口舌の徒のために

licentiam des linguae, quum verum petas.(Publius Syrus)
真理を求めるときには、舌を自由にせよ
過去ログ

マールブランシュなど


No.1101

マールブランシュのページ
投稿者---如月(2004/05/16 01:27:02)
http://www.furugosho.com/


日本の哲学史においても、ネットにおいてもマールブランシュはほとんど無視されてますから、小サイトに「真理の探究」のなかの機会原因説に関する一節を訳出したページを新設致しました↓。
http://www.furugosho.com/precurseurs/malebranche/occasion.htm
あの大著の全訳など思いもよりませんが、これを機会に、マールブランシュ哲学のポイントになる箇所をもう少し訳してみようと思います。
話題が少しでも広がるよう、新スレッドをたてておきます。


No.1105

機会原因論の末裔
投稿者---prospero(管理者)(2004/05/26 20:19:04)


「機会原因論」のページ、すぐに拝見していたのですが、応答が遅れました。哲学史のなかでも、おざなりのように扱われていて、私もいまひとつピンとこなかった「機会原因論」というものが、お蔭様で少し鮮明になってきました。

まずは、マールブランシュが「神」の意志の原因性を語るにしても、それが「作用因」に限定されている点では、やはり近代の思想だという印象を受けました。おそらく中世であれば、ここに「目的因」や「形相因」といった議論が絡んでくるでしょうが、ここでは作用因果性のみに限定されているようです。

延長実体同士の実在的な因果性を否定するというマールブランシュの議論は、より認識論的な場面ではヒュームの論点にも繋がりそうです。そうなると、やはり気になるのがカントです。カントも物体間の実在的な因果性を認めることはないでしょう。では、因果性はどこにあるかといえば、それを把握する超越論的主観性の中にあるということになります。いわばマールブランシュの議論の中で「神」に当たる場所に、「超越論的主観性」を持ってくるわけです。もちろん、超越論的主観性は、神の意志と違って、実際の働きを持っているわけではありません。そのようなものは「原型的知性」と呼ばれて、カントが斥けたものでした。世界が因果性という形式をもって把握される条件が超越論的主観であり、それによってわれわれの経験自体が成立するという複雑なロジックがそこで作動することになります。

法則の一般性と現象の個別性という点も、カントの場合は、超越論的図式というかたちで整理されることになるので、その点もかなり興味深く読めるところです。ただ、私の知る限り、カントがマールブランシュについての言及をしているところは思いつきませんので、これはあくまでも、そのようにも読めるという可能性の話ではあるのですが。

***

それにしても、日本の哲学の紹介では、マールブランシュを始めとする近世初頭のフランス哲学が手薄であるのと同様に、イギリス思想もかなりウィーク・ポイントです。Studia humanitatisのほうでいくらか書いたシャフツベリなども、日本語で読めるものはほとんどありません。こういった欠を地道に埋めて行くことで、単調に図式化された思想史も、よりスリリングなものになっていくのではないかと期待しています。

No.1107

末流の機會原因論
投稿者---森 洋介(2004/06/06 22:48:12)
http://y7.net/bookish


 機會原因論(偶因論)といふのは、創唱者マールブランシュよりもむしろその末裔によって知られてゐるものなのでせう――少なくとも日本では。とりわけ、カール・シュミット『政治的ロマン主義』(未來社/みすず書房)によって。 
 シュミットの規定によれば、およそロマン主義とは主觀化された機會原因論にほかなりません。しかし、さう言ってロマンティッシュ・イロニーを批判するシュミットの決斷主義(ナチスを支持した)もまた機會原因論の反復だとするカール・レーヴィットの批判があります。レーヴィットは日本で教へてゐたこともありますが、特に日本では橋川文三が日本浪漫派批判にシュミット説を用ゐて以來でせう、しばしば文藝評論や政治思想史(殊に丸山(眞男)シューレの)の分野で機會原因論への言及が見られます。 
 にも拘らず、マールブランシュにまで遡った機會原因論の檢討がなされてゐないのだとしたら、多分にそれは日本における哲學研究のドイツ中心史觀のためでせうが、そこで疑問になるのが、ドイツ・ロマン派への影響はさておき、本家フランスにおけるマールブランシェ及び機會原因論の歸趨は如何に、といふことです。端的に言へば、フランスのロマン主義にはシュミットの定式は當て嵌まらないのか、それとも……? 
 野口武彦「ドイツ・ロマン派と国学」によれば「フランス・ロマン主義は存在しても、フランス・ロマン派というものはありえない」(『日本思想史入門』〈ちくまライブラリー〉1993.5)。この言を承けて山田広昭氏は、その意味でのフランス・ロマン主義(といふかロマン派)は、「ふつうそう見なされている十九世紀の前半においてではなく、十九世紀の後半に」、すなはち「フランス・サンボリスム(象徴主義)」に見出されるといふ「遅れ」を、指摘してゐました(「三点確保 ロマン主義の理解と批判のために」『三点確保 ロマン主義とナショナリズム』新曜社・2001.12、111頁〜)。さらには「フランス構造主義の起源としてのマラルメ(広くはフランス・サンボリスム)」についても論じてゐます。 
 ところで構造主義者ルイ・アルチュセール(もちろんフランス人)は、哲學における因果性の概念を、デカルトの機械論的因果性、ライプニッツやヘーゲルの表出論的因果性、スピノザとマルクスの構造的因果性(換喩的因果性)、に三分類しました(『資本論を読む 中』〈ちくま学芸文庫〉250頁〜)。――「それらがみなcausa(cause)、つまり原因という概念によって思考するのに対し、むしろoccasio(occasion)、つまり機会の概念を中心に置く思考があるとすればどうだろう? それがマールブランシュの機会原因論 occasionalismeである。」(浅田彰『季刊思潮』6「編集後記」)。これでは、機會原因論は附け足りに過ぎぬかのやうですが、ともあれ構造主義的思考は、ヘーゲルではなくスピノザに歸せられるわけです。
 しかしマラルメと言へば、ヴィリエ・ド・リラダンから教はったと言ふヘーゲル哲學の影響が云々されます。尤もティボーデに言はせると、マラルメがヘーゲルを讀破したなんてハッタリださうですから(『マラルメ論』沖積舎・1991)、フランス語譯で讀んでゐたとしてもどこまで理解したかは怪しい。かうなると、そもそも十九世紀フランスにおけるドイツ哲學の受容自體を、問題にしなければなりません。 


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No.1108

感覚化された機会原因論
投稿者---prospero(管理者)(2004/06/07 21:58:53)


興味深いご指摘をありがとうございます。すっかり忘れていましたが、私も以前引っかかったことのある個所でした。『政治的ロマン主義』そのものはいま手元にないのですが、いまそこからの抜書きメモをみつけました。それが、まさにご指摘の個所でした。

「マルブランシュの哲学においては、神は究極絶対であり、全世界と世界の中で起こるすべてのことは神一人の活動の起因にすぎない。……この特徴的にoccasionelleな態度はそのまま保たれながら、神の代わりにたとえば国家とか民族とか、あるいは個人の主観が最高の決裁者および決定的な因子となることもありうる。この最後の場合がロマン主義である。私はそれゆえ次のような公式を提出したいのである。ロマン主義は主観化された機会原因論である。還元すればロマン的なものにおいてロマン的主観は世界を自己のロマン的産出の起因および機会とみなしている、と」(p. 24)という一節です。

確かに、カント以降の流れはこうした主観化された機会原因論を強化する方向に向かったのかもしれません。しかもそれは、やはりドイツ観念論というよりは、初期ロマン派、とりわけフィヒテからシュレーゲルの流れの中に顕著に見られるように思います。フィヒテの場合、いまだカント的な自然因果性(アルチュセール的な区別では機械論的因果性)と自由の因果性(もしかすると、表出論的因果性?)で議論をしており、その両者を可能にする絶対自我の「措定」(setzen)という議論を立てますが、シュレーゲルは、この「措定」(これが、厳密な意味での表出論的因果性でしょうか)という考え方を排して、そこに無限に遡る考え方を導き入れたというのが、ベンヤミンが『ドイツ・ロマン主義の批評概念』で提出した見立てでした。この無限遡行する生産性がいわゆるロマン主義的イロニーというやつです。こう考えると、神の位置に、表現する主観が居座ったとするシュミットの見解も、わからないではありません。

さて、そうなると、仰るようにフランス・ロマン派の事情はどうなのでしょうね。ひとつ思いついたのが、シュミットが同じく『政治的ロマン主義』で機会原因を語っている後のほうの個所では、その具体的イメージとしてモーツァルトの例が引き合いに出されていました。これも抜書きにあったのですが、こんな個所です。

「この関係〔機械論的関係〕は ―― たとえばオレンジを見たことがモーツァルトにとって<手を取り合おう>の二重唱を作曲するきっかけだったように、すべての具体的な個々のことがらが思量しうる結果を生むoccasioとなりうるのだから ―― まったく不可測な、一切の客観性を拒む歿理性的なもの、つまり空想的なものの関係性なのである」(p. 103)。

このモーツァルト云々は、メーリケの『旅の日のモーツァルト』の中のエピソードだと思いますが、もっと思いつきやすいところでは、まさにプルーストにとってのマドレーヌのようなものではありませんか。

必然的で客観的な跡付けのできない空想的な関係性、感覚だけが察知しうる世界の中の繋がりという点では、これこそいわゆる「サンボリズム」の論理とも言えるでしょう。まさしく「コレスポンダンス」(万物照応)です。そんなわけで、ドイツ・ロマン主義が「主観化された機会原因論」なら、フランス・ロマン派は「感覚化された機会原因論」とでも言えないでしょうか。

フランスにおけるヘーゲル受容、因果性のアルチュセール的な区別も面白そうなので、これはまたあらためて。

とりあえず、漠然とした思い付きです。


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No.1110

シュミットからベンヤミンへ?
投稿者---森 洋介(2004/06/10 03:22:57)
http://y7.net/bookish


>ベンヤミンが『ドイツ・ロマン主義の批評概念』で提出した見立てでした。

 ベンヤミンといへば、大學教授資格請求論文『ドイツ悲劇の根源』は、カール・シュミットに書翰を添へて贈呈されたのでした。アドルノがこのシュミット宛書翰を公にしたがらず、書翰集に收められなかったのだとか(アドルノって困った人です)。
 シュミットとベンヤミンの關係については『批評空間』第II期2號の「小特集 ベンヤミンから出発して」(太田出版・1994.7)に關聯論文とその紹介が計三本(も)ありました。但しベンヤミンが主に參照したのはシュミットの『政治神學』で、『政治的ロマン主義』ではないやうですが。しかしシュミットはナチスへの加擔と戰後の復権といふ面だけでなく「遅れてきたカトリックとして」ハイデッガーと共通項を有するといふ指摘が同特輯中にあり(杉橋陽一)、そこに、ベンヤミンは「ブレヒトは例外として――集中的に、いわゆる反動的な作家――プルースト、グリーン、ジュアンドー、ボードレール、ゲオルゲ――のみに関わってきた」(ヤーコプ・タウベス)といふ指摘を重ね合はせると、何やら興味深い線が浮んでくる氣がします。大ざっぱな話、ヨーロッパにおける「反動」思想家は大抵カトリックか政治的ロマン主義(ドリュ・ラ・ロシェルとか)であるわけですし。

>「この関係〔機械論的関係〕は

 私も手許に『政治的ロマン主義』が無く、讀んだ記憶も無いので確かめられませんが、この括弧内は「機會」でなく「機械」でいいのですか。まあマールブランシュ説はデカルト=機械論から出てゐるわけだからいいのでせうね。正直、機會原因論と機械論的因果性のとの關係をどう考へたらよいのか、わかってゐません。


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No.1112

機会原因論から予定調和へ?&狼狽するアドルノ
投稿者---prospero(管理者)(2004/06/10 22:15:12)


>>「この関係〔機械論的関係〕は

肝心なところで大変な誤植をしており、失礼しました。この部分は私が補った括弧ですが、ご指摘の通り、「機会論的(ないし機会原因論・偶因論的)関係」でなければ元も子もありませんでした。

アルチュセールの区別の中に現れるデカルト的な因果性は、あくまでも自然因果性、ないし作用因果性という「機械論的因果性」ですね。デカルトは直接的な関係を表すこの因果性で、意識と身体を繋ごうとするために、悪名高い「松果腺」という議論を展開するわけでしょうが、マールブランシュの「機会原因論」では、むしろこの両者を直接に繋ぐ場所は現実には存在しないという議論になるでしょう。その意味では、意識と身体の関係はoccasionel〔機会的=偶然的〕であり、両者は現象界に属さない神の内部でのみ辛うじて繋がっているということになるのだと思います。その点では、意識と身体〔物質〕、言いかえれば、超越論的次元と経験的次元の接合点をどこに見出すかという議論の出発点だとも言えるように思います。

やがてはカントに繋がるこうした問題意識は、その前にもう一つの問題を経由していくようです。それがライプニッツの「予定調和」の理論でしょう。ライプニッツ自身は、この予定調和を主張するに当たって、かなりマールブランシュの「機会原因論」を意識していたようなので、これも面白い主題かもしれません。

****

ところで、シュミット宛のベンヤミンの「恭しい」献呈の手紙ですが、三島憲一『ベンヤミン』(講談社 1998年)、274-275頁に引用されていました。「私は貴方のその後のお仕事、特に『独裁論』からも、その国家哲学の研究方法を通じて、私の芸術哲学の研究方法が間違っていないことを確かめることができました」云々。

この手紙に対するアドルノの態度に関して、三島氏の書いている一節が笑えます。「手紙のコピーを入手したベルリン自由大学のタウベスは、彼の電話を受けたアドルノの狼狽振りを報告している。非同一性の大先生も、手紙の同一性(信憑性)をベンヤミンのタイプライターの特性まで材料にして証明され、ぎゅうぎゅう締め上げられては、白状せざるをえなかった」ですって。


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No.1111

カント「実践理性批判」のなかに
投稿者---花山薫(2004/06/10 18:37:34)


次のような一節がありました。

「……すなわち可想的主体は与えられた行為に関してなお自由でありうることが許されるにしても、普遍的原存在者としての神が実体の存在の原因でもあることが許されるならば、次のこともまた許されなければならないように思われる。すなわち人間の行為はその規定根拠を、全然彼の力以外にあるものにおいてすなわち人間の存在とその因果性の全規定とを完全に左右するところの、人間とは異なる最高存在者の因果性においてもつということである。実際、もし人間の行為が時間における人間の規定に属し、現象としての人間の単なる規定ではなくて、物自体そのものとしての規定であるならば、自由は救われえないであろう。人間は、最高の芸術家によって造られかつばねを巻かれた操り人形かあるいはヴォカンソンの自動機械であるであろう……」

ふつうならうっかり読み過ごすところですが、こちらでの議論が念頭にあったのでちょっと引っかかりました。



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