口舌の徒のために

licentiam des linguae, quum verum petas.(Publius Syrus)
真理を求めるときには、舌を自由にせよ



No.1440
H.ヨナス自伝
あがるま(2008-01-22 17:15:45)

誰だつたかがヨナスの自伝(2003年出版)を読んで居ると聞いて少し眺めて見ました。 由良のハンブルクでの先生の一人がWilliam Sternでその息子がGuenther Stern(筆名Guenther Anders)ださうです。

アーレントとの馴れ初め書いた処まで読みました。ハイデッガーは彼女だけでなく色々な女学生に手を出した(失敗したことはないと云はれた)さうです。

ヨナスとアンダースはフライブルク時代に知り合ひ、William Sternがフッセルの友人だつたので親しくなつたらしい、アンダースとアーレントの関係はこれから出て来るのでせう。


No.1442
存在の類比
あがるま(2008-01-25 10:36:00)

クルティーヌの『類比の発明』を見て、プシワラのこの標準的な本も手に入れたかつたのですが、思つたより手に入り難いやうですね。 彼の著作集の第三巻として出て居たのでせうか?


No.1443
ヨナスとハイデガー
prospero (管理者)(2008-01-25 16:35:45)

ヨナスは、ハイデガーの弟子で、ナチによって追われて亡命をしたという点で、レーヴィットなどとも共通するようですね。自伝が出ているのですか。ウォーリン『ハイデガーの子供たち』(新書館 2004年)でのヨナスの章もなかなか興味深いものがありました。

60年代の神学と哲学という問題(新着図書)にも関係するのですが、「ヒューマニズム書簡」以降のハイデガーは神学者たちにかなり歓迎されたらしく、1964年にドリュー大学でのシンポジウムは、プロテスタント神学とハイデガー哲学を主題としたそうです。当然ハイデガーも招かれたのですが、体調不良のため欠席、その代理を務めたのがヨナスだったのですが、その席上で、ヨナスは公然たるハイデガー批判を展開し、ナチズムに関する関与を非難し、会議の雰囲気を一変させたという話がその冒頭に出ていました。

私自身は、彼の責任の哲学と、初期のグノーシス研究がうまく繋がらなかったのですが、このウォーリンの記述で、少し納得がいったような部分があります。


No.1444
クルティーヌ
prospero (管理者)(2008-01-25 16:48:11)

おそろしく早い反応をありがとうございます。そうです。『存在の類比』は著作集の第三巻なのですが、私は古書でこれだけを単独で手に入れました。紙が良いのか、500頁を越えているにもかかわらず、結構コンパクトに収まって、さほど重くもありませんし、印刷もきれいです。同じ時期のプンテル『類比と歴史性』のほうが時代を感じます。

クルティーヌのInventio analogiae、よいものを思い出させていただきました。いま彼のHeidegger et la phenomenoloogie, Vrin 1990を引っ張り出してきました。Inventio analogiaeは、以前この掲示板でもあがるまさんに紹介していただいて、手に入れようと思いながら、すっかり忘れていました。いましがたアマゾン・フランスで注文してしまいました。同時に、彼の「崇高論」も。ひさしぶりにフランス語でも読みましょうか。


No.1450
別なヘンリッヒの論文が
あがるま(2008-02-04 20:24:17)

此処にありました!
http://schrimpf.com/ph/henrich/verzeichnis.html Camilo Schrimpfと云ふ方はミュンヒェン大学LMUで学んだ精神科医らしい。本一冊分ほどの量があります。


No.1452
Re:別なヘンリッヒの論文が
ig(2008-02-08 19:16:16)

igです。おひさしぶりです。スレッドを改めたほうがよいのかもしれませんが、ここに返信します。

>此処にありました!
>http://schrimpf.com/ph/henrich/verzeichnis.html

ヘンリッヒの論文は、かつて『藝術哲学の根本問題』(晃洋書房)所収の「現代の藝術と藝術哲学」を読んだくらいなのですが、この本、今見返してみると、ハイデッガー、ガーダマー、クーンなどのドイツ系ばかりでなく、パレイゾン、デュフレンヌ、マーゴリスなど結構多様なラインナップで、なかなかの読み応えですね。今日から見るといかにも「英雄時代」という距離感はありますが。

このサイト・掲示板を訪れると未知の書物・書き手に触れられていて好奇心を刺激され、じっくり腰を据えていろいろ読み耽りたい気持ちになるのですが、現実はなかなかままならない状況です。時間があれば御紹介いただいたサイトのヘンリッヒのテクストにも挑戦したいところ。


No.1454
シュピアのニーチェとの関係というのは
あがるま(2008-04-18 16:28:13)

>シュレヒタ版全集を編集したシュレヒタが主張していたようですね。彼は科学畑出身なので、ボスコヴィッチとニーチェとの関係などにも関心をもっていた。<

ニーチェが読んだ唯一の哲学史はF.A.Langeの唯物論史だと云ふのでそれに出て来るのかと思つたのですがないやうです。

ヤンツの伝記によれば1873年にA.SpirのDenken und Wirklichkeitと云ふ2巻本を読み「道徳律は神からではなく人間から発生する」と云ふ知見を得、それについてはAnni Anders & Karl Schlechta"Nietzsche, Von den verborgenen Anfangen seines Philosophierens.1962.(Frommann)と云ふ本があるらしい。

A.Spirのこの本は非常に有名だつたらしく、原典の引用が多いので便利なアイスラーの哲学辞典にも引用が沢山あります。(その改訂版を目指した、リッターの辞典には出て来さうにありませんが)

一番詳しさうなCharles Andlerのニーチェ伝には当時のR.マイヤー(エネルギー不滅則)E.デュリング、ボスコヴィツチなどの自然科学研究との関係記述があるのでせう。


No.1460
ブルーメンベルクとクリバンスキイ
あがるま(2008-04-23 02:42:33)

ヨナスの回想録には「くま」さんが6年7月14日に#1275で仰るやうにブルーメンベルクのことが出て来ます。戦後ブリュッセルの哲学会議にマルブルク時代の友人W.Broeckerがヨナスの『グノーシスと後期古代精神』の愛読者である彼の生徒ブルーメンベルクを遣しキールに来ないかと打診したこと。彼は二度とドイツには戻り度くなかつたので断つたが、ヨナスはブルーメンベルクなどの若いドイツの哲学者と一緒にブリュージュ(ブリュッゲ)にも旅行したさうです。

Raymond Klibansky1905-2005はヨナスと同じユダヤ人の亡命者でありながら、カナダで彼に素つ気無かつたと書かれてゐました。

クリバンスキイの回想録を見ると ハイデルベルクでヤスパースと古典考古学者のLudwig Curtius(ミュンヒェンのアドルフ・フルトウェングラーの弟子で彼の息子のWilhelm Furtwaenglerや現象学的倫理学者Dietrich von Hildebrandの家庭教師として有名ですが、Ernst Robert Curtiusとは親戚関係はないさうです)の弟子であり、ハンブルクでカッシラー、ワールブルクやザクスル、パノフスキに親炙したした、戦争も情報活動だけで些か貴族趣味のクリバンスキイとヨナスとは大分肌合ひが違ふやうです。

クリバンスキがヤスパースの弟子ではJeanne Hersch1910-2000(彼女のジュネーヴ大学の後任がManfred Frank)をアーレントよりも高く評価するのもそのせゐかも知れません  -  と思つたら、エルシュはクリバンスキイのハイデルベルク時代の愛人らしい。アーレントとG.アンデルスが結婚したのもハイデルベルクださうです。 『土星とメランコリイ』の英語版がありました。

http://quod.lib.umich.edu/cgi/t/text/text-idx?c=genpub;cc=genpub;rgn=main;view=text;idno=0431529.0001.001

ミシガン大学出版の本は凡てネット上で見ることが出来るのでせうか?


No.1462
しばらくあいだが空いて

prospero (管理者)(2008-05-21 10:15:45)

いろいろと用事が多く、すっかり空き家の状態になってしまい、失礼しました。

クリバンスキーの伝記、独訳(Erinnerung an ein Jahrhunder, Insel 2001)を手に入れていました。なるほど、ヴァールブルクらとの交流が描かれていますね。L. CurtiusもたしかにE. R. Curtiusとは姻戚関係はないと書かれていますね。ところで、Curtiusの名では、ベークの弟子の文献学者Ernst Curtiusと、その兄弟でやはり文献学者のGeorg Curtiusというのがいるのですが、これはErnst Robert、あるいはLudwigのどちらかと関係があるのでしょうかね。以前、Wach, Das Vetstehen (1933), Bd. 3で見て、気になっていました。

『土星とメランコリー』も見てみました。すごいもののですね。全文プリントアウトして綴じれば、一冊丸々の複製になるわけですね。しかし私はなかなかそれをやる気にはなりません。Web上のものをプリンして読むことも稀です。何しろ、日常の作業だけでも、兎に角紙が増えていくので、それ以上紙を増やす気になれませんし、結局整理もせずにゴミの下になってしまうからです。簡単に何かを調べるときには便利なのでネットを使いますが、少し落ち着いて読む必要なときにはやはり本として買ってしまうほうが多いのが現状です。皆さん、ネット上で拾ったものは同処理しているのでしょうね。ファイリングなどをきちんとしている人もいるのでしょうか。たいていはHD上に溜っていっているのが普通のような気がしますが。


No.1463
ついでに

prospero (管理者)(2008-05-21 13:47:28)

サイトの情報という点では、フライブルク大学のサイトでは講義の映像と音声が入手可能で、2007.2.8(ドイツ語的表記で8. 2. 2007)のところでは、Figalの「フッサールとハイデガー」という講義が聴けます。尤も内容的には、日本の大学の哲学科でも学部相手の授業のようなレベルですけど。


No.1468
女性哲学者など
あがるま(2008-05-25 21:46:55)

>クリバンスキーの伝記、独訳(Erinnerung an ein Jahrhunder, Insel 2001)を手に入れていました。

Le Philosophe et la memoire du siecle. Entretiens avec G.Leroux.1998 (LesBellesLettres)が原題らしい 題名を入れすに済みません。本は買ふだけで殆ど読まないのですが安く手に入つたのを偶然読んでみました。ヨナスの回想録と同様に対話で読み易いので。

J.エルシュの書いた小説と云ふのもあるのですね。スイスのフリブール大学から1942年に出たと云ふので今では独訳Begegnung.Roman.1975.Frauenfeld(Hubert); Neuausg.1998.しか入手出来ないかも知れません。原題はTemps alternes ドイツでは殆ど無視されてゐるのに、フランスでは一種のブームなのか、エルシュの本は文庫化されてよく店頭で見ますね。

Annemarie Pieperと云ふバーゼル大学の先生が有名ですが、彼女は日本でも有名なJoseph Pieperの娘なのでせうか?Wiiで見ると彼女はH.クリングスの弟子で小説も書いて居ます。

>たいていはHD上に溜っていっているのが普通のような気がしますが。 上記の様な積読状態なので、デジタル文献なら場所を取らないので便利です。 最近はhttp://www.dissonline.de/などで学位論文をネット上で見ることが出来ますね。日本でも早晩さうなるのでせう。

さう言へばタナカ・ミキコさんと云ふ方がマルブルクで書いたカントの判断力批判と遺稿との関係を演繹論との関係で扱つた学位論文がありました。 http://deposit.d-nb.de/cgi-bin/dokserv?idn=986734918&dok_var=d1&dok_ext=pdf&filename=986734918.pdf 日本でもカントの遺稿が本格的に研究される様になつたのでせうか。

>ベークの弟子の文献学者Ernst Curtiusと、その兄弟でやはり文献学者のGeorg Curtiusというのがいるのですが、これはErnst Robert、あるいはLudwigのどちらかと関係があるのでしょうかね。以前、Wach, Das Vetstehen (1933), Bd. 3で見て、気になっていました。 WikiによればErnst Curtius (* 2. September 1814 in Luebeck; † 11. Juli 1896 in Berlin) はゲッチンゲンで神話学者Karl Ottfried Mueller の弟子、ベルリンでAugust Boeckhの助手でオリンピアの発掘で有名、Ernst Robertは彼の孫ださうです。

さう云へばエルンスト・クルティウスのベストセラー『ギリシア史』(の最近の復刻)を第一巻だけ持つて居た。

モムゼン『ローマ史』はネット上にテクストがありますが、その他にドロイゼン『ヘレニズムの歴史』、ペールマン『古代の社会主義』、ブルックハルト『ギリシア文化史』、エドワルト・マイヤー『古代史』を入れたCDROMが出て居ますね。(K.クリストの『ギボンからロストヴツェフまで』と云ふ解説付き)定価は99ユーロだけれど10ユーロほどで手に這入る様です。24.05.08.


No.1471
西洋思想大事典
skiamachos(2008-09-06 04:41:18)

すでにご存じかもしれませんが、

http://etext.virginia.edu/DicHist/dict.html

をみつけました。 2003年から始まったようですが、私はつい最近気がつきました。 気前のいいことをしてくれるものですね。

新版のほうについては、 高山宏さんが、気がのらないというふうなことを書いてらしたのをみましたが。



No.1473
web上の事典
prospero (管理者)(2008-09-12 21:31:16)

>skiamachosさん

本当ですね。Britanicaも公開されていますし、グリムのドイツ語辞典までありますものね。調べるには便利になりました。これにCD-ROMで出された原典類などを加えれば、個人で大蔵書を所有しているのとほとんど変わらない状態が実現できるのはすごいことです。

ちなみに、Dictionary of the History of Ideasの新版は、web上の目次からもわかるように、かつての『観念史事典』とは基本的にアプローチが異なるように思います。私自身も手に入れましたが、前回のもののような興奮は感じられませんでした。前の『観念史事典』は、事典としてはかなり偏りが大きく、それがまた今後の展開を期待させるようなところがありました。今回は事典らしくなった分だけ、かえって魅力が減ったといいますか、お行儀が良すぎる感じがします。考えれば、前の『観念史事典』がかなり破天荒な企画だったということにもなりそうです。


No.1515
Re:web上の事典
Hadaly(2009-03-10 10:28:39)

はじめまして。
旧版から全面改訂したとの事ですが、項目が増えただけでなく、項目内容自体も大幅に変更なされているのでしょうか?


No.1516
まったく別物
prospero (管理者)(2009-03-10 23:10:56)

Hadalyさん、はじめまして。

Dictionary of the History of Ideasと、New Dictionary of the History of Ideasは、ほぼまったく別物と考えたほうがよいと思います。項目の立て方も、記述の方針もまったく違います。ですから、流石にNew editionと名乗る訳にもいかないので、New Dictionary ... という言い方になったのでしょう。

最初の『観念史事典』は、ニコルソンなど、ある研究ジャンルを立ち上げた本人が、その分野を熱く語る論文集という趣の強いものでした。ですから、事典としての統一や精度はお構いなしというところがありました。それでも(あるいは、だからこそ)別巻としてついていた詳細な索引は、その迷路のような事典を辿る地図のようなもので、それ自体が興奮を誘ったものです。今回の『新・観念史事典』は、そういった興奮とはまったく無縁です。

今回の事典できわめて強く打ち出されているのが、脱ヨーロッパ中心主義という視点です。ですから、多くの項目でも、アフリカ、中国、イスラームの記述に、ヨーロッパ・アメリカ以上の紙幅が割かれたりしています。「人間主義(人文主義)」などという、いかにもヨーロッパ的な項目でも、真っ先に「アフリカの人間主義(ヒューマニズム)」という項目から始まります。その点で、やはり現代の問題意識が顕著に窺えるというのは利点でしょうが、私はあまり魅力を感じません。(「フェミニズム」などという項目もしっかり立っていますが、だから何?という感じですが)。

現物をご覧になられたら、感想などお聞きしたいところです。


No.1517
Re:まったく別物
Hadaly(2009-03-11 02:07:03)

そうですか、詳しくありがとうございます。

>「人間主義(人文主義)」などという、いかにもヨーロッパ的な項目でも、真っ先に「アフリカの人間主義(ヒューマニズム)」という項目から始まります。

こうなると事典的なバランスが良くなったのか、悪くなったのか解らなくなりますね。 全くの素人ですので評価は難しいですが、これからもこちらのサイトを参考にさせて貰います。


No.1520
辞典とは本質的に時代の子
あがるま(2009-03-17 23:26:17)

のやうですね。
『歴史と現代の於ける宗教RGG』の第一版と第二版が違ふやうに、またアイスラーの哲学辞典とそれを新しくしたと云ふリッターの哲学辞典が全く別物な様に。 アイスラーはCD・ROMで発売されてゐるマウトナーの哲学辞典(残念ながら第二版)などと一緒になつたものが便利です。

以前の観念史辞典はパウリ=ヴィッソワの旧版のやうなものでせうか? 項目が少ない?のは電子化が遅れてゐるためなのでせうか?17.03.09.


No.1562
Galaxidion.com
あがるま(2009-09-19 01:49:42)

に註文してみました。>br> ABEbooks.deでLadislav Klimaの本を探したらフランスのある書店に在庫があることが分り、念のためその書店をグーグルで検索すると、それはブリュターヌの軍港の町ブレストにあるGalaxidion(marche du livre ancien ou epuise sur Internet)のサイトに繋がり、更に同じ著者の他の本を合計3書店から5冊ほど見つけることが出来ました。(しかも始めの書店の価格はABEの半値でした)

註文時には支払ひ方法や送料も分からないので不安でしたが、次の日に、準備が出来たから支払ひ方法をネット上のサイトに記入するやうにメールが来て、支払ひ後一週間から10日に3箇所から本を送つて来ました。
註文しても実際には在庫がないこともあり得るので、各書店の送付準備が整つてから、支払ひ受け送るのはうまい制度だと思ひます。
60ユーロほどの註文に3箇所からの送料が30ユーロ足らず(貼つてあつた切手の金額と同じ)ですが満足して居ます。
フランス語以外の本もあるのかも知れません。


No.1565
Re:西洋思想大事典 あがるま(2009-12-24 02:17:46)>

このNew Dictionary of the History of Ideas (NDHI )を
https://undoctrination.info/Books/history,%20geography,%20anthropology/History/
でダウンロードしました − 全3千ページ以上です。

https://undoctrination.info/
マクミラン社のEncyclopedia of Philosophy, Second Edition Donald M. Borchert, Editor in Chief 全9巻や『十字軍の歴史』などもあります。 14.12.09


No.1566
グーグル・スカラーで
あがるま(2010-01-17 13:14:11)

検索して資料を集めて居たのですが、前世紀の著作などは関連資料も含めて一冊完全にダウンロード出来るのですね − 米国国会図書館の本もさうですが。
F.A.トレンデレンブクク、O.F.グルッペ、G.タイヒミュラー、ウィラモヴィッツなどを集めてみました。
気になつて居たF.ヘムステルハイスの全集(3巻が一冊に合本されて居る)も(何部も)アップされて居ます。
彼の父親はティベリウスと言つて有名な古典文献学者ださうで、その編集したルキアノスのギリシア語・ラテン語全集も序に。
本が溜まると置場所もないし実際には一部を見るだけで済んでしまふので本を買ふのは(一冊百円でも)無駄です。
日本で出版された本などでは価値があるのは版元もなくなつて居るのが大半なのですから現在の著作者や出版社がグーグルに反対するなどは愚の骨頂です。日本の国会図書館も早く電子化して欲しい!


No.1567
人文学革命?
prospero (管理者)(2010-01-17 21:40:58)

情報をありがとうございます。刺戟されて、私もいくつか検索してみました。トレンデレンブルクの『論理学研究』が見つかって大助かりです。ちょうどAmazonで注文しようかと思っていたところでした。しばらく前、ABEでヴォルフ(アウグストのほう)の『ホメロス序論』をデータのかたちで$5で購入しましたが、これからはそれくらいの時代のものは無料で手に入るようになるのですね。これは素晴らしくも恐ろしい状況です。もはや基本的な資料は図書館や古書店を探し回る必要なく入手できてしまうのですから。

かつて、望遠鏡や真空ポンプが科学革命の引き金になったとするなら、人文系の学問にとってはそれに匹敵するくらいの環境の変化ではないでしょうか。 しかしその一方で、資料の入手が容易になると、やたらにそれらを引用し(コピーも容易なので)、「学問」の体裁だけ整えて、頭を使っていない研究書が増えてきたのも事実です。まさに両刃の刃ですね。

***

なんどか書き込みをしていただきながら、応答もせずに失礼しました。実はそろそろこのサイトも店仕舞いを考えています。同じ時期に始めた似たようなページがここ数年のあいだに続々と姿を消しています。インターネットをめぐる環境もこのHPを始めた10年くらい前と比べると様変わりです。良質の匿名性のようなものを期待していたのですが、実態はどうもそれとは違った方向に向かっているようです。

くわえて、最近はブログ(それどころかtwitter)のような断片的な情報が横行して、うんざりさせられます。特に大学関係者のブログというのがいただけない。私的な記述と公的な記述が区別なく書き連ねられて、その無節操振りに驚くこともしばしば。

そんなことで、ここもそろそろ潮時かとも思っているのです。いっそのこと、こちらもブログ風の形式で、書籍情報だけ書き連ねていくことも考えなくはないのですが......


No.1568
Re:人文学革命?
あがるま(2010-01-19 13:24:59)

>トレンデレンブルクの『論理学研究』。

十年ですか! ウェッブサイトの寿命は長いのか短いのか?
このサイトについては吉本秀之さん(これは2000年2月から始まつた)が『著作者は調べても分からないが修辞学について一番優れた記事』だとされて居たのを思ひ出します。
日本では西洋の形而上学やキリスト教神学は既に破綻してしまつて居て一瞥の価値もないし、それに付随した修辞学も同様だと思つてその偏見に疑問も持たない。
平井浩さんhttp://www.geocities.jp/bhermes001/bookplan.html (や水村美苗や古くは森有正)が云ふのはそのことなのに(想像も出来ないで)無視するか反発するしかしない。
佐藤優と言ふ人のキリスト教に関する(最早更新されない?)サイトを見ましたが、高校生程度の知識しかなく、シュライエルマッハーから出発しなくてはならないとか何か云つて居る。こんな人物が神学(及び外交)の専門家のやうなフリをしての国家論や天皇論や文学論、経済論(何でも屋)が流行するのも日本の知的貧困でせう。
ニーチェがSeit Kopernikus rollt der Mensch aus dem Zentrum ins Xと云つた意味も知らないやうです。半世紀も前にK.レヴィトが世俗化をジョン・ダンの『世界の解剖学』を引用して説明して居るのに較べても何と言ふ違ひでせう!
是非引き続きブロッグでお願ひします!19.01.10


No.1569
革命の前に保守を
森 洋介(2010-01-19 19:02:36)

 どうもご無沙汰してをります。

>実はそろそろこのサイトも店仕舞いを考えています。同じ時期に始めた似たようなページがここ数年のあいだに続々と姿を消しています。

 え、や、ちょっと待って下さい。暫く暫く。   何かサイトの所爲で負擔が掛かったり不利益があるのなら致し方ありませんが、さうでないのでしたら、放置でも構ひませんから、消さずに殘して置いて戴けませんか。その氣になったらいつでも再開すればいいのですし。「大学関係者のブログ」その他、「うんざりさせられ」るものが増えたからと言って、よそさまに合せて存在意義が無くなるものでもありますまい。 
 『STUDIA HUMANITATIS』の記事は時々讀み返しますし、殘しておけば默ってゐても今後讀む人があるでせう。さういふ自分もブログ時代にあって自サイトもまともに更新せずにをりまして、當方のはFestina Lenteといふ程でなく單にものぐさでしかありませんが、氣の長い待ちの姿勢が人文學だといふことは、以前にこちらで「学者の実力」を話題にした時にも申しました。  

 電子化による文獻の保存と公開にしても、紙の書物の時代から夢見られた古い欲望がやっといまになって新たな技術で實現されつつあるわけでせう。しかし或る程度の專門的なキイワードで檢索すると引っ掛かるのはGoogleブック檢索ばかりといふ現状で、コンテンツはまだまだ印刷された過去の書物に依存してゐるのに、そのやうなデジタル・テキストによって今後出版業が窮迫するとなれば、このままではいよいよ先細りです。あがるまさんの言ふ「知的貧困」(No.1568)……。『グーテンベルクからグーグルへ』(ピーター・シリングスバーグ、慶應義塾大学出版会、2009)といふ標語も、あまり易々と唱へられると、待ったを掛けたい。 

 まあ後向きに生きる古本者(ふるほんもの)としては將來のことを案じるのは柄でないので、相變らず古書展で漁りながら古人の糟粕を嘗め、ウェブ上でも失はれゆく文獻の痕跡を求めることになりませうが。保守的だと言はれればその通り。もしそんな古本者にも革命があるとすれば、未來へ向かふのではなく過去へ向けてのそれでせうかね。 p>


No.1570
多謝
prospero (管理者)(2010-01-21 15:32:09)

>あがるまさん、森さん

反応をどうもありがとうございます。これほどすぐに、しかも存続に関する反応をいただくとは思ってもいませんでした。何しろ、管理人自身が最近ではほとんど放置してしまっているにひとしいサイトでしたので。

潮時かなどと思った理由は主に二つありました。ひとつは、以前に問題にしたこともありますが、「匿名」ということをどこまで護れるかという点に関してです。吉本秀之さんの評価を紹介していただきましたが、この「著作者は調べても分からないが」というのは、まさにそれをこそ狙っているので、ありがたい反応でした。このサイトを始めた最初に考えたのは、良質な匿名性といったものでした。利害や立場に関係なく、知的関心や感覚の近い人たちが、交流できるツールとして、ホームページは有効なのではないかと思ったものです。お陰様で、あがるまさんや森さんなど、現実の世界では一面識もない方々と交流がもてたのはきわめてありがたいことでした。検索や情報蒐集に長けているお二人などは、ここの管理人がどういう人物かはおおよそ当たりがついているのだろうと想像しています。とはいえ、このまま匿名で、現実の情報を(少なくとも特定可能なかたちでは)紛れ込まさないというのは、それなりに気を遣うことではありますが、不可能なことではないでしょう(善し悪しはまた意見が分かれるでしょうが)。

もう一点は、やはり更新も段々億劫になってきたということがあります(なにしろ、あいかわらず、HTML直打ちでやっているもので)。しかし、これも森さんの仰るように、残しておけば誰かが見るというのは確かでしょう。現に私自身、何かを調べて検索していると、結局自分のサイトに戻ってくるなどという経験もしばしばです。久し振りにアクセス解析なども見てみたのですが、まったく更新していないのにもかかわらず、異なったポイントからのアクセスが複数ありました。(次項へ)


No.1571
多謝(2)
prospero (管理者)(2010-01-21 15:36:30)

そんなことで、お二人の励ましも承けて、しばらくは少なくとも現状凍結、うまくいけばのろのろと更新をということになるかもしれません。実は最近私がかなり頻繁に見ているものに、悪漢と探偵なるブログがあります。新刊情報をリスト化しているだけなのですが、これが結構役に立ちます。それを考えると、このサイトもそれなりにどこかで誰かが面白がってくれている可能性もありますからね。それに、この掲示板も、開いておけば、私自身はかなり有益な情報を頂戴することがありますので。

ちなみに、消滅してしまった愛惜すべきサイトとしては、例えば「電影書肆斜塔堂」や、国文関係のDAS KABINETT DES YAMANAKAなどがあります(あるいは移転したのでしょうか。この辺は、森さんのお得意の領域でしょうね)。あるいは、読書日記として充実していたMemory holeなどは、更新停止を宣言してしまっています。そんなかたちで、似たような感覚のサイトが姿を消して、周囲は寂しくなっているのですが。やはり10年経つと、それぞれ「現実」のお仕事なども忙しくなってくるというのもあるのでしょうね。森さんの「書物のトポス」の存続と更新は心強いものがあります。世善知特網旧殿などもそうですが。ブログではなく、こういう自分自身の「編集」を通した公開というのは重要だと思うのです。最近のブログは、そうした自己編集のような操作があまりに希薄(早く言えば「垂れ流し」)のように思えます。

何やら長くなりましたが、お礼かたがた。


No.1573
ウェブ・サイトとブログと書物の異同
森 洋介(2010-01-23 03:21:41)

> ちなみに、消滅してしまった愛惜すべきサイトとしては、例えば「電影書肆斜塔堂」や、国文関係のDAS KABINETT DES YAMANAKAなどがあります

 いえ、後者は『DAS KABINETT DES DR. YAMANAKA』として繼續中です。ずっと前に山中氏自身がこちらに書き込みしてゐたこともありますから何かおっしゃるかしれませんが、とりあへずURLは下記の通り(http://は省略)。 

 www3.tky.3web.ne.jp/~taqueshi/menu.html   『午後は斜塔堂でお茶を』の方も、部分的には現存するページが幾つかあるやうです。 

 pisagarden.hp.infoseek.co.jp/melancholy.htm   あとは、インターネット・アーカイブに保存されてゐるページもありますが、無論、完全ではありません。  

 更新しなくても、わざわざ消すことはないので、そのまま殘して置けばよいのにと思ひます。サイトを削除してしまふ人は、殘ってゐると何か現實生活に差し障りのあるやうなことでも書いてゐたのでせうか。更新だって、誰かにせっつかれてゐるとか強迫觀念になってゐるとかいふならともかく、義務のある公式サイトでないのでしたら、のんびりダラダラと、やる氣が出たときだけやればそれでよいものを。更新が滯るとサイトごと全消去といふことが珍しくないのは釋然としません。 

 しかしそんな風に思ふのは舊來の書物のアナロジーでウェブを受容してゐる讀者だからで、ウェブで物書く人らの感覺には合はないのでせう。この感覺の差をもう少しうまく言葉にして議論できるとよいのですが……時間意識がポイントでせうか。 

 當方のサイト【書庫】も放置状態が基本で、たまに舊稿へ少し手を入れたりするだけ。そのうち公開するつもりで、間を空けて想ひ出したやうに續きを書いたり書かなかったりしてゐる文章があるのですが、一向に成稿に至らぬ儘。しかしこちらに書き込んだこともあって、別の戲文に締め括りをつけて、久しぶりに新規排架してみました。   書物談議をしてゐると、その喋ってゐるやうなことをブログにでも公開したらと言はれることがありますが、日記をつけるほど勤勉になれないと答へるのが常です。ブログは不定期更新でもよいわけですが、それなら現在持ってゐるウェブ・ページとどう違ふといふことになります。斷片的な小ネタに拘泥する人間なのでブログ形式が向いてゐるのかなとは思はされるものの、やはり何か違ふやうな氣もします。何と言へばよいのか……いや、書くのは面倒臭くて讀む方が好きといふだけかもしれません。


No.1574
ただいま改装中
prospero (管理者)(2010-01-29 22:08:39)

サイトについての情報をありがとうございます。本当ですね。YAMANAKAさんのサイトは健在で、一部はブログにして継続中でした。あいかわらずの猟書ぶりを頼もしく思います。

リンク集を整理して、本編のStudia humanitatisもいま少し改装をしています。いままで「新着図書」のかたちで書き流していたものを、分野ごとに配置して、徐々にかたちを調えようかと思います。

更新が滞ると消去されるサイトがあるというのをご指摘になっていますが、おそらくそれは、書き手があくまでも「日記」の延長で書いているということの証しなのではないかと推察しています。自分が行かなくなった場所にいつまでも自分の日記が放置してあるのは気持ちが悪いので、消してしまうという心境は分からなくもありません。

こちらは森さん同様、ブログという形式はどうも馴染めないので、今回の改装は、さらに一層ブログ色を消すためのものです。今後どういうかたちで更新をすることになるのか分かりませんが、差し当たり、そのまま放っておいてもいいように、形だけは整理しておこうかと思います。この改装自体もだらだらと気任せにやっていくことになると思いますが。

***

ひとつ前の話題にも関係しますが、ここ数日、iPadの話題がニュースなどでよく取り上げられていますね。いよいよ紙の書籍の位置が危うくなっていくようで懸念されます。まさに森さんが仰っていたように、情報源を紙媒体の書物に追っていながら、それを経済的に圧迫するようなことは、自分で自分の首を絞めることにも繋がると思うのですが。

やはり私自身は、紙媒体から離れられませんし、音楽もiPodなどで聴く気にはなれません。音楽の場合は、間接音や残響をも音楽の一部だと思っていますし、書物に関しては、表紙の手触りはフォントの組み方も情報の一部だと思っています。こんな感覚はもはや過去の遺物になっていくのでしょうか。私にとっては、活版が消失していく段階ですでに相当にショックだったのですが、そうもその比ではないような環境の変化が進んでいるようです。




No.1432
Re:児島喜久雄の作品について
K.Akira(2007-11-29 16:32:37)

児島喜久雄は絵の方の腕も大したものだつたさうで、ブルックハルトやウェルフリンなどは全くの素人だと云つてゐたさうですから − 一度見てみたいのですが、学習院か東京大学に残つてゐるのでせうか?


あがるま様
児島の作品や研究ノートなどの資料は、山梨県の清春白樺美術館に所蔵されています。レオナルド作品の模写などは、たしか、弟子であり娘婿でもあった西洋美術史研究家の三輪福松氏が亡くなった際に遺族より同美術館へ寄贈されたと聞いています。

ちなみに、現在清春白樺美術館では、『生誕120年 児島喜久雄と白樺派の画家たち』を2007年11月20日〜12月27日まで開催中で、児島作品も出展されているようです。


No.1433
Re:児島喜久雄の作品について
あがるま(2007-12-09 22:35:00)

児島の作品や研究ノートなどの資料は、山梨県の清春白樺美術館に所蔵されています。レオナルド作品の模写などは、たしか、弟子であり娘婿でもあった西洋美術史研究家の三輪福松氏が亡くなった際に遺族より同美術館へ寄贈されたと聞いています。

三輪福松が女婿だと云ふことも知りませんでした!
せつかく寄贈されても倉庫に眠つてしまつては勿体無いです!
清春白樺美術館の展覧会の案内にも、画像は一向見られません。
大学教授の肖像画が多いやうに想像してゐたのですが、それらは児島家のものではないでせうから、元の所有者の家族や大学が大切に保存してゐるのでせうか?
東北大学の資料館に彼の写真がありました
http://www2.library.tohoku.ac.jp/tua-photo/photo-disp-s.php


No.1434
Re:児島喜久雄の作品について
ig(2007-12-14 14:36:19)

igです。お久しぶりです。
K.Akira様、あがるま様、いろいろ情報ありがとうございます。

白樺美術館で企画展を開催中なのですか。
今回は無理ですが、いつか展観の機会を得たいところです。

東北大学には児島文庫がありますね。もしかしたら、絵入りの
書き込みがあるのではないでしょうか。


No.1435
児島喜久雄とクリンガー
prospero (管理者)(2007-12-20 21:33:12)

白樺美術館どころか、印刷博物館の「百学連環」の企画展も見逃して、悔しい思いの管理人です。K. Akiraさんにご紹介いただきながら、レスポンスも遅れて失礼しました。

実は、「児島喜久男」のことが、以前気になっていた時期があって、それが何を切っ掛けとしたものだったのかが、思い出せなかったのですが、やっと気がつきました。『白樺』で企画した「マックス・クリンガー特輯」でした。

『白樺』第1巻第9号に、児島は60頁に及ぶ大きな記事でクリンガーを取り上げ、さらにはクリンガーの芸術論を翻訳し、紹介に努めたようです。その号の雑誌をクリンガー自身に送ったところ、児島宛にクリンガーからのお礼状が来て、それを切っ掛けに、第2巻第5号で、クリンガー特集を組んだようです。その口絵には、児島自身の "An Max Klinger"という口絵が掲載されました。これなどを見ると、クリンガー風でもあり、フォーゲラー風でもあり、いずれにしてもあの時期のドイツ芸術の影響が窺えます。『白樺』が紹介したのは、ロダンばかりでなく、同時にクリンガーであり、そこには児島喜久雄が大きく関わっていたというのは、興味深く思います。

No.1481
児島喜久雄とペルガモン博物館
甲斐駒(2008-10-21 20:11:26)

突然ですが、児島喜久雄とも関わりがある催しがあるのでお知らせします。

2008年11月22日(土)〜2009年5月6日(水)の予定で、東京三鷹の中近東文化センター附属博物館で「ヘレニズムの華ペルガモンとシルクロード:発掘者カール・フーマンと平山郁夫のまなざし」という特別展が開催されます。岡山のオリエント博物館と共同企画のようで、岡山では11月3日で終了し、場所を三鷹に移して開催ということのようです。主な展示資料はベルリンのペルガモン博物館の収蔵資料ですが、ヒトラー政権時に同博物館で開催された「日本古美術展覧会」の貴重な当時のポスターなども公開されるようです。これは、日本の国宝クラスの古美術品をベルリンに運んだ展覧会で、桂太郎の三男で、井上馨の婿養子となった井上三郎を団長に、多数の随行員が出席して児島喜久雄もその一員でした。ちなみにポスターのデザインは横山大観だとか。井上三郎の息子で日本古代史の研究者だった井上光貞の自伝『わたくしの古代史学』(文藝春秋、1982年)では、史学を研究する上で歴史哲学は必須と児島に教えられ、この渡欧の際に児島が購入してきたドイツ語の原書を与えられ精読したという一節があります。


No.1483
Re:児島喜久雄とペルガモン博物館
あがるま(2008-10-25 21:10:12)

三輪福松訳『べレンソン自叙伝』(1990年玉川大学出版部)と云ふのを見つけて読んでゐます。カヴァーはベルナール・べレンソン(1965-1959)のフィエゾレのヴィラ(イ・タッティ)の水彩スケッチ(1924年)で、これが児島喜久雄の作品ださうです。三輪は清春白樺美術館の館長だつたのですね。これもその美術館の収蔵品らしい。

中身は自伝と云ふより自省録とでも云ふやうなものですが、歴史とは未来であり『先にやつてくる』Prevenance(つまり過去?)であるなど中々面白い。 この言葉は収集家などが使ふ『由緒』Provenanceから思ひついたのでせうね。 鑑定家モレリの弟子であるべレンソンもリトアニア出身のユダヤ人だと云ふことは始めて知りました。

ペルガモン美術館展が開催されるさうですが、ベルリンの美術館島でその隣にあるボーデ美術館の名前の由来となつたWilhelm von Bode(1845-1929)はモレリの攻撃の的となり、べレンソンの著作の出版は彼により妨害されたさうです。


No.1485
Re:児島喜久雄とペルガモン博物館
A.Kogane(2008-10-26 21:10:59)

ボーデといえば、ハインリヒ・ヴェルフリンとともに、欧州留学中の児島喜久雄が師事し、親しく付き合っていたという美術史家ですね。清春白樺美術館で発行している雑誌『清春』の33号(特集:児島喜久雄、冬青・小林勇、2003年4月)掲載の座談会「児島喜久雄を語る」(嘉門安雄、柳宗玄、前川誠郎、児島光雄)にそのようなことが載っていました。児島喜久雄の弟子と長男が語る懐旧談は興味深い内容です。

ちなみに同じ号で特集されている冬青・小林勇とは岩波書店の元会長で、白樺美術館創立の際にも創立者の吉井長三に協力したとか。晩年の幸田露伴に親炙して、『蝸牛庵訪問記』などの著作を著しているいたことでも有名ですね。その幸田露伴のデスマスクを児島喜久雄が描いている。児島と小林の間にも何か付き合いがあったのでしょうか。なお『清春』のバックナンバーは白樺美術館でまだ購入可能です。メールでの注文により郵送による購入も可能とのこと。興味ある方はぜひご一読を。


No.1486
ベレンソン・ボーデ・児島喜久雄
prospero (管理者)(2008-10-28 23:02:26)
甲斐さん・あがるまさん・Koganeさん

いろいろと情報をありがとうございます。児島喜久雄はボーデとの接触というKoganeさんの情報、そしてあがるまさんご指摘のモレッリ・ベレンソンのラインとボーデとの対立というのも興味深いところです。その対立点とはどんなところにあったのもか気になります。しかもそのベレンソンに師事したのが、ボッティチェルリ研究の矢代幸雄ですよね。日本の美術史にも、実証主義的な美術史と、一種の思想的で解釈学的な美術史というような構図が持ち込まれているということにもなるのでしょうか。

ちなみに、モレッリの「徴候」という細部にもとづく鑑定ということに関しては、歴史家のギンズブルグなども興味をもって、シャーロック・ホームズの観察法の生みの親ドイルと重ねたりしていたのをふと思い出しました。


No.1490
Re:ベレンソン・ボーデ・児島喜久雄
あがるま(2008-10-31 23:42:24)

釈迦に説法の様ですが モレッリの方法は実に簡単なことで、往々誤解されるやうな「細部に宿る神」或は「微小なるものの心理学」の探求と云つた神秘的なもの、或は特殊な天才を必要とするものではありません。 習慣的、無意識的に画かれる、耳とか爪とか画家が簡単な線描を使ふ場所での特徴を調べて網羅したのです。

べレンソンの最大の学問的業績が、ウフィッチ美術館(など)のデッサンについてだつた(後年、誰でも出来ることに無駄に時間を費やしたと、後悔したさうです)のも、矢代幸雄が線描が主のボッティチェリや東洋の絵などについて研究したのも偶然ではないでせうし、 モレッリの影響で一番顕著な成果を挙げたのはギリシアの全絵壺の作者を描線により決定したビーズレーであることからも分ります。


No.1499
ペルガモン博物館 ―ヒトラーと日本古美術展―
甲斐駒(2008-12-11 10:50:00)

かつて、井上三郎を団長に、児島喜久雄を含む日本代表団とともに、多数の国宝級の日本の美術品がドイツへ渡り、ヒトラー政権時のドイツベルリン・ペルガモン博物館で「日本古美術展」が開催されたとか。開会式にはヒトラーもやってきたのだそうです。この今や歴史のかなたに埋もれた展覧会についての講演が、東京三鷹市の中近東文化センター附属三笠宮記念図書館で行われますのでお知らせします。おりしも同所ではペルガモン博物館の資料を展示した企画展を開催中。

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第35回三笠宮記念図書館主催『語る会』
吉田大輔が語るペルガモン博物館 ―ヒトラーと日本古美術展―

今回の三笠宮記念図書館主催『語る会』は、現在、中近東文化センター附属博物館で開催中の『ヘレニズムの華 ペルガモンとシルクロード』−発掘者カール・フーマンと平山郁夫のまなざし−展に関連して、かつて、ヒトラー政権時のドイツ・ペルガモン博物館で開催された「日本古美術展」について、中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所の吉田大輔さんが講演します。

日 時:2008年12月13日(土)14:30〜15:30
語り手:吉田大輔(中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所)
場所:中近東文化センター小講堂
主催:(財)中近東文化センター附属三笠宮記念図書館

問い合わせ先
中近東文化センター
〒181-0015東京都三鷹市大沢3-10-31
ホームページ:http://www.meccj.or.jp/Pages/main_frame.html
電話: 0422-32-7665 (直通)/7111(代表)
Fax: 0422-31-9453
電子メール:tr-ex@pa2.so-net.ne.jp




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