単に触れられてはいるが)


D, Mahnke,Unendliche Späre und Allmittelpunkt ,Neudruck Fr. Fromman Verlag 1966 (1st ed. 1937).
(マーンケ『無限の天球と万象の中心』)

 ミュンヘン現象学のマーンケによる中世の宇宙論。「円環」や「球体」というイメージの変遷を追い、ノヴァーリス、ベーメ、ケプラー、コペルニクス、クザーヌス、さらには12世紀宇宙論を通って最後はアナクシマンドロス辺りまで遡る。小振りな本だが内容は充実している。R. Stadelmann, Vom Geist des ausgehenden Mittelalters(シュターデルマン『中世末期の精神』)と同様、このシリーズは、Deutsche ViertelJahrsschrift für Literaturwissenschaft und Geistesgeschichte(『季刊・ドイツ文芸学・精神史』)の論考を単行本化するというものらしい。
 本書は、ニコルソン『円環の破壊』小黒和子訳(みすず書房)ブーレ『円環の変貌』岡三郎訳(国文社)を思わせる主題だが、本書の場合はこの二著作と違い、文学・芸術には手を延ばさずに、純粋に哲学的文脈のみを追っている。そのために、これが一貫した神秘思想史にもなっていて、全体に統一感を与えている。「円環」のイメジャリーという主題では、邦訳があっても良さそうな著作。


『哲学の歴史』第二巻『帝国と賢者』(中央公論社 2007年)

 今年の春に始まった一大シリーズ企画『哲学の歴史』が全体の半分まで公刊された。中間にあたるこの『帝国と賢者』は、この企画を象徴するような秀逸な一巻。旧来の哲学史では、ともすると思想的に折衷的で不毛な時代とされていたローマ・ヘレニズム期を独立した一巻としてとりあげ、ストア学派、エピクロス学派を論理学や自然学をも含めて扱った点は、これまでの欠を補ってあまりある。このシリーズは、表紙に刷り込まれた欧文(Histore de la philosophie)が物語っているように、ドイツ流のGeistesgeschichteというよりは、シャトレ『哲学史』を思わせる「知」の歴史。単線的な精神史には収まらないこのシリーズの性格は、まさにドイツ的哲学史が掬い上げることの出来なかったこの巻などに顕著に現れている。造本も実に見事で、よく手に馴染む。
 フーコー晩年の「自己への配慮」の問題系においてもストア学派は大きな位置を占めている。さらに、ロング『ヘレニズム哲学』金山弥平訳(京都大学学術出版会 2003年)といった基本書、さらにブレイエ『初期ストア哲学における非物体的なものの理論』江川隆男訳(月曜社 2006年)といった労作も出て、ヘレニズム期がにわかに面白くなりつつある。


L. Daston, K. Park,Wonders and the Order of Nature, 1150-1750 , Zone Books 2001(pbk) (1st ed. 1998).
(ダストン/パーク『驚異と自然の秩序』)

 掲示板で教えていただいて入手。届いてみたら、大判500頁を越す怪物的大著だった。「驚異」をキーワードに、盛期中世から近世初頭の自然学・博物学の系譜を追う大規模な著作。「驚異」と「自然の法則性」という理解が、自然に対する二つの異なる態度として、パラメータを形成しているという図式。異世界に怪物が配置された古代の空想的地理学から始まって、啓蒙主義初期の自然学までをも歴史的に辿っていく。中世哲学では、「驚異」という思考は、アルベルトゥス・マグヌスやトマスによって自然理解の姿勢として承認されながら、偶発性や突然変異の意味合いからは、神の秩序の阻害要因としてむしろ拒絶される。それは中世後期のニコル・オレームなどにおいても変わらない。ルルスなどはその点で、「驚異」に積極的な意義を見出した例外的存在ということになる。本書では、そうした中世における「驚異」の後退を挟みながら、近世において「驚異」(wonder)が「好奇心」(curiosity)と有効に結びつき、「驚異博物館」(Wunderkammer)を始め、デカルト、ベーコンの自然理解をも産み出していくといった図式が展開される。ブルーメンベルクの「理論的好奇心の誕生」の議論とも噛み合いそう。そうした歴史的なトレースと並んで、「怪物」についての章などが挟まれている。いわゆる「科学革命」や「大学の誕生」、「世俗化」などといった議論とはまた一味違った歴史叙述。「科学史は、存在論と〔驚異という〕感情を中心にするなら、学問分野や制度を中心とするのとは、異なった光景が見えてくるだろう」(p. 18)。つまり、フーコーやクーンとは違った関心で科学史を見ようという試み。
 この書物を見て、真っ先に思い出したのが、近世初頭の博物館の成立を詳述したフィンドレン『自然の占有 ―― ミュージアム、蒐集、そして初期近代イタリアの自然文化』伊藤博明・石井朗訳(ありな書房 2005年)。そう思って、訳者の伊藤氏の解説を見たら、書名だけではあるが、本書がしっかり言及されていた。本書は、この『自然の占有』と、バルトルシャイティス『幻想の中世 ―― ゴシックにおける古代と異国趣味』西野嘉章訳(改訳:平凡社ライブラリー)をブレンドしたようなものといったところだろうか。思えば、バルトルシャイティスの「古代と異国趣味」というのも、また「驚異」の別様の表現であった。ただし、バルトルシャイティスの対象は美術であるし、本書『驚異と自然の秩序』でも、議論の出発点は12世紀半ば以降なので、初期スコラ学から12世紀ルネサンスに至る哲学的な自然理解は対象外になっている。かろうじてリールのアラヌスやバースのアデラードが言及されているといったところ。カルキディウス訳の『ティマイオス』の影響史やら、シャルトル学派の自然理解など、この辺りはまだ開拓の余地がありそう。いずれにしても、当分は愉しめそうな著作。


V. Gerhardt (Hg.), Friedrich Nietzsche, Also Sprach Zarathustra, Akademie Verlag 2000.
(ゲルハルト編『ニーチェ<ツァラトゥストラ>』)

 ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』に特化した論文集が、ニーチェの歿後100年に公刊されていた。「古典解釈叢書」(Klassiker Auslegen)の一冊。遅まきながら入手。ニーチェの文献は大量にあるなかで、ツァラトゥストラに限定した研究なり論集は意外なほど少ない。その点で、この論文集のもつ意味はなかなか大きいだろう。執筆陣も、編者のGerhardtを始め、Salaquarda, Pieper, Nehamas, J. Simon, Reschke, E. Behlerなど、豪華な布陣(うち二人はすでに亡くなっている)。論文集なので、どうしてもある主題に限定して論じるということにはなってしまうが、それでも『ツァラトゥストラはこう語った』の全体をなるべく視野に収めるという方向をできるだけ打ち出そうとしている様子が窺える(Ottmannの「<ツァラトゥストラ>の構成の問題」などがそうした関心を顕著に示している)。この「古典解釈叢書」は、カントの『永久平和』や『純粋理性批判』、ヘーゲル『法哲学』、アリストテレス『形而上学』、プラトン『国家』など、すでに20点を越えている。研究レベルの入門書として悪くない企画だと思う。


E・ヴィント『シンボルの修辞学』秋庭史典・加藤哲弘・金澤百枝・蜷川順子・松根伸治訳(晶文社 2007年)

 『芸術と狂気』や『ルネサンスの異教秘義』で知られるヴィントの歿後に編まれた論文集。ヒュー・ロイド・ジョージによる「ヴィントの生涯」という50頁ほどの、短いが充実した伝記が付されている。この伝記からも、ヴィントがドイツ語圏、英語圏両方の文化に深く関わり、両者の潮流を見据えた仕事を展開したさまが伺える。ここで触れられる固有名詞群がまた実に魅力的。フッサールやヴィラモーヴィッツ=メレンドルフの講義、ドヴォルジャークのゼミに参加し、ハンブルクでカッシーラに学び、パノフスキーの最初の弟子になっている。「フッサールの講義は、ヴィントにとって面白いものではなかった。彼もまた、フッサールの哲学よりは、フッサール晩年のあまりに高名な弟子マルティン・ハイデッガーのスキー・パーティのほうが好きだったのである」(17頁)。美術史のうえで、ヴィントはブルクハルト、ヴァールブルクに与することになり、リーグル、ヴェルフリン、あるいはその発想の元にあるモレッリと対立するといった大きな構図の中、ヴィントの活動が描かれる。ナチス政権下、ヴァールブルク文庫を護り、ロンドンに移すのに最も功績があったのもこのヴィント。ヴァールブルク関連の文献としても、この伝記は面白い。
 本文のヴィントの論文もよく選ばれていて、プラトン主義の美学的影響の変遷史を語る冒頭の論文から、ロンドンへ移ったヴァールブルク文庫の旗揚げ的講演、オリゲネス、エラスムスなどを図像学絡みで論じる論考、ゴンブリッジの『ヴァールブルクの生涯』に対する匿名で発表された強烈な批判的書評など、最後まで楽しめる。訳註や各論文に対する解説も丁寧。主題に関連するその後の研究や、日本語の文献までが指摘されているのは立派。巻末の解説もなかなか充実している。ただ、訳文そのものはもう一工夫あっても良かったような気がする。さらには、活字の組み方はもう少し密度をあげたほうがかえって読みやすかったのではないかとも思う。しかし全体としては、刺激的な翻訳。


A. Negri, Subversive Spinoza , ed. T. S. Murphy, Manchester U. Pr. 2004.
(ネグリ『破壊するスピノザ』)
――, The Savage Anomaly: The Power of Spinoza’s Metaphysics and Politics, tr. by M. Hardt, U. of Mennesota Pr. 2003 (3rd. ed.).
(ネグリ『野生の特異性』

 『帝国』と『マルチチュード』で有名になったネグリの原点ともいうべきスピノザ論。ホッブズールソーカントという一種の超越論的思考に真っ向から対立するものとして、強力なスピノザ像を打ち出す。媒介を介さずに無限と有限を直接に結び付けようとする過激な思考をえぐり出してみせる。『野生の特異性』は、洗練された媒介形式を重視する近代的思考に対して、「野生」のスピノザを対置する。『破壊するスピノザ』の方は論文集。特に、『神学・政治論』および『国家論』の関係を鮮やかに論じた論考が収められていて、全体を概観するには便利な論文集となっている。いずれにしても、デカルト・スピノザ・ライプニッツというまとめがなされる「大陸合理論」という括りがいかに無理のあるものであるかは、こうしたことからも分かってくる。一時期、スピノザとヘーゲルとの関係なども議論されたが(マシュレ『ヘーゲルかスピノザか』新評論)、ネグリはさらにスピノザ自身の「特異性」を明らかにしようとしている。


『手塚富雄著作集』(全6巻 中央公論社 1980/81年)

 翻訳や啓蒙書でお世話になっていながら、彼自身の最も大きな関心事であった『ヘルダーリン』を読んでいなかったので、ついでに著作集として入手。中学生の頃読んだ『ドイツ文学史』(岩波文庫)、ゲーテにもとづいた『生き生きと生きよ』(講談社現代新書)も収められていて懐かしい。平易で明快な啓蒙書を書かせたら抜群の著者だろう。最近のドイツ文学の低迷ぶりは、こうした啓蒙家が出ないことにも一因があるのかもしれない。この著作集、装本も立派で美しい。クロス地に箔押しなどというのも、最近ではどんどん少なくなって寂しい限り。最近の書物の形態に慣れてきてしまった目で見ると、豪華版のように思えてしまうのも不思議。


伊藤俊太郎『一二世紀ルネサンス』(講談社学術文庫 2006年)

 12世紀ルネサンスを、ヨーロッパ内部の文化運動としてではなく、イスラームとの文化交流として捉えた市民セミナーの記録。講義を文章化したものとはいっても、内容的にはかなり豊富。アルキメデスにしても、プトレマイオスにしても、中世ではほとんど伝わっておらず、12世紀になってアラビア語からラテン語に翻訳されることでようやくラテン世界の知的財産となっていたというような経緯は、古代末期から中世初期のヨーロッパの学問がいかに遅れていたかということの証左になっている。この時代、イスラーム世界こそが学問の最先端だったわけで、ヨーロッパの「自由学芸」は、ボエティウスによる貢献などがあったにしても、内容的にはかなり貧しいものであったということになる。本書では、12世紀になされたアラビア語著作のラテン語訳の動向を、それを主導したペトルス・ウェネラビリスなどとの絡み合いで、翻訳という文化活動として叙述していく。スペイン、北イタリア、シチリアといった地域で、この時代アラビア学問の急速な受容が行われていく(ちなみに『コーラン』もこの時代に初めてラテン語訳された)。文庫版になって、ギリシア語著作のアラビア語訳、およびこの時代にラテン語訳されたアラビア語著作の一覧表が増補されている。これを眺めているだけでも結構愉しい。


デリダ『雄羊 ―― 途切れない対話:二つの無限のあいだの、詩』林好雄訳(ちくま学芸文庫 2006年)

 デリダ生前の最後の著作の邦訳。1981年に行われたデリダのガダマーとのコロキウムでは、期待されたような生産的な対話は行われず、一般には失敗したものと理解された。その失敗の思想的な意味をデリダ自身があらためて展開したもの。デリダと解釈学との距離がいかに大きく、「対話」というもの、とりわけ「ディアロゴス」として弁証法的に総合される「生産的な対話」がなぜ脱構築されなければならないかを、ツェランの詩の読解を通じて遂行的に示している。それはまた、ハイデガーがもっている解釈学的な方向を脱構築し、「差異」の思想へと導いていく脱=存在論、脱=世界論に繋がっていく。小さな論考だが、訳註と訳者解説が丁寧。


岩村清太『ヨーロッパ自由学芸と教育』(知泉書館 2007年)

 地味な主題だが、ヨーロッパの知的世界の根幹を成す「自由学芸」についてのまとまった著作。おそらく日本語ではほとんど類書がない。カッシオドルスによる自由学芸の確立から、イシドルス、アルクイン、ラバヌス・マウルスといった初期中世の学問伝統と君主論が扱われる。artes liberales(自由学芸)という言葉が、liber(書物)に由来するといった誤った語源論がまかり通っていたという点で、書物の黄金期とも言えるだろう。
 本書では、対象がカロリング・ルネサンス前後までになっているので、12世紀以降の自由学芸の再編には触れられていない。12-13世紀にはイスラームの影響もあって、自由学芸そのもののあり方がかなり変わって行くので、この辺りを押さえた異文化交流史のような研究書が欲しいところ。サン=ヴィクトルのフーゴーや、とりわけドミニクス・グンディサリヌスなどを含んだ論考が期待される。


M. Carruthers, The Craft of Thought. Meditation, Rhetoric, and the Making of Images, 400-1200, Cambridge U. Pr. 2000 (1st ed. 1998)
(カラザース『思考の技法 ―― 黙想、修辞学、イメージの制作』)

 名著『記憶術と書物』(工作舎)の著者カラザースによる「記憶術」第二段。



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